第19話 過去⑤

 近づくにつれて剣戟けんげきの音がはっきりと聞こえてくる。同時に洞窟内に立ち込め始めるのは、爆発の余韻だ。土の匂い。火薬のにおいがしないと言う事は、魔術による爆発だったはずだ。


(やっぱり、何かあったんだ!)


 先ほどの通路の終わりが見えてきた。そこから先はさっき男が倒れていた開けた空間へと出る。トーリに既に状況を確認する余裕は無かった。理由は何にせよ、ここで止まればまた足が完全に止まる。勢いで行くしかない。

 トーリは腰に下げた剣を鞘から引き抜くと、全速力で空洞内部に侵入した。


小鬼ゴブリンか!?)

 

 まず目に飛び込んできたのは、無数の小鬼ゴブリンたちだった。トーリの気配に反応して、その内の数体が醜悪な表情をこちらに向けると同時に殺意を乗せて身構える。小鬼ゴブリンたちの脇には下半身だけの人間の死体が転がっていた。上半身は既に何処にもなく、残った下半身も焼け焦げて煙を上げている。あの始めに倒れていた冒険者だと気付く。


(あいつら人間を爆弾に使いやがったのか……!)


 奥歯がギリと嫌な音を立てた。沸騰しそうになった怒りを何とか留める。ヒナタが冒険者を助けようと近づいた、もっとも効果的な場面で爆発させたはずだ。ヒナタも無傷では無いだろう。


(名無し三、小鬼兵ゴブリンソルジャー一、小鬼術士ゴブリンメイジ二――ヒナタは……!)


 足を止めずに素早く周囲に視線を巡らしてヒナタを探しながら、敵の数を補足していく。すると小鬼ゴブリンたちが取り囲むその先、岩陰の更に向こうにヒナタがいた。


「ヒナタっ!」


 そこには満身創痍のヒナタが戦っていた。左腕は負傷しており出血し力なく垂れている。その他の箇所も傷が無いところは無い程傷だらけだ。白銀の鎧は泥と自らの血、そして小鬼ゴブリンの血によって輝きを失っていた。ヒナタは最早使い物にならなそうな左側を庇いながら右手だけで細剣レイピアを握って応戦している。振刀しんとうが大量の羽虫が飛び回るような不快な音を立ててその存在を主張する。


(なんだあいつは!? 小鬼ゴブリン――なのか!?)


 ヒナタが戦っている相手を見てその異様に思わず目を見張る。普通小鬼ゴブリンはヒトよりも一回り小さい。大きくても一六〇センチを超えないくらいだ。頭部は身体と比べて大きく四肢は痩せ形で、腹部のみが大きく張り出している個体が多い。ヒト型をしているものの、人の容姿とはだいぶ異なるのだ。それはヒナタを取り囲んでいる小鬼ゴブリンも例外ではない。しかし、今ヒナタが戦っている個体だけは小鬼ゴブリンの身体的特徴から大きくずれた容姿をしていた。上背は一九〇センチを超え、四肢は丸太の様な筋肉に鎧われている。身長のおかげか頭部のと身体のアンバランスも大幅に解消されて、よりヒト型に近い背格好だ。首元に装身具ネックレス、身体には要所を守るための革製の鎧を纏い、手には一・五メートルはあろうかという大ナタを構えてヒナタを見下ろしている。その表情には愉悦の感情がありありと浮かんでいる。


『ninゲンンンゥkoロスゥウア』


 その小鬼ゴブリンが吠声を発すると、それは意志となって響いてくる。トーリはそれが魔圧と呼ばれる現象だと気付く。魔力の高い魔物モンスターに起こると言われる現象だ。身体機能強化が強化され全身から魔力が溢れる程に強くなると、鳴き声や身振りや仕草、気配などを通して魔力が意志を伝えるようになるのだ。それは魔物に限ったことではなく人間も同様で、殺気を放って魔物モンスターを威圧する、盾職が攻撃優先度ヘイトを高めるのに使用したりするそうだ。しかし小鬼ゴブリンで魔圧を発するような個体がいるというのは聞いたことが無い。


変異体バリアントなのか!?)


 小鬼ゴブリンしては規格外すぎる。こうした通常の生態から大きく離れた個体を変異体バリアントと呼び、確認された者はギルドに登録される。大抵の場合は変異体バリアントは通常個体より強い。現に今も怪我をしているとはいえ、速度を売りとするヒナタに十分喰らい付いて言っている。力に関しては容姿通り変異体バリアントの方が上だ。ヒナタは変異体バリアントの攻撃を直接受けず、上手く受け流すことによって直接の力勝負になることを避けていた。速度で追いつかれ、怪我によって体力面でも相手に劣る以上、ヒナタは明らかにジリ貧だろう。


「そこをどけええッ!」


 周囲に居る小鬼ゴブリン達に向けて、自身に注意が向くように叫ぶ。少しでも奴らの戦力を分散させた方がヒナタの生存率が上がる。そして声でトーリの存在に気が付いたのだろう、ヒナタが一瞬驚愕の表情を浮かべる。しかしそれ以上の余裕は無く、すぐさま変異体バリアントとの剣戟に引き戻された。トーリ自身ももう小鬼ゴブリンたちが目と鼻の先だ。ヒナタに注意を向ける余裕は無い。


(囲まれたら終わる……!)


 小鬼兵ゴブリンソルジャー小鬼術士ゴブリンメイジはどちらもトーリにとっては格上だ。その中で囲まれたらなぶられるだけだろう。絶対に足は止められない。しかも小鬼ゴブリンたちからあまりに離れてしまうと、今度は小鬼術士ゴブリンメイジたちの魔術が飛んでくるはずだ。


(狙うは脚か!)


 殺せなくても相手の機動力を奪えば戦力は大幅に下がる。トーリは狙いを付けた小鬼ゴブリンに向けて相手の大振りの一撃を辛うじて躱しながら、大腿部に大きな傷を残すように切り裂く。下手に大腿骨に食い込ませれば脚が止まる。


Gya!


 攻撃を受けた大腿から激しく出血して小鬼ゴブリンがもんどり打つ。

 止まらない。

 そのことを強く意識しながら、脚を切り裂いた小鬼ゴブリンの横をすり抜けて、蛇行しながら他の小鬼ゴブリンとの距離を取る。連続で攻撃して虚を突きたいが、距離的に難しい。ここは距離を取り直した方が得策だ。

 視界の端に小鬼術士ゴブリンメイジの詠唱が目に入る。


(まずい!)

 

 使う言語が違うために小鬼ゴブリンたちの魔術はトーリには分からない。しかし小鬼術士ゴブリンメイジたちの周囲に浮かぶ待機状態の火球と氷柱を見れば、大体なんの攻撃を行おうとしているか分かった。

 小鬼術士ゴブリンメイジたちの詠唱が結語しトーリの元に炎弾と氷矢が殺到するのと、トーリが岩陰に飛び込んだのは同時だった。

 トーリの隠れた岩に炎弾が当たり火の粉が弾け、氷矢が砕ける乾いた音を連続させる。


(――くッ)


 氷矢によって浅く切り裂かれた左の二の腕から既に血が滲み始めていた。緊張と痛みによって荒れ狂う心拍と呼吸を、深呼吸によって整える。幸い致命傷ではない。どうせ長期戦を行うだけの力も体力も無いのだ。多少の怪我で体力を削られようと結果は変わらないはずだ。それに今はこの魔術の雨が終わる前に岩陰から飛び出すことの方が先決だ。飛び出す方向は左右の二方向。近接の小鬼ゴブリン二匹は片方から二匹来るか、それとも左右から挟撃を仕掛けてくるか。


(魔術が終わったタイミングで近接が仕掛けてくる。どっちに飛び出すか、だ!)


 トーリは右側から飛び出した。岩陰の向こうを気配で感じ取れるほどトーリの技術は高くない。詰まる所、勘しかトーリの頼るところはない。


小鬼兵ゴブリンソルジャー!)


 トーリの選んだ先に待ち構えていたのは小鬼兵ゴブリンソルジャーだった。二匹同時よりはマシ、小鬼ゴブリンでは無かったことは不運、そんなところだ。


(俺にやれるかッ!?)


 小鬼兵ゴブリンソルジャー小鬼ゴブリンしてはと注釈は突くが、長尺の槍を装備している。武器の間合いで見ればトーリを凌ぐ。更に動きも練度も通常の小鬼ゴブリンとは桁違いだ。小鬼兵ゴブリンソルジャーは、トーリの突撃に一瞬たじろいだ様子を見せたものの、動きを止めることは無かった。すぐさまバックステップで距離を取ると、槍の間合いを確保してくる。体格こそトーリが若干勝るものの、身体機能強化はあちらの方が上回るだろう。明らかにトーリに不利な状況だ。


(だからって止まる訳には行かないんだよ!)


 トーリは姿勢を落とし、地を這うような姿勢で突撃を掛ける。直線ではなく大きな弧を描きながら進むことも忘れない。格上の相手に出し惜しみは無しだ。


「ああああッ!」


 恐怖を推進力へと変えて踏み出す。半身になり剣の柄頭ぎりぎりを持ちながら、小鬼兵ゴブリンソルジャーへと付き出す。長尺の獲物を持つ敵に対して少しでも距離を稼ぐために。そしてトーリは二度目の賭けに勝った。剣先は小鬼兵ゴブリンソルジャーの喉元を正確にとらえていた。深く喉を切り裂かれた小鬼兵ゴブリンソルジャーは悲鳴を発することも無く、横に崩れ落ちる。


「ごフッ」


 だが、トーリも無傷では済まない。槍の穂先が右の脇腹を捉えていたのだ。トーリの最安の革の胴当てではとてもでは無いが、金属製の武器の攻撃に耐えられるようにはできていなかった。咳と共に出たのが、唾液だけでは無いとトーリは悟る。


(ま……だ、だァッ!)


 深い裂創ではあるが、槍はそのまま地面に転がっていた。槍が残る貫通創ではない、内臓も出てきていない。まだ運は残っていると自分自身を鼓舞する。脇腹が強く熱を放っていて、痛いのかすら良く分からない。傷口から血液というよりも、生命の源が流れ出ている気分だ。何とかしゃにむに足を動かし続けているが、一歩を踏み出すごとに膝が抜けてしまいそうだ。

 小鬼兵ゴブリンソルジャーが倒されたのを見て、また小鬼術士ゴブリンメイジが魔術を放ってくる。連携の良さにうんざりするが、状況を打破するまでは溜息を付く暇もない。多少の傷は止む無しと岩陰をはさみながら駆け抜ける。


小鬼術士ゴブリンメイジは遠い……。辿りつく前に炎で焼かれた氷の串刺しになる……)


 朦朧とする意識の中で、次の獲物を近場に居た小鬼ゴブリンに決める。トーリは鬼気迫る表情を小鬼ゴブリンに向けると、更に速度を上げた。

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