第18話 過去④

 洞窟型の迷宮ダンジョンは進路を読まれやすい。罠を張る者に有利な構造だ。自分たちの狩場に入った者の力が十全に発揮できない箇所で退路を断ち、挟撃し仕留める。人、魔物モンスター問わず、この鬼國牢きごくろうでも数えきれないほど行われてきたことだ。

 だからこそ襲われる側も警戒する。もし不利な状況下に追い込まれれば、苦戦は必至となるからだ。

 ヒナタとトーリも警戒しながら歩を進める。気配を殺し、周囲に最大限の注意を配る。幸い身体機能強化が働いているため、ヒカリゴケが僅かにでも自生している洞窟内で見通せない程暗く感じる箇所は無い。誰かがいれば確実に気付ける。しかしそれは相手が隠れる気が無い場合に限ってと、限定条件が付く。

 緊張感が時間感覚を間延びさせるせいでトーリには酷く長い時間歩いているように感じ始めたころ、比較的径の狭い通路部分を抜けて広い空間が見えた。

 ヒナタは慎重に入口まで近寄ると、トーリを招き寄せる。ヒナタが真剣な表情で示したハンドサインの先にそれはあった。


(人間だな……)


 トーリは視界の先に倒れた男の姿を見つけた。うつ伏せに倒れているせいでその表情を見ることは出来ない。装備からしてもC・D級の冒険者に見える。もちろん盗賊だと札を下げて迷宮ダンジョンに潜る人間はいないだろうから、それだけで男が只の負傷者だと判断することは出来ない。しかし自分の回りに血だまりを作り、痛みで苦しむ姿に嘘は無いように思える。あれで演技なら目視での判断は少なくともトーリには不可能だ。


「た…たすけ……」


 男は消え入りそうな声で未だに救援を求めている。男の様子が演技で無かったとして、今すぐに駆け付けた方が男の生存率が上がるのは確かだ。しかしこの状況は明らかに危険だ。男が本当に怪我をしているなら、怪我をさせた者が近くに居るということだ。それが魔物モンスターなのか人なのかは定かではないが、少なくとも一人の冒険者を行動不能に出来るだけの力があるのだ。それなのに男は致命傷ではないように見える。普通であれば止めを差す。男が生きた状態で動けなくなっていること自体が罠の証だ。

 こういう時には自分の命と相手の命を天秤に掛けて選択することを迫られる。それは平等、と一応は教わる命の重さを自分の価値基準によって不平等にする行為、自分の好みで優先順位をつける行為だ。


(分かっている。綺麗事だと分かっているんだ。別にここで見捨てても何ら悪い事じゃない。現にそうしている冒険者もたくさんいる)


 冒険者を生業なりわいとして生活する以上、人の死を見ずに生きて行くことなど出来ない。魔物モンスターの群れに襲われてる冒険者を囮に、尻尾を巻いて逃げ出すこともある。致命傷を負って苦しむ仲間に止めを刺すことだってあるのだ。自分の命が一番大事だし、全てを助けられるほどの力も無い。


(駄目だ……。リスクが高すぎる。もし敵が現れて二人で手に負えない相手だった場合、結局見捨てることになる)


 その時には一度助けてしまっている分、心情的に余計難しい決断を迫られることになる。トーリは男の顔を間違っても覗き見ることが無い様に、また決断が鈍らないようにぎゅっと目を瞑った。


「ヒナタ。この状態はヤバい。避難を……」


「私は助けに行くわ」


 食い縛った歯の隙間から絞るように出した声を、小さいながらも凛と通った声が遮った。トーリは一瞬言葉の意味が分からずに一瞬きょとんとした後、理解して顔を青ざめさせる。


「ヒナタ! それはまずいよ! 今の状況は明らかに危険だ! 罠の可能性が十分高い!」


「分かっている。だから貴方は逃げなさい。幸い今までの道の安全確保は済んでる。回り込まれる可能性はゼロではないけれど、低いと思う。私が残って貴方が脱出すれば、少なくとも今の状況に巻き込まれる事はないと思う」


 トーリにとってその言葉は大きな衝撃となって振り下ろされた。自分の憧れる人に自分の汚い部分を見透かされた上で、見限られたような絶望感。それがトーリを混乱させる。理屈ではトーリの方が正しい。一時の感情に流されるのは、またリスクの管理が出来ないのは冒険者として二流だ。その判断をヒナタが今行っている。


「な、んでだ……!」


 トーリの狼狽えた様子を見て僅かに驚いた表情をしたヒナタは、すぐに原因を察した様子で微笑んだ。その笑顔には笑み以外の何かが含まれているような気がしたが、トーリにはそれが何か分からない。


「違うわトーリ。これは私の我儘よ。一五年前に災禍があって、独りになって。こんなクソみたいな世界になって必死に生きて来た。強くなれば、世界から誰かを守れると思って冒険者になった。でも生きれば生きる程、強くなれば強くなる程、冷徹に判断し生き残れない者を見捨てる機会が増えただけだった。結局私が望んだ戦う姿は強くなっても無かったの。災禍前の世界は多分もうどこにもない」


 突然話始めたヒナタにトーリは何も言えず、聴くしかない。ヒナタはそんなトーリの様子を見て苦笑すると、言葉を続ける。


「私来月からB級クラン【蒼天】に加入するの。そうなったらもう単独でパーティを組んだりもできなくなる。私も私情を捨てて、クランの為に冷徹に判断していく事になるんでしょうね」


 パーティは今のトーリとヒナタの関係の様に一時的な協働契約なのに対して、クランは永続的な契約だ。一度契約してしまえば、簡単には解消も出来ないし単独行動もできなくなる。しかしB級のクランに誘われるというのは冒険者としては大変な名誉だ。自分の実力が認められたという事でもあり、またクランの庇護による大きな安全マージンも確保できる。

 だがそんな喜ばしいことに、顔を曇らせるヒナタがいた。先ほどトーリには分からなかった感情は、諦めと覚悟という形でヒナタの表情を新たに形成していた。ヒナタ自身も迷っていたのだろう。それをトーリに話すことで明確な意思にしたのだ。


「だからこれは最後の我儘よ。これでもし生き残ったら私はクランに加入して、以降はああいった冒険者を容赦なく切り捨てて生きて行く。クソみたいな世界が設定した弱肉強食ってルールに従ってね。だから貴方は付き合う必要はない。これは無謀な賭けよ。それもリスクに見合う見返りの無い。普通に考えてそんなことをする奴とはパーティは即解消よ。お互いに利益が得られない関係になったのだから当然ね」


「だって……それじゃあ……」


 トーリのやっとの事で絞り出した声は途中で潰えた。「それじゃあ自殺と変わらないじゃないか」とは言えなかった。言ってしまったら、ヒナタは悲しそうに笑って行ってしまうような気がした。腰の小鞄の中の魔石がお互いにあたって小さな音を立てる。こうやって格下の冒険者に付き合って、探索の指導をしてくれて、働きに見合わない報酬で援助してくれる。恩義を感じ、憧れていた存在の突然の凶行をトーリ自身は止める手立てを持たない。出来れば一緒に逃げて欲しい。しかしそれが叶わないのは火を見るよりも明らかだ。


「じゃあ、俺も―――」

「駄目よ。足手纏いだわ」


 トーリはがっくりと項垂れた。その言葉にははっきりと拒絶の意が込められていた。実力で同行を拒否されたら最早トーリに取りつく島はない。


「ごめんなさい。また地上で会いましょう?」


 ヒナタはそう言い残すと通路から空間へと飛び出していった。一人置いて行かれたトーリは俯いたままきびすを返して元来た道を走り出す。


(なんで、なんで気が付かなかった)


 走りながら、混乱した頭で反芻を続ける。ヒナタはずっと何かを抱えて、信念をもって生きて来たのだ。それを今、諦めねばならない時が来ている。だからこその自分を試すような、おかしな行動に走ってしまっているのだ。その気持ちの変化に何故自分は気が付けなかったのだろう。呑気に同行してくれたことを喜んで。また一緒にパーティを組んでもらえるようにと、一生懸命頑張って。どちらにしてもクランに加入したら最後の探索になるのに。少しもヒナタは悩んでいる所をみせてはくれなかった。分かってはいた。自分は所詮、庇護されるだけの実力しか持たない存在で、ヒナタにとって有象無象の一人でしかない。


「何だか、馬鹿みたいだ……」


 いつの間にか涙が流れていた。走る速度は徐々にゆっくりになり次第に歩行になってしまう。そのままトボトボと歩き続ける。周囲の警戒なんてしていなかった。ただただ自分の不甲斐なさが悔しかった。

 後方で爆発音がした。


「ヒナタッ!?」

 

 トーリは足を止めて振り返る。恐らくはヒナタのいたあの場所だ。やはり罠だった。何かが起こっている。


(速く逃げなきゃ、でも速く助けに行かないと、ヒナタが危ない状況なのに逃げるなんて出来ない、でも俺は足手纏いだ、行ったところで何ができる、死にに行くようなものだ、死にたくない、でもこのまま逃げる事なんてできない、なんで俺はあの時ヒナタと別れたんだ、そんなの簡単だ俺が足手纏いだからだ………でも、でも、)


「クソがっ!!」


 結局纏まらない思考のまま、近くの壁を力任せに蹴る。身体機能強化の働き辛いトーリの蹴りは、壁の土をほとんど崩すことも無く、ただトーリの脚を痛めただけだ。それでもぐしゃぐしゃの思考を癇癪によって僅かに落ち着かせることが出来た。トーリは涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を袖で強引に拭いた。そしてトーリは踵を返した。ヒナタが今いる方に向かって。

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