第17話 過去③

「おかしいわね……」

 

 切り捨てた小鬼ゴブリンの血を振り払いながら、ヒナタがつぶやく。超振動が刃にべっとりと付いた血糊をたったひと振りで落としきってしまう。

 ヒナタが持っているのは最新式の振刀しんとう2.0の細剣レイピア型だ。重壊じゅうかいに次ぐ東総重工の主力商品で、初期シリーズはその複雑な機構から魔力消費と故障しやすい欠点を抱えていたが、バージョン2.0からは初期シリーズの欠点を大幅に改善し、主武器としての地位を確立しつつある。その最新式の武器に目を奪われながら、トーリはヒナタの何となく浮かない顔を見て不思議に思う。それに今の戦闘も小鬼ゴブリンだけの小さな群れだった。トーリも二体を相手にして怪我無く相手を倒せたし、特段気になる事は見当たらなかった。


「何か気になるのか?」

「んー、特にコレと言って何かあるわけじゃ無いわ。でも何となく違和感があるのよね」


 何となく釈然としない面もちでヒナタが悩む。高階級ハイランクの冒険者の勘は侮れない。魔素を感じる力や身体機能強化によって得られる強化された五感から無意識に感じ取る言語化出来ない情報を、経験と照らし合わせて勘として感じているからだ。特に強者は戦闘場面で予知に近い動きをする者さえいると聞く。


(俺にはよく分からないけれど、ヒナタが言うなら何かあるのかもしれない。それにそろそろ潮時ではあるな)


 探索に入ってから随分と時間が経った。恐らく鬼國牢きごくろうに入ってから六時間程度は経過しているはずだ。ダンジョン内で仮眠を取れるだけの装備を持って来ていないので、そろそろ探索限界に近づいている。既に役職付きの小鬼ゴブリンを十二体も狩った。魔石も合計十個になっている。トーリにとっては悪くないどころの話ではない。


「じゃあそろそろ帰ろうか。正直、少し疲れたよ。ヒナタに守って貰っておいて言うのも難だけどさ」


「そうね。いいのよ。私も色々と勉強させて貰ったわ」


 ヒナタの言葉にトーリは内心胸を撫で下ろす。今回でヒナタの期待を裏切るような事は無かったようだ。これからも努力して、もっと強くと考えてはいるが、具体的な道筋が見えない以上不安は大きかった。ヒナタに見限られる日がいつか来るかと思うと、憧れを持ってしまっているだけに心底震えが来る。それに偶にでも誘ってもらえれば、その分の儲けは大きく納税のための貯蓄に大きく響く。他にも数は少ないが何人かパーティを組む相手はいる。しかしそれはどれもトーリと同じ立場の孤児院の者か、何とか冒険者として駆け出した者ばかりだ。そういう意味でもヒナタとは是非とも関係を維持したい相手だった。

 トーリが布切れで血糊を拭いて剣を鞘に戻したのを確認して、ヒナタも剣を仕舞う。そんな仕草まで様になっているようにトーリには見える。

 トーリも戦闘の際に邪魔になるため手放した道具類を回収すると、ヒナタに駆け寄る。既に八階層の中腹まで来ている。トーリの実力だと、ヒナタという強力なパーティメンバーが居たとしても地上に出るまでに三時間は見て置いた方が良いだろう。


 二人が帰還へと足を向けた時に背中側から微かに声が聞こえた。ヒナタとトーリは一瞬にして戦闘態勢に移る。抜剣をして声がした方に隙無く視線を凝らす。


「た……け……く……!」


 一度目の声よりもはっきりとした声が聞こえた。あまりにも遠い声のため声の全ては聞き取れないが、明らかに悲鳴だ。


「ど、どうする?」

「落ち着いて」


 狼狽えたトーリに対して、ヒナタは冷静に周囲に視線を向け続ける。


「可能性は二つ。本当に助けを求める悲鳴か、何かの罠か。そして選択肢も二つ、行くか、行かないかよ。トーリ貴方もどうするかを決めなさい」


 ヒナタの上げた選択肢にトーリは迷う。どちらが正解かなんてトーリには分からない。ただ状況に対する焦りだけが募る。こんな時ヒナタは答えを持っているだろうかとヒナタの顔を覗き込む。しかし周囲を警戒する冷静な表情が伺えるだけで内心は分からない。しかしこういう時の決断の遅れは、事態を悪くすると言う事だけは分かった。だからこそトーリは唾を飲みこむと決めた。


「決めた?」

「き、決めた。取り合えず様子を見に行く。状況が無理そう、または不審なところが有ったら逃げる」

「まだ声は上擦っているけれど、良い答えね。理由は?」


 ヒナタはニコリと笑うと、続けて質問してきた。その笑顔がトーリを安心させるもので、答えさせるのは状況を整理させるためだとトーリにもわかる。トーリは一つ大きく深呼吸すると答える。


「ただ逃げるより状況を分かっている方が良い。大きな群れがいた場合は余計に……と考えた」

「そうね。私もそれに賛成。それに私は迷ったときは人助けになる方を選択しようと決めているの。だからトーリが帰ると言ったら、先に撤退させて私だけで行こうと思ってたわ」

「それなら猶更付いて行くよ。一人残される方が死ぬ確率上がりそうだし。俺は弱いから」


 ヒナタの言葉に憮然とした表情を作れるくらいには余裕ができた。その時間を与えてくれたヒナタに感謝する。

 ヒナタは満足そうにうなずくと、動きを邪魔する道具類を通路の脇に避けた。どれも探索には必要だが戦闘には嵩張る為に邪魔になるものをまとめた背嚢だ。魔石などは腰に結わえた頑丈な小鞄に入れてある。


「では不要な道具類は置いて行きましょう。もし何でもなかったら回収しに来るけど、緊急時にはそのまま廃棄するからそのつもりで。あとどちらかが必死の状況に陥ったら遠慮なく見捨てる事。いいわね」

 

 トーリはその言葉にこめかみに冷や汗を感じながら頷く。そしてもしもの事を考えて、決心する。


「ヒナタ。俺[狂戦士ベルセルク]って特殊技能ユニークスキルを持ってるんだ。まだ発現したことが無いから分からないんだけど。ギルドで鑑定した時に紅葉さんが教えてくれたんだ。だからもし自我を失っているようだったら見捨てるか……もしヒナタを襲うようだったら切り捨ててくれ」


 身体機能強化が働きずらいことに加えて、[狂戦士ベルセルク]を持っていた事。それがトーリが冒険者に向かないと言われた最大の原因だった。トーリも経験したことは無いが、内容は教えてもらった。敵味方区別なく攻撃すること。意識が途切れるまで暴れ続けること。もし何かあった場合にヒナタが知らないと何か致命的なことが起きるかもしれない。

 トーリの決心した瞳を見てヒナタは一瞬悲しそうな目をした。しかしそれはすぐに、意志の力によって隠されてしまう。


「それがあなたが単独ソロで探索をしている理由だったのね。複数で組んだ方がリスクを大分下げられるはずなのに、組んでも短期的なパーティだけで不思議に思ってたのよ。それ、他の誰かも知っているの?」

「いや知らない。ステータス確認をしてくれた紅葉さんとギルド長だけで秘密にしてくれてる。それ以外に言ったのはヒナタが初めてだ」


 その言葉を聞いたヒナタは微笑むと掌をトーリの頭の上に置く。トーリは一瞬驚いたがヒナタの好きなようにさせる。グローブ越しのゴワゴワとした感触だが不快では無かった。ヒナタの僅かな汗の匂いと共に女性特有の甘い匂いも感じてトーリは頬が熱くなるのを感じた。トーリの様子に気付いたヒナタも僅かに照れた様子で「抱きしめてあげたいけど、鎧があるからね」と苦笑いする。


「ごめんなさいね。貴方を年下だからって軽んじているわけじゃ無いの。でもありがとう。言ってくれて嬉しかったわ。そしてこれからも可能な限り秘密にしなさい。私も他言はしないと誓うわ」


 トーリには原理が良く分からないがステータス確認の為には全史記録アーカイブスという所にアクセスする必要があるらしい。そしてその為には大型の魔導機械とそれを扱える高位魔術師が必要だ。それが出来る環境も人物も相当に限られる為、トーリが話をしなければ広まることも無いだろう。ギルド長は会ったことが無いが、紅葉さんは良い人だし、守秘義務もあるから漏れる心配は低いだろう。


「こちらこそありがとう」


 [狂戦士ベルセルク]であることを聞いても、そのことに引いたり、冒険者であることをたしなめる態度に出なかったヒナタにトーリは最大の感謝を伝えた。ヒナタはそのことには気が付かなかったようで、何を大げさなといった様子で「別に当然よ」と返してくる。


「さて思わず長話になってしまったわ。そろそろ行きましょう」

「ああ」


 トーリとヒナタは気配を殺しながら、洞窟の奥へと足を進める。

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