第15話 過去①

 焚火とは違う、熱源を魔力に由来した安定した炎を眺めながらジュリは時間を潰していた。

 こんな狭い空間で魔術による火を起こしても、酸欠にも一酸化炭素中毒にもならない。それは迷宮ダンジョンが、迷宮ダンジョン自体が行う環境操作以外をキャンセルしているからだと言われる。魔術など瞬間的な変化は問題なく出現する。あくまで緩やかな干渉だ。


(正に迷宮ダンジョンという魔物モンスターの腹の中という訳よの。それにしても良く寝てるの)


 隣では離島を出発してからの移動と、安息地セーフポイントについてからの訓練で疲れたトーリが寝息を立てている。流石にいびきを掻く様な真似はしないが、迷宮ダンジョン内ということを考える安息地セーフポイントに居るとは言え、十分に寝入っていると判断される深さの眠りだ。殆ど眠りを必要としないジュリにとっては無防備極まり無い姿だ。


(こやつ我に殺される可能性とか考えないんじゃろうか)


 その寝顔を僅かに呆れを感じながら、まじまじと見つめる。お人好しなのは悪い事ではない。むしろジュリにとっては都合が良い。[狂戦士ベルセルク]の調教というお互いにメリットのある内容で縛ってはいるものの、そのこと自体に疑心に抱いたり、ジュリに探りを入れるような真似に常に気を遣うよりは随分やりやすかった。


(しかしこれが、トーリの演技で……いや、ないな)


 そんな小難しいことが出来るようには到底思えない。もしこれで演技であったら賢者の智慧ちけいをも出し抜く凄腕ということだ。


(むしろお人好しが祟って命を落とす典型じゃな)


 話を聞けばC級の冒険者だという。十三歳から冒険者をしているらしいので、よく五年間も生き延びたなというのがジュリの正直な感想だ。冒険者として自分の命の優先順位を最優先にして、かつ背負うリスクを最小にし続けられる者だけが生き残れる。その基準に照らせばトーリはあまりにも自分の命の優先度が低いようにジュリは感じた。


([狂戦士ベルセルク]が原因かもしれんな)


 トーリは[狂戦士ベルセルク]化することを過剰に恐れている節がある。過去に[狂戦士ベルセルク]に絡んだ何かがあったのだろう。調教の為であれば、命を落とすことも厭わないと公言しているし、最後には助けるとはいえ、痛みを過剰にした上で[狂戦士ベルセルク]化させて魔物の群れに放り込んでも、文句を言うことも無い。ジュリの感覚からしても結構な負荷だ。一回で音を上げる可能性も考慮していたが、二回目もすんなりと受け入れた。


([狂戦士ベルセルク]化する自身への嫌悪。自己効力感の低さを利他行為で埋め合わせているのかのう)


 今回の件にしたってそうだ。地上に向かう小鬼ゴブリン隷属竜スレイブドラゴンなど、捨て置けば良いものを地上に伝えに行くという選択をした。今のトーリには隷属竜スレイブドラゴンは強敵だ。まともにやればゼロと言って差し支えないほどには勝ち目は低い。ジュリであれば、むしろ十六階層から離れていくのだからリスクが減って喜ぶところだ。トーリは新米冒険者達に大きな被害が出ることを理由にしていたが、そんな不特定多数の為に命を懸けていたら、それこそ命がいくつあっても足らないだろう。


(とは言え、[狂戦士ベルセルク]を失う訳にはいかぬからな)

 

 [狂戦士ベルセルク]はかなり珍しい特殊技能ユニークスキルだ。トーリの代わりはいない。ジュリにとっても[狂戦士ベルセルク]の調教は重大な関心事項だ。この程度のトーリの我儘で契約を破棄する気はさらさら無かった。それにいざとなればジュリが助けに入れば良い。直接戦闘に至るなら兎も角、トーリを保護しながら隷属竜スレイブドラゴン達を躱して地上に抜けることは、ジュリにとってそれほど難易度が高い事では無かった。むしろ迷宮ダンジョンを出てから、どうやって身分を詐称するかの方が頭が痛いくらいだ。


「――う」


 ジュリが一しきりトーリについての考察をしていると、苦しそうな寝言と共に横で眠るトーリの表情が不意に歪んだ。同時にジュリの視界には、閃光の様に此処ではない洞窟の景色が浮かぶ。現実に起こったことではない。思念が映像となってジュリに流れ込んできているのだ。


妖精の梯子メディオクリスレィダを常時接続している影響じゃな。これはトーリの夢じゃな)


 念話の魔術自体はそれほど高度なものでは無いが、他者に聞こえないように隠蔽しながら、常に会話が出来る状態を保つというと話は別だ。ジュリはトーリに関しては他者に念話をしていることが露見しないよう、また秘匿性が保たれるように精神のかなり深い部分に橋渡しを行った上で、お互いの思考が垂れ流しにはならないように情報の大部分を堰き止めるという形を取っていた。それがトーリの覚醒のレベルが低下したことにより僅かに緩んだのかもしれない。

 ふむ、と珍しく迷う。


(あまり他者の精神に土足で入り込むような真似は好かぬのじゃがな)


 トーリをおもんばかってではない、とジュリは事更に自分に言い聞かせる。それに精神レベルでの共有を行うと、心理的な共感度が上がってしまい、相手に感情移入しやすくなるというデメリットもちゃんとある。

 比較的長い思案の後、今回はジュリの基本姿勢を貫くよりトーリの人格をより深く理解する方がメリットが大きいと判断した。


(すまぬな。さて、どんな夢を見ているか……)


 ジュリはトーリとジュリの間に結ばれた妖精の梯子メディオクリスレィダの絞りを意図的に緩めた。

 トーリの意識がジュリに流れ込んでくる。同様に普通であれば分断され取り留めなく終わるはずのトーリの夢が、ジュリという客体を得て再構成されていく。 再現されるのは恐らくトーリの過去だ。ジュリは自身の精神がトーリの内観に吸収されていくの感じながら、トーリの夢へと落ちた。


***


「トーリ、速くしないと置いて行くわよ」


 洞窟内を少し進んだ先から葛城日向かつらぎひなたがトーリに声を掛ける。声掛けを聞いてトーリは先ほどヒナタと一緒に倒した小鬼ゴブリンたちから装備をはぎ取るのを止めてヒナタの方に向かう。迷宮ダンジョン鬼國牢きごくろうの上層階と言えど、既に七階。既にトーリの活動範囲よりかなり深く潜っている。今日はヒナタが探索に誘ってくれたからこうして深くまで潜って来たのだが、それはトーリの意志によって探索をしていると言うよりも、ヒナタがどんどん先に進んでしまうのが原因だった。はっきり言ってこの階層でトーリがヒナタと逸れたらかなり危ないと思う。


「ヒナタ、小鬼ゴブリンたちの装備は良いのか?」


「優先度の問題よ。はっきり言って小鬼ゴブリンレベルの装備は、売っても二束三文にしかならないわ。魔石もほとんど出ないしね。金にならない、群れると危険、五月蠅い、汚い、臭い、キモいの六Kよね。極力戦闘は避けなさい。無意味な体力を使うから」


「Kから始まってないのも含まれている気がするな」


「気のせいよ」


 無駄口を叩きながらトーリはヒナタと洞窟の奥に進む。自然な動きに見えて周囲を手際よく進むヒナタの様子を横目で確認しながら、トーリは憧れの目をヒナタに向けていた。ヒナタは同じ孤児院出身の四歳先輩にあたる冒険者だった。冒険者階級ランクにて一六歳でC級となり、そこからたった三年でB級に上がる可能性を噂される若手のエースだ。高階級者ハイランカー達の所属するクランからも複数声が掛かっているそうだ。冒険者になり収入を得て奴隷を回避し、なおかつ冒険者としても活躍する。その姿は孤児院に居る者が一度は夢見る理想像をまさに体現していた。

 トーリは自分のみすぼらしい装備とヒナタの装備を見比べる。ヒナタは動きを優先して銀を基調した軽装甲ライトプレートに身を包み、腰には細剣レイピアを二本下げている。最近発売されたばかりの振刀しんとう2.0という新たな魔剣だ。魔力の流入により重壊じゅうかいシリーズとは違い、超振動を発するタイプの武器だった。鉄板でもあっさり切り裂くらしい。そのどれも実用を念頭に置いたシンプルな作りだったが、逆にそれが装備の品質の良さをトーリの目から見ても明らかにしていた。色素の薄い茶に近い髪をボブに切り揃えている。女性としては背が高く、引き締まった身体の割に胸は大きい。顔立ちも美人に入る部類で、ギルドで良く様々な男性からアプローチを受けている所を目にする。それを体よくあしらっている姿もだ。身体機能強化の才能が認められ、細剣レイピアを使った精密な剣技で前衛職を務める女傑だった。装備も中身も、やっと見習いであるE級を抜けたトーリには信じられないほど磨かれており、傍にいるだけでトーリの鼓動を早めていた。


「トーリもそろそろ狩る魔物モンスターの種類と効率を考えなければ駄目ね。冒険者になって二年掛けて貯めた金で初回の納税義務は果たしたわ。それだけでも立派。でもそこからは一年に一度納税の義務が発生するのよ。どこで躓いても奴隷落ち。十五歳を超えて数年で奴隷落ちってのも良くあるパターンなんだから」


「そうなんだよなあ……」


 ヒナタの小言を聞いてトーリも暗澹たる気持ちになる。先日やっとの思いで貯めた金を役所に納金し、これで十五歳の納税義務は果たした。あと数ヶ月で奴隷としてではなく、一般市民として孤児院を退所できる所まで来ていた。しかしそれは二年という期間を掛けて貯めた金だ。碌な装備も整えず、少数の小鬼ゴブリンの群れに命懸けで挑み、時には他の冒険者が置き去りにした小鬼ゴブリンたちの死体を漁りながらやっと貯めたのだ。それが今度は一年で納期が来る。期日までに支払えなければ奴隷落ち。その事実はトーリを際限なく落ち込ませる。


「そんなに暗くならないの。技術を上げて割の良い魔物モンスターを倒せるようになれば良いだけよ。深く潜れればその分稀少な鉱物なんかも手に入る。その為に私がこうして時々レクチャーしてるんじゃないの」


 ヒナタが励ますように笑顔でトーリに言う。有言実行している者の言葉に、トーリは僅かな自信を取り戻す。ヒナタが言うと割と簡単そうに感じるから不思議だ。トーリはヒナタの歩行速度に置いて行かれないように必死に追いかけながら、洞窟の深くへと潜って行った。

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