第13話 出発

「よし行くかの」


 ジュリの声にトーリは頷いた。地上うえを目指すにあたっての準備は驚くほどあっさり済んだ。二人とも殆ど荷物が無かった為だ。唯一準備したものと言えば、芋のかしたものをジュリの魔法で乾燥圧縮して棒状にしたものだけだった。見た目は石の様になっているが、水につけて五分程で食べられる状態になる。それを六本持つ。一日二食で三日分。沢山持てないのはトーリもジュリも袋さえまともなものを持っていないからだが、数日間の行程の予定だから十分だ。


「我がこの離島から出たら一六階層に設置した広域魔術は崩壊する。本来の射程を越えた遠隔魔術や転移魔術も使えなくなるからの。期待するでないぞ」


「分かった。初めてくれ」


魔素調整ディアボリディエリブルシェリブス  力場支配ヴィアグリドミネェイショニス 物理法則改変リジブスコラポリスモディフィカティオ 氷精支配イーチェドミネィショニス


第三階位:氷鯨の楼閣セーテトーリム


 地底湖面が静かに整形されながら盛り上がっていく。瞬きする間に離島から対岸までの氷の橋が出来上がる。ただ一度通るだけなのに、なんとも豪奢で緻密な造形が施されている。


「こんな綺麗に作る必要があるのか?」


「我は技巧派の賢者じゃからな。それに貴様が通るだけなら兎も角、我が通るのにみすぼらしい氷の板では詰まらんだろう」


 ああ、そういえば俺だけが通った時はみすぼらしい氷の板だったなあ、とトーリは回想する。トーリとしては板だろうが、豪奢な橋だろうが通れれば、問題は無い。造詣ぞうけいが気に入ったのか満足気に橋を渡るジュリの機嫌を無駄に悪化させる必要もないのでそれ以上の口は噤む。

 ジュリが氷の橋へと足を掛ける。その瞬間離島を周囲として優に一〇〇メートルを超える魔法陣が出現する。恐ろしく大きく、細かい。トーリも何人か高ランクの魔術師が戦う様子を見たことがあるが、これほど大きい魔法陣は見たことが無かった。近いものと言えば、企業などの本社ビルに展開される最高級の結界陣が同じくらいの大きさだ。だが魔法陣の緻密さで言えば、今展開されているものよりも随分と簡素なものだ。魔法陣としての内容も、この世界で使われているものと質が違うような気がするが、トーリは魔術は殆ど使えないため、知識も浅く判別が出来ない。

 突然浮き上がった巨大な魔法陣の出現に、トーリは身を固くする。


「っ!!」


「驚くでない。ただ構築されておった魔術群が崩壊するだけじゃ。魔術核である我が魔法陣から離れるんじゃ。転移や遠隔視、遠隔魔術はもう使えなくなるというわけじゃな」


 完全にジュリの足が離島から離れた瞬間、硝子が砕けるような音と共に魔法陣が光の粒になって弾ける。淡く光る粒は人が定義した魔術の残滓だ。それが蛍のように儚く光りがなら、魔素へと還元されていく。その光景はトーリの目には美しく写った。


「随分と綺麗なんだな……」


「美しかろう。魔術は世界との対話。論理の結晶にしてヒトの意志の顕現。本来は世界と調和し、文明の発展の為に使うのが正道じゃ。残念ながら純粋な破壊のためだけに使う場合もまだ多いがの」


 荘厳な景色に思わず立ち止まって漏れたトーリの言葉に、ジュリが返す。その声はいつも通りなはずなのに、どこか憂いを含んでいるような気がした。そのまま景色を眺めるトーリをジュリは気に留める様子もなく追い越す。


「ジュリは戦うのが嫌いなのか?」


 前を歩くジュリの背中越しにトーリは訊ねる。トーリの声にジュリは一瞬立ち止まると、振り返らず肩を竦めた。


「また何か勘違いしておるな。我は目的のためなら手段を選ばん。貴様を既に何回も死地に追いやっておろう。戦わずして『鮮血の魔女』などと二つ名は付かぬわ。――ただ、魔術の正しい使い方を知っておるだけじゃ」


 そのまま黙り込むトーリに対して、くつくつと笑い出す。ジュリが振り返る。


「本当に貴様はお人好しじゃのう。そんなに他人の事ばかり気にしていて、疲れんのか? それにさっきの打ち合わせでも話したじゃろう。我は戦闘でも十分に戦える。だから心配するでない。どちらかというと、いった魔術の方が得意なだけじゃ。攻撃魔法が使えないわけでは無い」


 ちょんちょんと氷でできた橋を指で指差しながらジュリは笑う。

 何となく釈然としないものを感じながら、トーリは歩き出す。確かに何度か狂戦士ベルセルクになった時にジュリは戦闘が苦手では無く、むしろ一般の魔術師を凌駕していることは十分に分かった。トーリが前に出るとジュリも後ろから付いて来るのが衣擦れの音で分かる。視界の端に美しい緑髪の少女が付いて来るのがトーリに見える。


「それに我は長命種メトセラ。自らの尻も満足に拭けぬ雛に心配される謂れは無いわ。せいぜい自分の心配でもしているんじゃな」


 手痛いしっぺ返しにトーリの顔は自然と歪む。確かに実力、年齢共に全く伴ってないのはトーリの方だ。幼い少女の姿をしていてもジュリは、長い時を生きている賢者。トーリが何をいった所で、子供が親に人生を諭すようなものだろう。


「そうだな。今は地上うえを目指すことに集中しよう」


 ジュリの言うことはもっともで、今は隷属竜スレイブドラゴンへの対策を第一に考えるべき時だ。そんなトーリの様子を見てまたくつくつと笑い出したジュリを、あえて無視してトーリは歩を進めた。


***


Gyaッ!

 

 斥牙せきが小鬼ゴブリンの頸部を切り裂く。小鬼ゴブリンは一歩後退するもすぐに倒れた。構造はヒトに近いのだ。頸動脈を絶ってしまえば、数瞬で脳が虚血に陥り意識を失う。周囲に広がる青い血溜まりの中央で絶命する小鬼ゴブリンを視界の隅に捉えながら、トーリは次の獲物へと視線を向ける。十五階層の経路の途中でトーリは斥牙せきがの試用を行っていた。ここら辺は通路が狭く、かつ側路が少ない。多数に囲まれさえしなければ、獲物と戦いやすい環境だ。

 そんな中、偶然はぐれたと思われる集団を見つけたため、こうして戦闘に突入したのだ。


(結局、帰還の時までに使えるようには成らなかったな……)


 少しでも斥牙せきがの使い方に慣れておかないと、窮地の時に修正不能なミスをする。そう思いながら斥牙せきがを降る。トーリの前にはあと二匹小鬼ゴブリンがいる。今の一匹は奇襲が出来たが、次はそうはいかないだろう。小鬼ゴブリンもその悪面に憤怒の表情を浮かべて、威嚇の声を上げている。身なりは汚く、腰布一枚。剣も錆びだらけのなまくらだ。


(典型的な小鬼ゴブリン。役職持ちでは無さそうだな……)


(ただの小鬼ゴブリンじゃよ。何の変哲も無い、小鬼ゴブリンじゃ)


 トーリの独り言にジュリが割って入ってくる。妖精の梯子メディオクリスレィダという念話の魔術は、十六階層の離島を出る時に使用不能になってしまった魔術とは関係ないらしい。特に、トーリと使っている念話はトーリを治療している間に必要になりそうな魔術をセットにしてトーリに移植インストールしてあるということで、常時発動状態になっているとのことだ。迷宮地図ダンジョンマップの件と言い、魔改造されている感に堪えないのだが、非常に便利なのがこれまたたちが悪い。


(まあ思考垂れ流しでは無いし、会話の様に使えるから実害はないんだけどな)


 トーリがジュリに対する害意を持った時、それとなくジュリに伝わる機能を有していることをトーリは未だに知らなかった。


(そーじゃトーリ! 暇だから小鬼ゴブリンについて蘊蓄うんちく垂れてしんぜよう!)


 後ろではジュリが、欠伸をしながら近くの岩に腰かけてトーリとの戦闘を眺めている。戦闘に参加する気はもとより無いらしい。この程度なら、トーリ独りでも十分に対処できるので、これまた実害はない。それは納得しているのだが、あまりの緊張感の無さにやるせない思いになる。


小鬼ゴブリンの社会構造は面白いぞ。なんといっても面白いのが『役職』持ちじゃな!)


 トーリは警戒心を強める残りの小鬼ゴブリンに対して、素早い足取りで正面から距離を詰める。それほど広くない洞窟内だ。攻撃パターンは絞られる。斥牙せきが短剣ショートソードであることもあって、小鬼ゴブリンに対して間合いをかなり詰める必要がある。本来であれば、ヒトの方が上背もあり使う武器も大きいものが多いので、一対一なら小鬼ゴブリンの間合いの外から一方的に攻撃が出来るのだが今回はそれは難しい。


小鬼ゴブリンはかなり階層化された社会構造を持つ魔物モンスターじゃ。様々な役職付きの名前で呼ばれる小鬼ゴブリンがおるからそれは知っているじゃろう。そして面白いのはその役職は全て階級付けがされておるところじゃな! 一つとして同じ階級層の役職は存在しない。例えば小鬼兵ゴブリンソルジャー小鬼魔術兵ゴブリンメイジはヒトの感覚から言えば、前衛、後衛の役割分担に見えるがこれにもどちらが上か下かが決まっておる。その順位は群れによって変動するがのう。そしてそれぞれの役職は階級が多ければ多いほど群れ全体の個体が強力になる。小鬼兵ゴブリンソルジャー小鬼魔術兵ゴブリンメイジ小鬼ゴブリンと三階級の群れは、小鬼兵ゴブリンソルジャー小鬼ゴブリンと二階級の群れより圧倒的に強い。最下位の小鬼ゴブリンにしてもじゃ! どうじゃ、面白ろかろう!)


 ジュリの蘊蓄うんちくを聞き流しながら、二体の内よりトーリに近い一体を標的に選ぶ。その個体はトーリから明確な殺意を向けられて、憤怒から一転恐慌に陥る。手に持つ剣をめちゃくちゃに振り回してトーリをけん制してくる。


(試してみるか――斥ッ)


 トーリは小鬼ゴブリンの間合いのギリギリにまで踏み込むと、横薙ぎに斥牙せきが斥力ちからを発動させる。斥牙せきが斥力ちからは剣に対して一・五メートル程度の範囲どの場所からでも発動できるということに気が付いたのはつい最近だ。剣の力を使って移動する際に、進行方向に対して身体を越えて反対側に斥力を発生させないと身体ごと吹き飛ばせないのだから、確かに良く考えれば分かる。トーリはそれが思いつけない自分が少し悔しい。


(うおっ!)


 斥牙せきがの力が収束し、剣速を更に押し出す形で反発する。その速度にトーリ自身が付いて行けず、振り回される。小鬼ゴブリンの剣を弾くだけの予定だった剣筋は見事に狂って小鬼ゴブリンの胴体に直撃。そのまま胴体を力任せに引き千切る。それでも斥牙せきがのちからは止まらず、洞窟の壁面に食い込んでそこでやっと止まる。


(くッ、肩が――)


 振り回された肩が痛みを訴える。斥牙せきがの力にトーリの力が追いついていないのだ。

 近接系の職種は魔術は苦手な場合が多いが、それは魔素の使い方の違いによるものだと言われている。近接職も魔術士も自然界にあまねく存在する魔素を取り込み、自身が制御できる魔力へと還元するところまでは同じだ。しかし魔術士が魔力を魔力のまま体内に保持して、必要な際に体外に放出する形で魔術を行使するのに対し、近接職は魔力として保持できずにすぐに肉体の強化や魔剣への魔力付与に使われる。故に近接職は魔力の保持量は少なくなってしまうのだが、代わりに強力な身体を手に入れる。

 この近接職の身体機能強化がトーリは冒険者の中では平均以下なのだ。今の力では斥牙せきがに振り回されるばかりだ。


(まずい!)


 がっちりと壁面に噛んでしまった斥牙せきがを痛めた肩で引き抜こうとしている内に、最後の一匹がトーリの異変に気が付いて距離を詰めて来た。

 トーリは剣を諦めると距離を取る。たった一匹の小鬼ゴブリンを殺すのに肩を痛めて、獲物を失った。今までなら絶対にしないようなミスに、さすがに落ち込む。今までであれば、環境さえ整えば二〇匹程度の小鬼ゴブリンなら難なく片付けられていたのだ。

 このまま肉弾戦に入っても負けるつもりはないが、相手は獲物持ちだ。こちらも何かしらの手傷を負う可能性もある。まだ一五階層であることも考えると、出来るだけ負傷はしたくない。


「(手のかかる奴だのう)――――第三階位:古蜘蛛の慰撫アラネアフォメンタ


 トーリがどう攻めるか検討していると、後方からジュリの思念と共に完成した魔術が放たれた。どうやら詠唱は既に済んでいたらしい。

 閃光と共にバチリと絶縁破壊の音が響いて、小鬼ゴブリンを雷撃が焼き焦がす。小鬼ゴブリンは眼球を白濁させながら、全身から煙を上げて絶命した。


「すまん」


「かまわぬ。動きは相変わらず悪くない。じゃが、斥牙せきがの使い方はもちっと練習した方がよいな」


 小鬼ゴブリンが全滅したのを確認して、トーリはジュリに礼を言う。対してジュリはプラプラと手を振るばかりだ。


(確かにこれじゃあ俺が足手纏いだな……)


 慣れない刀剣のまま練習もそこそこに出発したのだ。この結果は当然と言えば当然だが、今のままでは本当にまずい。それも隷属竜スレイブドラゴンの横をすり抜ける必要がある。何事も無ければ幸いだが、楽観はできない。

 結局、経験を積んで慣れていくしか方法はないのだが、課題の残る一戦だった。

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