第12話 請願

「ふむ、隷属竜スレイブドラゴンが上層に向けて移動しておるか」


 地底湖の離れ小島に戻ったトーリはジュリと情報の共有を行っていた。ジュリは考え込むように首を傾げる。


「上層はまずい。冒険者に、特に新人に被害が大きくなる」


「それはそうじゃろうな。腐っても竜種ドラゴンじゃ。人の身で竜種ドラゴンを狩るにはそれなりの経験が必要じゃからの。しかし何故上層に向かっているかが分からぬ。隷属竜スレイブドラゴンとて低濃度魔素に晒されるのは苦痛のはずじゃ。特に隷属輪に縛られて潤滑に魔素を取り込めないはずじゃからその苦しさは通常よりも酷いはず」


「なあジュリ。元々の予定を繰り上げて地上うえを目指すことはできないか。出来れば隷属竜スレイブドラゴンの事を皆に伝えたい」


 どうしたものかの、と思案するジュリを見て、トーリは意を決して提案をする。隷属竜スレイブドラゴンはとてもではないが、トーリ一人にどうにか成るものでは無い。討伐などは初めから考えてはいなかった。しかしいち早く地上うえに伝えることができれば。地上うえにはA級以上の冒険者もいるし、自衛軍も動くだろう。そうすれば被害を抑えることができる。


「貴様は何となくお人好しなところがあるからのう。そう言いいだすのではないかと思ったわ」


 溜息をついて、やや不快そうにトーリに半眼を向けるジュリ。その様子に唾を飲むトーリ。口約束とは言っても主従の契約を結んだ関係だ。ジュリに拒否されてしまったら、トーリにはそれを覆す術を持たない。


「そもそも[狂戦士ベルセルク]はどうするんじゃ? 誰にも見られる事無く、動けなくなっても転送できる。ついでに誰も巻き込まずに済む。この環境を捨てて行う必要があるのか? 我は馬鹿は許せるが愚か者は嫌いじゃぞ。貴様の優先順位は何じゃ? 優先順位を決められぬのは愚か者の類じゃ」


 ジュリの怜悧な視線に耐えながら、確かにその通りだとトーリは思う。トーリにとって[狂戦士ベルセルク]の克服は最優先で間違いない。克服のための試みで死んだとしても納得できるほどに[狂戦士ベルセルク]の制御コントロールに期待をしているし、だからこそジュリと主従の関係を結んだのだ。ジュリがこの場所が適していると言うからには、そうなのだろう。それを捨てて地上うえを目指すということはブレているのだ。


 [狂戦士ベルセルク]の制御コントロールの為に脇目を振る余裕など無いはずだし、そのためには諦めるものもあるはずだろう――。


 そうジュリはトーリに問いかけている。お前の覚悟はその程度か、と。そんな甘い覚悟に振り回されるのは確かに不愉快だろう。トーリが逆の立場だったとしても不愉快に思うはずだ。


「分かっている。俺は甘い。例え上層と言えども迷宮ダンジョンだ。そこに潜るということは経験者だろうが、初心者だろうが、死ぬのを覚悟して潜っているはずだ」


「その通りじゃ。自分の生死について自分で責任を持つからこその冒険者。逆に言えば貴様に隷属竜スレイブドラゴンの事を伝える義務など存在しない。義務感に駆られているとしたら、それは願われてもいない他者の生死の責任を受け持とうという傲慢と、他者を救うことによって得られる自尊心への渇望が生み出した幻想に過ぎぬ。汚濁にまみれたただの自己顕示欲よ」


 ジュリの鋭い舌鋒がトーリの感情をえぐる。奥歯を噛み締めて耐える。そんなことはジュリに追認されるまでもなく、分かっている。


 ―――トーリ、生きて。


 二年前の記憶が再生されて、トーリの耳元で少女の声が囁かれる。既に失われた少女の声だった。


(分かっている。自分がどうしようもない人間だなんて。この二年間逃げて燻って。ヒナタに向けられる顔なんて無い)


 全ては手遅れで。今更何を足掻こうとも過去が戻ってくる訳では無い。それでもトーリは縋らずには居られない。次の選択によって、間違ってしまった過去の選択の罪滅ぼしになるのではないかと。身を焼く劫火が少しは和らぐのでは無いかと。

 トーリはジュリに対して深くこうべを垂れる。もうジュリに対して出来る事は謝罪しか選択肢は無い。トーリはジュリに対して渡せるような有益な物を何一つ持っていないのだから。


「上にいる初級の冒険者の中には、孤児院の出が多いんだ。 俺も孤児院の出だ。地上うえでは十五歳から始まる納税義務を果たさないと奴隷落ちする。孤児院出身者は十五歳までにまともな方法で稼ぐ手立てが冒険者くらいしかないんだ」


 若い内に納税を肩代わりしてくれる親も、親に通じるコネも無いからだ。結果、多くの孤児院出身者は奴隷となって成人になっていく。それを良しとしない子供たちが冒険者になる。冒険者登録は十三歳から可能だから、十五歳までにしっかりと稼げる冒険者になれば奴隷落ちを免れる。毎年冒険者を目指して多くの子供たちが迷宮ダンジョンに潜る。その中で芽が出るものはほんのわずかだ。多くの者が夢敵わず奴隷落ちしていくか、魔物モンスターに襲われて死んでいく。今この瞬間も迷宮ダンジョンに潜っている子供たちがいるはずだ。隷属竜スレイブドラゴンに遭えば、その末路は火を見るより明らかだった。


「[狂戦士ベルセルク]が俺にとって最重要なのは変わらない。俺が生きている限り、命を懸けて克服を目指す。だが目の前に危機が迫っているのが見えているのに、見て見ぬ振りは出来ない。気が付いた者しか、助けられる者しか助けられないことは分かっている。それが傲慢なのも、偽善なのも全ては納得の上だ。ジュリが認めないというなら、一緒に来てくれとは言えない。主従の契約までしておいて、裏切る形になるし、命の恩を少しも返していない。許せぬと言うならペナルティを受ける。その罰を受けた上で、生き残れたら独りで地上うえを目指す」


 一息に言い切った。ジュリにはトーリに付き合う義務なんてまるで無いのだ。むしろ約束を違えているのはトーリの方だろう。だからジュリから課されるどんな課題でも、受けようと思っていた。たとえそれが、自分の死を持ってあがなうものであったとしても。

 沈黙の後、頭を下げ続けるトーリの頭上で溜息が聞こえた。


「顔を上げよ。貴様の宣言には、一片も歩み寄る気が無いではないか。交渉は妥協点を探るものぞ」


 トーリが顔を上げると、苦笑いを浮かべたジュリがいた。何がツボにハマったのか徐々に笑いは大きくなり、最後にはくつくつと笑いをかみ殺す。


「良かろう。その案に乗ってやろう。じゃが前回の[狂戦士ベルセルク]化の時に状態減弱魔術デバフの呪術化を行ったじゃろ。そのせいで簡単には[狂戦士ベルセルク]化した時の状態減弱魔術デバフは解除できぬ」


 トーリは頷く。確かに前回の時そのような話をされた記憶がある。要は魔術を呪い化して、条件に合わせて自動で発動するようにしたものらしい。


「それは、何か問題があるのか?」


「我の方で痛みの総量のコントロールも出来ぬ場合も出てくるやもしれぬ。貴様はそれで精神をやられる可能性もある」


「それはつまり、常に調教の為の研究をしている状態になるということだろ。それは大丈夫だ」


狂戦士ベルセルク]化してしまえばトーリの統制コントロールを離れてしまうのだから、痛みが有ろうがなかろうが関係ない。それに本当の戦闘状態になった時に[狂戦士ベルセルク]化したら確実に詰む。大事なことは[狂戦士ベルセルク]に成らないことだ。

 ジュリの同意を得られたトーリは、深く頭を下げる。


「本当にすまない。感謝する。でも、いいのか?」


 この提案にジュリの旨みはない。ジュリが言った通りトーリの我儘をそのまま通した形だ。

 その疑問にジュリは、処置無しといった様子でかぶりを振りながら再度大きく溜息を付く。


「良いも悪いも無かろう。貴様自分で言っておきながら……。それにまだ借りを返して貰ってない。これも貸し一じゃ。貴様は多重債務者じゃから、地上うえに出たら死ぬ気で働いて貰うからの。貴様それまで死ぬなよ?」


「ああ分かった」


「安請け合いも貴様の専売特許じゃの……。まあ良い。地上に出る算段を立てるかの」


 トーリの返答に何が気に喰わなかったのか、ジュリはぷらぷらと面倒くさそうに手を払う動作をすると、トーリとジュリの共視界上にトーリが獲得してきた迷宮地図ダンジョンマップを表示する。


「さて地上への御幸みゆきと行こうかの」


 こうして地上帰還作戦が開始された。

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