第11話 隷属竜:スレイブドラゴン

 腹に響くような規則的な振動が、洞窟を揺るがしていた。

 まるで巨大な槌を地面に打ち付けるような音。その音源に向けてトーリは静かに岩陰を縫っていく。

 心臓の鼓動が早い。この先に居るものがトーリの想像通りであれば、たとえ[狂戦士ベルセルク]になったとしても適う相手ではない。力押しで言っても、圧倒的な膂力で押しつぶされる。

 先ほど十四階層に上る道すがら危惧し、棄却した想像が再度思い浮かぶ。もはやそれはこの一つ一つが重戦士の重い一撃に匹敵するような足音を聞いてほとんど確信に変わっていた。あの十四階層に上る道にあった壁の掻き傷は、間違いなく奴が通った跡だ。


(……!! やはり、隷属竜スレイブドラゴンッ!!)


 十四階層にある中規模の空間。そこを多くの小鬼ゴブリンたちと横切る竜種ドラゴンの姿をトーリは捉えた。足音を追いながらも、小鬼ゴブリンたちや隷属竜スレイブドラゴンに見つからぬよう、迂回に迂回を重ねて見つけた天井付近の横穴にトーリは息を潜めていた。隷属竜スレイブドラゴンを従えた小鬼ゴブリンたちが切れ目なく洞窟の中を移動している。小鬼ゴブリンたちの数は膨大でとてもではないが、個体数を把握できる量では無かった。恐らくこの空間にも入りきっていないのだ。この階層のそこら中から小鬼ゴブリンたちの装備が鳴る音と、ざわざわと小鬼ゴブリン同士が会話をする音がこちらまで響いてくる。冷や汗が頬を伝う。見つかったら、終わる。

 隷属竜スレイブドラゴン小鬼ゴブリンたちに捕獲され、飼育された竜種ドラゴンを指す。龍種ハイドラゴンよりは下位の存在ではあるものの、個体としての能力は常軌を逸する。竜種ドラゴンは本来隷属などすることが出来ない誇り高い生き物だという。それを小鬼ゴブリンは隷属させるためにあらゆる手を尽くす。洞窟生活に適応させ、かつ服従させるために、翼は切り落とし両目を潰すのだそうだ。また小鬼術士ゴブリンメイジが全身に奴隷紋が常時浮かぶほどに厳しく隷属魔術を施す。更に竜砲ブレスを防ぐために、[魔術無効]の首輪を嵌める。そうして作られた隷属竜スレイブドラゴン小鬼王ゴブリンキングの騎竜になると聞く。屈服させられた誇り高き竜種ドラゴンの憎悪はすさまじく、美しい鱗は黒く変色し呪いを発するようになり、敵に出会えば骨も残らぬほどの残虐性を見せるのだそうだ。この鬼國牢きごくろうで最も注意を要する魔物モンスターの内の一体だ。


(しかしおかしい……。隷属竜スレイブドラゴンは二〇階層よりも上に上がってくることはないはず……)


 本来は鬼國牢きごくろうの深層である二十階層付近に出現する魔物モンスターだ。明らかに生息階層が違い過ぎる。生息階層よりも魔素の薄い上層では隷属竜スレイブドラゴンは苦しいはずだ。それでもこの付近にいるということは、隷属竜スレイブドラゴンの命令を受けて移動している可能性が高い。


(まさか、小鬼王ゴブリンキングも上がってきているのか?)


 しかもトーリを十六階層まで追い詰めた集団よりもさらに巨大な群れだ。隷属竜スレイブドラゴンを従えている以上、そのマスター小鬼王ゴブリンキングの可能性が高い。小鬼王ゴブリンキングについても、やはり生息階層は深層だ。一〇階層付近までの潜入を繰り返していたトーリは出会ったことが無い。しかし上位冒険者の話を聞くと、こちらも小鬼ゴブリンとは一線を隔する強さだということだ。今のトーリでは敵わないだろう。現状隷属竜スレイブドラゴンの上には小鬼王ゴブリンキングは乗っている様子はない。隷属竜スレイブドラゴンは誰も騎乗させていない状態で移動しているのだ。これは小鬼王ゴブリンキングが不在ということなのだろうか。それとも歩く小鬼ゴブリンたちに混ざっているという事か。


(情報が少なすぎるな。現状では判断できない。迷宮溶融メルトダウンが起きるにしては臨界も起きてないと思うが……)


 小鬼ゴブリン達が隷属竜スレイブドラゴンを引きつれて、こんな上層に上がっている事自体が異常なのだ。ふつうの事ではない。そして迷宮ダンジョンが異常な動きになった時に警戒されるのが迷宮溶融メルトダウンだった。

 迷宮ダンジョン迷宮溶融メルトダウンは過去に一例だけ報告があった。第一迷宮ファーストダンジョンである龍殲虚りゅうせんこ迷宮溶融メルトダウンを起こし、迷宮ダンジョンの崩壊と共に関西地方の中心都市であった大阪を一晩で廃都にしたのだ。生存者の記録が残されているが、その際には龍種ハイドラゴン迷宮ダンジョンから数多あまた溢れ出し猛烈な龍砲ハイブレスによって、人々は立ったまま灰と化したらしい。その際の記録が確かなら、迷宮溶融メルトダウンの前には臨界化という迷宮ダンジョンが大きく蠢くような経路変化と魔物モンスターの過剰な増殖、狂暴化が起こるそうだ。現状鬼國牢きごくろうでは、魔物モンスターが多少増えてきているものの、迷宮ダンジョンの構造に変化はなく臨界に至る程では無いように見える。

 

(もっとも俺なんかに情報が下りてくるはずもない……)


 恐らく最も迷宮ダンジョン情報を有しているのは自衛軍だろうが、恐らく臨界化していてたとしてもそれは機密事項のはずだ。一般の下位冒険者においそれと情報開示がなされることは無いだろう。


(結局分からないことだらけだな……だが、急ぐ必要がある)


 隷属竜スレイブドラゴン小鬼ゴブリンの集団は明らかな意思を持って移動している。下層から移動してきたとなると、考えられる移動先は上層しかない。上層階に行けばそこは、多くの冒険者が潜っている箇所だ。その中には駆け出しの冒険者も多く含まれる。彼らが隷属竜スレイブドラゴンたちと出会ったら。一方的な虐殺が起こるのは目に見えていた。


(別に倒せなくてもいい。迂回しながらでも、隷属竜あいつらより早く着いて知らせないと)


 早く付いて伝える事さえできれば、あとは高位冒険者か自衛軍が対処をするだろう。隷属竜スレイブドラゴンとて討伐歴が無いわけでは無い。それに竜種ドラゴンは良質の魔核が取れる。倒す力が有る者であれば放っておけない獲物のはずだ。


 徐々に隷属竜スレイブドラゴンの足音が遠ざかる。幸い隷属竜スレイブドラゴンの集団の歩みはやたらと遅い。歩行速度であれば急ぎ戻ってジュリを拾ってからでも十分に間に合うはずだ。

 トーリは足音が遠ざかったのを確認して、大きくため息をつく。冷や汗によって全身が湿っていた。隷属竜スレイブドラゴンとの彼我は優に一〇〇〇メートル以上は離れていたはずだ。それでもこの威圧感。種としての個体差に絶対的な隔たりを感じる。あれと正面から戦いを挑む猛者がいるのだから本当に同じ人間なのかと疑いたくなってしまう。


(よし、行くか)


 恐怖によって萎えた足に活を入れると、トーリは踵を返す。ただジュリの元に戻るだけであれば、行きの四分の一も時間は掛からない。むしろ少し意識するだけで、自分の位置まで分かる状態で地図が頭に浮かんでくるのだから、至れり尽くせりの環境だ。トーリはジュリの待つ一六階層に向かって、駆け足で移動を開始した。

 早くジュリに伝える必要がある。

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