第9話 斥候

GyaGyaGya――


 小鬼ゴブリンたちの不快な声が残響となって洞窟内に響く。その声を頼りにトーリは岩陰に身を潜めていた。

 群れの規模がかなり大きい。[狂戦士ベルセルク]化していないトーリ一人だと囲まれて窮地に陥る可能性が高い。


小鬼兵ゴブリンソルジャー二体、槍と剣。智小鬼ホブゴブリン一二体、小鬼ゴブリンはたくさんいて数えられないな)


(ふむ、ここに中規模クラスの群れ、と。よしマッピング完了じゃ。次に行くぞ)


 トーリの脳裏に浮かんでいる洞窟内の地図に赤点が追加される。今まで通ったところが鳥観図のように俯瞰的に意識できるようになっていた。そして赤点に意識を向けると、今トーリが言った通りの内容が表示される。脳内マッピングだ。


(すごい便利だな……)


 今まで二年掛けて書き込みを続けてきた地図を先の戦闘でおじゃんにしたトーリだ。もしこれが継続的に利用できるなら、今後地図を買い足す必要もなくなる。感動と共に、買ったばかりの綺麗な地図に手書きで情報を細かく書き足して、汚れていくのを楽しみにしていたトーリとしては少し切ない気持ちだ。

 今トーリは十六階層から十四階層までの斥候を行っていた。現在居るのは、その中間地点である十五階層になる。


(……そろそ……通……限界……。手筈通り……頼む)


 そろそろジュリとの距離が通信限界に達したようだ。念話の内容がとぎれとぎれになる。それでも意識するとマップが浮かぶのは、マッピング機能がジュリに根差したものでは無く、トーリの意識に焼き付けたものだからだ。一種の精神魔術なのだそうだ。


(魔改造されてる気がしなくもないな)


 自嘲気味に笑う。恐らくあの少女が本気を出せば、洗脳や記憶の操作などもそれほど難しいことではないのではないかと思う。

 トーリは周囲を再確認する。小鬼ゴブリンの集団はだいぶ遠ざかった。また移動を開始する。

 地上への帰還を果たす為に偵察が必要だった。正直トーリ自身も十階層よりも下に潜ったことなど数える事しかないのだ。リスクや帰還も考えた場合、トーリの実力では単独ソロとして潜れる限界は十階層が限度で、それ以降には手を出せなかった。ジュリと出会う直前の時も、九階層でいつもは避けるはずの小鬼ゴブリンの大きな群れとの接敵を余儀なくされて、追い立てられて一六階層まで下ってきたのだ。

 まず迷宮ダンジョン内の地図を頭に入れる必要がある。既にトーリがジュリに出会って三週間になろうとしていた。鬼國牢きごくろうの中は昼夜が無いため日数計算が出来ず、ジュリに計算してもらったのだ。比較的長く潜るトーリでも、三週間は今まで経験したことが無い。地上では恐らく未帰還者として死亡扱いになっているはずだ。いつまでも居る訳にもいかず、いつかは外に出る必要がある。今回の斥候も本格的に脱出となった時に見知った十階層まで、出来るだけスムーズに抜ける為の準備だった。


(恐らく山場になるのは十二から十一階層になる)


 偵察はそこまで足を延ばせないので、その二階層は探索しながら上を目指すことになる。迷宮ダンジョンの未踏破領域を時間を意識しながら突っ切るのはリスクの高い行為だ。一応、[狂戦士ベルセルク]として一度は通っているのだが、あんな行き当たりばったりの移動を踏破したとは到底言えない。


(ジュリも自分では精緻派とか言ってるしな。攻撃魔術などは苦手分野らしいし)


 すでに何度か[狂戦士ベルセルク]の調教の為にジュリの魔術は見ていた。激痛に苛まれながら見たジュリの魔術は決して弱い物ではない気がする。ジュリとしては思うところもあるのかもしれないが、一般的な冒険者としては十分すぎる戦力だろう。


(しかし身体機能はやはり普通の魔術師とそれほど変わらないかもしれないし、備えて置いて損はない)

 

 確かに魔術の腕が卓越していることと、戦闘に向いてることは別の能力だ。肉体的に劣る後衛職を引き連れての移動になった場合、囲まれでもしたら身動きが取れなくなる。


魔物モンスターの脅威度が下がるのが概ね一〇階。そこまでいけば俺一人でもジュリを上に連れていける)


 一般的に迷宮ダンジョンは深く潜った方が魔物モンスターの脅威度が上がる傾向にある。深部に行くほど魔術の根源たる魔素濃度が濃くなっていくことが分かっているため、より濃い魔素を求めて強力な魔物モンスターは深い層に居座ると言われている。確かに冒険者が迷宮ダンジョンに潜っても、より深ければ深いほど近接職であれば身体機能や技能スキルや攻撃力、後衛職ならば魔術の威力が向上していく。人種も魔素の吸収によって、身体機能を上げ、技能スキルや魔術を駆使しているのだから当然の事だ。


(ジュリに聞けばそこら辺のこともより詳しく分かるのかもしれないな)


 ジュリならばトーリたちより魔素の関係について深く知っているだろう。この世界では魔素の出現はまだ一七年前のことだからだ。まだ分かっていない事の方が多い。

 トーリにはよく想像できないが一七年前の災禍より以前の世界では、魔素そのものが存在しなかったらしい。今は冒険者や自衛軍に属しない一般市民でも、差はあれど必ず魔素を取り込んでいる。そのほとんどは微弱な身体機能強化のみで、冒険者になれる程の身体機能の強化が成される者や魔術を扱えるものは少ない。しかしその微弱な身体機能強化であったとしても有ると無いとでは大違いだ。昔の人々は身体機能の強化すら無く、世界の覇者として君臨していたのだ。魔物モンスターがいなければそれも可能だったのかもしれないが、災禍元年の生まれのトーリには遠い世界の話だった。

 魔素研究もたった十七年の歳月しか行われていない。魔武器の開発や魔術の運用など、まだ開発の余地があるはずだとトーリは思う。ジュリの知識を流布すれば、技術の向上を加速させることができるかもしれない。そうすればもっと死者は少なくなって、生活も楽になるはずだ。


(この斥牙せきがにしたって相当な技術だしな……)


 ジュリから貰った、元小鬼剣ゴブリンソードを撫でる。ジュリはトーリが吹っ飛んで目を覚ました後、武器の命名を依頼してきた。魔術効果の行使・固定の為には命名は必須なのだそうだ。魔術的同一性自我アイデンティティがどうのとか、魔素渾沌性エントロピーの遡行とか難しいことを言っていたがトーリにはそこまでは分からなかった。そこで名前を『斥力丸』にしようとしたら、魔術で焼き殺されそうになった。理由は魔術的芸術を理解せず、下賤な名前を付けた罰なのだそうだ。その後、魔剣斥力、斥力剣、斥力刀、ただの斥力にしようとしたがことごとく魔術を放たれて、前向きに捉えれば対魔術師戦の良い練習になったと思う。適当な名前でも使っている内に愛着が沸いてくるものだとトーリは思うがジュリはそうでは無いらしい。我の魔術の結晶にそんなダサい名前を付けるなんて許せん、つか『斥力』から離れろこのボンクラがぁ、と首を絞められながら悩んだ結果、難産に末に斥牙せきがになった。ジュリとしては及第点位らしい。とりあえず跳ぶような急激な能力発揮は死ぬリスクが高すぎるので、とりあえず封印した。掛け声も掛けて、加重刀のように使うのが今は精一杯だ。もし地上に上がったらそこは訓練しようと思う。


 

 入り組んだ通路を行ったり来たりしながら、十五階層のマッピングを進める。既にマッピングされた箇所を比べると恐らく五割程度はマッピングが済んだ印象がある。本来はもっと時間が掛かるはずだがこのマッピング機能のおかげで、相当効率的に行えている。このぐらいまでマッピングが進めば概ね十四階層へ登る通路も予想ができるだろう。

 トーリは当たりを付けて進むと、案の定そこに十四階層への通路を見つけた。階段上になっているわけではないが極端な上り坂だ。鬼國牢きごくろうには階層を上るように見せかけて袋小路に追い込むようなトラップは比較的少ないとされる。概ね正解を引いたと考えて間違いないだろう。


(何かが擦れた跡があるな……)


 十四階層へ上がるための通路は比較的狭い作りになっていたが、壁の至るところに硬いものが擦れたような掻き跡があった。すぐに繁茂するヒカリゴケも削り取られていることを考えるとそんなに古い跡ではなさそうだ。


(巨大なものが通ったのか? それとも爪みたいなもので擦りながら……)


 爪で傷付けたにしては掻き跡が一方向過ぎる。そう考えなおして可能性の一つを否定する。しかし鬼國牢きごくろう小鬼ゴブリンを中心とした人型の魔物モンスターが多い迷宮ダンジョンだ。この通路を満たすほどの巨体の魔物モンスターは確認されている中でも数えるほどしかない。


(……いや、まさかな)


 一種思いついた魔物モンスターがいるが、あまりにも生息階層が違い過ぎた。意識的に選択肢から除外する。


(いまここで考えても埒が明かないな)


 トーリは考えるのやめる。特定できない可能性をああだこうだ考えても何も変わらない。注意して進むことに違いはないのだ。

 十四階層に抜ける通路を過ぎると、洞窟の内空が広がり掻き跡も消えてしまった。トーリは十五階層と同じように、できるだけ戦闘を避けながらマッピングを進める。


(もし少数の小鬼ゴブリンと遭遇したら、一度斥牙せきがを試したい。[狂戦士ベルセルク]になったらどうせ使えないし)


 [狂戦士ベルセルク]の時に安易に使って吹き飛んだら笑えない。発動には比較的明確な意志が必要なので、そうボンボンと暴発するものではないと思うが。

 それに[狂戦士ベルセルク]以外の時のトーリの力の底上げという意味でも、実戦経験を少しでも積んでおく必要があった。[狂戦士ベルセルク]化していないときのトーリは冒険者としては中の下くらいの実力だ。冒険者階級ランクはC級だ。C級といえばそこそこのベテランと評価されるが、自分自身は一般的に認知されるC級としての実力には未だ達していないとトーリは評価している。[狂戦士ベルセルク]化していないときのトーリは、出力パワーに劣る部分を技巧でカバーする戦士だった。その技巧に関しても別にちゃんと師匠に付いたわけではない我流のものだ。他の冒険者が使っているのを見よう見真似で必死に覚えて何とか体裁を整えて来たのだ。ソロで動く以上索敵や危険察知能力の技能スキルは一通り揃えてはいるものの、それにしたってパーティを組む前提で、各分野に特化している本職には比べるべくもない。詰まる所、器用貧乏なのだ。広く浅くなんでもそこそこできるが肝心の力が足りない、がトーリに対する適切な評価だ。ただ迷宮ダンジョンの潜入時間は冒険者としての経験期間と比較すると群を抜いていて、それが評価されただけに過ぎない。それにしたってトーリからすれば、危険を犯せないから非効率な方法で金を稼ぐしかないという理由なだけなのだが。


(とりあえず十六階層層に戻ってジュリとの通信圏内に入ってから考えよう。あと、二時間くらいが限度だな)


 いつものようにリスクを避けながら、トーリは十四階層の探索を続けた。

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