第8話 斥力の剣

トーリが目覚めると、そこはまた地底湖の離れ小島になっていた。

 酷い悪夢を見ていた気がする。少女声の魔王に唆されて小鬼ゴブリンと死のよさこい節を踊る夢だ。

 意識の覚醒に伴って現実が鮮やかになる。


(そうか転移の魔術で俺は戻って来たのか……って、あながち夢でもないな)


 よさこい節では無かったが。最後は気絶してしまったため結局転移の感覚は知ることが出来なかった。転移なんていう夢の魔術があると聞いて少し楽しみにしていたのだが、残念だ。また機会もあるだろうと納得させる。

 ジュリの転移魔術はこの鬼國牢きごくろう一六階層未知節だけ適応できる魔術だと言っていた。恐らく地上への転移なんかは無理なのだろう。


(一六階層からの脱出となると確かに準備がいるしな。最近小鬼ゴブリンの量が多い気がする)


 ジュリと出会う直前の戦いでもそうだったが、ここ数カ月かけて小鬼ゴブリンが徐々に増えてきていた。一時に遭遇する数が一匹、一匹と増えて行っているのだ。それに合わせて組織化も進んでいるようで、トーリが遭遇した群れのように小鬼兵ゴブリンソルジャーを抱え、高度な兵法を用いて戦ってくる場面も増えている。前回もそれでうまく誘導されてこんな深部まで敗走を余儀なくされたのだ。

 本来トーリの実力では一六階層は単独ソロで潜るような深さではなかった。そこを突破して地上に抜けるには、準備がいる。

 そして[狂戦士ベルセルク]の調教も同時に進めていた。遠隔的にジュリが監視できて、転移も可能なこの環境は[狂戦士ベルセルク]の調教に適しているらしい。確かにトーリもそう思う。


(本当に恐ろしい奴だ……)


 戦闘の記憶が蘇ってトーリは僅かに身震いした。今まで生きてきた中で二回しか発動しなかった[狂戦士ベルセルク]で、しかも一度目の発動から丸二年が過ぎていたのだ。しかし三回目は僅か一週間のスパンで発動になってしまった。


(あの感覚だけは慣れないな、本当に)


 自嘲気味に[狂戦士ベルセルク]化した時のことを思い出す。[狂戦士ベルセルク]になる時、トーリは憎しみと怒りが体中を這いずる虫となって蠢いている感覚を得る。その虫が嫌で嫌で溜まらず暴れまわる感じだ。


(だがジュリがいれば少なくとも[狂戦士ベルセルク]と止めることが出来る。それにこの頻度で、[狂戦士ベルセルク]化すれば、あるいは……)


 もしかしたら本当に[狂戦士ベルセルク]の調教に成功するかも知れない。それならば多少の代償などいくらでも払える。


(まあ多少、ではなかったけどな……)


 [狂戦士ベルセルク]化した時の傷の痛みは想像を絶するものだった。覚悟をしていたがあっけなく半狂乱になった。本来ならすべてが致命傷になる傷で、冒険者が迷宮ダンジョンの中で失敗を重ね、命の最後に経験する痛みなのだろう。正直あれを調教できるようになるまで繰り返すとしたら、自分の精神が持つか本当に疑問だ。考えただけでも手が震える。


(だが[狂戦士ベルセルク]に脅えて暮らすぐらいなら、死んだ方が良い)


 トーリは震える手を拳を強く握りこんで止める。一度死んだ身だ。もし失敗してももう一度死ぬだけだ。それにジュリが殺してくれると約束したのだ。ただの口約束だが、たとえどんなに酷い最後だろうと誰かを巻き込まずに逝けるなら上出来だ。


(何度でも地獄に飛び込んでやる)


 トーリは自分の覚悟を再確認した。


***


 身体の感覚が戻って来たトーリは、よっ、と起き上がると伸びをする。既に身体に傷は無い。酷い激痛だったが、部位欠損もないし[狂戦士ベルセルク]にとっては大した傷ではない。


「おー、起きたかトーリ。傷は大丈夫か? まあ我が何もしなくても今回は[狂戦士ベルセルク]がほとんど治してしまったがの。あと痛覚鈍麻に対する不死王の憐憫デバフじゃがの。あれ呪術化して貴様に埋め込んだからの」


 動く気配に気が付いたのか、ジュリがこちらに背中を向けながら声を掛けて来た。こちらを振り向く様子も無く何か作業をしている。トーリは寝起きで未だ若干霞が掛かっている頭で、手足を動かしてみる。どうやら動きにくさは無い。十全に体が動く。

 自らの動きに満足しながら、ジュリの放った言葉の後半をやっと今になって反芻した。


(呪術化って……)


 呪い、みたいなものだろうか。全く言っていることはわからないが雰囲気からして、恐らく毎回魔術として掛けるよりも簡便に発動するようにしたものだろう。下手したら[狂戦士ベルセルク]になった際に自動的に発動するのかもしれない。


(あのクソ痛い魔術が[狂戦士ベルセルク]時に毎回かあ。どんな罰ゲームだよ)


 若干頬がひきつったが、それ以上は何とか耐えた。自分が同意したことだ。それを拒否するわけにはいかないだろう。


「……ああ問題ないな、一応は。ところで何やっているんだ?」


 若干の間が空いたが何とか答えると同時に、ジュリが一心に行っている作業が気になった。ジュリの手元を除くと魔法陣が浮かび、その中央で短剣ショートソードが浮かんでいた。トーリの脚に刺さった小鬼ゴブリンの獲物だ。激痛に悶絶している時にジュリが持ってこいと騒いでいた気がするが、何とか持ち帰れていたようだ。


「ああ、ちと待っとれ。

 錬成空間エクセルティタティオ調整ディエリブルシェリブス 力場支配ヴァリグリドミネェイショニス 原子支配アートモドミネェイショニス 物理法則創成リジブスコラポリスクリアトラエ 斥力支配レプルシーヴァドミネェイショニス

魔道具補助マジアトゥル円陣サキュロス


第五階位:巨腕の攻斥ヴォタシウム


 周囲の空間が光輝いて、短剣ショートソードへと殺到していく。それと同時に鈍く曇り、ところどころにあった刃零れが生物が回復するように修復していく。その様子を息を飲んで見守るトーリに、ジュリは満足そうな笑みを浮かべる。


「魔術で、何かしているのか?」


「金属分子の再配置と結合力強化を行ったんじゃ。使えば、刃は零れるし、歪む。つまり普通に消耗するから気を付けるんじゃな。あ奴を起こせばもう少しまともな調整も出来るんじゃが、起こすと五月蠅いからのう……」


 ジュリの説明は、徐々にぶつぶつと独りごとになった。その顔は如何にも面倒臭そうな表情だ。単純な嫌悪だけでは無く、仲間に対しての気安さも含まれている様にトーリは感じた。ジュリに仲間なんているのだろうかとトーリは思う。少なくともトーリがこの離島に来てから一度も見ていない。隠れられるような場所も無いはずなのだが。

 トーリが周囲を見回している事に気が付いているのかいないのか、ジュリはそのまま話を続ける。


「まあどっちにしても時間停止などで剣の状態そのものを固定したりしても、常時展開には莫大な魔力が掛かるからの。これで十分じゃろ。ホレ」


 ジュリは手にした短剣ショートソードを投げる。トーリは器用に柄を掴んで受け取るとその握りを確かめる。やはり人の体格で比べると刀身がやや短い。顔が映り込みそうなほど磨かれた両刃の剣にトーリの心は高ぶる。獲物として、ジュリが時を超えるのに使った機材のパイプとは比較にならない。その場で何回か振る。重心位置も悪くはなかった。


「ジュリは凄いな……」


 思わず感嘆の声が漏れる。迷宮ダンジョンの地底湖の離れ小島の上で、魔剣の作成を行える魔術師が居ることがまずおかしい。普通は工房で鍛冶師と魔術師が組んで作成していくものだ。

 トーリの素直な賛辞にジュリの顔が赤くなる。恐らく予想外の所で褒められたので、心の準備が間に合わなかったのだろう。


「な――。ハーハッハッハッ。貴様も我の素晴らしさに気が付いてきたようじゃな! 今日からは、敬意をこめて様と殿と殿下と閣下を同時に付けて我を敬うが良い!!」


 何とか切り替えて、魔王モードに移行したが耳の赤さで照れていることがモロバレだ。トーリは若干ジト目になってから、苦笑する。


「お前、自分で言ってて訳が分からなくなってるだろ、ジュリ様殿殿下閣下」


「貴様、完全に馬鹿にしておるな!」


「お前が言えって言ったんだろう――でも、ありがとうな」


 噛み付いてくるジュリの頭にトーリは笑顔で手を置いて、そのまま撫でる。何と言ってもジュリが幼女の背しかないからだろうか。頭が低くて撫でやすいのだ。ボンと爆発したようにジュリの顔がまた真っ赤になった。それ以上話すとまた襤褸がでることを察したのか、ぷいとトーリから顔を逸らすと、ぼそりとつぶやく。


「――魔力を込めて見よ」


「ん? 更に機能付きなのかよ!」


 更にこの短剣ショートソードに切れ味向上以外にも機能が付与してあることに気が付く。壊してしまった振刀しんとう2.02がそうであったように魔武器は珍しいものでは無い。当然トーリもその存在を知っている。魔武器技術が隆盛しなければ、人類はこうして生き残れなかったし、旧文明の時に主力武器だった銃が廃れるはずがなかった。

 トーリが魔力を込めると剣が重くなる。何だかやけに僅かな魔力で、不安定に重さが変わる。今一般的に多く流通している魔武器の内、超振動による切断力強化の振刀シリーズと双璧を成すのが、重壊じゅうかいシリーズと呼ばれる加重化を施した魔武器だ。刃物主体というよりは戦斧バトルアックス戦槌ウォーハンマー鎚鉾メイスといった打撃・殴打武器に人気の仕様のはずだが。


「加重刀か。使い方によっては便利だな」


 短剣ショートソードにしてはあまり見ない仕様だが、これはこれで便利だ。剣速の強化、打ち込み強度の強化に仕えるだろう。


「早とちりは愚か者がすることじゃぞトーリよ。それは重さを増すだけのチンケな剣ではないぞ」


 トーリの納得した顔を見たジュリはチッチッチッと指を左右に振ると、貸せ、とトーリから剣を奪う。


「そのままの我の筋力では無理だな……。

魔素調整ディアボリディエリブルシェリブス 力場支配ヴァリグリドミネェイショニス 物理法則支配リジブスコラポリスドミネェイショニス 体組成支配カルプスドミネェイショニス 


第三階位:戦鬼の抱擁ヴィーリヴス二重詠唱ジェミヌス


 ジュリが印を組んで魔術を唱えるとジュリの身体が周囲の魔力を吸収して淡く光った。恐らく状態向上魔術バフだ。地力が弱いジュリは剣を振るう為に自らの肉体を強化したのだろう。ジュリは何度か剣を振って動きを確かめる。ジュリが持つと普通の長剣ロングソードに見えるから不思議だ。


(言ったら、面倒なことになりそうな気がするな……)


「貴様、また不届きな事を考えたじゃろう。まあ良い。ふん、これなら行けるか」


 ジロリとジュリに睨まれて、思わず息を飲む。


(空気を読むってレベルじゃないな。何か理由があるんだろうか……)


 最も内容が筒抜けな訳では無いらしい。何となく悪口を言われたことが分かる程度のようだ。原因が分からずトーリは首をひねる。ジュリがトーリと念話の為に常時発動している妖精の梯子メディオクリスレィダを通して自分に対する悪意をこっそりチェックしているとは露ほどにも思わない。


「まあ良いわ。どうせ摸擬でやるだけじゃ―――『斥』ッ」


 ジュリが剣を構えて姿勢を作ると印を組む。そのまま声を発すると、不意にジュリが上方に吹き飛んだ。


「ジュリッ!!」


 突然のジュリの吹き飛びに焦るトーリ。加重化の機能は唯一、魔力によって質量を増大させることだけだ。上方に吹き飛ぶなど、加重化にそのような機能は無い。


「別に失敗はしとらんッ! よく見るのじゃ!」


 ジュリは高く跳びながら、トーリに向かって叫ぶ。どうやら失敗をしたわけでは無いらしい。しかし、だとするとあの魔剣の機能は加重化では無いと言うことだ。


「『斥』!」


 ジュリは素早く体制を変えると今度は真横に吹き飛ぶ。明らかな指向性を持った移動だ。

 そこから優に一〇メートルは進んで、やっと直線から放物線を描き始めたところで、今度は斜め下に吹き飛んだ。今、ジュリは地底湖の上なので、島の上に着陸するつもりなのだろう。何度か不自然な原則を繰り返して、ジュリは地面に着地した。減速にも魔剣の力を使ったようだ。


「そんな魔剣初めてみたぞ!?」


 着地したジュリにトーリは駆け寄って驚いた様子で聞く。その様子にジュリはまんざらでもなさそうな様子で、手を腰に当てて胸を逸らした。子供が威張っているようにしか見えないが。つー、とジュリの鼻から血が垂れた。


「あ、鼻血……」


「ふん、多少身体に無理が掛かっただけじゃ! 決して魔剣を使う時に柄に顔を当てたとかではないからな!」


 賢者といえども後衛なのだから身体能力が低いのは当たり前だろう。「心配ない!」と連呼しながら、恥ずかしそうに鼻を拭くのでそれ以上は口を出さないことにした。もしダメージを受けていても回復魔術などを使えるはずだ。

 ジュリを気を取り直したように、無い胸を張る。


「ふふん。あたり前じゃ我が作ったんじゃからな。この短剣ショートソードには斥力を込めてある。剣が重くなるのは剣の進行方向に並行して斥力が働くからじゃな。重くなったというよりは上から反発力で押されたんじゃよ。トーリがそういうものとして扱ったからそういった働き方をしたのじゃ。扱い方が非常に繊細じゃが少ない魔力で今のような爆発的な斥力を使って移動することもできる。ようは吹き飛ぶんじゃけどな」


「ジュリは本当に凄いんだな」


 今度は予期していたからだろう、ジュリはトーリの賛辞のままに更に胸を張る。そのままブリッジに移行しそうな程だ。


「……ふふん! まあ錬金は得意分野じゃからな。それに魔石無しの魔術付与だけじゃから長くは持たん。剣自体の耐久性もあるじゃろうし、まあ持って一〇日か」


 これでもかと胸を張って仰け反るジュリに、トーリは純粋に畏敬の視線を送る。


(期間限定だとしても異常な技術だ。振刀・重壊シリーズのように規格化された魔武器であれば大量生産も進んでいるが、特異な機能を持つ魔武器は巨匠級マイスタークラスの鍛冶師が一点物ワンオフとして仕上げるものだぞ……)


 もちろん一点物ワンオフは法外な値段が付くし、政府買い上げで自衛軍に回すか、確かな実力を有した冒険者の手にしか渡らない品だ。とてもトーリに手が届く品ではない。汎用型の振刀しんとうでさえ最新型は6.0までバージョンアップされていて、それが買えないトーリはやっとの思いで四期型落ちの振刀しんとう2.02長剣型タイプ・ロングソードの中古を買ってしのいでいたのだ。


(それを期間限定とは言え俺が持てるのか)


 トーリも一七歳の男子だ。それに冒険者もしているため、武器に対して一定の思い入れはある。最新型の魔武器のチェックは欠かさないし、生活費は苦しくとも月刊魔武器は出来るだけ新刊で買う様にしている。


「触ってもいいか……?」


 先ほども触ったが、その機能を見てしまうと触るのに躊躇してしまう。もし壊して損害賠償を請求されたら、一生働いても返せない自信がある。


「おお構わんとも。怪我には気をつけるんじゃぞ」


 恐らくあまり子供らしくないトーリの、年齢なりの反応を見たからだろうか。やけに保護者的なしかも父性の声音を使って対応するジュリ。普段の印象とは違和感があるというか純粋に気持ちが悪いのだが、手渡された剣に夢中のトーリはそんなことに構う余裕がなかった。


「『斥』って言わないとだめなのか!?」


「トーリはこの剣の本来の性質を見たからな。次は心の中で考えるだけ良い。……あと」


「おわぶ――――ッ」


 ジュリが言い終わる前に、トーリがジュリの視界から掻き消えた。思わず斥力の力を開放したのだ。

 まったく制御していない状況だったが、進行方向が湖面の方向だったのは不幸中の幸いだった。

 トーリは一切弧を描かない直線で吹き飛んだ。

 水面すれすれを。

 錐揉みしながら。

 飛び石のように。


(……ミスって壁に当たると潰れたトマトみたいになるから気をつけるんじゃぞー)


(それ使いこなせないと洞窟の中だと死ぬじゃん……)


 トーリが吹き飛んで聞き取れなかった会話の最後を思念で送って来たジュリに突っ込みを入れる。あと思念派でトマトって言ってきたからには、トマトに類するものが異世界にもあるんだなあ、とどうでも良いことが頭を駆け巡って、トーリは気絶した。

 結局トーリは剣もろとも氷漬けにされて、島に引き上げられた。当面、斥力による移動は封印となった。

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