第7話 苦痛の戦闘②

Gyaッ!?


 トーリの手に握られた金属のパイプが小鬼ゴブリンの脇腹に刺さった。そのまま小鬼ゴブリンごとパイプを持ち上げる。即死しなかった小鬼ゴブリンが手足をバタつかせながら悶絶するのを無視して、パイプを振り抜く。ブチリと音がする。貫通創だった腹部を支点に持ち上げられて振り回されたことで、腹部が破けたのだ。腹腔に大きく穴が開いた小鬼ゴブリンは、内臓を撒き散らしながら仲間の元に帰っていく。


「――――ッ!」


 トーリの身体がごう、と雄たけびを上げる。その憤怒と狂気に満ちた絶叫にトーリを囲む小鬼ゴブリンの集団がたじろぐ。一対一では勝機を見いだせないことに気が付いているのだろう。トーリの歩みに合わせて、距離を取りながらじりじりと後退していく。その顔には一様に恐怖に歪んでいる。この先は袋小路になっていることを確認済みだ。

 トーリが一方的に虐殺しているかというと、客観的に見るとそうなのだが、トーリの中ではまた違った状況が起こっていた。


(痛い、痛い、痛いッ! クソッ、[狂戦士ベルセルク]化しているのに!)


 狂戦士ベルセルクとなって身体の制御が効かない中、トーリの意識は激痛で悶絶していた。小鬼ゴブリンと接敵した時に、受けた肩の矢傷と力任せに振るったパイプで痛めた右腕。その二つから、痛覚が津波のように押し寄せてくる。


(コレ、普通の痛み、じゃないだろ……!)


(当り前じゃ。魔術によって痛みを増強しておるのじゃからの。一筋の切り傷で抉られるような痛みを感じるはずじゃ)


 トーリの絶え絶えの問いに、ジュリから容赦のない言葉が降ってくる。身体の方も怒り狂っているものの、痛みは感じているようだった。攻撃を受けるたびに、身震いをしていることからも明らかだ。


(せめて、矢を、抜けよ……!)


 動くたびに肩に刺さった矢じりがトーリの中で傷を広げ、[超回復]による治癒を繰り返している。ただ矢を抜けば、[超回復]により傷は完全に癒え、痛みは引くはずだ。そんなことすら今のトーリには出来ない。[狂戦士ベルセルク]がトーリの身体を支配しているからだ。


(おーおー、痛そうじゃのう! あと一匹を倒せば、後は小鬼兵ゴブリンソルジャーの四体じゃぞ! あれらは貴様を追い詰めた者どもじゃろう)


 脳内にジュリの声が届くが、それに返答している余裕などない。意識のトーリが痛みに苛まれている間にも、身体が小鬼ゴブリンを追い詰める。

 七匹。[狂戦士ベルセルク]化しているトーリであれば、決して負ける敵ではない。

 トーリは袋小路で震える小鬼ゴブリンを見つけると、手に持ったパイプを大きく振りかぶる。上段からの振り下ろしで屠るつもりだ。

 しかし振り下ろされたパイプで小鬼ゴブリンの頭は割れた西瓜のようにはならなかった。いつもの持ち慣れていない獲物のせいで、目測を誤って壁にパイプを打ち付けたのだ。


(ぐぅうううううッ! 腕がッ! クソッ、クソッ!)


 [狂戦士ベルセルク]の膂力で振られたパイプはいとも簡単に折れ曲がって、その反動をもろに受けた腕は激痛を上げた。両上肢の重度の筋腱断裂。左の肩関節脱臼。この程度の傷は[超回復]を持っている[狂戦士ベルセルク]にとって大した傷ではない。だが、その痛みは精神を蹂躙していた。


(拷問かよッ――)


 身体も激痛を感じているはずなのだがそれでも止まることを知らなかった。トーリは折れ曲がって使い物にならなくなったパイプを放り投げると、素手で無手の小鬼ゴブリンに向かっていく。


Guaⅰ!!


 頭部を鷲掴みにするとそのまま持ち上げる。小鬼ゴブリンは頭を掴む腕を振りほどこうと、トーリの前腕に爪を立てる。バリバリと鋭い爪で掻かれた前腕はみるみる血まみれになった。


(何故そんな戦い方なんだッ。わざわざ傷を受けるような戦い方をしてッ!)


 トーリの意識は痛みから半ば狂乱気味に身体の動きをなじる。トーリはそのまま持ち上げた小鬼ゴブリンを、勢いを籠めて地面に打ち付けた。後頭骨を破壊されて、今度こそ割れた西瓜のようになった小鬼ゴブリンは、全身を小刻みに痙攣させて絶命する。

 ゆっくりと立ち上がったトーリの左足に、激痛と灼熱感が掛け抜ける。


(――――ッ!!!)


 あまりの痛みにトーリの意識は絶叫を上げる。大腿に小鬼ゴブリン短剣ショートソードが刺さっていた。小鬼兵ゴブリンソルジャーの一撃だ。小鬼兵ゴブリンソルジャーは大腿に深く剣を差し込むと、トーリの手を逃れてバックステップで回避を行う。


(いいぞ! トーリ! その剣を奪え! 折るなよ! 他の奴よりだいぶマシじゃ! もうパイプは嫌じゃろ!)


 小鬼兵ゴブリンソルジャーが持っている剣に目を付けたらしいジュリが脳内で騒ぐが、トーリの意識は未だ激痛の波から復帰していない。意味内容まで把握する余裕は無かった。

 トーリの身体は足の傷などお構いなしに立ち上がる。本来ならそのまま足を動かせなくなってしまうような傷だ。治癒に少し時間が掛かるのだろう。動くたびにあまりの激痛にトーリの意識は失神を繰り返す。

 傷が治るまでが好機と見たのか、四体の小鬼兵ゴブリンソルジャーが同時に動き出す。


「ガアアアッッッ!」


 トーリは大腿を貫いた小鬼兵ゴブリンソルジャーを追って、パイプを振り下ろす。戦術も合ったものでは無い。何故その小鬼兵ゴブリンソルジャーを狙ったのかと言えば、単純に自分を攻撃したからだ。トーリは小鬼兵ゴブリンソルジャーたちに囲まれるように深く食い込んでしまう。トーリが力任せに剣持ちの小鬼兵ゴブリンソルジャーに振り下ろしたパイプを、盾持ちの小鬼兵ゴブリンソルジャーが割って入る様な形で受け止めた。

 [狂戦士ベルセルク]の上段からの一撃をまともに受けたのだ。防御主体の小鬼兵ゴブリンソルジャーと言えども、苦痛に顔を歪ませる。しかしパイプの攻撃自体はこれで無効化された。

 盾持ちの左右から槍を持った小鬼兵ゴブリンソルジャーが躍り出た。そのまま両側からの突きを行う。片方の槍が肩を、もう片方が脇腹を貫いた。


 (―――ッ! ―――!)


 (小鬼王ゴブリンキング不在ということは、奴らが群れのトップだったという事じゃろうな。良い連携をしよる)

 

 トーリの絶叫を無視して、ジュリは小鬼兵ゴブリンソルジャーたちの動きに目を見張る。小鬼兵ゴブリンソルジャーという役職持ちの中では決して強い部類では無いにも関わらず、鬼國牢きごくろうの中層であの規模の群れを率いていたのだ。個体の力を、連携によって補っていたのだろう。そして[狂戦士ベルセルク]だったトーリはその連携の前に敗れたのだ。


 (じゃがの……。今回の[狂戦士ベルセルク]は痛みを感じるぞ。それがどう作用するか……)


***


 腹を貫かれた人間が動きを止めた。盾持ちの小鬼兵ゴブリンソルジャーはほくそ笑む。

 あの人間は狂暴になったあと、引くことを知らない愚か者だと気が付いていたからだ。例え槍に貫かれても攻撃を受けた相手には、その痛みを感じぬように突き進み喰らい付く。確かにバラバラな攻撃をしている敵にとっては脅威だろう。だが一つ一つの攻撃に意味を持たせて次の攻撃に繋げる事を知っている小鬼兵ゴブリンソルジャーたちににとっては愚策でしかない。実際、このまま槍が刺さったまま前進してくるようであれば、貫いた槍で動きを止める。人間の癖に途轍もない腕力の持主ではあるが、槍持ち二人であれば一瞬は保つだろう。その間に剣持ちが喉を掻き切れば良い。


「ガアァァァ!」


 人間は腹に刺さった槍を掴むと、全身に力を込める。前に来る、と槍持ちの小鬼兵ゴブリンソルジャーは掛けた罠に掛かった人間に止めを刺すために身構えた。

 しかし、小鬼兵ゴブリンソルジャーたちの予想外の事が起きた。

 人間が一歩引いたのだ。槍を握って固定したために腹部に深く刺さっていた穂先が一気に引き抜ける。驚く槍持ちに人間が狂気の籠った笑みを浮かべるのと、盾持ちが注意の叫びを上げようとしたのは同時だった。


 人間の手によって槍が目一杯引かれる。その膂力に槍持ちの小鬼兵ゴブリンソルジャーが抗う事は出来なかった。突っ込んでくると思っていただけに、槍を手放す事すら忘れて槍にそのまま引っ張られる形で宙に浮いた。

 ゴキリと胸郭の骨の砕ける音と共に、槍持ちの小鬼兵ゴブリンソルジャーが今度は後方に吹っ飛んだ。人間が引っ張って引き寄せた力も利用して、槍持ちの胸部を蹴り抜いたのだ。そのまま直線状に吹き飛んだ槍持ちは、壁にバウンドして転がって止まる。衝撃に両眼球が半分飛び出した状態で絶命していた。


Gaaaa!


 剣持ちが予想外の事態に、狂乱となって人間に切りかかる。既に人間には群れを束ねていた小鬼兵ゴブリンソルジャーの内二体を仕留められた。その怒りと恐怖は盾持ちも良く分かる。

 しかし強力な相手に対して策も無く切りかかるのは愚策だ。それは何より小鬼兵ゴブリンソルジャー自身が証明してきたことだ。

 人間は槍を器用に一回転すると穂先を剣持ちの方に向ける。そして投擲。

 槍が寸分違わず剣持ちの頭蓋を砕いた。槍の勢いに頭部が破裂した剣持ちは走り込んでいた勢いそのままに、前に崩れ落ちた。

 剣持ちを殺している隙に移動していたのは、もう一人の槍持ちだった。肩に刺さった穂先は浅く、人間の後退と共にあっさり抜けてしまったからだ。

 人間の完全な死角に入り込んで、突き込みを行う。

 剣持ちに気を取られて、槍持ちには気が付いていないはずだ。それに気が付いていたとしても、あの人間なら自分に槍を突き立てさせて、動きを止めたところで狙うはず。そうすれば、盾持ちが短刀ナイフを使って止めを刺せる。盾持ちの為に滅多に使わないが、だからと言って使えないわけでは無い。最早そこにしかこの人間を倒せる勝機は無い。盾持ちは短刀ナイフを握りしめて覚悟を決めた。


***


(――終わったの)


 ジュリは戦闘の様子を余さず観察していた。トーリが背後を突いて攻撃しようした小鬼兵ゴブリンソルジャーの槍の柄を掴んでいた。驚愕に動きの止まった槍持ちの小鬼兵ゴブリンソルジャーの顎を蹴り上げて、難なく止めを刺す。


(身体機能があれほど高いんじゃから、一対一では無双するの。多数で押し込む以外には、同等の身体機能を持つか、魔術を使わん限り死角など存在せんよ)


 小鬼兵ゴブリンソルジャーごときが気配を消したところで、トーリには何の意味も無かったのだ。盾持ちの小鬼兵ゴブリンソルジャーから短刀ナイフが零れ落ちて、茫然とした様子で膝から崩れ落ちる。その顔からは戦意が喪失していた。


(ふむ、こんなもんじゃな。やはり、痛みは有効なようじゃの。剣も無傷で手に入りそうじゃし、大金星じゃな。良かったのトーリ――、て気絶しておるか。意識体だけで気絶とは器用なことをしよって)


 ジュリは満足そうに頷くと、戦闘を反芻する。少なくとも痛みを得れば、痛みに応じて反応が変わる事は観察できた。後は継続して行っていくだけだ。

 トーリは盾持ちの小鬼兵ゴブリンソルジャーの下にゆっくりと歩を進めていた。最早勝ちが揺らがないことは分かっているのだろう。その顔には嗜虐の笑みが浮かんでいる。残った盾持ちの小鬼兵ゴブリンソルジャーは、震えながらトーリを睨むだけだ。


(まったく。今日はもう終わりだと言っておろう。――それと小鬼ゴブリンどももご苦労じゃったな。トーリに任せると楽に死ねなそうじゃからな)


 ジュリは思念の中で、小鬼ゴブリン達に聞こえるはずもない労いを掛けると、詠唱を行う。


魔素調整ディアボリディエリブルシェリブス 力場支配ヴァリグリドミネェイショニス 物理法則改変リジブスコラポリスモディフィカティオ 雷精支配トーニラドミネェイショニス 

魔道具補助マジアトゥル円陣サキュロス


第二階位:古蜘蛛の慰撫アラネアフォメンタ


 ジュリの魔術名の宣言と共に、足元に一瞬魔法陣が浮かび、トーリと小鬼兵ゴブリンソルジャーに落雷が舞い降りた。その一発で、盾持ちの小鬼兵ゴブリンソルジャーは全身から黒煙を上げながら倒れ伏す。絶命したのだ。

 しかしトーリは違った。僅かに絶縁破壊を起こした放電が身体から漏れながらも、トーリは満足に動かない身体を使って起き上がろうともがく。。


「グゥルル……ッ! ――ッ! ――ッ!」


 すぐさま身を起こそうとする度に、ジュリはトーリは何度も雷撃を撃ち続けた。


(そこは流石に[狂戦士ベルセルク]か。人種なら一発で殺せる程度の攻撃なんじゃが……)


 古蜘蛛の慰撫アラネアフォメンタは単純な魔術だ。効果は座標とした箇所にいる生物の体内に電流を流すというものだ。発動の前駆として魔法陣の形勢と、僅かな絶縁放電があるため気配に敏い者には気づかれてしまうし、その狭い効果範囲から生物が移動してしまうと魔術が霧散してしまう。一応戦闘用ではあるものの、どちらかと言うと無力化した敵への止めに使ったり、生命力の高い魔物モンスターであれば意識を刈り取るのに使う程度だ。

 複数回の電撃の果てに、ついにトーリが完全に沈黙する。結局十回前後は電流を流しただろうか。


(まったく体力だけは竜種ドラゴン並みじゃな……。まあ竜種ドラゴンは一回喰らっただけで、避けるがの)


 トーリが動かないことを確認して、ジュリは再度詠唱を行う。


魔素調整ディアボリディエリブルシェリブス 力場支配ヴァリグリドミネェイショニス 物理法則改変リジブスコラポリスモディフィカティオ 時空間改変スパティオエンポリスモディフィカティオ 

魔道具補助マジアトゥル円陣サキュロス 


第五階位:影鼠の冷笑マスリーサス


 詠唱と共にトーリの倒れた地面に全身を包む大きさまで広がった魔法陣が顕現する。小鬼ゴブリン達が落とした装備の幾つかにも同時に魔法陣が浮かんでいた。魔法陣が最大まで光を強めた瞬間、トーリは光の粒子となって融けるように消え去った。

 袋小路には小鬼ゴブリンの惨殺体だけが残されていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る