第5話 契約
「はぁ?」
あまりに腑に落ちない説明にトーリからは間抜けな声が漏れた。ジュリは笑顔を崩さずにトーリが困惑する様を眺めている。
「じゃから[
トーリの当然の疑問に対して、ジュリは事も無げ、という風に嘯いた。トーリは余計混乱する。
「制御って言ったって……ああ上手く言葉にできないな」
トーリは苛々してでガリガリと頭を掻く。
――そんなこと出来る訳が無い。
そうやって否定するのは簡単だ。
その常識を盾にして言い切ってしまえばいい。
だがトーリの口から否定の言葉は出なかった。
(俺は、期待……しているのか)
否定できないのは、ぶら下げられた人参が魅力的だからだ。
(俺だって、[
今までトーリだって[
トーリだって何もせずに手をこまねいていたわけでは無い。
(異世界から来た賢者なら。それがもし本当なら、もしかしたら……)
日本で、少なくともトーリの生活圏である神栖で知ることのできない知識でも、他の世界から来た者であるならば何とかなるかもしれない。異世界から来た賢者という誇大妄想的な放言であっても、現代日本で完成していない水準の治癒術と、ぶら下げられた人参の大きさにトーリの気持ちが傾く。それを不承不承な態度を取りながらもジュリの話を聞く方向へとトーリの気持ちを変化させた。
大きくため息をついて聞く態度になったトーリを見て、ジュリの口角は更に引き上がる。
「やはり随分と苦労したようじゃな。まあ[
ははは、とジュリはからからと笑う。
(やはり、この少女は[
ここで[
「[憤怒][発狂][忘我]だろ? 闇雲に敵も味方も攻撃しちまう」
絞り出すようにトーリは言う。ジュリはうむ、と満足そうに頷く。
「正解じゃ。敵味方の区別をつけず、戦局を見ず、自らのダメージも顧みず、ただ己の赴くままに破壊と虐殺を繰り返す。自分が意識を失うまでな。それが[
トーリは首肯する。そのとおりだ。だからこそ初めて[
じゃがな、とジュリは切り返す。
「不思議には思わんか? 例えば狂暴で手が付けられない
確かに[
「数が少なくて研究事例が少ないというのもあるんじゃがな。調教にとって一番必要な要素、「痛み」と「学習」、それが[
「[
ジュリの言葉を受けて、確かに、と呟いたトーリを見て、今度はジュリが目を細める。
「ほう、トーリは[
「ああ身体は動かせないんだが、意識はある。もどかしいぐらいにな。記憶もまず欠落しない」
それを聞いたジュリが表情を喜色に染める。
「それは
「調教……か。できるのか?」
正直調教される
(正直、調教だろうが、奴隷だろうが突然味方を襲わずに戦っていけるならそれに越したことはない)
ちなみに奴隷紋の行使による[
「ふむ、我も試したことはないがやってみる価値はあろう。やり方自体は単純で[
「しかしそれが効きにくい[状態異常軽減]があるからこそ難しいんじゃないのか?」
「我だからできるのじゃよ。トーリの持っているのが[状態異常無効]でなくて良かったな。[軽減]であれば、我の莫大な魔力で貴様の痛覚を最大限に引き上げることが出来る。痛みがあれば避ける。二度と受けないように考える。そこに僅かでも知性の萌芽が生まれれば、こちらの勝ちじゃ」
僅かに力が湧いてくるような気がした。トーリが今までやってきた中で一番可能性がありそうな手だ。今まで悲観し、諦めて停滞してきた日々を思う。希望というのは良い。生きる力を与えてくれる。だからこそジュリには言っておく必要がある。
「ジュリ。それはジュリに危険はないのか?」
調教されるまで一番トーリの近くにいるのはジュリになる。最も[
「任せよ。一介のそれも低レベルの[
「――それは良い。だが1つだけ約束してくれ」
トーリがジュリの言葉を途中で遮る。リスクが有ることなど百も承知だ。それを飲んでも打破したい現実があった。ジュリを信じて見ようと、トーリは決めた。ならして欲しい約束は一つだけだ。
「俺が自我を失って味方を殺しそうになった時は、ジュリエッタ=リンクス=アーデルハイド、お前が俺を殺してくれ」
トーリの真剣な表情にジュリも、笑顔を隠して真面目な顔になる。その表情は年端もいかない魔王口調の少女でなく、千の書物を読み解き、万の知識を蒐集した賢き者の智啓を宿していた。
「誓おう、黒沢透利。貴様が真に狂い貴様にとって大事な何かを失わせようとしたとき、黄昏の賢者ジュリエッタ=リンクス=アーデルハイドが貴様を魂の一片までも塵に変えてやろう」
ジュリはそのような事は容易いとでも言う様に頷く。幼い少女の癖に随分と頼りがいがありそうに見えてしまった。
「契約成立、じゃな。共に目標を追う『仲間』といった所か」
その言葉にトーリは「いや」と否定しながら首を振る。トーリの突然の否定に、ジュリは若干驚いた顏をしてトーリを見る。
「仲間では無い。そういうのは作らないんだ。だから俺が[
トーリは平板な声でジュリは一瞬思案をしたが、すぐに相好を崩して肩を竦める。
「まあよかろ。ではこれは契約じゃトーリ。我は貴様の身体を使って
「俺、黒沢透利は救命の恩も含め、黄昏の賢者に従おう。こちらにとってはメリットしか無いくらいだ。好きなだけ俺の身体を使って研究してくれ」
トーリは片膝を着くと、臣下の礼を取る。こうしてジュリとトーリの契約は完了した。
ジュリはそれを満足そうに頷き真剣な相好を崩すと、また三日月型の笑顔を張りつかせた。
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