第5話 契約

「はぁ?」


 あまりに腑に落ちない説明にトーリからは間抜けな声が漏れた。ジュリは笑顔を崩さずにトーリが困惑する様を眺めている。


「じゃから[狂戦士ベルセルク]を調教し、制御できるようにするんじゃよ。これは交換条件じゃ、貴様を救った我に優先権のある、な。我は貴様の体を使って[狂戦士ベルセルク]という珍しい特殊技能ユニークスキルについての知見を深める。その研究結果を貴様に還元してやる。どうじゃ悪い話じゃなかろう」


 トーリの当然の疑問に対して、ジュリは事も無げ、という風に嘯いた。トーリは余計混乱する。


「制御って言ったって……ああ上手く言葉にできないな」


 トーリは苛々してでガリガリと頭を掻く。


 ――そんなこと出来る訳が無い。


 そうやって否定するのは簡単だ。特殊技能ユニークスキルは、先天的に有するにしても、後天的に取得するにしても人為的にどうにか出来るものでは無い。同じ経験をしても、得られる場合とそうでない場合がある。そういう意味で神の祝福ギフトに近いものだと言われている。多くの研究者が試行錯誤だした結論だ。その力を使うことは出来ても、人の力で特殊技能ユニークスキルを生み出すことは出来ない。また発現した特殊技能ユニークスキルを人為的に修正することも出来ない。与えられたものを与えられたまま使う。それが特殊技能ユニークスキルの常識だ。

 その常識を盾にして言い切ってしまえばいい。

 だがトーリの口から否定の言葉は出なかった。


(俺は、期待……しているのか)


 否定できないのは、ぶら下げられた人参が魅力的だからだ。


(俺だって、[狂戦士ベルセルク]をどうにかできるなら……)


 今までトーリだって[狂戦士ベルセルク]を放置していたわけでは無い。[狂戦士ベルセルク]が発動すると敵味方区別無く襲ってしまう。その時点で仲間とパーティを組むことが難しい。その為にトーリはずっと単独ソロ迷宮ダンジョンに潜って来た。時には一時的なパーティを組むことはあったが、もはやそれも絶えて久しい。

 トーリだって何もせずに手をこまねいていたわけでは無い。特殊技能ユニークスキルについて色々調べたりもしたのだ。しかしまず、特殊技能ユニークスキルの保有者が少ない事、一つとして同じものは無い事。そしてその効果も千差万別であることが分かっただけだった。トーリ以外に[狂戦士ベルセルク]を持っている者はいなかったし、ましてや制御する方法なんて分かるはずも無かった。


(異世界から来た賢者なら。それがもし本当なら、もしかしたら……)


 日本で、少なくともトーリの生活圏である神栖で知ることのできない知識でも、他の世界から来た者であるならば何とかなるかもしれない。異世界から来た賢者という誇大妄想的な放言であっても、現代日本で完成していない水準の治癒術と、ぶら下げられた人参の大きさにトーリの気持ちが傾く。それを不承不承な態度を取りながらもジュリの話を聞く方向へとトーリの気持ちを変化させた。

 大きくため息をついて聞く態度になったトーリを見て、ジュリの口角は更に引き上がる。


「やはり随分と苦労したようじゃな。まあ[狂戦士ベルセルク]を受け入れておる奴でまともな奴はおらんて。大抵は戦いに明け暮れて早晩身を滅ぼすか、戦いから身を引いて何時暴発するやもしれぬ恐怖と戦いながら生きるかどちらかじゃ。じゃからトーリ、貴様はかなり珍しい部類じゃぞ。貴様は[狂戦士ベルセルク]に怯えながらも冒険者を続けておったんじゃからな。まあ身を滅ぼしかけてはおったがの。――トーリ、[狂戦士ベルセルク]の最も困った要素とは何かの?」


 ははは、とジュリはからからと笑う。


(やはり、この少女は[狂戦士ベルセルク]について知っているのか……)


 ここで[狂戦士ベルセルク]の内容を隠したところでトーリに益はないだろう。積極的に情報を開示することにした。ステータスも既に見られているようだし、隠していても意味が無いだろう。


「[憤怒][発狂][忘我]だろ? 闇雲に敵も味方も攻撃しちまう」


 絞り出すようにトーリは言う。ジュリはうむ、と満足そうに頷く。


「正解じゃ。敵味方の区別をつけず、戦局を見ず、自らのダメージも顧みず、ただ己の赴くままに破壊と虐殺を繰り返す。自分が意識を失うまでな。それが[狂戦士ベルセルク]の最大のデメリットじゃの」


 トーリは首肯する。そのとおりだ。だからこそ初めて[狂戦士ベルセルク]が発現してからと言うもの、ずっと単独ソロを続けてきたのだ。パーティを組んだ相手が、危機の際に急に仲間に牙を剥いたらそのパーティは瓦解する。そんな光景は死んでも見たくない。

 じゃがな、とジュリは切り返す。


「不思議には思わんか? 例えば狂暴で手が付けられない魔物モンスターを使役しようとする魔物使いがいたとしよう。初めは魔物モンスターに敵も味方も区別はつかん。そんなの当然じゃ、魔物モンスターにとっては人型の生き物の区別はつかんからな。だが、魔術的なマーカー、容姿、匂いそういったものを頼りにして、最終的には少なくとも魔物使いの命令は聞くようになる。魔物モンスターにすら自ら敵味方の区別が付けられるようになるんじゃ。では、[狂戦士ベルセルク]もそのように『調教』しようと思う者はいなかったのか。まあ人を調教することについての是非についての話をすると長くなるでな。倫理というものは世の中の九割が守っていれば良いものじゃからな。倫理面は抜きにしてじゃ」


 確かに[狂戦士ベルセルク]を従わせることができるなら、それは大きなアドバンテージになるだろう。一般的な冒険者を軽く凌駕した膂力に、異常な回復力を持つのが[狂戦士ベルセルク]だ。確かにジュリの言いたいことは分かる。だが前例のない問いに、答えが出るはずもなかった。ジュリは腕を組んでうんうん悩みだしたトーリを見て、まあ分からなくて当然じゃな、と前置きをする。


「数が少なくて研究事例が少ないというのもあるんじゃがな。調教にとって一番必要な要素、「痛み」と「学習」、それが[狂戦士ベルセルク]には欠けている。一番の問題点は[痛覚鈍麻]と[状態異常軽減]にあると我は見ている。痛みによる調教が効かないんじゃよ、[狂戦士ベルセルク]には」


「[狂戦士ベルセルク]になっている時にはほとんど痛みを感じないな……」


 ジュリの言葉を受けて、確かに、と呟いたトーリを見て、今度はジュリが目を細める。


「ほう、トーリは[狂戦士ベルセルク]になった時のことを覚えておるのか?」


「ああ身体は動かせないんだが、意識はある。もどかしいぐらいにな。記憶もまず欠落しない」


 それを聞いたジュリが表情を喜色に染める。


「それは僥倖ぎょうこう! 制御できずとも意識があるのならば、そこから道は開けるかもしれん」


「調教……か。できるのか?」


 正直調教される魔物モンスター扱いだ。ジュリの発言にトーリも思うところが無いわけでは無い。


(正直、調教だろうが、奴隷だろうが突然味方を襲わずに戦っていけるならそれに越したことはない)


 ちなみに奴隷紋の行使による[狂戦士ベルセルク]の抑制には失敗している。隷属魔術を使える知り合いに確認して、この方法は断念したのだ。トーリは[狂戦士ベルセルク]になった時の強い殺意を鍵に奴隷紋によって死を与えるような契約を行いたかった。もしも[狂戦士ベルセルク]になりそうになった時に、突然死した方がまだマシだと思ったのだ。しかしそれほど強い契約を結んでしまうと、日常の感情変化でも効果が発動してしまう可能性があるそうだ。禁忌の企図には痛みを、禁忌の行使には死を与える契約が限界だということだ。痛みが[狂戦士ベルセルク]に効かない以上、奴隷紋による契約では抑止力にはなり得なかったのだ。


「ふむ、我も試したことはないがやってみる価値はあろう。やり方自体は単純で[狂戦士ベルセルク]の[痛覚鈍麻]を強力な状態減弱魔術デバフによって無効化する」


「しかしそれが効きにくい[状態異常軽減]があるからこそ難しいんじゃないのか?」


「我だからできるのじゃよ。トーリの持っているのが[状態異常無効]でなくて良かったな。[軽減]であれば、我の莫大な魔力で貴様の痛覚を最大限に引き上げることが出来る。痛みがあれば避ける。二度と受けないように考える。そこに僅かでも知性の萌芽が生まれれば、こちらの勝ちじゃ」


 僅かに力が湧いてくるような気がした。トーリが今までやってきた中で一番可能性がありそうな手だ。今まで悲観し、諦めて停滞してきた日々を思う。希望というのは良い。生きる力を与えてくれる。だからこそジュリには言っておく必要がある。


「ジュリ。それはジュリに危険はないのか?」


 調教されるまで一番トーリの近くにいるのはジュリになる。最も[狂戦士ベルセルク]の餌食になる可能性が高い。トーリはもう誰も[狂戦士ベルセルク]で失いたくなかった。ジュリはその小さい胸をトンと自分の拳で叩く。


「任せよ。一介のそれも低レベルの[狂戦士ベルセルク]などには我は負けぬ。全ての牙を折った上で調伏してくれるわ。しかし問題もあってだな。[狂戦士ベルセルク]の間中トーリは常に激痛に苛まれることになる。下手をすると精神が持たず発狂――」


「――それは良い。だが1つだけ約束してくれ」


 トーリがジュリの言葉を途中で遮る。リスクが有ることなど百も承知だ。それを飲んでも打破したい現実があった。ジュリを信じて見ようと、トーリは決めた。ならして欲しい約束は一つだけだ。


「俺が自我を失って味方を殺しそうになった時は、ジュリエッタ=リンクス=アーデルハイド、お前が俺を殺してくれ」


 トーリの真剣な表情にジュリも、笑顔を隠して真面目な顔になる。その表情は年端もいかない魔王口調の少女でなく、千の書物を読み解き、万の知識を蒐集した賢き者の智啓を宿していた。


「誓おう、黒沢透利。貴様が真に狂い貴様にとって大事な何かを失わせようとしたとき、黄昏の賢者ジュリエッタ=リンクス=アーデルハイドが貴様を魂の一片までも塵に変えてやろう」


 ジュリはそのような事は容易いとでも言う様に頷く。幼い少女の癖に随分と頼りがいがありそうに見えてしまった。


「契約成立、じゃな。共に目標を追う『仲間』といった所か」


 その言葉にトーリは「いや」と否定しながら首を振る。トーリの突然の否定に、ジュリは若干驚いた顏をしてトーリを見る。


「仲間では無い。そういうのは作らないんだ。だから俺が[狂戦士ベルセルク]になってジュリを殺しそうになったら、遠慮なく殺してくれ」


 トーリは平板な声でジュリは一瞬思案をしたが、すぐに相好を崩して肩を竦める。


「まあよかろ。ではこれは契約じゃトーリ。我は貴様の身体を使って特殊技能ユニークスキルの糸口を掴みたくなった。この研究は貴様の命と精神が崩壊する可能性がある。それが救命の代償じゃ。我がために命を懸け、[狂戦士ベルセルク]を調伏してみせよ」

 

「俺、黒沢透利は救命の恩も含め、黄昏の賢者に従おう。こちらにとってはメリットしか無いくらいだ。好きなだけ俺の身体を使って研究してくれ」


 トーリは片膝を着くと、臣下の礼を取る。こうしてジュリとトーリの契約は完了した。

 ジュリはそれを満足そうに頷き真剣な相好を崩すと、また三日月型の笑顔を張りつかせた。

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