第4話 異世界転移

「で、その自衛軍といいうものが、国軍に相当するわけじゃな?」


 ジュリの声が地底湖に残響となって響く。あれから三日の月日が流れたらしい。トーリは出会ったころと同じ姿勢のまま、目を覚ます度にこうしてジュリの質問攻めに答えている。今では覚醒しているときは意識がはっきりしているし、会話も難なく出来るようになった。


「ああ、ホントは自衛隊ってのが日本ていう大きな国にあったらしい。一七年前の災禍によって日本は寸断されて複数の都市国家になって、その時に自衛隊も各都市の自衛軍に分断・吸収されたんだってよ」


 この世界に迷宮ダンジョンが突然現出したのが一七年前だった。当時は途轍もなく大きな騒ぎになったらしい。そして迷宮ダンジョンから溢れ出した魔物モンスターは、世界を蹂躙した。日本の外にあったという国々との連絡は絶たれ、国内でも分断され、字のごとく阿鼻叫喚の地獄絵図だったそうだ。そこから僅かな集落を再建して街にし、恐らく異世界と共に現れたと思われる魔術を発展させ、何とか均衡を保つまでになった。それが今、新元号、災禍一七年という時代だった。


「ふむ、やはり迷宮ダンジョンの現出と共にこの世界の文明は衰退したのか? それ以前は魔物モンスターは出なかったと?」


 興味深そうにジュリは考え込む。


「まあ俺は災禍元年の生まれだからな。それ以前の世界は聞いただけだ。魔物モンスターはいなくてほとんど全ての地域に人が住んでいたんだってよ。ジュリの世界はどんな形だったんだ?」


「まあ我の世界はとりあえず置いておくとしてじゃな。ふむやはりこの世界は異世界のようじゃの? 魔物モンスターの出なかった時代など、あちらの世界にあるはずもない……」


 ちなみにジュリというのはジュリエッタが長いからそう呼ぶことにしたのだ。意外にも本人の拒否は無かった。聞けば名前などどうでも良いらしい。

 今やっているのは、お互いの情報の擦り合わせだ。なんと驚いた事にジュリは、迷宮ダンジョンと一緒にこの世界に流れて来た異邦人――いや、正確には異世界人らしい。異世界なんて聞くと一気にファンタジー感が溢れるが、彼女は大真面目な顔で「在る」と断言する。何回か疑ったら、やはり蹴りで気絶させられたからもう聞くのはやめた。

 ジュリはこの迷宮ダンジョンで時を越えるつもりだったのだという。元居た世界の生きていた時代に飽いたジュリは、自前の封印装置を作って迷宮ダンジョンの中で眠りについて、その世界の未来へと移動しようとしていたらしい。そして目が覚めてみれば迷宮ダンジョンごと異世界に転移していたというのだ。新しい世界が見たかっただけだから、未来だろうが異世界だろうが構わないそうだ。剛毅なことだ。

 それに見た目も日本人とは少し違っていた。髪は綺麗な新緑の色で腰まで延びたものを先で緩く結んでいる。瞳は目の覚めるような深紅に染まっていた。服装も和装の十二単に似た重ね着をした着物のようであるが、違う文化の中で成熟された伝統衣装のような装いで、十二単とは決定的に違う。

 人類の頭髪や目とは明らかに違う配色の一方で、その他の要素は人間と一緒だ。身長は小柄で幼い少女にしか見えない。これで長命種メトセラという種族なのだから、どの位の時を生きてきているのだろうかとトーリは思ってしまう。

 これらを総合して、トーリはジュリが異世界人であるということを認めることにした。コールドスリープ設定や見た目の全てが偽装フェイクで、ただの天才的な回復術士という可能性が無いわけで無いが、流石に迷宮ダンジョンの深奥で設定厨が命がけのコスプレをしている方が現実的ではない気がする。  それに命を救ってもらったという一点は間違いがない。


(超絶の美少女なんだろうけど……。残念ながらそういう趣味は無いんだよなあ……)


 恐らく超絶の美少女なのだろうが、残念ながらトーリにその趣味は無い。幼い容姿なのに途轍もなく整っていることが分かるジュリの横顔を見ながらトーリは思う。トーリはどちらかと言うと、メリハリの利いたお姉さん系が好きだった。まあ年齢的にはお姉さんなのかもしれないが、見た目がぺったんこの良いところ一〇歳程度の見た目ではそういう風に思うことも出来ない。これで老けないというのだから幼女性愛者ロリコンなら垂涎なのだろうが、トーリにはピンとこない。


「おら、貴様また失礼な事を考えているじゃろうが。それに顔を上げるな。まだ組織がゼリー状で脆弱なのじゃ。崩れたら波及して正常なところまで滅ぶぞ」


 何気に恐ろしいことを言われて、素直にジュリを眺めるために上げていた顔を定位置に戻す。しかしトーリ自身は自分の事を顔には出ないタイプだと思っていたが、ジュリはこちらの内心に非常に敏感だ。


(余計なことを考えると、速攻で気づかれるな。出来るだけ控えよう)


 蹴りによる強制入眠は出来るだけ避けたい。


「それでじゃ、貨幣制度はどうなっておる? 何か有価値な貴金属などを貨幣にしとるのかの? それとも兌換だかん貨幣や信用貨幣も流通し始めておるのか?」


「ん? 金か。普通に紙の物を使っているな。昔はクレジットカードというものもあったらしいな。今はあっても小切手だ」


 災禍以降、維持できなくなった技術なんかも結構あると聞く。トーリの話を聞いて、ジュリが目を輝かせた。


「貨幣でなく紙幣ということか! というからには信用か兌換だかんじゃの! 随分経済構造が発展していたようじゃのう! それにくれじっとかーどとな? トーリ、貴様くれじっとかーどの意味を分かっておらんじゃろ。我に意味が伝わってこんからの」


 ジュリの言葉にトーリは頷く。自分が生まれる前のモノなんて知らなくて当然だ。こうしてスムーズに会話ができるのは、ジュリが魔術によって会話内容を補助しているかららしいのだが、伝達者の知る言葉の意味を伝えるものだそうだ。なので、伝える方がその言葉の意味を理解できていない場合や会話者双方に共通した概念がない場合は、そのまま発音だけが伝わるだけだ。このとんでもなく利便性の高い魔術を持っているだけでも驚愕なのだが、何日かすれば言語は修得できるから魔術の必要性はなくなるらしい。


(本当に賢者なんだな……。とはいえ、この質問攻めは結構疲れる。それに俺の質問には一切答える気が無いし……)


 主従の悲哀をさっそく感じる。問答はトーリが眠るまでひたすらに続いた。


***


「ふむ! 大分動けるようになってきたの!」


 ジュリの満足げな声が後ろで聞こえる。トーリは型の訓練をしながら、身体慣らしをしている。


(あれだけ動かなかったのに、思ったより身体がなまってないな……)


 長く使ってきた振刀2.02は、右腕と共に失ってしまったので今は無手での訓練が主体だ。

 あれから更に三日が経った。トーリはまた五体満足な身としてこうして身体を動かすことが出来ている。それは驚愕に値することだ。地上でも再生医療を行うことは出来る。しかしそれは高度な医療機器と魔術をふんだんに使い、支払う金も一人の市民が一生遊んで暮らせる額よりも更に多い。そこまでしても、完全ではなく部分的な再生で止まる場合も多いのだ。しかし今トーリは完全に違和感なく四肢を動かせていた。一部は欠損までしたのにだ。それだけでもジュリの魔術の能力が抜きんでていることが分かる。


「ああ本当にジュリのおかげだ。こればかりは感謝してもしつくせない」


 型が終わり一つ大きな深呼吸をすると、トーリはジュリの方を向いて深々と礼をする。トーリの本心だ。小鬼ゴブリンとの戦闘で[狂戦士ベルセルク]化した時は諦めてはいたが、死にたいわけでは無かった。命を救われた代償は大きい。


「ふふん。なかなか殊勝になってきたではないか! 慈悲深い我に今後も一層の感謝を重ねるのじゃな! 寝る前に我に対しての賛美の祈りを捧げてから寝るのもご利益がありそうじゃ!」


(ああこれが無ければ、普通に良い奴で終わるんだけどなあ)


 腕を組んで海老反りになる程に頭を高く掲げて高笑いをするジュリを眺める。本質的には悪人では無い、と思いたい。


「それで、じゃ。芋も飽きてきたことじゃし、そろそろこの鬼國牢きごくろうを脱出する算段を立てようと思うての」


 ひとしきり高笑いを続けていたジュリは急にトーリに向き直ると脱出の方策を切り出した。


「そうだな……」


 トーリは周囲を見渡す。動けるようになって知ったのだが、ここは地底湖の離れ小島だった。半径三〇メートル程の地面が地底湖の上に湿った地面を晒している。周囲はひたすら地底湖の湖面が広がっており、随分先にトーリが落ちたという滝が白い線として見える。この地底湖が物理的に魔物モンスターを寄せ付けない防壁の役割を果たしているようだった。ちなみにまだ水棲の魔物モンスターは見ていない。ジュリが全く警戒していないところを見るといないか、いても無害なのだろう。中央にはジュリが自身の封印に使ったと言っていた、魔法陣と機械群が適当に放置されており、その周りに食用にできるが、決して美味くはない芋が自生していた。トーリの糧食は先の戦闘で失くしていたので、芋で食い繋いできたのだ。


「で、どうやって渡るんだ? 泳いで渡るには水温が冷たいからな。それにジュリの服だと確実に溺れるぞ」


 地底湖の水温はかなり冷たかった。トーリが怪我を負った時浸かっていたのは、水に見せかけてジュリが魔術で仕切った空間の中に満たした特性の回復薬ポーションだったそうだ。その時は温度管理までされていたため温かく感じていたが、本当の湖面は十分も浸かれば、震えが止まらなくなるだろう。


「そうやって我を脱がそうとしても、その手には乗らぬ! 泳ぐなどとそんな肉体労働をせずとも魔術で楽勝じゃ! トーリよ残念じゃったなあ!」


「ちがッ、そういう意味じゃ……!」


 ジュリが、美しいとは罪じゃのう……!と自分の身体をひし、と抱きしめて身もだえしている横でトーリはがっくりと肩を落とす。


(この賢者ひと結構疲れるな……!)


 倒れかかった精神メンタルを必死に立て直しながらトーリは顔を上げる。


「で、作戦はどうするんだ? ジュリはどんな攻撃魔術がつかえるんだ?」


 この地底湖から外に出れば、また小鬼ゴブリン達に囲まれることになるだろう。


(そういえば俺が襲われた群れも凄いデカかった。あの規模の群れがいたら俺一人でもイチかバチかになるし、魔術師を守りながらだとほとんど無理だな)


 ああいった囲まれての乱戦になれば、ジュリも小鬼ゴブリンと直接対峙することになる。魔術師が物理攻撃に弱いのは自明の理だ。守り切れない。

 トーリが生還する方策について悩んでいると、正気に戻ったジュリが、ふふん、と口角を釣り上げた。


「我はどちかというと精緻派の賢者じゃ。派手な攻撃魔法などはあまり好まん。それに当面は行くのはお前一人だけじゃ、トーリ」


「……は?」


 呆けるトーリに気を良くしたのか、ジュリの笑みはますます深まるばかりだ。もうそのつら見紛みまごうこと無き、悪人だ。


「地上には抜ける。しかしその前に、我が通る為に小鬼ゴブリン共を間引くぞ! ついでに鬼國牢きごくろうの余勢を削り、トーリの[狂戦士ベルセルク]も育てる! 一石三鳥じゃ!」


「――!」


 この賢者は二兎追うものは、ということわざを知らないのだろうか。異世界だとしてもこの手のことわざは表現こそ違うだろうが、絶対あるだろう。


(……それに)


 ついでのついでの様に言われていたが、聞き捨てならないことを聞いた。まず沸いた疑問は何故知っているかということだ。


「何故知っている、などと詰まらぬ事は言うなよトーリ」


 トーリの表情を呼んだのか、ジュリは先ほどのふざけた表情とは打って変わって怜悧な刃物の様な視線を向ける。会話の中でも時折見せるその表情にいつもトーリはハッとさせられる。この時ばかりは、この少女が年相応ではないと思い知らされるからだ。


「貴様のステータスは確認済みじゃ。ついでに貴様が広い湖面に浮かんでいるのを偶然見つけたわけも無かろう。小鬼ゴブリンどもと戦い瀕死になる辺りから貴様の事は把握していたからな。[狂戦士ベルセルク]がどういう状態かも見当がついた」


「ステータスを見たのか!?」


 トーリから驚きに大きな声が出た。ステータス閲覧は途轍も無く難しい魔術だ。

 しかも解釈が非常に難しいそうで、ほとんどの魔術師は使うことが出来ない。唯一冒険者協会ギルドのスタッフが魔導機械の補助を借りて行うのみである。


「我にとっては造作も無い。それでじゃ。貴様が引っかかっておるのは[狂戦士ベルセルク]を育てる、という所じゃろう?」


 ジュリの笑みを深めて言った言葉にトーリは口を閉ざす。会話の流れがどういう風に転がっていくか予想が出来なかったのだ。しかし、をどうにかする方法を賢者が有しているとでもいうのだろうか。そもそも、育てる、と言う表現が曖昧だ。良くなるとも悪くなるともとれる。


「[狂戦士ベルセルク]を育てる……だと?」


 探るように絞り出した言葉にジュリは頷く。


「そうじゃトーリ。貴様、狂ってくれるなよ?」


 三日月型に深まる笑みを隠そうともせず不穏な言葉を発するジュリを見て、トーリの背筋に冷たいものが走る。


(やっぱり賢者というよりは魔女だな――)


 その笑顔を見ながら、トーリはそう思った。

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