第2話 狂戦士の末路

 剣戟と獲物を追い立てる興奮した声が洞窟内に残響となって広がっていた。


「ガァァァッ!」


 力任せに振るった振刀しんとう2.02が、小鬼ゴブリンの肩から腹部に掛けてを袈裟切りに両断した。剣速を殺さないまま踏み込んで回転し、後方から詰めていたもう一匹の頭部の上半分を横薙ぎに吹き飛ばす。

 ミシリと振刀しんとう2.02から嫌な音が響く。もうどれくらい続いているか分からない連戦の果て、小鬼ゴブリンの頭蓋を力任せに吹き飛ばした代償が今こうして致命的な損傷となって表れている。振刀しんとう2.02の切れ味を担ってきた超振動がその機能を失って、死に掛けの羽虫のような小刻みな痙攣となる。


(クソッ、これじゃあただの鈍器だ……。安く無かったんだぞ)


 激しい戦いの中で、身体の支配権と意識が分離した青年の思考はどこまでも現実感が薄い。小鬼ゴブリン達が木っ端のように吹き飛んでいく様を黒沢透利くろさわとうりは、他人事のように眺めていた。

 多数の小鬼ゴブリンに囲まれて、黒髪も半ば壊れ取れかけている装備も全て小鬼ゴブリンの青い血液にまみれた青年がそこにはいた。一七歳の成長途上の身体は身長こそ成人と変わらぬところまで伸びていたが、体に付く筋肉は大人の男として最盛期には至らない。引き締まっているものの恵まれた体躯とはとても言えない容姿を持つ青年だ。

 しかしそれも、いつもであれば、と注釈が付く。

 実際、今の青年の身体はいつもよりも二倍程も筋肉が大きく膨隆し、その体躯を一回り大きく見せていた。冒険者として生きて来たためにできた顔に残る小さな傷痕によって、線の細い顔立ちながら、何とか年齢通りに見られていたその表情も、今は憤怒と狂気に彩られている。トーリの中の特殊技能ユニークスキル、[狂戦士ベルセルク]が発動しているのだ。[狂戦士ベルセルク]が発動すると、超絶の身体機能と引き換えにトーリは身体の制御を失う。


「ガッ」


 前胸部に走る衝撃に、踏鞴たたらを踏みながも堪える。見れば左の胸部には矢が突き刺さっている。肋骨の隙間を縫って肺まで届く一撃だ。後方の小鬼ゴブリンが放ったのだろう。小鬼ゴブリン共は一匹一匹は容易くても、連携されるとこんなにも厄介になる。

 口の中に血泡が広がり、呼吸がしにくくなる。その中でトーリの顔にひろがるのは、苦痛では無く憤怒の表情。矢じりの返しによって肋間筋の引き千切れる音を、自分の身体を通して聞きながら、柄を掴んで力任せに引き抜く。

 傷口からも口からも血が溢れる。それを好機と見たのだろう、トーリを囲む小鬼ゴブリンの中から、また一匹が後方から忍び寄る。相手は気配を殺しているのだろうが、狂戦士ベルセルクとなったトーリにそんな甘い気配遮断では、隠れている内にも入らない。

 振り向きざまに矢尻を眼球に付き込む。矢尻は小鬼ゴブリンの眼底を破って脳に到達して止まる。ぶるり、と全身を痙攣させたあと小鬼ゴブリンは崩れ落ちた。

 殺意を満たせた歓喜も束の間に、またトーリに衝撃が走る。

 更に背後を突つかれたのだ。見れば、今度は腹部に剣が刺さっている。五センチ程だろうか。筋層は抜けて腹腔内に侵入しているだろう。


(錆びだらけの剣だと腹膜炎待ったなしだなぁ)


 肉体の運動と思考が解離するなか、またもそんな思いが浮かぶ。どうせ[狂戦士ベルセルク]化してしまえば、肉体は自分の制御を離れてしまうのだ。痛みさえも感じにくくい状態で、現実感を持つのは難しい。


(でも、こんな人生でも、死にたくないもんなんだな――)


 そんなことを思う。


 今トーリは終局を迎えようとしていた。茨城県霞ヶ浦と筑波山の中間地点に現出した第七迷宮、鬼國牢きごくろう。その十六階層未知節で、小鬼ゴブリンの大集団に囲まれていた。


(本当に運が無い)


 自嘲と共に振り返る。初めは一〇階層で小鬼ゴブリンの集団に子供の冒険者が攫われていると思ったのだ。その為決死の覚悟で小鬼ゴブリンの集団に戦いを挑んだ。その結果がコレだ。結局、子供と思ったのはそれらしい布に包まれた荷物だったし、何とか倒せると踏んだ小鬼ゴブリンの集団も、あれよあれよという間に合流して巨大な群れとなった。

 そして今に至る。状況は最悪だ。先兵たる小鬼ゴブリン集団に囲まれ、遠隔からは智小鬼ホブゴブリンが弓兵となって追い込んできている。全身の傷によって[狂戦士ベルセルク]になってしまってからは一〇〇匹以上切り捨てたはずだ。それでも陣形を崩さずに迫ってきているということは、小鬼兵ゴブリンソルジャーや、小鬼王ゴブリンキングなどの上位種に率いられている可能性がある。

 たとえ[狂戦士ベルセルク]だとしても、到底一人にどうにかできる状況では無い。最後は物量に押し切られて、死ぬ。


 機能を喪失した剣を携えて、トーリは洞窟型の迷宮内を狩りたてられる。辛うじて生き残っているのは、トーリの持つ特殊技能ユニークスキルである[狂戦士ベルセルク]が発動しているからだ。全てのステータス向上効果に加えて、[痛覚鈍麻][超回復][状態異常軽減]が常時発動。それと引き換えに[憤怒][発狂][忘我]によって、自分自身のあらゆる制御を失う。制御を失ったからと言って、完全に意識を失うわけでは無いところがまたこの特殊技能ユニークスキルの嫌らしいところだ。狂者の行いを冷静な自分が見続けさせられて、記憶としても残る。


「ガアアアァッ!」


([狂戦士ベルセルク]はまだ俺を生かすつもりなのか)


 肉体の方は咆哮と共に、未だ小鬼ゴブリン共を撲殺している。

頭を掴み叩きつける。腕を引きちぎる。噛みつき、砕く。これではどちらが魔物モンスターか分かったものでは無い。いくら惨たらしく殺しても、小鬼ゴブリンは引くことがない。汚い口腔から唾を飛ばして喚きながら、恐怖と興奮に塗れた顔で突撃してくる。

 そんな自分と小鬼ゴブリンの戦いを客観的に見せられながら、複雑な気持ちを持っている自分に気づく。もちろん死にたくは無いし、怖い。死ぬ気で迷宮ダンジョンに潜ったことはないし、生存のための準備も欠かしたことはなかった。しかし迷宮ダンジョンに潜ればどんなに気を付けていても死が迫る。[狂戦士ベルセルク]はトーリが死に瀕すると勝手に発動する。そこにトーリの意志は働かない。

 他の冒険者がいないここでなら、[狂戦士ベルセルク]がどれほど暴れても間違って人を殺めることも無い。好きなだけ暴れて、最後に死ねば良いだけだ。それはトーリにとっては救いだった。死ぬのは怖い。怖いが、そんな最後もいいかもしれない。そんな自棄がトーリの心を次第に蝕んでいく。


 しかし最後はなかなか訪れず、トーリはその後もジリジリと追い立てられて、狭い通路を抜けた広い空洞部へと出た。


(くそッ。行き止まりか)


 開けた視界の先に通路の終端を迎えたことを悟る。かなり広い天蓋ドーム状の空間だった。天井付近は少なくとも一〇〇メートルは超えるだろう。トーリが出てきた通路は空洞内の中腹部のようだった。近くの壁から大量の地下水が瀑布となって空洞の底の方に注いでおり、通路の終端の崖下には地底湖が広がっていた。

 獲物を追い詰めたことを悟ったのだろう。小鬼ゴブリンたちを押しのけて、金属製の鎧を纏った一回り大きな小鬼ゴブリンが出現する。小鬼兵ゴブリンソルジャーだ。その数は五体。体躯は小柄な大人位でも、鎧を纏うことによって一回り大きく見える。内二体は全身を隠すほどの盾を装備しているからなおさらだ。

 崖を背に踵を返したトーリに盾を持った小鬼兵ゴブリンソルジャー二体が迫る。


「ガッ!」


 盾を掴んで引き倒そうとするトーリに対して、小鬼兵ゴブリンソルジャー盾撃シールドバッシュが決まる。トーリは頭部を打ち上げられて仰け反る。踏み留まったのは[狂戦士ベルセルク]の膂力の賜物だ。仰け反りながらも盾撃シールドバッシュを繰り出して来た小鬼兵ゴブリンソルジャーの内、一体の盾を掴むことに成功していた。

 盾撃シールドバッシュに押された上半身さえも利用して、盾を思いきり引いた。これには盾を掴まれた小鬼兵ゴブリンソルジャーも驚いたのか、なす術も無く前に引き倒される。


Gy―――ッ!


 何かを叫ぼうとしたのだろう。引き倒された小鬼兵ゴブリンソルジャーの叫びが口から漏れたその瞬間、トーリの脚が小鬼兵ゴブリンソルジャーの頭を踏み抜いた。脳漿と共に青い体液を撒き散らしながら、小鬼兵ゴブリンソルジャーは即死する。


 「ギィッッ」


 獲物を仕留めた愉悦に[狂戦士ベルセルク]がわずかに浸ったその瞬間に勝負は決した。左右から二体の槍を持った小鬼兵ゴブリンソルジャーがトーリの胸当ての間隙を突いて腹に槍を突き立てたのだ。槍は腹部を突き破って背中にその血に塗れた穂先を覗かせていた。口から一気に血液が溢れる。

 明らかな致命傷。さすがに[超回復]が働いていたとしてもダメージ超過だろう。回復しきる前に死ぬ。だが[狂戦士ベルセルク]は止まらない。半ば感覚を失った下半身を逆に槍に寄りかかるようにして、壊れた振刀しんとう2.02を目の前にいた盾の小鬼兵ゴブリンソルジャーに突き立てようとする。

 しかし振刀しんとう2.02が振り下ろされる事は無かった。振り下ろしたと思った腕のあまりの軽さに、腕を見ると肘から先が消失していた。いつの間にか懐に潜り込んだ剣を持った小鬼兵ゴブリンソルジャーが剣を振り下ろした姿勢でこちらを睨んでいるのが見えた。

 瞬間。遠くで地底湖に自らの腕が着水する音と共に、肘から血液が噴き出す。


「ガァァァァァッ!」


 断末魔の方向を見上げた視界の右側が衝撃と共に消失する。智小鬼ホブゴブリンの放った矢が眼球に直撃したのだ。そう悟ったと同時に激烈な衝撃が来た。

 硬質なもので全身を打ちつけられる感覚。


(生き残っ……方……盾)


 ズルリと身体から命と共に槍が抜けていく感覚と共に、後方に吹き飛ばされて宙に投げ出される。既に視界は無かった。ただ気持ちの悪い浮遊感だけが、今落下をしていることを示していた。

 二度目の衝撃。そして冷たく濡れる感触。


(これ……れの……さいご……)


 流れ込む滝の水流に振り回されながら、トーリは意識の全てを放り出した。



***


 ……

 …………

 ……………………意識の浮上する感覚。

 目も見えず、自身の身体の感覚も無く、どれほどの時間が経ったのか。それすらも分からない状況。その中でもトーリは自分自身が考えることが出来ることに気が付いた。

 死に向かう刹那に起こる臨死体験なのかもしれないな、と独り納得する。


「そんな状態でも生きようとするか貴様」


 凛、とトーリの中で響いた気がした。実際の耳は全く聞こえていない。言うなれば脳に直接声が流し込まれたような感覚だ。その声は、少女のような声音で、老婆のような諦観を含ませていた。不思議な声音だ。どんな生き方をすればこのような声になるのだろう。少し声の主に少し興味が沸く。死の間際なので、死の女神がトーリを迎えに来たとでもいうのであろうか。


「ふん、いいじゃろう。我が魔導の光に照らされて再度この世に生まれ出でてくるがよい。その暁には我の手足となって粉骨砕身、誠心誠意、徹頭徹尾この世の終わりまで尽くしてくれような?」


 ――嫌な奴だった。声に尊大さと傲慢さが混じる。そもそも言い回しも回りくどいし、自分をあえて偉そうに誇示しているような印象がある。トーリの中で老成した少女の様な美しい女神像がガラガラと崩れる。思い浮かぶのは背伸びしている餓鬼だ。


(俺……こういうタイプ……苦手)


 四文字熟語を会話に挟む奴で、今まで良い奴に出会った試しはない。


「回復にはしばしの時を要する。我の魔導の揺り籠にて眠るがよかろう。あ、我に対しての心の底からの感謝と、神に対して身を投げ出すような深い愛情を忘れずにな」


 さり気ないアピールが子供っぽい。


(何で最後がこんな感じなんだ……?)


 今際の際に出てきたにしては、空気の読めない奴だ。むしろ死に掛けにこんな幻聴を聞いてしまう自分に大きな問題があるのだろう。


(まあ[狂戦士ベルセルク]持ちは碌な幻想も見れないか……それに)


 自身の異常性に関して一定の納得をしたうえで、再度睡魔に襲われる。

 これで寝てしまえば自分はもう起きることはないだろう。腹部の貫通創、右前腕部離断、右眼球破裂、その他裂傷多数。視覚は一切働かないし、身体の感覚も曖昧だ。今自分がどんな姿勢を取っているかもわからなかった。逆に生きながらえたら障害を抱えて生きる地獄が待っている。


(まあ、どうでもいい。いまは……ねむい……)


 少女の性悪声が何かを話している気がしたが、トーリの意識は深い闇に沈んだ。

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