第9話 覚醒前夜①
「…………本当に大丈夫なんですか……?」
アリアがなおも不安げに問いかける。
「……どうでしょう…………。ただ、受けないことには何も始まらないので」
「ま、俺たちがそんなにくどくど言うことでもねえだろ」
男が割って入った。
「……まあ、それはそうかもしれませんけど…………」
玄道たちの間に微妙な沈黙がおとずれたとき、「まだか~」「おうっ、こっちにもくれ!」というような声がホールの喧騒の中に大きく響く。
「おっと、駄弁ってる場合じゃねえな」
男の言う通り、想定以上の来客で応対に遅れが出てきているらしい。
「手伝いましょうか?」
その状況を把握したアリアは、雇い主である男に問いかけた。
「そりゃまあ、助かるが。……でも、いいのか?」
「はい。じゃ、手伝いますね」
器の残りをささっと平らげるとアリアはそそくさとスイングドアの奥へ消えていった。
再び沈黙の降りるなか、男が悩ましげな微笑を浮かべる。
「ま、詳しくは知らないんだが、あの子も色々な事情を抱えてるみたいでな。『魔の地』って言葉には人並み以上に敏感なんだ」
「そうなんですね」
「だからあんまり悪く思わないでくれよ」
「いやいや、そんな。有難いですよ」
「そうか? そうだな」
黒いエプロンを着たアリアは再びスイングドアを通って、ホールに出て行った。
男は、「俺も働かなきゃな。んじゃ、楽しんでってくれ」と玄道に一声かけて、せかせかと奥へ引っ込んだ。
それから、玄道は舌鼓をうちながら黙々と食事を進め、最後にバゲットでシチューをさらう。夕餉を存分に楽しんだ玄道は、両の手のひらを合わせた。
「どれも美味しかったです。ありがとうございました」
「…………ん? ああ、おう……」
カウンター越しにエリオへ告げて外へ出る。
玄道は熱狂から離れるように、宿屋兼食堂の裏手に回った。
表の通りよりは幾分狭い道が伸びており、人影はほとんど見られない。
食堂のものはもちろん、中央広場の賑やかな喧騒までもが穏やかな風に流れて耳に届く。
それを心地よく感じながら、玄道はゆったりと息を吐き出しながら、構えをとった。
異世界へ来ても、玄道は変わらずルーチーンをこなす。
風を切る音と衣擦れの音。
それに加えて小さな呼気が、さざめきから切り離された清閑な空気の中で溶けあっていく。
玄道は、いつも以上に自身の体が冴えていることに気が付いた。
体の隅々まで力が無駄なく浸透していく感覚に身をゆだね、大気を押し、切り裂いていった。
「すごい…………」
声に気が付いて玄道が後ろを振り返ると、食堂の裏口前でアリアが籠を抱えていた。
「あっ、すみません……」
玄道の集中を切らしてしまったかと、アリアは気を揉んだ。
「いえいえ」
アリアは空の酒瓶が入った籠を少し持ち上げるようにして見せると、ふぅ、と息を吐き出しながらそれを壁際に置いた。
それから空気を小さく吸い込んで、おずおずといった調子で口を開いた。
「ゲンドウさんって、やっぱり強いんですよね……? きっと…………」
どこか不安そうに尋ねるアリアの姿に玄道は微笑した。
「どうでしょうか? 強いかどうかは分かりません。でも、強くあるように励んではいます」
アリアは、玄道の泰然とした余裕ある態度に安心を覚えたのか、その表情からわざとらしく不安を消した。
「あの、さっきのやつ、凄くかっこよかったです! その、なんて言ったらいいのか、迫力があって、綺麗で…………」
アリアは恥ずかしそうに俯き、賞賛の言葉はしりすぼみになった。
「ありがとうございます」
「はい…………」
「…………もしよければ、何かお教えしましょうか? ちょっとした護身術でも」
「えっ、いいんですか!?」
玄道の申し出にアリアが顔を上げる。
「ええ。ここまでお世話になりっぱなしでしたから。貰いっぱなしでは気が引けてしまいますし」
「そ、それじゃあお願いします!」
アリアの返事を受けて、玄道は柔和な笑みを浮かべた。
「はい。では、手首を掴まれた時の対処法を。ちょっと失礼しますね」
アリアが頷くのを見て、玄道は彼女の左手首を掴んだ。
「ここから、私の手を振り切って逃げてください」
アリアは足を踏ん張り腕に力をみなぎらせて逃げようとするが、玄道が逆方向に踏ん張っているため、上手くいかない。
腕をぶんぶんと上下に揺すりながら激しく体を動かすも、玄道はにこにことするばかりで、その腕は
それなら、と勢い込んで玄道の指をはがそうとしたが、それもかなわない。
結局、アリアは玄道の腕を振りほどくことができなかった。
玄道が手首を開放すると、アリアは手を膝について荒く息を上げた。
「はあはあはあはあ…………。全然ダメでした。びくともしません…………」
「じゃあ、攻守交替しましょう。今度は、アリアさんが私の手首を掴んでみてください」
「は、はい……」
少々たじろぎながらも、玄道の左手首を掴む。
「もっと全力で握って大丈夫ですよ。逃げられないように、しっかりと踏ん張ってくださいね」
「はい!」
玄道の太い手首に回されたアリアの指はしっかりとした輪をつくることができていなかったが、それでも、圧迫部分が白くなるほどにきつく締められた。
「じゃあ、いきますね」
玄道は平時と変わらぬ声音で微笑んだまま左手首を捻った。すると、アリアの拘束はいとも簡単に緩まり、その間に玄道の腕はするりと抜けてしまった。
あっと驚く暇もない早業に、アリアはぽかんと不思議そうな顔をした。
「……すごいです…………」
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