第6話 片鱗


 一時宿屋を後にした玄道は、時計塔を目印に領主会館を目指して歩いていた。


 目に映る街並みは、先ほど部屋で確認していたとはいえ新鮮な驚きで溢れ、自然、玄道の歩みは遅くなる。


 馬車が行き交っていく異国情緒に事欠かない街の営みは、玄道の目を楽しませた。


 自動車やバイクといった現代的な乗り物は見かけられないが、通りの端には街灯が一定の間隔で並んでいるなどして、文明の水準はそれなりに高いことが見て取れる。


 公衆衛生の問題も特になく、そういった意味ではギャップが少なく、すぐに順応できそうであった。


 馬車が途切れたところで通りの反対に渡り、道を折れる。


 この辺りは店の集中するところであるのか、個人のものと思われる家はなく、建物はどれも大きく道幅も広い。


 建物の影に隠れたり現れたりしながらもだんだんと時計塔が大きく見えてきたとき、玄道の左前方に居並ぶ建物のひとつから、怒声が漏れ聞こえてきた。

 

 周囲にいる他の人々もそちらへ目をやっている。


 玄道は歩みを止めることなく何とはなしにその建物を見上げる。


 『冒険者ギルド』というところであるらしかった。


 玄道は、聞き覚えのない名称に興味を惹かれて遊び半分に想像を膨らませ、冒険者ギルドの正面を横切る。

 

 ――と、ちょうどその扉が開かれ、それと同時に、はっきりとした怒声が辺りに響いた。


 「なんなんだおめえは! なんだってんだよ!」


 口論、とは言えないだろう。


 完全に頭に血をのぼらせた男が、もう一人――次いで中から出てきた男――に向かって喚き散らしていた。


 「なんでダメなんだ! 実力は示しただろ!」


 顔を真っ赤に怒らせる男とは対照的に、もう一人の茶髪の男は薄ら笑いを浮かべている。


 呆れを含んだ諦観の笑いだ。


 怒りを露にする男が二百センチを超える大男であることと、それに対する男が細身であることを鑑みれば、妙な光景であった。


 大男の怒りが収まることは知らず、同じ言葉を並べたてる。

 対する男の態度がさらなる怒りを買っているのか、それはむしろ、どんどんヒートアップしていく。


 人々が様々な好奇の視線を向ける。 

  

 玄道も足を止め、ちらと振り返った。


 茶髪の男が、手間のかかる他人の子供へ対処するときに見られるような苦心の表情で口を開いた。


 「いやまあ、何度も言わせてはもらってるんすけど、あんたじゃその実力ってやつが不足してるってことなわけで……」


 「だからどこが足りないってんだ!」


 突然、大男が腕を振るった。

 丸太のごとき腕が伸びる先は男の顔面。


 男はわずかに眉を上げるも怯んだ様子はまるでなく、頭を軽く傾けながら、自身の体を横に逃がした。


 巨漢の腕が空を切る。


 腕が引き戻される前に男はそれを軽くつかみ、自身の身を抜きながら大男の足を引っ掛ける。


 なすすべもなく、大男は前のめりに倒された。


 「ああ、すみませんね~、お騒がせしちゃって」


 男は軽薄な笑いを残して、建物の中へ去っていった。


 「強そうだ」


 玄道は知らず、呟いていた。


 周囲に輪を成して集まっていた観客は、「さすが」「すごいな……」といった感嘆するようなものから、大男を嘲笑するようなものまで、好き勝手に口々言い合っていた。


 大男は痛ましげな呻き声を洩らしながら体を起こすと、周囲の野次馬を順に睨みつけた。


 「なに笑ってんだ!」


 「ひっ……」


 身をすくませた婦人たちが一歩あとずさり、


 「っ……」


 きゃいきゃい騒いでいた子供たちが押し黙る。


 そこで、大男が玄道を視界に捉えた。


 「おい! なに笑ってやがる」


 肩を怒らせてにじり寄る。


 「いえ、別に」


 玄道は確かに、挑戦的に笑んでいた。


 玄道自身意識していたことではないし、当然それは、大男に対するものではなかった。 


 が、大男にはそういったことを考慮する余裕が失われていた。


 大男は玄道の右腕を掴んで体を反転させ膝を曲げると、膝のばねを用いて勢いよく伸びあがった。

 

 いわゆる、背負い投げのような形だ。


 玄道も並の肉体はしていないが、それでも、大男と比べるとその体格は雲泥の差。


 並みはずれた膂力で易々と持ち上げられ、両足が完全に地から離れた。


 そんな中、玄道は少し感心していた。


 ただ腕を振るうだけではないんだな、と。


 しかし同時に、失望も感じていた。


 まるで型がなっておらず、結局、力任せであることに変わりはなかった。


 背に載せられたところで、玄道は自由になったままの左腕を大男の首に回し、全身を脱力した。


 「っ!?」


 突如増した重量に大男が膝を屈し、玄道の足が地に着く。


 大男は、首をなんとかしようと焦るがゆえに玄道の右腕を離してしまう。


 玄道はすかさず右手で首を絞める左腕を固定し、両サイドの頸動脈を圧迫。


 何とか逃れようと、足を藻掻かせ、首を絡めとる左腕をはがそうと躍起になるが、玄道はいわおのように微動だにしない。


 (これだけ体格差があればどうにでもできるだろうに……。宝の持ち腐れだ)


 大男への評価もほどほどに、玄道はどこまでであれば許されるのかを考えていた。


 正当防衛の範疇を探っていた。

 気絶させてしまったらどうだろうか、それで後遺症が残ってしまったらどうなるのだろうか。


 そこで、玄道は顔を上げて街並みを改めて眺めた。


 そうして、大男が気絶する寸前、拘束を解く。


 大男は再び顔を真っ赤にし、しかし今度は、空気を取り込むために必死に喘ぐ。


 玄道は立ち上がると、数を一段と増やした人の輪へ向かった。


 人々はおずおずと、黙って玄道に道をあける。


 玄道が去っていくと、人々は大男を放って各々散っていきながら、興奮の声や憂いの声をまた好き勝手にあげ始めた。

 

***


 さすがに、何でもかんでも許される世界ではないだろう。


 街の発展具合を鑑みて玄道が出した結論は、そのようなものだった。


 時計塔へ向かって歩きながら、玄道は茶髪の男を思い浮かべた。

 同時に、神の言っていたことを反芻する。


 玄道は弱者を甚振いたぶるのが好きなわけではない。ただ、本気でりあえる環境を望んでいる。


 神の言葉に偽りがないのであれば…………。


 玄道はこの世界に対し、期待を高めた。

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