第5話 宿屋③
「その領主会館というのはどこにあるんでしょう?」
玄道の問いにアリアが答えた。
「広場のとこですよ。あっ、時計塔の方がわかりやすいですかね」
青年はとりあえずもう気にしないことにしたのか――とはいっても、少々不貞腐れている様子は消せていなかったが――黙々と仕事に戻っている。
「時計塔ですか?」
「はい」と言って、アリアは玄道の隣で外の方を向き、中腰で何かを見上げるような姿勢をとった。
平静を取り戻しつつあった青年の、「そんなダメな男に、お、お、お、おっぱいを近づけるなよ!」という再燃してきた悶々とした心情が、彼の包丁さばきを乱雑にした。
玄道はそのような青年の気持ちは露知らず、アリアの視線を追う。
「ここは位置が悪いみたいですねえ」
アリアが視線を切ったとき、ガーンゴーンと、街のどこからか鐘の音が聞こえてきた。
「あっ、ちょうど八の鐘がなりましたね」
「八の鐘?」
「はい。朝の六時から夜の六時まで、二時間おきに鐘が鳴るんです。今のは、今日で二回目だから八の鐘。領主会館も開くころです。まあ、ここからだとちょっと見えませんけど、外に出ればすぐに分かると思いますよ。時計塔は街で一番高い建物なので」
「もしかして、屋根の尖った細長い建物ですか?」
「そうですそうです。赤を濃くしたような色合いの」
「ああなるほど。それなら、さっき部屋で見たのでわかります」
「そうだったんですね。なら安心です。領主会館は時計塔のすぐ近くにありますから。広場の中にある白い建物ですよ」
「それなら道に迷うことも無さそうです」
「はい。街に慣れてなくてもたどり着けます」
「このまま掲示板を見に行くのか?」
男が玄道に問いかける。
「はい、そうしようかなと。そう言えば、私は何泊分の料金を払っていましたっけ?」
「ちょっと待ってろ」
男は宿泊名簿を手に取り、ぺらぺらと紙をめくる。
「あんた、名前は何て言うんだったか?」
玄道は本名を言ってもいいものか逡巡していたが、その前に男が口を開いた。
「ああ、そうだそうだ。ゲンドウだ。珍しい名前だと思ってたんだ」
「へえ、ゲンドウさんっていうんですね。やっぱり、この国の名前とは違いますね。う~ん、響きは東方の言葉に似てる感じだと思うんですけど、どうですか?」
楽しそうに考察するアリアの言葉を、玄道は曖昧な微笑みで返す。
「ああいや、別に詮索しようってわけじゃないんですよ」
玄道の微妙な反応を見て、アリアは弁明するように手を振った。
「ええ分かってます。そうじゃなくて、ただ、他国に興味がおありなんだなと思って」
アリアは少し恥ずかしそうにはにかんで答えた。
「はい。私も旅をしていろんなとこを見て回れたらなあって。と言っても、別に何か目的があるわけでもないんですけどね」
「へえ、いいじゃないですか」
玄道が返す傍ら、青年はぎょっとしてアリアの方を向いた。
「まあでも、今のところは夢のまた夢って感じなんですけどね」
玄道は、「そんなことないんじゃないですか」と応じようとしたが、アリアは特別悲しむでもなく、それが当たり前のことであるかのように語ったので、口をつぐんだ。
青年はほっとしたように息を吐き出した。
男が宿泊名簿から顔を上げてにやりと笑う。
「今日までになってるな。延泊するなら今のうちだぜ? ギリギリ部屋が残ってる」
「一泊おいくらでしたかね……?」
玄道は、寂しい布袋の中身を勘定しながら伺った。
「小銀貨四枚。夕食もつけるなら小銀貨六枚だ。一応、こっちの方がお得だぜ?」
辛うじて、あと二泊分はあった。
「では、とりあえずもう一泊お願いします」
「おう! そうこなくちゃな」
男が機嫌よく答え、アリアも微笑む。
「ふふっ、今日は夕食もちょっと豪華になるんです。エリオのつくる料理もすごく美味しいんですよ」
アリアにエリオと呼ばれた青年は、虚をつかれて一瞬脳内が真っ白になったが、言葉の意味を理解するとともに鼻の穴をふくらませて堂々と発した。
「ああ! そんなの当たり前だ!」
その様子を見て、男と玄道が温かい視線を送り、エリオは妙な空気に体を縮ませる。
対して、アリアは呑気に言う。
「いつも以上に張り切ってるね。楽しみだな」
――カランカラン。
ドアが開き、鈴が新たな客の来店を告げた。
「では、とりあえず掲示板を見てくることにします。長々とすみませんでした。ありがとうございます」
「まっ、客だからな。今晩も楽しみしといてくれ」
「はい」
「ふふっ、何か見つかるといいですね」
アリアは言って、客の応対に戻っていった。
エリオにも会釈をし、玄道は宿屋のドアを押し開けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます