第4話 宿屋②


 問われても心当たりのない玄道は、ポケットの中を探った。


 すると何か手に引っ掛かるものがあり、「これでしたかね?」と、男に見せる。


 「ああそれだ」


 男は「よし」と頷いて、窯の外に並べられたパンをトングで一つ掴み上げて、小さな皿の上にのせる。


 「んじゃ、これな」


 「ありがとうございます」


 パンは焼き上がってからけっこう時間が経っているようで、既に冷めてしまっていた。


 玄道に馴染みのあるパンと比べると固くてパサついていたが、特にそれを気にすることもなく、パンをかじる。


 咀嚼しながら顔を後ろに向けて周囲の客の食べ方を見ると、それをまねて、ちぎったパンをスープに浸した。


 味が浸透してきた頃を見計らってスプーンですくい上げて口に入れると、これがかなり相性がいい。


 そうして早まるスプーンの速度を抑え、どうせなら、ここで聞けるだけ聞いてしまおうと、玄道は当面必要になる情報を頭の中でまとめ、食事のペースを落とした。


 店内を適当に眺めまわしてみると、服装もそうであるが、帯剣している人たちもおり、そういった端々で別世界であると実感できる。


 それからしばらく、なんとなく店が落ち着いてきたところで、玄道はアリアに声を掛けた。


 「すごく賑わってますね」


 「はい。でも、いつもこんなに忙しいわけじゃないですよ」

 

 アリアは、薄く汗を浮かべた顔にどこか充実した表情を浮かべて言った。


 「へえ。ということは、今日は何か特別な日なんですか?」


 「そういえば、さっきも硬貨に慣れていないようでしたし、もしかして旅人の方なんですか?」


 玄道の質問をアリアは質問で返した。


 「ええ、まあそんなところです」

 

 「へえ! すごいですね! ここへ来る前はどこにいたんですか?」


 アリアは他国に興味でもあるのか目を輝かせて尋ねてくるが、場当たり的にしゃべってぼろを出すのはまずい気がして、玄道は「それは秘密にしてるんです」とほほ笑み、その質問をかわした。


 「ええ~、そうなんですねえ」とちょっとしょぼくれた様子を見せながら、アリアは玄道の気になることに応えてくれる。

   

 「今日は建国記念日なんです。だからちょっとしたお祭り騒ぎなんですよ」


 「なるほど。だから賑わってるんですね」


 「はい。でも、面白いですね」


 言葉の意図するところが分からずに玄道は首を傾げる。


 「ああいえ、硬貨のことは知らないのに言葉はびっくりするぐらい上手なので」


 アリアがにっこりしながら理由を付け加えた。


 「あはは、……ちょっと努力の配分を間違えてしまったかもしれません」


 玄道は苦笑いを洩らす。


 「でもすごいです! もしかしたら私よりも上手いかも」


 「さすがにそれはありませんよ」


 笑いながら謙遜してみせ、玄道は続けた。


 「では、もしよければ硬貨について教えていただけませんか? あまり勉強せずにここまで来てしまったので」


 「ええ、いいですよ」

 

 アリアはニコッと笑って快諾してくれた。


 「さっきお客さんが支払ったのが小銀貨で、それより二回りくらい大きいのが大銀貨、それより上に金貨があります。とはいえ、普通の生活で金貨を使うようなことはほとんどないです。少なくとも、私は使ったことがありません。そのさらに上に白金貨っていうのがあるみたいなんですけど、これに関しては見たことすらないですね。大商人とか貴族の方しか使う機会はないと思います」


 玄道は頷きながら、


 「では、これはどうなるんですか?」


 布袋から銅貨を取り出して見せた。


 「ああ、銅貨も滅多に使いませんね。他の街のことはよく分かりませんけど、ここでは」


 最後に、「ね?」と親しげな口調で付け加え、アリアは店長と思しき男の隣で同じく包丁を振るう青年に顔を向けた。


 「ああ」


 青年は作業を続けながらぶっきらぼうな調子で同意を示す。

 自分の情報は間違っていないんだと自信をもった少女は、再び玄道に向き直る。


 青年は少女の隙をうかがうようにして、キッと玄道を恨めしそうに睨んだ。

 

 「たしか銅貨は小銀貨の十分の一くらいの価値があるんですけど、細かすぎて使いづらいんです。けっこう重たいですし。だから、何を買うにしても基本的に小銀貨が最低単位になってるんです」


 「それじゃあ、あまり役に立たないんですね」


 「う~ん、そうですねえ。個人間で使われることはあるかもしれないですけど、やっぱり、それ以外ではあんまり使うことはないと思います」


 「なるほど……。どうも丁寧にありがとうございます」


 玄道は小さくお辞儀をした。


 「いえいえ! そんな! あっ、そうだ! 今日は広場に屋台なんかが出てるんです。食べ歩きとかすると楽しいですよ」


 玄道の行動を見て、アリアは慌てたように適当な話題を探した。

 

 玄道は知る由もなかったが、ルクスバルク王国において、お辞儀は目下の者が目上の者に使うというのが当たり前であり、その逆や、対等な者同士の関係で使われるようなものではなかった。


 アリアはそのような行動をとられ慣れていなかったため、戸惑ったのだ。


 「食べ歩きですか……」


 「はい! けっこういろんな屋台が並んでるはずですよ」


 「それは楽しそうです。けど、少々心許なくて…………」

 

 言いながら、玄道は弱った顔をして布袋の中を見せる。


 「どこかで落としてきてしまったようで、あまり余裕が無いんです」


 「あ、そうなんですね……。その、すみませんでした」


 アリアは、先ほどパンとスープをやや強引に勧めてしまったことを後悔した。


 「ああいやいや、そういうつもりで言ったわけじゃないので気にしないでください」

 

 若干演技じみた玄道の振る舞いに、それを傍で見る青年の包丁の握りが強くなる。


 そんな青年の視線を捉えながらも、「あ、でも」と玄道が続ける。


 「一つよろしいですか?」


 「はい?」


 アリアがなんだろうと首をかしげる。


 「どこか、この辺りで働ける場所を知りませんか?」


 布袋の中を見る限り、彼の全財産は数日と持たずになくなってしまいそうであった。

 

 さすがの玄道も、飲まず食わずでは生きていけない。


 アリアは、三回りは年上の玄道の質問に眉をしかめるでもなく、目を天井のほうにやって、う~んと記憶をたぐる。


 それからたっぷり五秒。

 アリアはポンと手を打った。


 「なら、こことかどうでしょう?」


 「…………ここって、このお店ですか?」


 この店を紹介してもらえるとは思ってもいない玄道は、少し間の抜けた声を出して確認を取る。


 しかし、


 「そんなの無理に決まってるだろう!」


 一瞬のフリーズから立ち直った青年が、そんなの信じられないとばかりに口を開いた。


 「え、どうして?」


 ぽかんとするアリアへ、「いい年して仕事してない上に金も持ってないなんてダメな奴に決まってんだろ!」と、青年は言いかけたが、彼女がそのようなことを嫌うと何となく知っていたため、辛うじて耐えた。


 「……いや、そりゃまあ…………」


 そして出てくるのは、もごもごとしたもどかしい声ばかり。


 男はそんな二人をまるで自身の子供に対するように温かく見たのち、「お前が答えてどうすんだ」と、青年にツッコミを入れる。


 「いや、でも……」とまたしてももごもごとする青年の声を男が遮った。


 「ただまあ、雇えないってのも確かだな。もう次に雇い入れる奴は決めちまったんだ」


 青年はそれを聞き、あからさまにほっと胸を撫で下ろした。


 「とりあえず、領主会館に行ってみるのがいいんじゃないか?」


 男は玄道にそう提案する。


 「でも、トラブルが多いって聞きますよ」


 アリアが気がかりなことを口にする。


 「全部が全部ってわけじゃねえだろ。悪い噂ってのは誇張されでどんどん広がってくもんだからな」


 「その、領主会館っていうのは」


 「ああ。そこに依頼掲示版ってのがあってな。自由に依頼を出したり受けたりすることができるんだよ」


 「へえ、そうったところがあるんですね」


 「領主会館は場所を提供してるだけで、仲介してくれるわけじゃねえ。だから、トラブルがあるってのも確かだ。でも、ちょうど祭りもあるし、臨時でよければ何かしらは見つかるんじゃないか」


 玄道に予定ができた。

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