第2話 プロローグ②


 玄道は自身の意識を知覚した。

 腹ばいに倒れていることを認識する。


 (…………どういうことだ?)


 意識は明瞭であるが、それ故におかしなことがある。


 (どうして痛みがないんだ? そもそも、自分はまだ生きているのか?)


 銃弾を受けたことを覚えている。熱く焼けるような衝撃を克明に思い出せる。


 だからこそ、玄道は多少困惑した。


 が、生きているならそれに越したことはないと、とりあえず現状をすぐに受け入れ、身体の調子を確かめるようにゆっくりと立ち上がった。


 服は先ほど来ていたものと同じで、生々しい血の跡が広がっているが、どこにも支障は感じられない。


 玄道がいるのは、誰かの部屋のようだった。

 縦横二十メートル、高さ十メートルはありそうなほど広く、全面が極彩色に覆われている。


 非常に奇抜な配置でソファ、テーブル、ベッドなどが置かれていて、そういった家具類全てが、壁面と同様にけばけばしく彩られていた。


 玄道が「誰かの部屋」と直観的に感じたのは、どことなく生活感の窺える雰囲気があったからだろう。


 確かに、個人の趣味嗜好が強く反映されていると思われるこの部屋は、特殊な空間でありながら、どこかの施設というよりも、誰かの部屋と判じるほうが自然かもしれない。


 中央あたりに立つ玄道は、ぐるりと部屋全体を見回したのち、ちかちかする目を数度またたかせた。


 そして、包丁をすっと差し入れたかのように、十メートル先の壁面の下部分に滑らかな切込みが縦に入るのを目撃した。


 玄道は驚くと同時、何かあっても遅れをとることがないよう、普段通りに軽く身構える。


 縦の切込みに繋ぐように、横に線が入る。それに次いで、また縦。


 ちょうど人が通れるような切込みが三つ入ると、その部分の壁が消失し、向こう側から、一人の人物が姿を現した。


 「お、気がついたみたいだね」


 変声期を迎える前のような声は、男っぽい女声を思わせた。


 青年、とまではいかないだろう。手足はすらりと伸びているが、まだ少年の域を出ていないはずだ。


 しかし、そこにたたえる微笑は妙に大人びて見える。


 どこかちぐはぐとしているが、それを大いなる魅力に変じさせることができてしまえるような、不可思議な少年であった。


 少年は玄道の方へ歩き出す。

 一歩一歩が踏み出されるたびに、艶やかな銀髪がさらさらと揺れる。


 その足取りは雲の上を歩くように軽く、ひどく泰然としている。


 玄道は、少年が距離を詰めるごとに自身の身体が強張っていくのを感じ、そのことを好意的な驚愕でもって歓迎した。


 誰かと相対し、ここまで緊張を強いられるという体験は久しい。

 

 この少年は何者なのだろうかと、玄道が興味を持ったとき――


 

 ――怖気が全身を駆け巡った。



 「僕は、神だよ」


 玄道の耳元で、目の前を歩いていたはずの少年が呟いた。


 「ま、君が言うところの、ってことだけど」


 少年のあやしげな声を耳に入れながら、玄道は理解する。


 ああ、確かにこれは、人知を超えた存在なのだろうな、と。 


 「ありゃ? あんまり驚いてくれないんだね。人間にこれをやるといつも腰を抜かしてびっくりしてくれるのに」


 拍子抜けし、神は残念がって見せた。

 そのまま値踏みするような視線で玄道を観察する。


 「変に感情が振り切れちゃってるわけじゃあないみたいだね。人間にしては、肝が据わってるじゃん」


 「……ありがとうございます」


 さすがの玄道も神と対話した経験はなく、いささか返答に困った。


 「ああうん。このままじゃあ話しづらいかな? 君はこういう感じのデザインはあまり好きじゃないみたいだしね」


 神は部屋を見渡しながらそう言って、パチンと、指をはじいた。


 「…………これは、……すごい」


 極彩色の大部屋が、瞬時に二十畳ほどの白を基調とした簡素な部屋に変化し、玄道もこれには思わず呆然とした。


 徐々に部屋が小さくなっていくというような過程は一切なく、下手なパラパラ漫画のように、一瞬にして部屋が変容を遂げた。

 

 あらゆる事象における過程を無視して結果だけを上塗りしたような事実は、神の所業に他ならない。


 「ふふっ、今度のはお気に召したかな?」


 玄道の様子を見て、神は子供っぽく満足げにした。


 「さ、座って」


 「はい。ありがとうございます」


 神と玄道は椅子をひき、テーブルについた。


 「うん、いいよいいよ」

 

 神は満足げな笑みをさらに深めて続ける。


 「んじゃ、早速疑問に答えていこうか。あんまり時間をかけるわけにもいかないし、手短にね。まず、君がなんでまだ生きてるのかってとこから」


 どうやら、神には玄道の心に渦巻いている疑問が読めているらしい。


 「君はもう正しく受け止められているようだけど、確かに君は、既に死んだ。というよりも、現在進行形で死んでいるんだ」


 「…………それではこれは、どういうことなのでしょう?」


 玄道は、問題がないことを確かめるように、馴染みある自身の片腕を少し持ち上げた。


 「うん。今の君は、いわば猶予期間にいるんだ。詳しく説明すると大変なんだけど、肉体は死んだけど魂はまだ生きている状態、と言えばなんとなく分かるかな?」


 神は玄道の反応を見る。


 「まあ、ちゃんと理解できないのも無理はないよ。そもそも、神である僕以外が理解したところで、何の役にも立たないしね。ま、話を先に進めちゃうと、そういった魂というものを拾い上げて、そこへ元の身体を疑似的に肉付けしたのが、今の君の状態ってわけ」


 「なるほど……」


 「うん、理解が早くて助かるよ」


 「でも、どうしてそのような状態で私がここにいるのでしょう?」


 「そう。そこが本題なんだけどね」


 神はもったいぶって間を置いた。


 「君に、選択の余地を与えてあげようと思うんだ」


 「選択の余地、ですか?」


 「うん。地球に戻すってなると面倒なことになるから、それはできないんだけど、別の世界に送ってあげることならできる。そこで、まだ生きたい! みたいな願望があるなら、その望みを叶えてあげようってわけ」


 「……では、また生き返ることができる、と。そういうことですか?」


 「そ。こんな待遇めったにないんだから、もっと喜んでくれてもいいんだよ?」


 「他の人はまた違うのですか?」


 「違うというかなんというか、ここに呼ばれるってのはかなり運がいいことなんだ。まあ、実際ひっきりなしに誰かを呼んでいるわけだけど、それでも、全世界でそのまま死んでいく数を思えば超ラッキーってやつだよ」


 「それじゃあ誰もがここに来れるわけではないんですね」


 「そりゃそうさ! 宇宙を増やしすぎちゃったからね、僕でもさすがにそんな手が回らないさ。無数にある世界を管理するっていうのはけっこう重労働なんだ。ともかく君は、選ばれし人間ってわけ」


 「……では、なぜ私が?」


 「君を選んだ理由かい? そんなの、何となく、としか答えようがないなあ」


 「何となく、ですか?」


 「君たちにはそんな意識ないだろうけど、極論を言ってしまうと、僕からすれば君たちは単なる物だ。そもそも、僕が作り出したものだからね。だから気まぐれに玩具を拾い上げたってだけの話。ま、そんなわけだから、特に理由なんてないんだ。君も気負わず、好きなようにしてくれればいいよ」


 「……なるほど」


 「さ、そろそろ決めてこうか。新たな家族の元、新しい姿でゼロから人生をやり直すか、今のままの姿で異世界へ行くか。君はどちらがいい?」


 「では、このままの姿でお願いします」


 後悔はいくらでもあったが、常時「今」を最上とする玄道は、迷うことなく後者を選んだ。


 「よし。それじゃあ、次はどんな世界に行くかだけど、君はさ、暴力の容認される殺伐とした世界を望んでるんだろう? なら、ちょうど良さそうなとこがあるから、そこに送ってあげるよ」


 「はい、ありがとうございます」


 玄道は暴力を好んでいるわけではないのだが、そこは些細なニュアンスの問題だろうと、適当に流した。


 「あまり口出しするとつまらなくなっちゃうと思うから、最低限の情報だけ渡しておこう。その世界には、地球に存在しない魔術という技術体系と、魔物という生物がいる。そして、人間と魔族という種族が争っている。どう? 面白そうでしょ」


 「ええ。面白そうです」


 未知の世界へ思いをはせて、玄道は首肯した。


 「服は一般的なものを。それと、最低限のお金を最初にあげるよ。君ならこれで何とかするでしょ」


 ひとまず決めることは全て決めたと、神は気持ちよさそうに大きく伸びをする。


 「ん~っと。何か、他に訊いておきたいことはあるかい?」


 「……それでは、送られる場所はどんなところになるのでしょうか?」

 

 「ああ、それは大丈夫。こっちで安全な場所に送るよ。あまり心配しなくても、君が思うように普通に楽しんでくれればいいよ」


 「はい」


 「うん」と神は頷いて、


 「それじゃ、人生の第二ステージも楽しんできてよ」


 パンと、今度は頭の上で手のひらを打ち鳴らすと、部屋が消失し、果てのない真っ白な空間が現れた。


 「っ!?」


 事も無げに宙に浮かぶ神を見ながら、玄道は落下し、時空を超えた。



*** 



 「楽しみがひとつ増えたかな」


 次に拾い上げた者が目覚めるのを待つ間、神は先の人間のことを思い浮かべ、これでまた少しの間暇が潰せるかもと、頬を緩めた。


 「でも、ちょっと気に食わないな」


 神の声が、硬質なものに変わる。


 「最後まで僕を、獲物と思ってやがった」


 人間に限らず、あらゆる生命体をもってしても決して及ぶことのない超越存在。

 

 それが、神の神たる所以である。


 故に、神にとって人間の殺気など取るに足らない。


 それは、玄道のものであっても例外ではなかった。


 人間における強者と弱者の違いなど、神にとっては、蟻に羽があるかないか、そんな程度のものに過ぎない。


 けれど、神は呟いた。


 

 「傲慢な奴だ」

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