◆24・雲が散り、滴る雨は

 リアレには分からなかった。

 自分は王族として、どうしたら良いのか。

 この国難の時に、何を為すのが最善なのかが、いくら考えても分からない。


 あの兵器を止めなければいけないが、果たしてそんな事ができるのか?

 ありえない質量、膨大な魂のエネルギー、そんなモノに立ち向かって、どうやって止めたら良いのか、まるで見当もつかない。


 あの報われない魂たちが贖罪を求めていたとして、記録映像で見た過去の罪が本当ならば、それで穏便な解決に向かうのならば、何かしらの贖罪をするべきだろう。

 でも、どうやって?

 もう遥か昔に、無残にも蹂躙され尽くした彼らは、肉体すら滅びて、国すら滅ぼされて、一体いまさら、何が償いになると言うのか?


(何をすれば、許されると言うの?)


 その脳裏をよぎるのは、父の存在。

 あの偉大で優しかった、今は亡き、前国王だ。

 病死、とされている。


(お父様……私は、どうしたらいい?)


 でも本当はきっと、毒殺だったのだろうと、リアレは思う。

 父が死ねば、残る王族は一七歳のリアレだけ。

 王宮に巣食う魔物じみた貴族たちからすれば、単なる小娘だ。

 これほど御しやすそうな存在もあるまい。


(もう、嫌だ……私には何の力も無い。何の知恵も無い。でも、決めなきゃいけない。人の生死に関わる命令を、出し続けなければならない……私には、そんな器なんて、ありはしないのに!)


 残された唯一の王族で、だから逃げ出す訳には行かなくて、でも、自分には荷が重過ぎて。

 努力をしてこなかった訳じゃない。

 むしろ周囲の期待に応えようと、人一倍努力してきた。

 勉学も、武術も、教養も、同年代の中ではトップクラスである。

 けれど一国を担うには、未だ遥かに足りないのだ。


 いま直面している大きな問題に対してどうすれば良いのかなんて、経験した事も無ければ、想定して事も無い。

 しかし自分の役割は、そういった大きな問題に関して、決断する事で。

 本当は自分が決めなきゃいけないのに、リアレは今、何も決められずに迷っていた。


「俺は戦うさ、あのデカブツと。たとえ一人でもな」


 だから、ゼノアが発した迷いのない一言が、深く胸に突き刺さる。


「――そろそろ時間だな。もうすぐこの螺旋上昇は終わる。戦線離脱組とはそこで、お別れだ」


 天井が近づきつつあるのか、上方が少しずつ明るさを増してきた。

 急な大雨は止んだらしいが、まだ雲は残っていて。

 遮られた陽光は、灰色に霞む。


「待って……勝算は、あるの?」


 神妙な面持ちで問うたのは、それまで黙っていたリアレ。


「そりゃ少しはあるぜ? 何も〇%に賭けるワケじゃない」

「少し? その程度しかないのに、命を危険に晒すつもり?」

「ああ」

「無理よ! いくら導士でも、いくら個人としての力が強くても、あれだけの兵器相手にどう戦うと言うの!?」


 リアレは、見過ごせなかったのだ。


「命を粗末にしないで! 人の身には限りがある! これは、貴方一人でどうにか出来る問題じゃない!」


 無駄死になんて、させない。

 そういうリアレの強い意志が感じ取れたからだろうか。

 ゼノアは、笑顔で応じる。


「ありがとな。でもさ、俺は、出来るかどうかなんて、気にしちゃいない」

「何をッ――!?」


 ゼノアの顔を見て、リアレは二の句が継げなくなった。

 正確には、その笑みではなく――真っ直ぐに見つめ返してくる、強い光を宿した瞳を見たから。


「出来るかどうかじゃない、やるか否かだ。出来ない理由を幾つも探してる暇があんなら、どうすりゃ出来るのか――それをたった一つ、見つけりゃいいのさ」


 自信に満ちた……けれどそれでいて、慈愛にも満ちた、柔らかで、どこか皮肉げな、複雑な微笑。

 そんな表情を見せられるものだから、リアレは、その内心を知りたくなった。


「何故、そこまでして……?」

「理由か? ははは……そこは、俺にも良く分からなかったんだけどよ」


 命を賭ける理由。

 賭けるに値する理由が、そこにはあるのか?

 記憶を無くし、縁もゆかりも有るのかどうかすら分からないこの地のために、命を賭ける理由が分からない。


「多分、恩返しがしたいんだ」

「恩、返し?」

「ああ。この近くに住む奴らに、一宿一飯の恩があるからな。……そういやリアレからも昨日、飯をもらったな?」

「……それ、だけ?」


 衝撃を受けたように、リアレは目を丸くした。

 予想していたものより遥かに簡単な理由が返ってきて、思考が追いつかない。


「一宿一飯の恩を受けたってことは、一日分の命を貰ったのと同じだろ? その恩人を助けられないってんなら、俺は今日、死んでも仕方ねぇよ」


 今度は軽い冗談を言うような、太陽みたいに眩しい、朗らかな笑みでそう言い切る。


「――それに、出来る事ならあの利用されてる奴らも、解放してやりたい」


 今度は鎮痛な、悲哀の眼差しを、遠く結晶体の方へ向けていて。

 リアレは、今度こそ本当に、二の句が継げなくなった。


「んじゃ、そう言う事で。……世話になったな」


 ゼノアはロイネに目配せして、手を離す。

 最後に肩をポン、と叩いて、騎士隊の方へ歩み寄る。


「お、おぉ? なんだ?」


 座り込むオルヴォに、ゼノアは手を差し出した。

 深く考える事なく、それを思わず取ったオルヴォ。


「ん――!?」

「餞別だ。無事に逃げ延びろよ」


 その手を通して渡されたのは、ゼノアの強大な法力で。

 思わず、驚愕に声が上ずってしまう。


「アンタも」

「……これから大物と戦うのに、大丈夫なのか?」


 イストは差し出された手を前に、そんな心配をする。


「ははッ! 大丈夫。空気を吸えば回復するから」


 余裕を見せるゼノアに、イストも笑顔で、手を握った。


「それは……羨ましい限りだ。――おぉ! これは、凄まじいな」

「本当は、誰にでも出来る事なんだぜ? ――さ、次だ」

「は、はい! その……ありがとう、ございます――ひゃッ!?」


 ゼノアの手を恐る恐る両手で握ったエリナは、その流入量に、やはり度肝を抜かれたらしい。


「よし、次」

「……感謝する」


 素直に手を握ったトゥーレは、強大な法力の流入にもあまり表情を変えなかったが、兜の下から覗く頬がピクリと動いた。


「次はっと……アンタか」

「あぁ、頼めるかな?」

「アンタはあんまり必要なさそうだけどなぁ」


 冗談めかして笑い混じりに、ラーシュにも力を渡す。


「いやいや、そんな事は無い。とても助かるよ」

「そうか? その予知能力がありゃあ、大抵の事は切り抜けられそうだがな」

「……ん? 何のことかね?」


 珍しく、ほぼ表情が動かないラーシュの眉が、片方持ち上がった。


「お? 図星か」


 度重なるラーシュの不可思議な言動について、ゼノアは未来を予知する能力があるのではと、当たりをつけてカマをかけた訳だが。


「ハッハッハ、どうだろうね? 私はただ、与えられた情報を元に、作戦を立てるだけさ」

「ふーん? まぁいいや」


 またいつもの微笑に戻ってしまったラーシュを置いて、次はツキナへと手を伸ばす。

 ツキナはすぐには手を取らず、代わりに言葉を発して。


「……その」

「お?」

「先日は、すまなかった」

「ああ、気にすんな。お互い様だ。こっちこそ、悪かったな」

「……うむ」


 毅然とした態度を貫いてきたツキナだが、何故か今は、もじもじとしていて、中々手を握ろうとしない。


「……仲直りの握手って事で、ここは一つ」

「ん……良かろう――くっ!?」

「にひひ」

「貴様……!」


 法力の流入で驚いたツキナを見て、悪い笑みを浮かべたゼノアは、ディアナの方へ逃げる。


「さ、次はアンタだ」

「ディアナ、よ。人の名前くらい覚えなさいな」

「すまん、記憶力は悪い方でな。なんせ、昨日の昼以前の記憶がまるで無いんだ」

「……ぷっ、それはもう、どうしようもないわね」

「まぁ、今後は覚えられるように努めるさ」

「ええ、そうして頂戴――きゃっ……もうっ!」


 尊大な態度で手を握り返してくるディアナに、殊更大きな力を込めたゼノアは、またしてやったりの顔をしていて。


「おぉ、悪い悪い。力加減間違った」

「……絶対わざとよね?」


 追及をかわすべく、リアレの方へ。


「んじゃ、最後」

「私は……」


 自らの両手を胸の前で握りしめ、遠慮を示すリアレ。


「もらえるモンはもらっとけ。アンタの逃げ足が速くなりゃ、護衛が危険に晒される時間も短くなる」

「それは……そうね、分かったわ」


 おずおずと動き出す小さな白い手を、ゼノアのゴツく大きな手が捕まえた。


「ぅ――!」


 リアレも他の者たちと同様、自身の内で駆け回る未知の感覚に、戸惑いを隠せない。


<……何を迷ってるか知らねぇが>


 だから、突如脳内に響いてきた思念通話に対する戸惑いは、それで誤魔化された。


<別にアンタ一人で抱え込む必要、無いだろ? もっと人を頼れ。一人で無理なら、誰かに助けてもらえ>

<……でも、これは私がやらなくちゃいけない事で……私が決めなきゃいけない、私の問題だから>

<良いだろ、別に。誰かの問題を誰かが助けたって。困った時はお互い様。誰かに助けられて恩を感じたなら、今度は自分がいつか、自分の出来る事で、誰かを助けてやりゃあ良いのさ>


 またゼノアの視線は、結晶体の方へ飛ぶ。


<――って、これはあのオッサンからの受け売りだがな>


 それは霊峰の街で会った、気さくな商人からの――大切な贈り物で。


<いつか私の、出来る事で……。今は、頼っても……良いのかしら?>

<勿論。言うだけならタダだしな>


 リアレは目を閉じ、深呼吸をして、握ったままの手を両手で引き寄せる。

 再度開いた瞳からは曇りが消えていて、ゼノアの真っ直ぐな視線と、正面からぶつかった。


「ゼノア様、どうか……どうか、助けて下さい。私たちソレイユの民を、国を、哀れな魂を……!」

「あぁ、任せろ!」


 快活な返答と、握り返してくる手の力強さ。

 思わずリアレは、目を見開いたまま、涙を流す。


「よーし、全員に渡し終えたな!」

「ちょっっっとおおお! 僕は!? 『んじゃ、最後』の時点でツッコミたかったけど僕には!?」


 フィーがついに我慢できず噴火。


「は? そんだけデカイ法力ありゃ十分だろ?」

「いやちょ、そんな事は無いよ! やっぱ不安だよ! だってあんな大きなバケモノ相手にするのにさぁ! 簡単に強化できるならお願いしたいでしょ!?」

「ハハハハハ! 流石、フィーも立ち向かうつもりだったか! ――良いぜ、宜しくな」

「もう……なんか僕が一人駄々こねてるみたいで、恥ずかしくなってきたじゃないか」


 頬を赤らめて口をすぼめながら、フィーはゼノアと握手をした。

 そんな一連の小さな騒動でも、一同の目をリアレの涙から逸らす効果は、十分で。


「――ぉぉお!! 凄いねコレ! 面白い!」


 コロコロと変わるフィーの表情。

 今や新しい玩具を得た子供みたいに、輝いていた。


「準備は整ったようだね。そして今後の方針も……固まったようだ」


 ラーシュは一同を見渡し、最後に涙を拭い終えたリアレに目を止め、言葉を続ける。


「殿下、我々はこれから、まず安全圏に離脱し、指揮本部を設置。動ける部隊をかき集め、脅威の排除に努めます。殿下は、どうなさいますか? 離脱に必要な別働隊も用意できますが」

「……私も、同席させて。そして出来るなら、私の護衛たちも、戦力として使ってほしい」

「リアレ!?」


 その言葉に、目を剥いたのはディアナ。


「貴女は、この国に残された唯一の王族なのよ!? これ以上その身を危険に晒す訳には――ッ!?」

「いいえ、危険なのは、実際に戦うあなた達の方じゃない。私には、戦う力が無いから、だからお願い……ディアナ、ツキナ、どうか……あなた達の力を貸して!」

「なっ……」


 いつになく真剣な表情で迫るリアレに、ディアナはたじろぐばかり。


御意みこころのままに」


 だがツキナは、すぐに応じた。


「ディアナ殿、本当はビビっているのでしょう? あの巨大兵器に」

「ツキナまで……あぁ、もう! 分かったわよ!」

「ありがとう、二人とも……!」


 リアレがディアナとツキナの手を取り、礼を言った直後……上方から、重く分厚い衝撃音が響きだす。


「ついに天井突破か」


 ゼノアが【天征眼】で視たのは、今やほぼ組み上がりつつある負の遺産――魂魄エネルギーを動力とした魔導工学兵器たる、ストーンゴーレムである。

 全高およそ一〇〇m級の巨体が丸まった姿勢から立ち上がりながら、天井をまばらに覆う岩塊を破砕していく。


 外観は人形が基礎ではあるが、複数の手足を生やしたおり、異形を形成している。

 その全身に人柱を抱え込み、あらゆる部位があり余る法力光で明滅していて、もはや先程の死神モドキですら霞むほどの威圧感だ。

 核となる結晶体は、最も層が厚い中央――人で言うところの胸部に格納されている。


「合図をしたら、全員俺について来い。安全なルートを先導する」

「分かった。頼むよ」


 ゼノアの言葉にラーシュが返答し、全員が頷く。

 そして間もなく、その時がきた。


「――行くぞッ!!」



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