◆23・昇る螺旋

 空間を制すは、耳を劈く轟音。

 せり上がる石床が内壁と擦れ合う際に出す、特大質量による摩擦音だ。

 他のあらゆる物音を押し潰し、その場に居る者にとっては、自身の頭蓋骨をノコギリか何かで削られるような不快感と苦痛を引き起こすだけの忌まわしき存在である。


 先程リニが術式を起動してすぐ、円形の祭祀場の床すべてが上昇しながらの回転をし始めた。

 その上昇速度は今も、緩やかに加速され続けている。

 不規則な振動が、床上に残された者たちを襲う。


<クソッ! バランス取るのがやっとだ! どうなってんだよ!?>


 床に突き立てた斧槍を支えにしながら、オルヴォが問いを投げた。

 オルヴォに限らず、現状を理解できない者が大半のようなので、ゼノアが説明する。


<いま床が、回転しながら上昇してる! 上と横に気をつけろ! 橋とか柱に潰されんなよ!>

<はぁ!? な、なんだってそんな事に!?>

<落ち着きたまえ。……ロイネ、詠唱を中断せず、継続しなさい>

<は、はい!>


 冷静ながらも強く、ラーシュの思念が割って入った。

 必要な指示を、矢継ぎ早に出していく。


<現状は防衛戦だ。各自、陣形を整え、障害の排除に努めよ>

<はっ!>

<分かったわ>

<了解>


 イスト、ディアナ、ツキナは反応が早かった。

 場馴れしているのか、元々備わっていた冷静さのお蔭か。

 他の面々も徐々に体勢を立て直していく。


<六時方向、来るわよ!>


 ロイネからの警告。

 空間の中心、結晶体がある方向を〇時とした場合の方向指示である。

 先頭にゼノアとラーシュ、少し距離が空いてリアレを中心とした円陣を組んでいる訳だが、守護方陣の長い詠唱をするためにロイネは方陣の内側へと匿われ、リアレと背中合わせになり後方監視の体制を取っている最中に、それが現れた。


 円陣より後方にあるもの――それは壁である。

 数百m先に存在する、円筒形状の巨大空間を囲む壁が、魚の鱗でも剥ぐように分離しながら此方に向かって来ていた。


<壁っ!? あんなもんどうしろって――>


 オルヴォが驚愕に呻くのも無理はない。

 細かく分離したとは言え、一つあたり一〇m四方の岩塊なのだ。

 それが迫ってきたとして、非力な人の身でどうしろと言うのか?


<こうするのよ!>


 ディアナの口が何かの言霊を紡ぐ。

 その音は鳴り響く轟音に掻き消されたが、結果はしっかりと、法術としてもたらされた。

 大杖から、視認できる程の魔力流が迸る。

 それは道すがら空気分子を凍てつかせながら、岩塊を上回る大きさに広がり、円陣に向かってきている対象を呑み込む。


<後はお任せを>


 ツキナが動いた。

 直後、紫電一閃。

 リアレの横から飛び上がったかと思えば、すぐに同じ場所へと戻って来ている。

 ありえない速度だが、しっかりと仕事は果たして来たらしい。


<……マジかよ!?>


 オルヴォの呟きが本人も意図せず思念伝達されたが、それを他の騎士たちは誰も気にならないほど、衝撃的な光景であった。

――巨大な岩塊が、刀で粉々に吹き飛ばされてしまうなんて事は。


<なるほど。分子を静止させて、吹き飛ばしたワケか。……使わせてもらうぜ>


 それを見て、不敵な笑みで喜んでいるのは、ゼノアだ。

 早速、上方に迫る橋一本に対して数十mを一気に跳躍し、左手に握る【白刃蒼輝はくじんそうき】を一閃。


 蒼き宝石が法力を注ぎ込まれ、その力を放つ。

 刀線上にあった石橋の一部が、一瞬で凍結。

 その後間髪を入れず白刃の力――陽の司る伸長、拡散、斥力が発揮され、その分子構造を崩壊させる事に成功。

 石橋は氷の礫と化して、空気に溶けていった。


<……すごい>


 今度は呆然としたエリナの呟きが、思念通話回路に乗ってしまう。


<四時上方、瓦礫が来るぞ!>

<は、はいぃ!>


 イストの指示で我に返ったエリナは、飛んできた細かい破片を砕き落とす。


<こっちは僕が! 【積層雷刃ミュケット・オスカ!】>


 危なげなく岩塊や瓦礫を処理していくが、時折その中身が見えてしまい、それぞれの心を乱していく。

 壁にも、柱にも、橋にも、そしてこの床にも……人が、隙間なく埋められているのだ。


 そんな彼らの動揺を嘲笑うかのように、直径三mはある太い柱が、グネグネと蠢きながら迫り来る。

 まるで節足動物の手足のように節々で折れ曲がり、捻じり伸びて、変形を繰り返す。

 引き離された本体に還ろうとするかのように、中央部へと接近してきて。


 それを許さぬディアナの氷結魔法が唸り、連携してツキナの紫電を帯びた刀が連続で翻る。

 その裏から、更に壁から剥がれた巨大な岩塊が。

 ディアナの魔法は、打ち終えたばかりでストックが無い。


<任せろッ!>


 円陣の中を、凄まじい風が駆け抜けた。

 ツキナですら驚愕に目を見開く速さで風となったゼノアは、三〇m四方はあろうかという岩塊にその勢いのまま飛びかかり、白光一閃。

 巨大な岩塊を、一振りで氷結爆砕させてしまう。


 そのまま止まる事なく駆け回り、壁や柱、上空の橋を粉々にしていく。

 唐竹割り、袈裟斬り、薙ぎ払い、孤月斬りに切り上げから切り返し――疾風迅雷、怒涛の勢いで縦横無尽に白光が踊る。

 お蔭で円陣にはほぼ脅威が届く事もなくなり、ゼノアの奮闘ぶりを観戦する余裕が出ていた。

 その頼もしさに一同の表情はかなり和らいでいたが、ただ一人、ゼノアだけは逆に表情が苦み走っていく。


<チッ……壊した所で、結局同じか>

<ん? どうした、ゼノア?>


 ゼノアの悔しさが滲む思念に、円陣内へと合流したラーシュが反応。


<いや、さっきの魔物たちを倒した時もそうだったが……生贄にされた奴らの魂も、あの結晶体に吸われてしまうんだ>

<ほう? それが君には視えるという訳か>

<ああ。これ以上、あの結晶体に魂を吸わせない方が良いのは間違いない。だが……>

<放っておいても、結局は同じ――という所かな?>


 ラーシュは、周囲に目を配りながらそう結論付ける。

 何故なら、破壊されず中央部に到達した橋や壁は、結晶体に【連結】されていたから。

 破壊しても魂のエネルギーは結晶体に吸われ、壊さなくても連結によりエネルギーを利用できる状態になってしまう。

 どちらを選んでも魂が利用され、敵が強化される事に変わりはない。


<それでも、今はとにかく安全を確保し、生き残るしかない。対策を考えるのは、余裕ができてからだ>

<……そうだな。わかった>


 ラーシュに同意し、ゼノアは思考を一端捨て、防衛戦に戻る。


<守護方陣、詠唱完了!>

<よし! ゼノアが陣へ入り次第、発動せよ!>


 そのやり取りを聞いていたゼノアは、すぐに踵を返して駆け出す。

 飛び出していった時と同様、瞬きする間に百mほどの距離を埋めて、円陣を囲むように床上に展開された法術式の中へと入る。


<発動します!>


 ドーム形の法力場が、円陣を覆う。

 途端に、轟音が微かな物音程度に下がった。

 外界との物理的な境界線が引かれた事により、あれだけうるさかった轟音も、結界内で会話ができる程度に軽減されるらしい。


「はぁー! やっと一息つける……」


 守護方陣に絶対的な信頼を寄せているのか、オルヴォは武器と兜を外して投げ出し、その場にへたり込む。

 緩くウェーブのかかった栗色の髪を片手でほぐしながら、元々タレ気味な灰色の瞳を更にだらしなく垂らし、見ている此方まで気が抜けそうなほどに脱力した姿勢を取った。


「おい、まだ作戦中だぞ。気を抜きすぎるな」


 と、注意するイストだが、余程消耗していたのか口調が弱い。


「構わんさ。皆よく頑張ってくれた。結界が生きている内に、少し休みたまえ」

「……了解しました」


 イストの肩に手を置き、柔和な笑顔でそう労うラーシュ。

 その言葉で、数人ほど緊張の糸が切れたのか、オルヴォ同様その場に腰を下ろした。


「ふえぇぇ……えらい目にあったよ……」


 ぺたん、と、男性の振りを忘れたようなへたり込み方をするフィーに、ゼノアが近づく。


「そうだな。そしてまだ終わってねぇぞ」

「もう! 世知辛い現実を突きつけないでくれるかな!? せっかくの休憩時間なのにー!」

「……世知辛いって、使い方それであってんのか?」


 フィーの必死な抗議に、思わず笑いが込み上げてくるゼノア。

 下らないやり取りで、場が少し和む。


「殿下、ご無事ですか?」

「ツキナ……ありがとう。ええ、皆のお蔭で」


 力なく座り込んでしまったリアレを気遣い、素早くツキナが寄り添う。


「ちょっと危なかったわね。まさか、あんな高位の魔物に出くわすなんて」

「そうね。でも貴女たちが居てくれたから助かったわ。ありがとう、ディアナ」


 リアレは憔悴した様子であったが、従者二人に笑顔を見せた。

 そこに、ラーシュが歩み寄る。


「ご無事なようで何よりです。殿下、今後の方針について、ご要望等はございますか?」

「要望……?」

「ええ」

「今後……私は……」


 リアレは、それきり考え込むように黙ってしまった。


「ふむ。今は特にございませんか? では、何か思いつきましたらお聞かせ下さい」

「そうね……そうさせてもらうわ」

「畏まりました」


 ラーシュはリアレに一礼し、騎士隊に向き直る。


「……さて、今のうちに作戦会議をしよう。まずは皆、無事か? 各自、休みながらで良いから、損害報告をしてくれ」

「イスト損傷なし。まだまだ動けます」

「オルヴォ同じく。疲労感はありますが、少し休めばなんとか」

「エリナ、大丈夫です!」

「……トゥーレ、怪我なし。法力を半分ほど消費。法具は残り僅か」

「ロイネ、負傷はありません。ですが、法力は持ってあと、三分ほどです……」


 結界維持のために、ロイネは術式媒介たる自身のロッドに、法力を注ぎ込み続けていた。

 ただ維持するだけでも法力を少なからず消費するのに、外界からの攻撃があればその損傷を補填するためにも法力が必要となる。

 ロイネの頬には、汗が雫となって流れ始めていた。


「ふむ。ゼノア殿、法力に余裕がおありなら、ご助力願えるかな?」

「あぁ、良いぜ」


 ラーシュの言葉にゼノアはすぐ意図を理解し、ロイネへと近づき手を差し出したが、ロイネの方は意図が読めていないらしく、キョトンと首を傾げるばかり。

 それは他の面々も同様で、どうやらラーシュとゼノアのみが理解している事らしい。


「ん? これって、何か不思議な事なのか?」

「フフフ……そうだね、普通は出来ない事だよ。――ロイネ、試しにゼノア殿と手を繋いでみるといい」

「りょ、了解しました」


 恐る恐る、ロイネがゼノアの手を握る。

 直後、岩塊が守護方陣に衝突し、境界面が揺らぐ。


「くぅ……!」


 今ので大量の法力を持っていかれたらしく、ロイネの口元が苦悶に引き結ばれた。

 他にも、まだまだ追撃が迫って来ている。

 更には今まで回転上昇しているだけだった石床までが、外縁側から剥がれて持ち上がり、中央部へと集まり始めていた。

 これ以上の直撃は、結界維持を不可能にするだろう。

 そう、術者たるロイネが諦めかけたその時――


「な、なにこれ……!?」


 自身の内側に、何かが流れ込んでくる感覚。


「あっ……熱い! なんて凄い力……!」


 それは、ゼノアから送り込まれた法力であった。

 掌から腕を介して、身体全体に暖かな湯を通されていくような心地よさがロイネを襲う。


「ふぅ……ぅあ……っ」

「あ、力加減間違えたか? 悪い」


 ゼノアはロイネの様子を見て、流入量の調節を図る。


「……驚いた。まさか、他人に純粋な法力を渡す事まで出来るなんて。いえ、もうあなたの事で、一々驚かない方が良いのかしら」


 ディアナが、最初は目を丸くして、しかし後半につれて段々と細めながら、呆れたような声音を出した。

 ゼノアの非常識さは今に始まった事ではないので、半ば諦めた、というのが正解か。


 それから、壁、柱、橋、そして床と、次々に境界面へとぶつかる巨大質量。

 しかし守護方陣は余裕を持って、これらを弾き返す。

 まるで発動直後のように、結界は息を吹き返していた。


「ありがとう、ゼノア殿。これで、余裕を持って会議ができるよ。……では、早速本題に入ろう」


 全員に自分の言葉が、意図が浸透するのを待つように、ラーシュは絶妙な間を置いて言葉を紡ぐ。


「現在我々は、未曾有の危機に直面している。未知なる兵器は地上へ向かいながら、巨大化をし続けている訳だが――さて、この危機をどうしたら乗り越えられるのか、皆の意見を聞きたい。何か意見のある者は居るかね?」

「乗り越えられるか、だって……ッ!? 司令! お言葉ですが、アレとやり合うおつもりですか!?」


 オルヴォは相手が上官であるにも関わらず、座した状態から片膝立ちになり食って掛かる。

 その左手で、今なお結合を繰り返し巨大化し続ける中央部方向を指さして。

 境界面越しに少し青味がかって見える光景は、ほぼ全てが岩塊に埋もれ、既に結晶体など視認すらできない。

 元々巨大な壁や柱等が寄り集まっているのだ。

 その大きさは、既に遠方監視用の巨塔に匹敵する。


 石は、一立方メートルで二.七tほど。

 それが、今や高さだけで五〇mほどの巨大さに成長しつつあるのだ。

 その質量だけでも、人の手には余るだろう。


「確かに、あんな巨大兵器、我々だけでは手に負えません。五合目詰所の兵員、及び各種兵器を動員したとしても結果は同じでしょう。麓の本隊を呼んだとしても……到着までにどれくらい時間を要するか」


 イストは冷静にオルヴォを諌めながら、ラーシュに進言した。


「逃げるしかないわ。勝ち目なんて……ありはしないわよ」


 ディアナはさも当然のように、冷たくそう吐き捨てる。


「我々は殿下の護衛が任務です。迎撃作戦には、参加できません」


 ツキナは苦々しく、それでも毅然とそう述べた。


「でも……放っておいたら、アレが街に……!」


 エリナは悲愴な顔で頭を振り、その最悪の想像を振り払う。


「ふむ、悩ましい問題だねぇ」

「……アンタ、何か楽しんでないか?」


 悩ましいと言う割に全く困っていなさそうな、むしろ愉快げに口端を吊り上げるラーシュに対し、流石のゼノアも呆れたような笑みを浮かべるしかなかった。

 いや、他の面々からすれば、どちらも笑える余裕があるという点で同類なのだが。


「ハッハッハ。なに、【紳士たる者、常に余裕の笑みを讃えよ】というのが我が家の伝統でね。――あぁ、ところで折角だし、ここは是非、【史上初の聖魔導士】たるゼノア殿にご意見を伺いたいのだが、良ければお聞かせ願えるかな?」


 殊更に【導士】の部分を強調しながらラーシュが言うものだから、オルヴォやエリナなどは「導士!?」と分かりやすい反応を示してくれる。

 恐らく、この反応を楽しむためにわざと伝えなかったんだろうな、とゼノアは勘ぐりつつ、返答を紡ぐ。


「俺の意見? そうだなぁ……」


 その場に居る者、皆が、次の言葉を待つ――



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