◆22・胎蔵されし混沌

 振り下ろされる鎌は、弧月を描く。

 咄嗟に自らの身を、その死線上へと割り込ませるツキナ。

 恐らく、受けられはしない。

 ただ、少しでもその威力を緩和できれば。

 そんな悲愴な覚悟で臨む瞳に、亜音速で空を裂き迫りくる大鎌の切っ先が、やけに緩やかに、鮮明に映る。


(ああ、ここで死ぬのか)


 一瞬、そんな思考が脳裏をよぎった、直後――


 甲高い轟音が、目前で鳴り響いた。


「――なッ!?」


 何が起きたのか。

 そう問いかける暇もなく視界に飛び込んで来たのは、白き刀身に蒼き宝石をあしらわれた直刀が、目前の空中で静止している様。

 死神の大鎌は白刀に弾かれたらしく、持ち主をよろめかせる程の衝撃を返していた。

 次いで突如宙に現れた紅き宝石を嵌め込まれた黒き刀が、死神の胸に突き立つ。

 しかしその直後、死神ごと消失。


「えっ!? 消え……た」


 追加の法術式を構築していたディアナが呆気に取られる。


「……ッ! あちらです!」


 その変化にいち早く気づいたのは、正面を見据えていた青年騎士イスト。


「……ほう、面白い能力だ。その力で、昨夜も我らの同胞を――その魂を、貴様は消したのか?」

「同胞だと? じゃあこのヒトの成れの果ては、アンタと同郷か?」


 リニの言に、ゼノアは右手に戻した【黒刃紅霧くろばあかぎり】と、串刺しにして持ってきた死神を掲げて見せる。

 死神は、声にならない絶叫を上げながら逃げようともがく。


「ああ、そうとも。この呪術により封鎖された檻の中で、数百年に渡り、共に喰らい合ってきた同胞の魂だよ」

「喰らい合って……? 他者の魂を取り込んで、取り込み続けて――強大な魔物になった、ということかね?」


 ラーシュが皮肉げに唇を歪め、続ける。


「まるで蠱毒だな。壺の中にありとあらゆる毒虫を入れ、最後の一匹になるまで喰らい合わせて、尋常ならざる毒虫を醸成する……あの忌まわしき呪術のようだ」


 苦々しげに吐き捨てられた言葉を受けて、リニは嗤う。


「ふははははははははは! そうだな、その通りだ! つまり貴様らは、我らを虫と同列に扱った、という事で相違ないな? ……ぶっ、ははアあああはっはははっはハハハはっはははははあああっぁっぁぁアアああっははっははハハははは!」


 壊れた。

 それは、そう表現するしかないような嗤い方で。

――その隙に、ゼノアが暗躍する。


<全員、聞こえるか?>


 リアレ一行の脳裏に、突如として響いた声。

 それはゼノアからの思念通話であった。


<今、全員を思念で会話できるように繋いだ。ついでに位置探査の応用で、互いの位置を把握できるようにもしておく。無論、敵の位置もな>

<なっ!?>

<嘘でしょ……?>


 ディアナや女性騎士ロイネら魔術師組の動揺が、色濃く伝播する。

 確かに意識すれば、思念通話の繋がりや、その繋がっている相手の方向と距離、更には未だ宙を漂う敵の方向と距離まで、脳内にイメージできるようになっていて。


<助かるよ、ゼノア殿。ここからは非常時故、互いに敬語敬称は無しだ>

<わかった>

<うむ。殿下も、それで宜しいですね?>

<え、ええ……そうね>

<結構>


 普通の感覚ならありえないゼノアの法術だが、ラーシュは冷静に受け入れているようだ。

 むしろ、それを上手く利用している。


<――では駐屯軍司令官として、私がこの場の指揮を預かる。まずはロイネ、君の持てる最大限の力で、守護方陣を展開しろ>

<はっ!>


 女性騎士ロイネは命令を受けて即座に、長い詠唱に入った。


<拘束系の法術が使える者はいるか?>

<ディアナ、できるわ>

<トゥーレ……可能だ>

<発動準備し、敵が射程距離に入ったら、即座に撃て>

<良いわよ>

<……了解>


 ディアナは詠唱した魔法術を右手に持つ大杖に待機させ、更に左手には魔法具を持ち、複数に対応できるように準備。

 トゥーレも同様に、左手の大盾に聖法術を待機させ、右手に聖法具を持ち出した。


<前衛組は、各々の武器に法力付与を施せ。属性は火か雷だ>

<イスト了解。火を使う>

<オルヴォ、同じく火>

<え、エリナは、雷を!>

<フィーも、雷使うよ!>

<ツキナは、火だ>


 思念通話により、声は出さず物音を忍ばせたまま、なるべくリニに悟られぬよう、迎撃準備は整えられていく。


「あひゃはひゃヒャヒャああぁっぁぁっはっハハッハはああっっはっははっだはっははははは、ははは、はぁ~ぁ……さて、ゼノアよ。貴様はその哀れな魂を、昨夜に引き続き、また消すのか?」

「……ああ。こいつらを救う方法は、今の所これしかない」


 黒刀の引力で、刀身に縛られたままの死神モドキ。

 その心を、霊体を――魂を分解して、世界に帰す。

 それしか、道はない。

 だから、焼き尽くす。

 そうゼノアは考えていた。


「救う? 魂の死が……存在としての完全なる死が、救いだと言うのか、貴様は!」

「前にも後にも進めず、殺し合いしか出来ねぇなら、一度【全】に還った方が良いだろ? そうすりゃいつかまた、別の存在として生きられる」


 その声には、苦悩が滲んでいて。


「滑稽な! あまりにも独善的な救いだな? 話が通じないからと、口を塞いでいるだけであろうがッ!! 貴様にその権利があるのか? 他者を裁く権利が!!」

「くっ……」


 口を噤む。

 言われた意味を、自身の中で反芻し、咀嚼し、飲み込み、考える。

 他の面々は迎撃準備を進めていて、口を挟んで来ない。


「こんな闇を生み出したのは、我々を殺して生き残った貴様らだろうがッ!! それを手に負えないからと、存在ごと消して無かった事にするつもりか!? そんな勝手が許されるのか!!」

「……許されや、しないさ。確かに、人を裁く権利なんて、誰にも無い」


 ゼノアは、答えを絞り出す。


「なら――」

「――だが!」


 普段ぼんやりしているゼノアの両眼が、カッと見開いた。


「それはテメェらも同じだろ! いくら殺されたからって、相手を殺していい理屈はねぇんだよ!! 全ての命が絶たれるくらいなら、俺は……この手が届く命くらいは守るぜ!!」


 ゼノアの体内を、巨大な法力が駆け巡る。

 死神モドキは黒刀へと張り付くように爆縮され、すぐに赤々と燃え上がる。

 七色の魂が宙を踊り、砕け、溶けて消えていく。

 胸に痛い、音無き慟哭を残して。


「ククク……くははははは! だぁーっはっはっはっはっはっは!! 守るために殺すのか!? 聞くに堪えない理想論だ! 矛盾も甚だしい!!」


 リニの身体から、黒い影が立ち上っていく。

 黒の中に赤い悪意が混ざり、酷薄なる白が差す。

 やがて像を結んだそれは、その空間の中で最も巨大な――魔物であった。


 宙に浮かぶ死神モドキの魔物たちは、それぞれ大きさが異なる。

 大小を決めるのは、当然取り込んだ魂の量だ。

 数百なら体高二m程度、数千なら二.五mほど――ゼノアが昨夜と、今しがた倒したサイズである。


 だがリニから出て来たのは、約四m。

 その内臓する魂の量は、恐らく、いや確実に万を超える。


「その姿……この中だけじゃ飽き足らず、外の魂まで集めてやがったな!? ……ッ! そうか、そのための【魂戒十字ルトス】かよッ!!」


 数千規模の死神モドキが一六体に、数百規模が四体。

 そしてここに至る道中でゼノアとフィーが遭遇したように、上層部の魂――亡霊は、未だにその多くが残っている。

 以上の魂の数を合わせれば、二、三万は計上されることになるが、元々生贄に捧げられたのは数万程度。


――となれば、一体だけ多すぎるのだ。

 その身に内包されている、魂の数が。


「フハハハハハハ!! もはや話にならん! 下らなぬ理想を抱いて、死ね!!」


 リニの怒号に呼応して、今度は三体の魔物が動いた。

 それぞれの死角へと、同時に瞬間移動。

 ゼノアの背後と、円陣の内側にはリアレの上方、そしてトゥーレの大盾側の死角へ。


 それは、完全に虚つくタイミング。

 死角へと無音で肉薄されたのだ。

 捉えられるはずもない。

 だが――


「来たわねッ!」

「拘束する……!」


 ディアナとトゥーレが、それぞれの武器に発動待機させていた法術を、解き放った。

 法力で編まれた赤い鎖が飛び出し、魔物の霊体を容易く捕縛してしまう。


「なにっ!?」


 驚愕に呻くリニ。


「これだけお喋りする時間があったんだ。準備に抜かりはねぇさ」


 ゼノアの背後でも、一体の魔物が身動きを止めている。

 敵の位置を全員が把握できるようになっているのだ。

 迎撃姿勢が万端な現状では、例え瞬間移動でも、死角をつく意味がない。


「ふむ。結界から出られないから、リニを使い外の魂を集めた、という所か。しかし昨夜は魔物がゼノアの所に来たという話だったな? もしかして――」


 拘束の法術を放ち終えたラーシュも、会話に戻ってきた。

 交代にゼノアが動く。

 その間に、前衛組も攻撃を仕掛けている。


<胸にコアがある! そこを狙え!>


 ゼノアからの一斉伝達。

 身動きの止まった死神たちは、その鎖を断ち切る前に核を攻撃され、内包する魂のエネルギーを失っていく。


「ィィイイヤァァァァアアアア!!」


 イストによる裂帛の気合。

 放たれた渾身の斬撃は、リアレの頭上で硬直する死神モドキの胸を正確に斬り裂き、囚われた魂の一部を純然たるエネルギーへと還すことに成功。


「おらよっとッ!!」


 怯んだ所に、オルヴォの斧槍による重い一撃が飛ぶ。

 地面を巻き上げるかの如き豪快なその一振りは、死神モドキの足元から脳天までを、真っ二つに断ち切った。


 トゥーレにより拘束された一体も――


「それっ!」

「行くよーッ! 【鮮烈なる白き悲愴ユース・ヴィート・セリア!】」


 エリナの素早い刺突剣による突きと、フィーの弓術によるトドメの一撃で、事なきを得ている。


「――結界を破る術でも見つけたのかね? だとすれば由々しき事態だ。この地域の治安を預かる身としては、捨て置けない状況だね」


 リニと会話を続けるラーシュ。

 相手の気を逸らす目的もあるのだろう。

 ゼノアは、ラーシュが拘束した一体を処理し終えた。


「ならばどうする、司令官殿? 我らを駆逐し、この無残な歴史ごと闇に葬るか!?」

「さて、どうなるかな? 生憎、それを決めるのは私ではないので、答えようがない」


 ラーシュは肩を竦め、首を横に振る。

 いずれ決定権の一端を担うであろう未来の国家元首は、後方の円陣内にて俯いたまま。


「ふん……食えぬ男よ。まぁ良い。楽しくお喋りをしている間に、こちらの準備も整ったのでな!」


 暗に準備を進めていたのは、ゼノアたちだけではなかったらしい。

 ニヤリとほくそ笑んだリニは、怪しく煌めく結晶体に触れたまま、何かの術式を発動させた。


「何をしてやが――ッ!? チッ……」


 突進しかけたゼノアは、リニを守るように瞬間移動してきた死神モドキの群れに阻まれ、蹈鞴を踏む。

 更に、同時攻撃の二波目が来た。

 それぞれが対応に追われている内に、リニの周りで術式が収束していく。


 宙に踊る複雑な法術式。

 線かと思えば螺旋を描き、円陣かと思えば複数折り重なって球を象る。

 複雑怪奇な虚実の機構。

 やがてそれは一つの意思となり、現界に牙を剥く。


「さぁ、踊れ! 踊るが良い! 熱砂に放たれた蛆虫の如く、避けられぬ死を前に怯えながら! 踊り狂い死ぬが良い!! グハハハハハハハハハ!! ぎゃはははははははははっはははははははははははっははははははははははっははっっっはあっはあはははははははは!!」


 狂気に侵された嗤い声は、空間に色濃く反響して、聞く者の魂を揺さぶる。


「おい待て――! この術式はッ!?」


【天征眼】で視たゼノアが、その構成に驚愕の色を浮かべた。

 リニは巨大な死神モドキに引かれ、嗤いながら結晶体の中へと溶け込むように、中へ入っていく。

 その直後、他の死神モドキたちも一斉に、結晶体へ突撃するように吸収されていった。


 一瞬の静寂の後――突如襲来するは轟音と、強烈な振動。


「うわっ!? っとっとっと!!」


 思わず声が出るほど、よろめくイスト。


「あわわわわわわ!?」


 エリナは尻もちをつき、


<ぜ、ゼノア!? 何か凄い嫌な雰囲気が増したけど、何が起こるの!?>


 フィーはバランスを取りながら、鳴り続く轟音のせいで声は届かないと判断し、思念通話でゼノアに問う。


<最悪だ! あの野郎……この【兵器】を起動しやがった!!>


 珍しく焦燥に駆られたゼノアの思念を受け、全員の緊張感が増した。


<え? どういう、こと? 兵器って……>


 理解が追いつかない、更なるフィーの問い。


<記録映像で見ただろ? 【ここ】だよ! 【この場所自体】が【兵器】なんだ! リニは……いや、あの化け物は――ヴィルフリートって奴が遺した、【負の遺産】を起動させやがった!>


 轟音が、何かの駆動音に聞こえてきた。

 やがて、【床全体】が迫り上がり、回転を始める。


 産道を通る赤児のように――今この、闇の嬰児は、外へ出ようとしているのだ。



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