◆21・無常なる世界で

 この世界は無常である。

 常は無い。

 形あるものは壊れるし、形の無いモノですら移り変わる。


 人の心も、また然り。

 心はコロコロ流転する。

 何かに影響されて、何かに蹴飛ばされて、押されて、惹かれて。


 だからきっとこの変化も、受け入れなきゃならないのだろうと、ゼノアは考えていた。

 そこにどんな理由があるのかは、まだ分からないけれど。

 この世界で目覚めてからの数少ない知人が、こうも簡単に変わってしまうのは、やはり辛いことではあるが……。


「なぁ……アンタ、ここで何やってんだ?」


 受け入れたくても受け止めきれない現実には、染み出してくる声にも悲愴の色が漂う。


「何をやっているのか、だと? ふははッ……残念だが、おたくにソイツを教えてやるだけの理由はないよ」


 結晶体の裏から現れたのは、リニ=ブラッケ。

 霊峰の街で、ゼノアを助け導いてくれた商人だ。

 癖のある短い黒髪には白布を巻き、褐色肌で小太りの身体には紅白の外套を纏う五〇代くらいの壮年男性。

 瞳は濃茶色……だったはずだが、今は薄黄色で、何やら焦点が合っていない様子である。


「ふざけるな商人。ここは機密区域だ。一般人が入っていい場所ではない。……いや、そもそもどうやってここに?」


 青年騎士が剣先を向けながら、その違和感に気づく。

 どうやってこんな地下の奥深くまで、魔物の驚異を掻い潜り、複雑化した迷宮を踏破し、この男は辿り着けたのか?

 だがリニは、その疑問には答えない。

 それよりも、引っかかる言葉があったのだ。


「機密区域? 一般人は立入禁止だと? 全く、この土地はいつからおたくらのモノになったんだ。盗人猛々しいとはこの事だな」

「土地? まさか商人、ソレイユ炎法国の末裔か?」

「ソレイユ炎法国……今は忘れ去られし消えた名よ。いや、消された、と言うべきか」


 リニは結晶体へと手を伸ばし、おもむろに触れようとする。


「おい、動くな! そこから離れろ!」


 青年騎士を筆頭に、前衛の三騎士が動いた。

 正面と左右から、リニを包囲するように距離を詰めていく。

 しかしもうリニの手が、結晶体に触れた。


「……【貴様ら】こそ、動くな」

「くっ! なに……ッ!?」

「うわぁっ!」

「ぐぅっ!」


 金縛り。

 間合いを詰めていた騎士三人が、突如その場に縫い留められたかの如く、動けなくなった。

 同時に空間全体を、何か異様な圧力が埋め尽くす。

 まるで、目の前に巨大な死神でもいるかのような、得も言われぬ不快感を覚えるほどの禍々しさが、この広大な空間を切迫している。


「はっ……!? な、っぅぅ……がっ……!」


 王女一行とリニとのおよそ中間地点にて縫い留められた騎士三人は、声すら出せないらしく、ただ空気を求めるように口を弱々しく動かすだけ。

 流石に歴戦の職業軍人でも焦りが出てきたのか、こめかみを脂汗が伝う。


「おいおい、なんだってんだ? アイツラ大丈夫かよ?」

「ふむ。少しまずいかも知れないね。ちょっと連れ戻すのに、ご助力願えるかな?」

「ん? ああ」


 ゼノアの独り言に、背後から肩を叩いてきたのはラーシュ。

 もう片方の手は、ゼノアの隣にいたフィーの肩に置かれている。


「え、僕も!?」


 心底嫌そうな声と表情を隠しもしないフィーに、ラーシュはにっこりと微笑む。


「勿論さ。いま【この状態】で動けるのは、我々だけなのでね」


 ラーシュが言う【この状態】とは、現在空間全体に掛けられている【何らかの負荷】の事だろう。

 背後ではリアレが行動不能に陥っており、ツキナとディアナはその護衛のため動けない。

 後衛騎士二人は、距離の関係か行動不能こそ回避したものの、巨大な重量物でも背負わされたかのような行動制限は受けているようだ。

 苦虫を噛み潰したような顔で、負荷に抵抗している。


「あ、うぅ……わ、分かったよ」

「助かる。では、それぞれ左右を頼めるかな?」

「はいよ。行くか」


 言うが早いか、ゼノアは地を滑るように飛び出した。

 フィーとラーシュもそれに続く。


「おい! しっかりしろ!」


 ゼノアが声を掛けながら中年男性騎士の肩を叩くと、ハッと何かに気づいたかのように硬直が解けた。


「ぐっ……すまない。助かった……」

「礼は後だ。動けるなら下がってな」


 ゼノアはリニから目を逸らさず移動し、中年騎士を背に庇う位置へ。


「クソッ……不甲斐ない。この場は任せる」


 中年騎士もゼノアにならって正面から目を逸らさず、そのままゆっくりと後退していった。


「ねぇ、大丈夫? 早く逃げよう!」

「え、ええ……ありがとう」


 フィーに正気を取り戻してもらった女性騎士も、フィーと一緒に下がっていく。


「気をしっかり持ちたまえ」

「し、司令……」


 ゼノアにやったように、ラーシュは青年騎士の肩を横に並びながら叩いた。


「前衛は我々に任せて、君は殿下の護衛を指揮しなさい」

「なっ!? 司令を前衛に立たせる訳には……!!」

「イスト君……今はこうする他ない。臨機応変にいこうじゃないか」

「それは、しかし……いえ、分かりました」

「殿下を頼んだよ、隊長殿。さて……」


 ラーシュがおもむろにリニへとその紅茶色の視線を合わせると、同色の艷やかな髪が静かに揺れる。

 紺碧の軍服から伸びる白手を履いた双腕は、服の上からでも輪郭が分かるほど筋肉が発達していた。


「リニ殿。貴殿の商会は、長年、我らが王国軍に貢献してくれていたね。更には、このような辺境にまで物資を色々と融通してくれていた。とても感謝しているよ。いつもありがとう」


 その手が、ラーシュの言葉に合わせて優雅に動く。

 左右に手を広げ称賛し、リニの方へ向けて指したり、胸に添えて敬意を示したり。


「ハッ……駐屯司令か。心にもない事を」

「だが、これは一体どういう事だろう? 貴殿は、その立場を利用して、この場所の存在を知ったのかな? どうやって知り得たのだろう? とても興味深いね」

「簡単な事だ。貴様の誇る兵士の中に、金に目を眩ませた愚か者がいるというだけの話。ありきたり過ぎて喜劇にもなるまい?」


 結晶体に触れたままのリニが、そこから何か吸収しているかのように、禍々しい法力光を帯びていく。


「ふむ……なるほど。人も川も同じだな。流れが滞れば、止まってしまえばすぐに腐敗する。これはやはり、人事異動の定期化を推進する必要があるようだね。万象は集散離合、変化し、流転してこそ、か」


 顎に手を当てて何やら思案しだしたラーシュを尻目に、ゼノアが呆れた声音で話を元に戻す。


「……おいおい、んな話をしてる場合か? てかリニ! アンタそのデカイ結晶で何やってんだよ!? ソイツから手ぇ離せ!」

「貴様らは質問ばかりだな。少しは自分で考えたらどうだ?」

「自分でって、へいへい……そうだな、とりあえず、なんかヤバい感じは伝わってくるぜ。その結晶の中身……アンタがさっきから吸収してんのはまさか――魂?」


 ゼノアの発言に、一同がぎょっとする。

 リニは、破顔一笑。


「ククク……ふははははははははは!! いやいや、恐れ入った! よもやこれが何か、【視ただけ】で分かるとは!」

「魂を喰い物にしてやがんのか……アンタ、なんでそうなっちまった? 最初街で声かけた時は、めっちゃ親切にしてくれたじゃねぇか! あれは、偽りだったのかよ」

「当然だ。この世に善など存在せぬ。あるのは悪か、偽善だけよ」

「……闇があんなら、光があって当たり前な気がするけどな。ま、そんな事は今どうでもいい。ならやっぱ、あんとき親切に無償でくれた【コイツ】は、その結晶に魂を蓄えるための道具ってとこか」


 ゼノアが胸元から取り出したのは、リニから譲り受けた【魂戒十字ルトス】だ。

 金属の十字に、宝石みたいなモノが埋め込まれたネックレスである。


「そうか、この【魂戒十字ルトス】の中央に嵌め込まれてる石は、そのデカイ結晶と同じ材質だな? だから法力エネルギー、言い換えれば霊体を扱える、と」


 リニの顔から笑みが消え、すっと目が据わった。


「オカシイと思ったんだ。昨夜も今日もバケモノを倒した時、霊体の吸収は確かに起こったが、その一部がどこかへと自動的に【送られて】いた。通貨媒体の役目をさせながら、霊体の核である【魂】を――アンタは密かに、集めていたんだな?」

「ほう? それは興味深い話だね。無償で【魂戒十字ルトス】をバラ撒き、エネルギー集めをやらせていた、と。全世界規模で考えるなら、億単位の人がいまや【魂戒十字ルトス】を所持しているね。ふむ……リニ殿はそんな莫大なエネルギーを集めて、一体何と戦うつもりなのかな?」


 ラーシュは顎に手を当て思案を巡らせる風を装いながら、皮肉げにリニを見やる。

 その問いかけを向けられたリニはそれに答えず、ゼノアへ憎悪の視線を向けた。


「……やはり貴様は、もっと確実に殺しておくべきだったな。一体ではなく、複数体で囲むべきだった」

「あん? てことは……テメェか。昨夜のバケモノを送り込んできやがったのは」


 それまで飄々としていたゼノアの眼もまた、据わる。

 声音は、氷点下まで落ちていた。


「ああ、気に入ってくれたか? なかなか珍しい出し物だったろう?」

「ふざけんな。関係ないヤツまで巻き込むような、趣味の悪い贈り物寄越しやがって。……それで? そろそろ吐けよ。テメェ、どこに喧嘩売るつもりだ?」


 俯き、目を伏せるリニ。

 一拍置いて目を見開いた時、その色は――朱に染まっていて。


「無論――世界だ」


 刹那――ズン、と、更に空間の【重さ】が増す。


「ヤバい……出てくる!」


 叫んだのは、顔面蒼白になって目を見開いたフィー。

 じっとりと冷や汗をかいていて、短剣を構える手は、何かに怯えてガタガタと震えていた。


「何が、出てくるって……?」


 それはゼノアによるフィーへの問いかけだが、問うべき方向へ目線を向ける事ができていない。

 直観的に、分かっていたのだ――眼前の光景から、目を離してはいけない事を。


「黒い、魔物……!?」


 驚愕にうめいたのはツキナである。

 正眼の構えこそ崩していないが、こめかみを冷や汗が伝う。


 ツキナが言うように、リニの身体から!モヤのような、煙のような暗くてドス黒い何かが滲み出てきて、それは意思あるかのように蠢き、やがて像を結ぶ。

 象られたのは――


「うそ、死神ッ!?」


 頬を引き攣らせながら叫んだディアナが言う通り、それはまるで、死を司る神のように見えた。

 伝承に聞く通り、ボロボロの黒い外套を纏っていて、その中身は何も光を返さない暗黒で、顔は青白く生気など無く、自身と同じくらいの大鎌を持っている。

 それら全ての輪郭が酷くボヤけていて、何者であるのか認識すらできない。

 まるで、水中で見たモノのように。


「ハッ……昨日ぶりだな! 今度は団体様かよッ!」


 リニから吹き出した黒煙は、瞬く間に空間全体に広がった。


「ひぃっ!? い、いやぁぁぁああ!」


 後衛にいた若手女性騎士の悲鳴が響く。

 その言葉通り、前後左右、更には頭上のあらゆる角度に、合計二〇体ほどの死神が出現している。


「慌てるなッ! 殿下を中心に、方円陣を取れ!」


 隊長たるイストが声を張り上げた。

 それに呼応し、訓練された騎士隊はすぐさまリアレを囲み、外向き円形の防御陣を組み上げる。


「トゥーレとロイネは結界を構築!」

「……了解」

「わ、わかったわ」


 無口な男性騎士トゥーレと、先輩肌の女性騎士ロイネが応じた。

 即座に、それぞれ法術詠唱に入る。


「オルヴォとエリナは迎撃! 結界完成まで凌ぐぞ!」

「おうよ!」

「は、はいぃッ!」


 号令の下、中年騎士オルヴォは斧槍を、若手騎士エリナは刺突剣を構えた。

 ここまで僅か一〇秒程度。

 その素早い対応に、司令たるラーシュも満足気だ。


 死神たちは舌舐めずりでもするかのように、ゆらゆらと宙を漂ってリアレたちの方を眺めている。

 その雰囲気はまるで、餌を前に【待て】を言い渡された、獰猛な猟犬のようだ。


「クックック……無駄だよ。その程度の結界など、こいつらの前では無いに等しい」


 リニが、指をさして命ずる。


「やれ」


 直後、リアレの頭上に一体の死神が音もなく出現。


「なっ――!?」


 それに気づいたイストが、驚愕に呻く。

 瞬間移動する敵になど、これまで出会った事もなかったのだろう。


 即座に抜刀するは、騎士ツキナ。

 白く瑞々しいこめかみを、脂汗が伝う。

 その胸中に去来するは、逡巡と動揺。

 果たして自分は、この得体の知れないバケモノの攻撃を防ぎ、倒せるのだろうか?


 触媒を使った簡易詠唱を放つは、魔女ディアナ。

 いつもは気怠げな瞳が、今は焦燥で見開かれている。

 数種類思いつく限り放った魔法術が、何も効いていない。


 周囲の視線を辿るように振り向いたリアレは、その背筋を凍らせた。

 背後には、禍々しい黒衣を纏った身の丈二mは優に超えるであろう巨躯が、視界を塞ぐほどの近さに居て。


――その身と同じ位に巨大な鎌を振り上げ、今まさに、振り下ろさんとしていたのだから。



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