◆20・過去との対峙

 ゼノアとリアレは、張り詰めていた緊張の糸が解け、どちらともなく重く深い息を吐く。

 脳内への映像投影が終わり自らの五感が戻ってきたは良いものの、あの内容を観た後では、生きた心地がしないようだ。

 二人とも青褪めた顔で、ただ俯くばかり。


 戦争の、しかも虐殺の記憶。

 それも鮮明に、まるでその場に居たかのように、目の前で惨劇が繰り広げられていたかの如く生々しい体感が残っている。


「……リアレ」

「……なにかしら?」

「そろそろ服を着とけ。もうすぐお仲間が来るぜ」

「そう……わかったわ」


【天征眼】で、ラーシュやフィーたちの位置を把握したらしきゼノアの指示。

 リアレは素直に従い、石片に干していた衣服に袖を通していく。

 記録映像を見ている十数分の間にある程度は乾いていたが、代わりに泥が固まっていた。

 無論、人体も同様である。

 頭、胴、手足全て、泥で汚れていた。

 張り付く長い髪を振り払いながら、ゼノアはようやく衣服一式を着込む。


「あの映像の後……」

「え? 何?」


 周囲を観察しながら漏れ出たゼノアの独り言を、リアレが捉えた。


「ん、いや、この周辺の地層を視ていたんだが、どうやら大規模な地盤沈下と隆起があったらしいな」

「そうなの? 噴火だけではなく?」

「ああ。局所的に大きな地震のようなもんが起こったようだ。地層が、酷く掻き回されたような後がある」


 泥でまだ服を全て着れていないリアレは、意味の分からなさも相まって、少し苛立たしげな表情になり、続く言葉にも、少し棘が乗る。


「……どういうこと?」

「こんな山の上で、地面が縦横に激しく掻き混ぜられた形跡がある、って意味だ。普通の地震なんかじゃない。自然にはありえない話だろ?」

「それは、確かに……一体何が起きたというの?」

「さあな……だが、その反面、全く無傷の空間もある。俺が通ってきた道にも、幾つかそんな場所があった」

「無傷の、空間?」


 そんな大規模な地震があったとして、まして至近距離で噴火まであったのに、無傷などありえない。

 リアレの驚愕に彩られた表情は、そう語っていた。


「自然ではありえない……なら、誰かの仕業? 一体誰が……?」

「まぁ多分、あのヴィルフリートってやつと、最後に出てきた龍じゃねぇの?」

「そう、ね……でもまさか、龍が実在していたなんて」

「――あ! やっと見つけた!」


 空間に響き渡る元気な声が、リアレの言葉を遮る。

 ゼノアがこじ開けた穴から、フィーが顔を出していた。

 その後に続き、リアレの護衛をしていたラーシュたちと騎士小隊も合流。


「やっぱり、君のことだから、しぶとく生きていることと思っていたよ!」

「人をゴキブリみたいに言うんじゃねえ」


 嬉しそうに駆け寄ってきたフィーに、ゼノアはげんなりと苦笑いを返す。


「殿下! ご無事ですか!?」

「リアレ! 大丈夫?」


 リアレにはツキナとディアナが駆け寄ってきた。

 二人とも護衛という役職以上に、リアレには思い入れが深いのだろう。

 その心底案じていたような表情が、克明に物語っていた。


「ありがとう。なんとかね」

「わたしが付いていながら、申し訳ございません……」

「怪我は……無さそうね。はぁ……とにかく、無事で良かったわ」

「なに泣きそうな顔をしているの? そんなに心配してくれたんだ?」

「なっ――あ、当たり前でしょ! ……雇い主が居なくなるのは、困るじゃない」


 そっぽを向いて表情を隠すディアナに、ツキナが横目で柔らかな視線を送る。


「ふふ……ディアナ殿は、素直ではありませんね」


 再開を喜ぶリアレたちを尻目に、優雅な笑みを浮かべるラーシュがゼノアの方へ近づいてきた。


「どうやら、私も貴殿に救われたようだね」

「ん? どういうこった」


 ラーシュはゼノアの目を見据え、余裕の笑みは浮かべたまま、腰を折り、慇懃に礼を示す。

 あくまで自然な動作で、しなやかに、優雅に。


「リアレ王女殿下をお救い下さり、ありがとうございます。お蔭様で、この首の皮も繋ったというもの」

「……言ってる内容の割には、声に緊迫感はないな?」

「常に冷静さを、というのが、私の信条でね」


 顔を上げたラーシュの悠然たる挙動。

 一体なぜ、そんなにも自信満々なのか?

 全てを見通すかのようなその態度は、リアレを襲った鉄砲水でさえ、この男が仕組んだことのように思えてくる。


「さてはアンタ、この状況を予測していたのか?」

「フフフ……まさか。あのような自然災害を予測など、私にはできないさ」

「どうだか……」


 ゼノアから疑惑の眼差しを受けてもどこ吹く風で、ラーシュは視線を流し、次の話題へと強制的に移行させた。


「まぁ無理にでも理由付けをするのなら、我々は【コレ】に引き寄せられたのではないかな?」


 ラーシュの視線は、先ほどゼノアとリアレが触れていた【巨大石版】へと注がれている。


「……アンタ、【アレ】が何なのか、知ってんのか?」

「知らないさ。ただ、これまで知り得た情報から予測はできる。あれは、数百年前に使われていた記録閲覧装置、だろう」

「うん、コレって、特定の法力パターンを流し込むと発動するタイプ……みたいだね」


 いつの間にかその石版を間近で観察していたフィーが、会話に紛れ込む。


「ほう? フィー殿は、ソレの発動方法が分かるのかい?」

「……うん、多分、できると思う」

「それは僥倖。ならば、是非お願いしたい」

「いいよ。じゃあ、記録映像見たい人は、この石版に手を触れて」


 周りで様子を伺っていた他の者たちにも、フィーは呼びかけた。

 その場にいる者全ての視線と関心が、今は石版に集まっている。


「待て。一応、先に見た者として忠告しとく」

「へ? あ、ゼノア先に見たんだ?」

「ああ、見た。ハッキリ言って、胸糞悪くなるような生々しい映像ばかりだったぜ。そういうのが苦手なら、やめといた方がいい」


 ゼノアの言葉に、リアレも顔を歪めて下を向く。

 その様子を、ディアナがこぼさず捉えた。


「……リアレも、見たのね?」

「ええ、見たわ。アレは、この国の……罪の、記録だった」

「この国の罪、ですか。ならば、国に仕える者としては、直視しなければなりませんね」


 ツキナはそう言って、迷わず石版に手を添える。

 その背に、ディアナが疑問を投げた。


「あら、どうして直視一択なのかしら?」

「過ちから目を背けて逃げるだけでは、いつまで経っても成長は見込めませんから」

「ふーん? まぁ一理あるでしょうけど、いつまでも眺め続けるような真似は、悪趣味だからやめた方が良いと思うわ」


 白き太腿で黒き外套の裾を揺らしながら歩み寄り、ディアナも手を石版に置く。


「……まるでわたしが、眺め続けているとでも言いたげですね?」

「まさか? 私はあくまで個人的な意見を述べただけよ」


 キッと睨むようなツキナの鋭い眼光を、ディアナは上から余裕の笑みで受け止める。


「国の罪であるならば、私も見ない訳にはいかないね」


 微笑を湛えたまま、ラーシュも手を置く。


「ならば、我々も」


 騎士たちも互いに目配せしあい、手を添えた。


「じゃあ……始めるよ」


 フィーは自分の言葉に一同が頷いたことを確認し、すぐに法力の流入を開始。

 徐々に淡い光が踊りだす。

 青白く、石版の文字列が発光し、術者を含め手を触れている者たち全員にまで、その光は波及していった。



◇◇◇◇◇◇



 映像投影にゼノアとリアレ以外の者たちが没入してから十数分後、青白い光が収束し、閉じられていた一同の両目が開く。

 その表情は一様に、暗く沈んでいた。

 ただ一人、微笑を絶やさぬラーシュを除いて。

 近くの壁を調べていたゼノアが、背を向けたまま問いかける。


「見終わったか」

「ああ。これはなるほど、確かに罪の記録だったね。償いのしようもないような、酷い罪だ」

「ほんとに、ひどかった……どうして、あんな事ができるんだろう……」


 顔面蒼白となったフィーが、自分の両肩を抱きしめて震えていた。


「相手を、同じ人だと思っていないのよ。ただ憎い敵としか、見ていない」

「負の連鎖……憎しみで攻撃して、自分も憎まれて……何の生産性もありませんね」


 苦虫を噛み潰したようなディアナと、伏し目がちにため息を吐くツキナ。


「……例え償い切れないとしても、何もしないわけには、いかない」


 青年騎士が、悲壮な決意を言葉に乗せ、言った。

 それに対し、女性騎士が異を唱える。


「遥か昔の人たちの罪を、今を生きる私たちが償うの?」

「今を生きる我々は、その多くが、昔の戦争で勝って生き残った者たちの子孫だ。ならば、このような罪を先祖から受け継いでいる、と考えるのが自然だろ?」

「それは……相続放棄したいわね」

「放棄したと主張しても、相手はそう扱ってはくれないさ。自分ならどうする? 亡霊にされたとして、自分たちを殺めた家系の、その子孫たちだけが、のうのうと生き延びていたら?」


 女性騎士は黙して考え込む。

 言葉を待つ青年騎士の肩を叩くように、ラーシュの手が乗せられた。


「……良い心がけだ。さて、ではその償いを、少しでもしに行こうではないか」

「はっ。司令、その……どこに向かいますか?」

「うむ。まずはそうだな……あの映像の最後、沢山の生贄が強制的に捧げられた場所、だろうね。あの場が、最も怨念が強いはずだ」

「生贄が、捧げられた場所、ですか……」


 巨大な縦長の空洞。

 数万もの人柱が埋め込まれていた場所だ。


「その場所は、どこか分かるのですか?」

「フフフ……心配せずとも、我々は順調に、その場所へと導かれているさ。――そうだろう? ゼノア殿」


 振り向き、未だ壁を調べているゼノアへと水を向けた。


「ん? ああ、そうだな」


 ゼノアは背を向けたまま、生返事を返す。


「二つの松明台の、間……ここか」


 何かを見つけたらしきゼノアがそう呟いた直後――記録映像と同じように、壁が左右に割れて、真っ直ぐ奥へと続く通路が現れた。


「うわっ、壁が! げっ、凄いホコリ……げほっ、げっほっっ」


 分かりやすく狼狽えたのはフィー。

 しばらく静止していた物が動き出した事で塵芥が舞い上がり、近くにいたため不用意に吸ってしまい、見事咳き込む。


「オマエ……こんなとこで笑いを取りに来なくてもいいんだぜ?」

「誰がそんなつもりでっ――てか笑うな!」


 ゼノアは、ニヤケ面を抑えるつもりもないらしい。

 そのままフィーの抗議など意に介さず、炎を纏う黒刀を右手に出現させ、隠し扉の中へ颯爽と入っていく。


「さ、扉は開いたみたいだし、さっさと次に行くか」

「あ、ちょっ……君は少しマイペース過ぎやしないかい?」

「はっはっは。気のせい気のせい」


 フィーからの抗議を適当に受け流すゼノアだが、前だけを見据えた瞳には、遊びの色は微塵もなかった。


「流石は導士を冠するだけはある。見ただけで、仕組みが分かってしまうとはね」


 ラーシュが後に続き扉に近づく。

 暗い通路へ入る前に振り返って、止まったままのリアレへと声を掛けた。


「では、我々も続くとしましょうか。殿下」

「ええ、そうね……」


 ラーシュの進言に頷くものの、なかなか一歩がでないリアレ。

 この先に何があるのか、それが分かっているから余計に躊躇ってしまうのだろう。

 あの映像の通りならば、この先には……。


「前後を我々で挟みます。御三方と、司令は中央に」


 青年騎士が小隊を前二人、後三人に分け、護衛の体裁を整えた。

 魔法球による照明も前後に出現させる。


「うむ。宜しく頼むよ」

「……殿下、行けますか?」

「顔色が悪いわね、大丈夫?」


 俯くリアレに、ツキナとディアナが心配そうに声をかけた。


「大丈夫よ、ありがとう」


 リアレは考えていた……この状況の意味を。


(これが、成人の儀を終えるために必要な試練、なのかしら? だとして、一体どうすれば? この先は、数万もの命が犠牲になった場所。そこで私は、何をすればいいの? 謝罪? 贖罪? ……分からない。でも……)


「……よし、行きましょう」


 意を決したのか、顔を上げたリアレは、真剣な眼差しを宿していた。


(きっと、向き合わないと分からないのでしょうね。この問題から目を逸して、逃げる訳にはいかない)


 そして、暗き通路へと潜っていく。



◇◇◇◇◇◇



 しばらく通路を進んで出た先には、数百年の時を経てなお原型を留める空間が存在していた。

 ほぼあの映像通りだが、見上げた天井は深い闇に占領されてはおらず、僅かな切れ目から淡い光が星の瞬きのように射し込んでいて、幅数百mもの丸く平らな石造りの床には、所々に何かの残骸が散乱している。


 その中央に鎮座するのは、巨大な結晶体。

 映像では無色透明だったが、今は……。


「なに、あれ……」


 その異様さに、息を飲むフィー。

 ゼノアは黙して、それを睨みつけている。


「なんて色ですか……禍々しい」


 その異質さに、言を吐き捨てたのはツキナ。


「まるで……血と臓物を煮込んだみたいね。気持ち悪い」


 そんなモノを見たことがあるのか、蔑むような瞳を向けたのはディアナだ。

 その言葉通り、結晶体は赤や灰色、黒や紫といった色が、不吉さや不快さを生じさせるような具合で混ざり合っていて、今も絶えず、結晶体の中を何かが流動している。


「おやおや、随分な言い草じゃないか? こんなにも綺麗だと言うのに」


 不意に響く、低い男性の声。


「……誰だッ!?」


 青年騎士が、腰の剣に手を当てながら誰何を飛ばす。

 声の主は、姿が見えない。

 だが確実に言えることは、酷く不気味だった、ということ。

 複雑に空間に反響してどこから放たれたのかも分からないような、一人のはずなのに多重に響いて複数人いるような。

――果たして生きている人間が発したモノなのかすら、疑わしいほどの不気味さ。


「クックック……全く、無礼な客人だな」


 結晶体の奥で、何か黒い影が動いた。


「自分たちの方から来ておいて、不躾にも程がある」


 それはゆっくりと幅数mの結晶体を迂回し、やがて姿を現す。


「これは、躾をせねばならんか?」


 暗く重く、不安定に揺れる声には、愉悦と怨嗟の響きが乗っていた。



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