◆19・忘れ去られし罪と穢れ

 喉元過ぎれば熱さを忘れるように、過去のことなど、時を経れば次第に忘れ去られていくものだ。

 しかし、忘れがたきものもある。


 忌まわしき記憶。

 例えば闘争の記憶などは、加害者側は忘れてしまうかも知れないが……被害者側は、受けた屈辱が大きいほど、抱いた恨みが膨れ上がるほどに、むしろ脳裏にこびり付いて消せなくなってしまう。


 これは、そうした【負の記憶】を集積したものである。


 時は、神聖暦二七四三年、九月。

【ガウリイル王国】の侵攻により領土を奪われた【ソレイユ炎法国】の民は、最後の砦たる【霊峰五合目付近の拠点】にて籠城していたが、執拗な兵糧攻めにより陥落。

 城門は突破され、甲冑姿のガウリイル軍が非戦闘民の居住区にも雪崩込む。

 そして、戦勝国による略奪が始まった。



◇◇◇◇◇◇



「オラァっ!! 邪魔するぜえ!」


 侵入してきたのは、しゃがれ声と木戸を蹴破る耳障りな音。

 次には、厳つく大きな金属製のブーツが木製の床板を無遠慮に踏み鳴らす。

 薄暗い室内に射し込む陽光が、巻き上げられた埃を鮮明に浮かび上がらせた。


「な、なんですか、いきなり……っ!?」


 非常識な行いに眉を顰ませ振り返った女給は、その姿を見て更に顔を強張らせる。

 相手はこの場には全く相応しくないのだから、それも仕方がない。

 安全なはずの砦内にある酒場に、よもや武装した敵兵が堂々と入って来ようなどとは、夢にも思っていなかったのだから。


「おうおう、なかなかの上玉が居るじゃねぇか。なぁ、お前ら?」

「ぐへへへ。先にこっちに来た甲斐があったな」

「ちげェねえ」


 どの兵士も二mを超す巨人で、その鍛え上げられた二の腕は、酒場内に居るどの女給の腰よりも太い。

 そんな大柄な者ばかりが未だ準備中の店内へと無遠慮に入ってきたかと思えば、黒檀の椅子を乱暴に引き、勝手に座った。

 そして、近くで腰を抜かしている女給に目をつけ、当然のように言い放つ。


「おい、女。酒を持ってこい」

「ひっ……な、んで……? ど、どうして、ここに……」

「あ? 聞こえねぇなぁ。ハッキリ喋れや」

「どうして……ガウリイル兵が、ここに……?」


 茫然自失の体で、ただ思いついた事が口をついて出たのだろう。

 だがそれは、暴虐への引き金となるには十分すぎるミスで。


「はぁ……そんな事も分からねぇのか。なら、教えてやる」

「いづ……ぁ……!!」


 片手で首を締め上げられ、軽々と、そのまま宙に浮かされた。

 はらりと、女給がつけていた緋色の髪留めが落ちる。


「ここは!! 俺たちガウリイルが占領した!! だからテメェらは!! 俺たちの言うことを素直に聞いてりゃ良いんだよッ!! 分かったかッ!?」


 鼓膜を突き破らんばかりの怒声。

 それを間近で浴びせられた女給は酸欠になっていることも相まって、青白い顔で小刻みに頷くしかなかった。


「分かったら、さっさと酒と食いもん持って来やがれッ!!」


 衝撃的な光景に、誰かの悲鳴が木霊する。

 軽く放り投げられたように見えた女給は、五m以上は吹き飛ばされてカウンターを飛び越え、コップが置かれた木棚や雑貨類を破砕して、壁に激突させられたのだ。

 そのまま崩れ落ちて、倒れ込んだまま動かない。


「こ、これは何事だ!?」


 奥から壮年の男が現れ、目にした惨状に口角泡を飛ばす。


「お、おい、大丈夫か! くっ……貴様ら! 娘に何をしたッ!!」

「けっ……んだよ。ここには理解力の足りねぇヤツしか居ねぇのか? 店主だせ店主」

「私がここの店主だ! 乱暴者に出す酒と食事は無い! 出ていけ!」

「クククククク……見ろよ、コイツの足。口では威勢のいいこと言ってやがるが、足は震えてやがるぜ?」

「ダーハッハッハッハ!! 傑作だな!!」


 二m超の大男と対峙するには、店主はあまりにも平均的な体躯であった。

 しかも、相手は訓練された武装兵が三人。

 自分は丸腰で一人とあっては、あまりにも分が悪い。


「あんた!! やめときな!! ……ここは、素直に従おう」


 奥から更に壮年の女性が現れ、店主とガウリイル兵の間に割り込んだ。

 艷やかな栗毛にふくよかな肢体を持つその女将は、重ねた歳すら魅力的な雰囲気として纏ってしまったらしく、長期間の戦争で苛立つガウリイル兵を刺激するには、十分過ぎたのだろう。


「へぇ? いい女も居るじゃねぇの」

「んだよ、テメェは年増が趣味だったか?」

「俺はぁ、そこで寝てる小娘の方がいいなぁ」


 下卑た笑みが並ぶ。

 その好色な目線から、何を考えているかは想像に難くない。


「貴様ら……うちの従業員に手を出したら、ぇぁ……っ!?」

「な、あんた!?」


 巨躯に似合わぬ高速でガウリイル兵が動き、正確に店主の鳩尾へと拳を叩き込んでいた。

 くの字に体が折れて、そのままさっきの女給よりも勢い良く壁へと吹き飛んでいき、店主の意識は途切れてしまう。



◇◇◇◇◇◇



 次に店主が目覚めた時に見た光景は、悪夢――いや、地獄そのものだった。

 酒も、料理も、娘も、妻も……全てが敵兵に食い荒らされている。

 気絶している間に数を増したガウリイル兵たちにより、店内のテーブル全てが占領され、それぞれの卓上には無理矢理作らされたのであろう料理と酒がフルコースで並んでいて。

 給仕の役目を終えた女たちは、獣どもの意のままに嬲られている。


「がはははは!! ようやくお目覚めか? 店主さんよ」

「あん、た……」

「お、とう……さ、ん」


 既に息も絶え絶えの妻と娘が、父へと力ない視線を送った。

 知らない男に、抱かれながら。


「くっ……ぐぬぁぁっぁあああ!!」


 真っ赤になって発狂した店主は、彼我の力量差など顧みず敵兵の群れに殴りかかろうとしたが、それすらも許されない。


「ぶふっ……ぐははははははは!! 憐れな姿だなぁ!!」


 店主は、カウンター横の大きな柱に縛り付けられていた。

 拳を握りしめ、全身の筋肉に力を込めて振りほどこうと藻掻くが、微動だにしない。

 両手両足が縄で堅く固定されていて、ナイフでも無ければ解きようもない状態である。


 あまりの絶望に、真っ赤だった顔色が蒼白へと変わってしまって。

 大粒の涙が頬を伝う。

 どうして、こんな辛い目に合わなければならないのか?

 どうして、自分の家族が凄惨な蹂躙を受ける必要がある?

 どうして、どうして、どうして……神は、救いの手を差し伸べてくれない?


「……なぜ貴様らは、こんな非道な行いが、同じ人間相手にできる……?」

「なぜ、だと? はっ……知れたこと」


 悲痛な問に答えるガウリイル兵の、醜く愉悦に歪んでいた顔が、一瞬で無表情へと変わった。


「俺たちも、同じ屈辱を受けたからだ」



◇◇◇◇◇◇



 世界は流転し、山の稜線を歩く多数の人影が映し出される。

 黄昏時の沈みゆく赤き太陽に照らされながらガウリイル兵に誘導されているのは、手枷を嵌められ、互いに繋がれたソレイユ炎法国の民たち。

 列を成し歩くその様は、まるで奴隷市に運ばれる奴隷の群れ。

 全員、大小軽重様々な怪我を負っていて、衣服はボロボロ、目は虚ろ、顔色は絶望に青白く染まっている。


 各々、今しがた残虐非道な仕打ちをされたばかりだ。

 彼らを誘導する、屈強な敵兵の手によって。


「しっかしよぉ……」


 ガウリイル兵の一人が、そんな生気のない生ける屍の列を眺めて、疑問を呈す。


「ん? なんだ」

「いや、こんな抜け殻みたいな連中をかき集めて、一体何に使えるんだろうな?」

「さぁな。元帥殿のお考えは、一兵士の俺たちにゃあ分からねえよ。とりあえず生かして連れて来いってんだから、命さえありゃあ何かの役に立つんだろ?」

「んーなるほど。そだなー」


 それ以上の思考を停止したガウリイル兵は、黙々と山道を歩く。

 長蛇の列は、先ほど攻め落とした砦内に居た非戦闘員と投降したソレイユ兵、それらの監視員たるガウリイル兵の、総勢数万規模で構成されている。


 やがて辿り着いた地には、くり抜かれた山肌に大きな建造物が聳え立っていた。

 それは、獅子の彫刻が施された、高さ一〇m、横幅七mほどの巨大な石扉で――



◇◇◇◇◇◇



 再度、世界は流転す。

 灰緑色の石で作られた長方形の部屋。

 区画毎にアーチを描く天板は規則的に並ぶ円柱により支えられ、全てが中心から左右対称になるよう設計されている。

 入口側に明かりはなく、舞台のように足場が一段高くなった奥側の壁に、簡素な光灯が掛けられているだけ。

 その舞台上には祭壇のようなものがあり、傍には一人の美麗な男が立っていた。


 ひと目見て受ける印象は、物語に聞く吸血鬼。

 宵闇の色に似た長外套を羽織り、その細部に施された豪奢な黄金の装飾が、彼の身分の高さを暗にほのめかす。

 衣服の黒から覗く手や首元、そして顔は、暗闇で浮かび上がるほどに白く、病的だ。

 炎に照らされ妖しく光る黒髪は、肩に掛かる毛先数cmだけ、血のように赤い。

 細身の長身から冷たく見下ろす切れ長の双眸は、髪の毛先と同じく鮮血の如き赤さで。


 その視線の先には、後ろ手に両手を縛られた初老の男性が一人、床に跪いている。

 勇ましき甲冑姿で見上げる瞳には、憤怒と恐怖、その二つが綯い交ぜになって浮かんでいた。


「我らを、どうするつもりだ。ヴィルフリート!」

「おや、それを説明する必要があると思うかい? 無様な敗軍の将なんかにさ」

「なんだと!? 貴様……それが一国の元帥たる者の態度か……っ!!」


 悔しそうに歯噛みする初老の男性。

 口角泡を飛ばしながら尚も非難の声を浴びせる。

 対するヴィルフリートと呼ばれた男は、さも愉快げに口元を歪め、邪悪な笑みを湛えたまま初老の男性を見下していて。


<……元帥閣下>


 そこへ、ヴィルフリートに対する法力通信が入った。


「なんだ?」

<はっ。儀式の準備が整いました>

「分かった。……さて、では行くとしよう。準備ができたそうだよ」

「どこへ行くというのだ?」

「フフフ……それは、着いてからのお楽しみさ」


 怪訝な顔をする初老の男性を魔術で引き上げて立たせると、ヴィルフリート自身は松明が掛けられた壁の方へ移動する。

 そして二つの松明の間に立つと、壁に片手をつき、法力信号を流し込む。

 するとその壁が左右に割れて、真っ直ぐ奥へと続く通路が現れた。


「さぁ、付いてきたまえ。言っておくが、君には拒否権など存在しないからな?」

「……くっ」


 静かな物言いだが、ヴィルフリートの言葉には有無を言わさぬ迫力が内包されている。

 初老の男性はそのこめかみに脂汗を流しながら、言われるがままに黙して付いて行く。



◇◇◇◇◇◇



 しばらく通路を進んで出た先には、かなり広い空間が存在していた。

 見上げれば、天井はどこまでも続いていそうな深い闇に占領されていて……その圧迫感たるや、吸血鬼めいた畏怖を抱かせるヴィルフリートですら、比ではない。


「ここは……なんだ?」


 思わず呟いた初老の男性は、暗闇をそれ以上見ていられず、地面に視線を落とす。

 平らな石造りの床は、水平方向に数百mは丸く広がっていた。

 その中央に鎮座するのは、巨大な何かの結晶体らしきもの。

 無色透明だが、松明の僅かな光でも中へ入れば七色に変化させ、動かしてもいないのに光沢が揺れて波を打たせるその綺羅びやかさには、幻想的という形容が相応しい。


「ここが何か、興味があるかい? 残念ながら、それも説明する必要はないな。ただ、先ほどとは別の理由だけどね」

「どういう意味だ?」

「フフフ……じきに分かる、ということさ」


 暗闇の中、松明の炎に照らされたヴィルフリートの顔は、酷く歪んだ笑みを湛えていた。

 その笑みに薄ら寒さを覚えた老将は、それ以上は何も言えず、口をつぐんでしまう。


「さぁ、見たまえ」


 両手を広げて空間を抱くように見上げるヴィルフリートに呼応し、全ての暗闇が払われた。

 光源が一体どこにあるのかも不明だが、空間内が徐々に照らされ、明度を上げていく。

 すると見えなかったものが見えてくる。

 闇に紛れて気づかなかったが、何十人もの兵士がこの空間内にいて、作業をしていたらしい。

 そして、単なる床や壁だと思っていたものは――


「これが……」

「なっ!? なんという、ことを……っ!!」


――すべて、透明なる棺。


「これこそが、世界最高峰の魔導工学だよ!」


 頬を染め恍惚とした表情で、高らかに叫ぶヴィルフリート。

 対して老将は蒼白になり、絶望で膝をつく。


 広大な床、巨木の如き列柱、頂上の見えぬ絶壁、空中を渡る無数の梁……その全てに、ソレイユ炎法国に僅かに残っていた数万の民が、埋め込まれていた。

 何か透明な繭にでも抱かれるように。

 まるで眠っているかの如く、安らかな顔を浮かべて


「クククククク……ふははははは、あははっはははははははははああはあっはははっ!! ……良いぞ。貴様、良い絶望の顔をするじゃないか? その強烈な負の想念が、我が研究を後世へ残すための、良質な刻印となろう」


 歪んだ笑みは深みを増す。

 ヴィルフリートの手には、小さな法具――完全球体の小さな水晶石が嵌め込まれた石細工――が握られていた。


「さて、憐れなる敗軍の将よ。君は一軍の将としては私に負けたが、想念記録係としては私に勝るようだ。よって褒美に、その耐え難き苦痛からはもう、解き放ってやろうじゃないか」


 ヴィルフリートの手振りによる合図で、控えていた兵士たちが慌ただしく動き出す。


「さぁ、あちらが特等席だ。丁重にご案内して差し上げろ」

「「はっ!」」


 老将の脇を兵士二人が抱えて立たせると、そのままヴィルフリートが指し示す先へ引っ張っていく。

 その示す先、空間の中央にある結晶体付近には、奇っ怪なオブジェが地面から浮かんできていた。

 透明な繭のようなものが、口を開けて待っている。


「な、やめろ……離せっ……!」


 老将は抵抗するも虚しく繭の中に押し込められ、その意識ごと蓋を閉じられてしまう。


「では、始めよう」


 結晶体付近に悠然と歩み寄ったヴィルフリートが地面へ手をかざし何かを呟くと、地面が指揮台のような形でせり上がってきた。

 何もない台上に細くしなやかな白い指を乗せ、ピアノでも弾くように這わせると、結晶体が淡い光を帯びていく。

 更に空間全体の幾万もの人柱繭も励起され、淡く輝きを帯び、生贄の儀式が順調に進む。


 その静謐な空間を、巨獣の慟哭にも似た轟音が劈き、かき乱した。

 次いで、地面が激しく揺れる。


「な、なんだ!? 何が起こった!?」

「地震かっ!? まさか敵襲ッ!?」


 蜂の巣をつついたみたいに、慌てふためく兵士たち。

 その中で一人冷静な指揮官、ヴィルフリートは、姿勢を絶妙なバランス感覚で保持しながら、現状の分析をしていた。


「ふむ……これは、噴火だね」


 魔法により周辺地域の状態を把握したヴィルフリートは、現状への対応方針を即断する。


<静まれ! 聞け、ガウリイル兵士諸君>


 魔法による思念通話を無詠唱で発動させ、更には数万もの自分の部下全てに同時接続をしてのけた。


<現在、霊峰ソレイユが噴火した。持ち場を破棄し、速やかに退避せよ。……繰り返す。現在、霊峰ソレイユが……>


 法力が乗せられた言霊は全兵士に満遍なく浸透し、彼らに落ち着きを取り戻させ、即座に必要な行動へと移行させることに成功。

 これが、若輩にして総指揮官たる所以か。


「……全く。良いタイミングで邪魔してくれるじゃないか? 霊峰の主よ」


 ヴィルフリートは、虚空を見つめてそう呟いた。

 その呟きに乗せられた怨嗟が、虚空の先を見通し、記録媒体へと書き留める。

 虚空の先、数km離れた火口付近には、ノイズが邪魔をして不明瞭だが、【龍】の輪郭が見てとれた。

 巨大な化物蜥蜴に鋭利な角と剛毅な翼を生やしたような、噴き上がる溶岩の中で威風堂々と構える龍の姿。

 そのギラつく双眸は、まごうことなくヴィルフリートの視線と衝突していた。



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