◆18・奈落にて深淵を覗く

 地中の隙間を、激流に押し流されている。

 光源一つない真っ暗闇の中、まるで遥か地獄の奥底まで追い落とされて行くようだ。

 状態としては水流付きの滑り台に似ているが、人が滑ることなど想定されていない天然製なので、当然凹凸が激しい。


 ゼノアはリアレを胸に抱いて保護し、その身を呈して衝撃から守っていた。

 飛び出た鋭利な岩石が肩を掠めて服が破れ、曲がり角に差し掛かる度にゴツゴツした地層と背中が激しく衝突する。

 泥混じりの濁流に飲まれたままだから息もできない。

 途中で荷物は吹き飛んだし、髪を縛っていたリボンも無くなった。


(このままだとマズイ!)


 濁流から逃れようと両足を踏ん張ってブレーキをかけ続けるゼノアだが、流れの力が強すぎて効果が薄い。

 何とか異能【天征眼】の力を使って、暗闇でも障害物や危険箇所を察知し、回避してきた。

 しかしこの先の難所は、これまでの方法では太刀打ちできそうもない。


(道が、途切れてやがる!)


 道が、無くなる。

 その言葉通り、ある一点から先には何も見えず、ただ闇が広がるばかり。


 断崖絶壁。

 数百mの巨大な空隙が広がっている。

 落ちれば、流石にどうなるか分からない。


 だがどうすれば?

 自身の膂力では手に負えず、使えそうな道具があるわけでもない。


(何か方法は……いや、道具?)


 その存在に思い至り、ゼノアは右手をリアレ保護から離し、滑る地層に押し当てた。


(頼むぞ……【黒刃紅霧くろばあかぎり】!!)


 燃え出づる黒き刀身に、紅き宝玉があしらわれた直刀。

 赤熱する刀身を地層に突き立て、深く突き込み、ブレーキ代わりに使う。

 深く刺さった後は火炎の法力を抑え、摩擦力を高めて減速効果を上昇させた。

 少しずつ落ちていく速度。

 しかし、断崖絶壁はもうすぐそこで――


 両足が崖先に投げ出されたところで、ようやく停止。

 先に、濁流が途切れてくれていた。

 そうなれば押し流す力が消え、減速制動力の方が勝る。

 何とかギリギリで静止することに成功し、ほっと一息をつく。


「はあぁぁぁ~……流石に死ぬかと思った。おいリアレ、大丈夫か?」

「…………」


 声掛けに、反応がない。


「ん? リアレ?」


 見れば、ゼノアの左腕にもたれ掛かり、ぐったりと微動だにせずにいる。

 色素の薄い白き頬に濡れた金髪が張り付いているが、それを払う素振りもなく。

 口元に耳を傾けてみても無音――呼吸音が無い。

 胸元を見れば、精緻な刺繍を施された蒼き長外套の止具部分は上下に動いておらず、むしろ不動――即ち、肺が動いておらず、呼吸をしていなかった。

 そして【天征眼】により内部を透視すれば、心臓まで止まっている。


「心肺停止!? マジかよ!!」


 ゼノアは【黒刃紅霧くろばあかぎり】を掴む右手に力を入れて素早く身を引き上げ、安全を確保できる場所を探す。

 黒刀の力で水路に横穴を開け、その先に広がる空間――人工的な石造りの祭壇のような場所へとリアレを運び入れ、平らな石床に横たえる。


「あぁ~と、こういう時は……どうしたらいいんだっけ!?」


 間髪入れず【全智の泉】から回答があった。


 曰く――蘇生措置は特別な道具等が無い場合、胸骨圧迫と人工呼吸により行う。

 胸骨――胸元中央の骨に片手の掌底を合わせ、その上にもう一方の手を組んで乗せ、上から体重をかけて一分間に一二〇回程度の速さで三〇回、押す。

 その後、人工呼吸が可能なら気道確保――額を押下、顎先を挙上し、両鼻を抑えてながら胸が膨らむ程度に一回一秒で二回吹き入れる。


 これをひたすら繰り返すが、一人でやり続けるには限界があるので、助けを呼べる状況なら、まずは助けを求めること。

 意識が回復するか、救命の専門家に引き渡すまで、あるいは協力者との交代まで続けるべし。


「はぁ……やるしかねぇか。んーと、まずは、胸骨圧迫?」


 ゼノアはリアレの胸元中央に手を置き、手順通りに蘇生措置を開始。

 途中少し冷静になったのか回復法術の存在を思い出し、両掌を介してリアレに法力を送ることに。

 三〇回の胸骨圧迫を終え、次は人工呼吸をしようと気道確保をした、その時――


「げほっ……! がはっ、かふっ……」


 リアレが突然横を向き、水を吐き出した。

 心臓が動き出し、呼吸も戻ったらしい。


「はぁ、良かった……」


 ほっと胸を撫で下ろし、ゼノアはくたびれた様子でへたり込んだ。


「はぁ……はぁ……何が、あったの?」


 息も絶え絶えのリアレが、それでも現状を確認すべく起き上がろうとする。

 それを支えながら、ゼノアは返答を紡ぐ。


「恐らく――心臓震盪だな。心臓に強い衝撃が加わると、いきなり止まることがあるらしい」

「……心臓、しんとう?」

「ああ。それを引き起こした原因は、あんとき頭上から噴き出した鉄砲水だろうさ。ま、お互いよく生きてたよ」

「水……そっか、私、水に押しつぶされて……流され、て……」


 恐怖が蘇ったのか、リアレを自身の両肩を抱いて身を震わせた。


「ん? まずは暖を確保するか。何か燃やせるもの……あるかな」


 それを寒さからの震えと受け取ったゼノアは、薪材確保に動き出す。

 黒刀の紅炎で辺りを照らせば、暗闇に埋もれていたその輪郭が浮かび上がってくる。

 今居る場所は、この長方形の空間内では一段高い場所に位置し、幸いにも周囲が良く見渡せた。

 見れば大小様々な瓦礫が散乱していたが、それでも丁寧に均された石造りの祭壇である。

 祭壇より下は天井や壁から流入し続けている雨水で満たされていて、さながら地底湖と化しており、祭壇と反対側の短辺は、虚無へと続く断崖絶壁――先程ゼノアたちが落ちかけた方向――になっていた。


 瓦礫は祭壇上にとどまらず地底湖上にも漂っており、土や石が多い中、少量だが木材も紛れ込んでいたので、ゼノアは樹上を飛び移る猿のように素早くそれらを拾い回り、リアレの下に集積していく。

 それらを風が通りやすいよう組み上げて黒刀の馬鹿げた火力で火をつけ、丁度よい高さの石柱の欠片を持ってきて、どっかりと腰を落ち着けた。


「ありがとう……」

「おお、気にすんな。それより、その濡れた服、脱いで乾かした方が良いぞ」

「そう……え?」


 一瞬会話の内容が頭に入ってこなかったリアレは聞き返そうとゼノアを見るが、その行動を目の当たりにして、聞き返す必要性を失う。

 ゼノアは己が言葉通り、靴や服を脱ぎ始めていたから。

 そして石柱の欠片の端に、乾きやすいよう火に向けて干していく。

 パンツ一枚になり、リアレの方を見た。


「ひっ……」

「ん? 脱がないのか?」


 怯えて引くリアレだが、ゼノアはそんな様子を意に介さない。


「あ、あのね……そう簡単に、異性に裸身を晒すものではないのよ。王族なら、尚更に」

「はぁ。んじゃ……目隠し的なものがあれば良いか?」


 ドカッ! と、鈍重な音を立て、大きな石版がリアレの横に突き立った。


「きゃっ!?」

「よし……とりあえず、これで俺からは見えないぞ」


 ゼノアは石版の端から、得意気な笑顔を覗かせてリアレの言葉を待つ。


「……でも貴方には、便利な眼があったわよね?」

「そこを気にしだしたらキリがないぜ? その気になれば服の上からでも透視できるからな」

「その気になったことは?」

「ないよ」


 じっとゼノアを見つめるリアレ。

 おどけた様子で皮肉げな笑みを浮かべるゼノアだが、その透き通るような蒼き瞳に、嘘偽りは無いように思えた。


「……分かったわ。絶対に覗かないでね」

「おう。俺はまた、燃やせそうなもんでも探してくるさ」


 宣言通り、ゼノアはその場からすぐに遠ざかっていく……もちろんパンイチで。

 リアレは遠ざかっていく足音を聞きながら、衣服を脱ぎ始めた。


 ふと見れば、干しやすいように配慮してか複数の石材や石版の欠片が周りに配置されている。

 リアレは少し躊躇しながらも、白い下着姿になった。


「お、干し終わったか?」

「ええ」


 やがて両脇に大量の木材を抱えて戻ってきたゼノアは、火にあたるリアレの後方にも組み木をし始める。

 どうやら、前後から暖める作戦らしい。

 手早く組み終えて火をつけると、再度どっかりと元の場所に腰を落ち着ける。


「ねぇ、ゼノア」

「ん?」


 石版の影から黙々と薪をくべる火の番に、王女は問う。


「貴方、私を助けてくれたのよね? ありがとう」

「あぁ、気にすんな」

「それで……胸を圧迫されているような苦しさは分かったのだけど、私は、人工呼吸をされたのかしら?」

「いや、してない。する前に目覚めたから」

「……そう」


 それきり、リアレはまた少し黙ってしまって。


(何が聞きたかったんだ、コイツは?)


 ゼノアには、その胸中を推し量る術が無い。


「あの……」

「んぁ?」


 思考麻痺に陥った者からは、可笑しな声が出たりする。

 しかし呼びかけたリアレはその間抜けさに気がつかぬほど、何か余裕のない状態で。


「貴方は確か、『花畑で目覚めた』と言っていたわよね? そこはもしかして、木々に囲まれた円形の広場だった?」

「んーそんな感じだったな。あの場所について、何か知ってるのか?」

「やっぱり……あの場所は、代々王家が守ってきた【最果ての神域】と呼ばれる儀礼を執り行う場所なの」

「ふーん?」


 国の重要区域だと明かされたわけだが、ゼノアにはその凄さが伝わらない。


「思い出して。花畑の中心に、石版が埋まってなかったかしら?」


 間仕切り石版越しのリアレの視線が、鋭さを増す。


「中心……?」


 記憶を掘り返すゼノアだが、掘り返すモノが少ないのですぐに思い当たった。

 そう、あれは――


「あ、あぁ。それなら、あった、けど……」

「……けど?」


 ゼノアは珍しく動揺し、冷や汗が頬や背を伝っている。

 持ち主として、いや宿主として、責任を感じているのか。


「空から刀が降ってきて、その……ぶっ壊しやがった」

「…………そ、そう」


 それから何か言いたげに、しかし口をつぐんだリアレは、頭を抱えて俯いた。


(……詰んだ)


 悲壮感が、石版越しでもゼノアに伝わるほど、周囲に漂う。


「あーでも何かアレだなぁ。なんとなーくだけど、ここの石版と雰囲気似てたかも?」

「え? ほんと?」


 ゼノアの言葉に顔を上げ、間仕切りとして使われている一際大きな石版を見る。

 言われてみると確かに、幼き日に一度見た、例の石碑と似ているかもしれない。


「作られた年代は、同じ頃……なのかしら。いやでも……」


 ぶつぶつと独り言をこぼしながら思案を巡らすリアレ。

 逆に考えるのをやめたゼノアは、ただの火の番に戻る。


 しばしの無言。

 木が爆ぜる、乾いた音が響く。

 未だに雨水はあらゆる方向から流入し続けているが、断崖絶壁に吸い込まれていくので水没の心配は無い。


「ねぇ、これって……」

「ん? どうした?」


 不意に、リアレの声が届いた。


「何か文字……みたいな溝があるのだけど、そちら側はどう?」

「文字? どれどれ」


 リアレに言われて間仕切り石版の方を見てみると、確かに薄くて分かりづらいが、文字のような彫り込みがある。


「おお、これは文字っぽいな」

「そっちにもある? なんて書いてあるのかしら」

「えーと、そうだな……どうやら、これは記録媒体らしいぞ」

「……え? 貴方、これが読めるの?」

「いや、視て解析しただけ」

「便利な【眼】をお持ちね……。それで、記録媒体と言った? なら、これは何を記録しているの?」

「気になるなら、見てみるか」


 そう言うと、ゼノアは石版に片手を触れて、法力を流し込んだ。

――途端に、青白く発光し始める文字列。


「使い方まで分かってしまうのね……でも、見る? その記録って、【見るもの】?」

「らしいぜ。何が拝めるかは、起動しなきゃ分からんが」


 ゼノアは愉快げに口元を歪める。

 対してリアレは、神妙な面持ちで頷いた。


「そう……。なら、お願いできるかしら」

「分かった。石版に手を触れな」

「……触れたわ」

「よし、じゃあ始めるぞ」


 ゼノアは解析結果を元に、自身の法力を信号化して起動コードを打ち込む。

 微弱な法力の流れが【0】で、その五倍以上なら【1】と判定される仕組みらしい。

 この【0】と【1】の組み合わせで様々なパターンを作り、それぞれのパターンに役割を持たせている。

 例えば、【0010】なら【2】を意味し、【1001】なら【9】というような。


(二進数を基礎とし、十進数や文字列を定義しているのか)


 起動された石版の機能は、触れている対象の脳裏に【記録映像】を投影すること。

 末梢神経を通して法力の波が送られ、見ている者があたかもその場にいるかの如く、記録当時の世界へと引き込んでしまう。


(これ、は……っ!? マジかよ、想像以上だな……!!)


 それはまるで、その場に瞬間移動したかのようだった。

 別の場所、異なる時間、違う季節……その温度や匂いに至るまで、鮮明に再現できてしまうとは――



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