◆25・穢れし石の巨人

 雨上がりの高原に突如現れたのは、灰緑色の威容を誇る石の巨人。

 人型をしているが、背には二対四本の腕が余分についている。

 海風に吹かれた白き雲霞が五〇〇mほど上空で山肌に引っ掛かる中、おもむろに二足で起き上がり、足より長き六手を地に突き刺して、上り方向へと動き出す。

 その身に纏わりつく余分な外壁や岩塊を、地に落としながら。


 さながら隕石が降り続く無差別処刑場を、合間を縫い、あるいは弾き飛ばしながら駆け抜ける一団がいた。


「こっちだッ! 転ぶなよッ!」


 長き金色の髪をなびかせ、先頭を行くのは聖魔導士ゼノア。

 ソレイユ駐屯軍の詰所でもらった紅の長外套と白のデニムは、既にボロボロに破れ泥で汚れており、もはや見る影もない。

 白と黒の双刀を引きずるように持ちながら、進行ルートに岩塊が降ってきたら即座に斬り飛ばし、無害化している。


「わわわわわわっ! 死んじゃう死んじゃう~!」


 続くフィーのローブは深緑を思わせる綺麗な緑色のままで、目深に被ったフードと黄緑色の髪で相変わらず表情を隠している……が、恐らく涙目だ。


「ふむ。見事なルート選びだな」


 ラーシュは激しく走りながらも、紅茶色の髪も、紺を基調とした礼服も乱すことがない。


「……ええ、無駄がないですね」


 イストたち騎士隊は、王女と護衛二人を挟んで駆ける。

 白蒼の軽鎧とハーフヘルムは、大きな損傷なく健在だ。


「もぉ、土埃酷すぎぃ! あぁヤダヤダ……これじゃ汚れちゃうじゃない」


 赤いヒール、真紅のドレスに漆黒のカーディガンという些か運動には不向きな出で立ちをしているディアナだが、魔法による補助を効かせて難なく一行の速さについてきている。


「無事帰ったら、湯浴みすれば良いだけの話です。黙って走って下さい」


 近衛騎士の軽装――紅き外套と白の下衣を纏うツキナは、艷やかな黒きポニーテールを揺らし、リアレを支えながら走っていた。


「……ツキナは、容赦ないわね」


 そのリアレの蒼き外套は、ゼノアの次にボロボロになっている。

 けれど、その表情はこれまでとは見違えるほど晴れやかだ。


「しっかしまさか、やっこさんも目的地が同じとはなぁ……」

「まずは街を潰すつもりなんですかね……?」


 オルヴォがぼやき、それをエリナが拾う。

 一行はゼノアの法力により身体強化されていて、かなりの速度で移動しているのだが、進行方向が同じなので中々振り切れない。

 石巨人は歩幅がその体高ゆえにとても長いのだから、当然だが。


「よし、もう大体安全圏だろ。俺はヤツの足止めにかかる!」


 躱し切れない岩塊に【白刃蒼輝はくじんそうき】を一閃し、氷の塵にして吹き飛ばしながら、ゼノアは一人左に逸れて、群れから離れる。

 ゼノアの言葉通り、それ以降は空から降ってくる物はなくなり、岩塊の処刑場から抜けた。


「わわわっ! 僕も行くってばッ!」


 慌てたフィーは、後続の邪魔にならぬよう右に逸れる。


「あぁ、二人とも頼んだよ!」


 檄を飛ばすラーシュが先頭を代わり、温泉街ソレイユに法術通信で設置させた対策本部を目指す。


 高原の緑を踏み荒らし、木石を踏み砕きながら、石巨人はその歩みを止めない。

 ゼノアは左足側に潜り込んで並走し、高く持ち上げられた巨塔の如き豪脚を見上げる。

 その足が、地を穿つ瞬間――


「ここだッ!!」


 体内で練り上げた法力を、足裏から法術に変換して撃ち放った。

 巻き起こるは土龍の鳴動。

 ゼノアの足元から巨人の着地予想地点まで数十mが黄色く眩い輝きを帯びたかと思えば、次の瞬間には爆音を上げながらうず高く土が吹き上げられ、硬い地盤が瞬きする間に柔らかな土へと変えられた。

 当然、そこに足を付けば泥濘ぬかるむ。

 石巨人の左足が、地面に深くめり込んだ。

 バランスを崩し、その進行が止まる。


「さっすが~♪ こっちも行くよーッ!」


 右足側から喝采を送るフィーは、既に弓を構えていた。


「狙うは足だね――【鮮烈なる白き悲愴ユース・ヴィート・セリア!】」


 放つは白き法力の矢。

 今日、幾度となく見せてきた、陽の法力が込められた爆裂弓術だ。

 空を穿って進む白光矢は容易く命中し、岩肌に突き刺さり爆発。

 中の人柱ごと粉砕し、直径二mほどのクレーターを形成した。

 それを、右足だけに集中して連射していく。


「そういや技名つけるメリットもあるんだったな。俺も考えてみるか……」


 名をつける事のメリット。

 一つは、想像・想起し易くなること。

 二つには、言霊・音霊の力が乗ること、だとフィーは言っていた。


 重い地鳴りを響かせて、石巨人は左膝をつく。

 六本の腕を地に突き立て、倒れ込むのを防いだが、当然歩みは止まっている。

 ゼノアは技名を考えながらも、その腕の下を掻い潜り、自ら地に埋め込んだ左足へと向かい疾走。

 数十mの距離を二、三歩で詰め、跳躍して石巨人の左足を駆け上がる。


 大腿部を通りかかると――


「おわっ――」


 白い亡霊が、石の中から手を伸ばして来て。


「さっきぶりだな!」


 その顔を、悪い笑みを浮かべたゼノアに、踏みつけられた。


「――龍潜波りゅうせんはッ!!」


 龍が潜る波――そう名付けられた、石巨人の左足を埋めた法術は、亡霊ごと大腿部の表側を直径三mほど爆散させて瞬時に抉る。


「チッ……やっぱ土のようには行かねぇか! 技名は良さそうな響きだが……」


 土の地面なら数十mを容易く耕す法術だが、石だと波の伝搬が悪いのか、規模がかなり縮小された。

 それでもやらないよりはマシだろうと、ゼノアは一歩ずつ爆散させながら石巨人の胸部目指して登っていく。

 そこには、核が――あの結晶体があるから。


「まずっ……!」


 だから当然、守りにくる。

 横合いから伸びてきたのは、自らの腹部をこそぎ落とすような、巨木の如き石の右豪腕。

 ゼノアの進行を読んで、叩き潰す軌道を描く。

 ゼノアは咄嗟に両足を止め、腹部から離れるように斜め上方へと跳躍して回避。

 無茶な使い方でボロボロになった黒いブーツの先をかすめて、風を唸らせながら圧倒的な巨大質量が通り過ぎる。


 直後、やってきた風圧に身を煽られ、空中での姿勢が乱された。

 そこに、第二波が迫る。

 今度は反対側から、狙いすました左腕の一撃。

 圧倒的な重量差だ。

 当たれば人の身など、熟れたトマトを鉄槌で叩き潰すかの如く、赤い飛沫しぶきと細かな肉片へと変えてくれるだろう。


 無論ゼノアには、その軌道など視えているし、当たるつもりも無い。

 腕の先端――各拳に、位置把握の敵性マーカーをつけてあるから、仲間たちに対しても死角からの攻撃は通用しないようにしてある。


 空中で身をよじり反転させながら、向かう先に【白刃蒼輝はくじんそうき】を出す。

 陽の能力――斥力を発生させ、それを足場に石巨人本体の方へ三角飛び。

 目標へ向かいながら、死の鉄槌を躱す事に成功。


「ついでだッ!」


 行きがけの駄賃に、拳を振り切ったまま止まる右腕を、白刀で切りつけていく。


凍芯裂散華とうしんれっさんがッ! ――って硬ッ!?」


 想定していたよりも、破壊できなかった。

 太刀筋に沿って三〇cmほどの幅で抉った程度。

 先刻の螺旋上昇中は、同じ規模の橋を一〇mほど一気に粉砕できたのに。

 当時と今の違いは、結晶体と連結されているか否か。


(連結……そうか、法力で強化されているんだな)


 良く眼を凝らして視れば、岩肌の下を血脈を伝うように、禍々しい法力が循環している。

 だからこそ、筋繊維や駆動機構を持たない無機物なのに、動けているのだ。


(生物だけじゃなく、無機物までも強化し、制御できるのか)


 法力の奥深さについて思考を巡らせつつ、丘の如き石巨人の腹部を蹴って更に上へ。

 ついに、胸部へと辿り着く。

 まずは呼び戻した白刀を、横薙ぎ一閃。

 表層の一部を氷の礫に変え、胸板を真一文字に抉る。


 役目を終えた白刀を転移させ足場とし、今度は黒刀を胸部の中心へ突き刺す。

 万有引力の定数を、本来いじる事のできないはずの数値を改竄し、局所的かつ一時的に増加させる。

 刹那、黒刀を中心とした直径二mの球状範囲が、超高速圧縮された。


拉獄焼尽葬らごくしょうじんそうッ! ――って重ッ!?」


 急激に増加した質量――数tは、当然持ち手に掛かってくる訳で。


「なんだこれ……洞窟の岩石とかの比じゃねぇ!!」


 法力含有量が影響してるのか、あまりの重さに黒刀を取り落しそうになったので、両手で持ち、即座に超高温にて蒸発させた。


「はぁ……こんだけ頑張っても、この程度しか削れねぇのかよ」


 一発二m削ったとして、届くまでは三〇m――単純計算であと一五撃入れれば、あの結晶体へと至るだろう。

 そんな悠長に相手が待ってくれるとは思えない。

 白刀で拡散させた方が早いか。

 出来た穴に入り、次は白刀を突き入れようと振りかぶった所で、一瞬生じた違和感に気づく。


<――無駄だよ>


 突如繋がれた念話回路。

 聴こえて来たのは――リニの声だ。


<リニ!?>


 それに気を取られたのが運の尽きか。

 背後を、死神モドキに取られている。


(融合したんじゃなかったのかッ!?)


【天征眼】で即座に見えてはいたが、反応できるか否かは、身構えているか否かに依存してしまう。

 大鎌が、ゼノアの肩口めがけて振り下ろされる。

 ダメージより当てる事を優先した、素早く鋭い軌道。


「――ぐぁッ!」


 咄嗟に白刀を背に転移させて凌ぐも、勢いまでは殺しきれず、穴の奥へと叩きつけられた。

 途端に、わらわらと内部から手を伸ばしてくる亡霊たち。


「な……ッ!?」


 四肢が、胴が、頭部までが拘束され、身動きができなくなる。


<ゼノアッ!?>


 念話で届いたのは、フィーの焦燥。

 気づけば後方の死神モドキは瞬きする間に増えていき、今や一八体に。

 近くの三体が、一様に大鎌をゼノアへ突き刺そうと振りかぶっていて。

 前方――石の中からは、亡霊がゼノアの首に手をかけた。


「これで、どうだっ!」


 フィーの放った白矢が、石巨人の右足で炸裂。

 ガクンと、石巨人は崩れるように下方へ腰を落とす。

 同時にゼノアの位置も引き下げられ、目標がズレた大鎌は石巨人の胸部上方へ振り下ろされた。


 フィーの成果である。

 フィーが放ち続けた高精度の白矢によって、石巨人の右足首は今やその半分が削られ、ついにバランスを保てなくなり右膝もつく形になったのだ。

 即座に三本の腕を地面につき直して、その巨躯を支える。


 残る三本で、反撃するつもりらしい。

 尚も法力の矢を錬成するフィーに拳が振り下ろされたが、危なげなく軽やかな足捌きで回避している。


<――助かった!>


 ゼノアは黄金の法力――火水土の三種混合――を瞬間的に纏い、亡霊を焼いて引き剥がすと、即座に反転。

 まずは邪魔な死神モドキどもを蹴散らすべく、上方に向けて跳躍した。


 規格外の速度で上昇。

 すれ違いざまに振り抜く黒刀は、音速を突破する。

 至近距離にいた三体が、まとめて鹵獲され、黒刀の薄膜と化す。


「ハッ! やっぱテメェらは軽くて良いなッ!!」


 空中に置いた白刀で方向転換。

 宙を漂う二体を狩り、他の死神モドキたちも逃さぬよう敵性マーカーを施す。

 伸び来る石腕を白刀で撫で斬り、肩口を龍潜波りゅうせんはで蹴って抉りながら飛び上がり、頭上から折り返しの急下降。

 音速の刃は、石巨人の首を、胸を、腕を氷塵に変えながら、同時に死を欲す魔物たちに焼尽の終わりを与えてゆく。


 収縮からの焼尽と、凍結からの拡散。

 あれだけ頑健に思われた岩肌が徐々に引き剥がされ、ボロボロと地に落下していく。

 死神モドキも、数秒の内に残り五体にまで減少。


<ゼノア! 核を!>

<――おうッ!>


 フィーの方へ三体死神モドキが向かったが、そのフィーが核を優先しろと言った。

 ゼノアはフィーを信じて、結晶石が埋まっている胸部へ。

 先程自分が削った箇所に飛び込み、白刀を突き――


「――ッ!?」


 息を呑む。


<かかったな? バカめ>


 眼前から押し迫るは、質量の暴力。

 突き刺した剣先の方から――結晶石の方から、新たな石腕が生えてきた。

 それも、至近距離では回避しようもない、絶望的なまでの速度で。


「がっ――」


 咄嗟に白刀をかざして防御姿勢を取るも、法力で斥力場を発動させる余裕がない。


――直撃。

 巨木の如き石腕が、ゼノアの全身を拳で捉え、轢き飛ばした。

 四肢が千切れそうなほどの衝撃。

 身体は軽いボールでも弾いたかの如く水平に吹き飛ばされ、同時に意識も飛ばされて。


<きゃぁッ!? ゼノアッ!?>


 思わず性別隠蔽の件を忘れた悲痛な叫びが、念話回路に連結された全員に、届いた。


――およそ中間地点まで駆け抜けていたリアレたちが、背後を振り返る。

 空を、何かが高速で通り過ぎた。

 その後に降りかかるは、水滴。


 リアレは、頬にかかったそれを指で掬い、目の前に持ってくる。

 赤い、血だ。

 まだ生暖かい、ヒトの血。

 おそらく今、上空を飛んでいった者の。


 そこまで認識した瞬間、リアレの顔から血の気が引く。


「ぁ……ッ」


 声に鳴らない悲鳴。


<どうした? 何があった!>


 ラーシュが鋭く反応し、念話を飛ばす。

 だが、もう答えは大体分かっている。

 相互位置把握が、先程の飛来物はゼノアであることを告げているのだ。


<ゼノアが、敵の攻撃を受けて……>

<なんてこと……>


 誰もが、その死を想像してしまう。


<……大丈夫だ。心配、すんな>


 けれど、ゼノアからの念話がすぐにきた。

 念話のやり取りを聞いて、意識を取り戻したらしい。

 だが本人は依然、空を切る弾丸と化したまま。


<大丈夫なワケないでしょう!? こんな時に強がらないでッ!>


 悲痛な叫びをあげたのは、いつも冷静な姿を見せていたリアレ。


<怪我、しているんじゃないの!? いまそっちに――>

<必要ない! 俺は、自力で何とかできる! それよりも、フィーを……!>


 一人取り残されたフィーは、いまや死神モドキと石巨人から挟撃を受けている。


「……どうします? 殿下」


 ツキナの問い。

 リアレは歯噛みして、数秒考えた後――


<フィーを助けに行くわ! 皆、手を貸して!>


 危険を顧みず、自ら戻り、救援に向かうと言い出した。


「殿下ッ!? ご冗談を!」


 イストが噛み付く。

 護衛対象であり、国家唯一の王族なのだ。

 心配するのも当然である。

 だから、リアレもその意図を汲み、不敬には問わない。


「イスト……私の身を案じてくれて、ありがとう。けれど――私も戦いたい! もう逃げてばかりいるのは、うんざりなの! それに……ここで負けてしまうのなら、どのみち私に国家元首なんて務まらない。試したいのよ! 自分の資質をッ!」

「殿下っ……そこまで言われるのでしたら、私も、お供致します」


 イストの賛同を契機に、続々と賛同を表明する騎士たち。


「はぁぁ……仕方ないわねぇ……私は、あなたに付いていくだけよ」

「行きましょう、殿下」


 護衛騎士たるディアナとツキナも、追従を表明した。


「ありがとう、皆……」


 そして、一行は踵を返し、フィー救出へ向かう。


(行ってくれたか……あっちは、何とかなりそうだな。俺は――強がってみたが、さてどうするかね……)


 お花畑以前の記憶は無いので、ゼノアにとっては、現在、生まれて初めて負傷したようなものである。

 それも一撃で、満身創痍に追い込まれた。

 受けてみてようやく実感したが、アレは質量もさることながら、その内包する法力量もやはり規格外で。

 それをまともに受けて、よく四肢が千切れず残っていたと思う。


(全身クッソ痛い。まだ意識がハッキリしねぇ……)


 血を撒き散らしながら、放物線を描く。

 徐々に地面が近づいてきたが、受け身を取れそうもない。


(ちょっと楽観的すぎたかなぁ。俺ごときがあんな怪物に立ち向かったって、意味なんか無かったのか……)


 地面に着弾。

 土塊が爆ぜる。


(痛い、死ぬ……怖い)


 高くバウンドし、再度落下――それを何度か繰り返し、上下方向のベクトルは消えたが、水平方向が衰えず、強大な馬車馬にでも引きずられるように、地面を削りながら転がっていく。


 朧気な頭で、何とか身体の制御をしようと模索する。


(クソッ……激痛のせいで弱気になってる。まずは、回復しないと)


 黄金の法力を内部循環させ、損傷した部位の回復を努めながら、少しずつ動くようになってきた手足を地にひっかけて身を起こす。

 両足を突っぱって踏んばりながら、進行方向と反対を向き、右手を前にして黒刀を出現させ引力にて自らを減速させる。

 斥力も使うべく後ろ手に白刀を出そうかと思ったが、その先を視てやめた。

 間もなく、衝突する。



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