◆15・誰がために存在するのか

 往々にして隠し事というものは、大なり小なり誰でもしている訳だが、それがこんなにも大規模に、かつ大胆に【街の中心】で行われているなどとは、王女たるリアレをして驚愕せしむる事実であった。


「ここから、入れるの?」

「ええ、リアレ殿下。足元にお気をつけて」


 青く弱々しい簡易照明に照らされた無機質な室内のど真ん中に、ぽっかりと空いた一つの大穴。

 その虚無に浮かぶ簡素な円盤上で優雅に片手を差し出すのは、案内役を自ら買って出たソレイユ駐屯軍司令――ラーシュ=エーリク=ヴァルデンストレームである。

 紅茶色の髪と瞳を持つ偉丈夫は、紺を基調とした軍の礼服を隙無く着込み、作り慣れた社交的な淡い笑みを浮かべて、リアレが一歩踏み出すのを待っていた。

 王女相手にも怯まず、余裕が見える。


「ありがとう。……でも驚きよね。こんな大仰な設備が、今まで隠し通されてきたなんて」


 ラーシュの手を取り、白蒼の旅装に着替えたリアレが円盤に渡った。

 驚きだと発言する割には、その表情はいつもと変わらず冷静そのもの。

 円盤は数人しか乗れないほどに狭く、落下防止用に腰の高さで輪が周りを囲んでいる。

 部屋の出入口側の輪の部分は途切れているので、そこから乗降可能になっていた。

 輪と円盤は、吊るされたり支えられたりしておらず、文字通り宙に浮かんでいる。


「フフフ……そうですね。実は先々王の時代から建設が始まったのですが、まともに調査できるようになったのは、ここ十年ほどの事でしてね。情報隠蔽を行う分、大々的に物資運搬が出来ませんでしたから」

「そうまでして隠さなきゃいけないほど、重要な遺跡なの?」


 続いて疑問を口にしながら、軽い足取りで黒い魔女装備のディアナが乗り込む。


「古代の遺跡には、現在の技術では再現不可能な遺産が眠っていたりします。戦時下なら、情報隠蔽は基本でしょう」


 白と紅の騎士鎧装を纏うツキナが答えながら乗り込み、最後にドウマも乗ろうとした所で、ラーシュが待ったをかけた。


「申し訳ないドウマ殿、定員オーバーだ。ここでお待ち頂こう」

「なっ!? では護衛はどうする!?」

「問題ない。このお二方が付いておられるのだし、下には調査隊も潜っている。更に言うなら、ここ数年で魔物の驚異はほぼ排除済だ。ご安心めされよ」

「くっ……分かった。しかし殿下にもしもの事があれば……」

「分かっている。その時は私の首では足りぬだろうが、潔く差し出すさ」

「……任せたぞ」


 ドウマは一歩引き、見送る体勢に。

 ラーシュはそれを受けて一つ頷き、起動の準備に取り掛かる。

 途切れている輪の部分に手をかざしてそのまま反対側までスライドさせると、断面から輪が延長されて繋がり、法力の円形循環が生じて防護球壁が出現。

 円盤を青白く包み込む。


 次いで輪に触れると宙に踊る光の文字が出現し、それを操作して行き先を指定。

 さすれば緩やかに、円盤は下降を始める。


「では、行ってくるわ。……ドウマ、神域の復旧、お願いね」

「はっ! 畏まりました! どうかご無事で!」


 リアレからの命に、恭しく左手を胸の前に当てて頭を垂れたドウマ。

 その姿は、リアレたちから見れば段々と上に登っていくようだ。

 実際には、自分たちが下へ降りているのだが。

 青白い非常灯だけがぼんやりと照らす、奈落の底へ……。


「この昇降盤は、どのくらいの深さまでいけるの~?」


 ディアナが自身の大杖をいじりながら、気怠げに問を投げた。

 直線や円などを複雑に組み合わせた幾何学的な装飾が施された杖は、ディアナが触る度に淡く法力光を迸らせており、何かしらの調整を施されている。


「一〇〇mほどだ。最深部は三〇〇m程度と推測されているから、まだまだ延長工事が必要だな」

「三分の一ほど、ですか。ディアナ殿、対象の位置は、どのくらい離れています?」


 聞かれたディアナは紫水晶のような瞳で、大杖の先端部分に嵌められた透明な宝玉を覗き込み、情報を取得。


「そうね……直線距離で、二.六kmという所かしら。深さだと一〇〇m……水平距離なら二.四kmくらいよ」

「では、同じくらいの深さまでは到達できるんですね」


 リアレが思案し、発言する。


「確かに二km程度なら大した距離じゃないけれど……。水平方向は、真っ直ぐに進める状態なのかしら?」

「いえ、殿下……残念ながら、上下左右に迂回しながら歩くしかありませんな。中々に複雑な構造をしておりまして」


 申し訳無さそうな表情と声を作りながらも、ラーシュの口元に浮かぶ余裕の笑みは消えない。

 身振り手振りを交えて話すラーシュは、会話それ自体を楽しんでいるのか、それとも別の思惑を隠しているのか。


「しかし、例の男……ゼノアと言いましたか。よもや、救世主の疑惑を掛けられようとは、当人もさぞ驚く事でしょう」

「仮に違ったとしても、どうにかして味方に引き入れたいわね。物欲も出世欲も、ついでに色欲も薄そうだったから、どうやって、という部分が非常に難しそうだけれど」


 先般の件を未だに根に持っているのか、ディアナが半眼で長い赤髪を後ろに流し、呆れたようにそう溢す。

 ツキナはその言葉を受けて、顎に手を当て真剣に悩みだした。

 艷やかで癖のない黒髪と澄んだ黒曜石の瞳が、揺れる。


「彼は……何を求めているのでしょうね? それを知らねば、勧誘も難しい」

「記憶喪失であるならば、そもそも自分というものが未だ希薄なのではないかね? 逆に言えば、そこに付け入る隙も有る」


 ニヤリとほくそ笑むラーシュには年長者としての、更には悪名高き軍部にて長年戦い続け、今の地位を築き上げた歴戦の政治的猛者としての風格が、見て取れた。


「……私たちの味方になりたくなるような情報を、植え付けろと?」


 頭の回転が速いリアレは、即座にラーシュの意図をそう汲み取る。

 しかし是とも非とも言わぬラーシュは、リアレに目線を合わせたまま笑みを深め、目を細めただけ。



◇◇◇◇◇◇



 縦に深い空洞があった。

 天から差し込む光が薄くなるほどの大穴。

 横幅も広く、数百mはあろうか。

 下は真っ暗で、底が見えない。

 その外縁から伸びる灰緑色の石橋の端っこで、フィーは身を震わせながら下を覗き込んでいた。


「ひぇぇ……これヤバイよ、高すぎるよぅ……! 落ちたら絶対死んじゃうってー!」

「なら落ちないように気を付けるしかねぇな」


 他人事のように発言の軽いゼノアは、四つん這いで縮こまったフィーを置き去りに前へ進んでいく。

 天の大穴から吹き込む風が思いの外強く身体を揺さぶってくるので、下手をすれば本当に落ちてしまうだろう。


「ちょ、ちょっと待ってよ! 落ちないようにたって、手すりすら無くなってるのに!? もう軽く風に煽られただけでも落ちそうなのに!?」

「落ち着け」

「落下を連想するような単語、使わないでもらっていいかな!?」

「…………」


 がくぶる状態のフィーは何だかんだ言いながら一人にされるのは嫌なのか、おっかなびっくりゼノアに追いつくと、これまで通りその裾を摘む――どころかガッシリと掴む。

 その顔は血の気が引き、青褪めていてる。

 幅一.五mほどの今にも崩れそうな薄い石橋を渡っているのだから、その反応こそが一般的なのだが。


 しかも数百年以上前の年代物である。

 所々割れたり欠けたりヒビが入っていたり、いつ崩れるかも知れないような、非常に頼りない代物だ。

 その上を、真下で大口を開けている深淵に見つめられながら渡っていくなど、狂気の沙汰と言えよう。

 だがゼノアは、一切恐怖を感じていない様子で歩を進めている。

 その理由の一旦を、語り出した。


「この橋、見た目以上に頑健だぜ? というより、強靭と言うべきか。硬すぎれば割れるし柔らかすぎれば曲がるが、その両方の性質を持っているから耐久性は高い」

「そ、そうなの?」


 震えながら涙目でゼノアを伺うフィーは、幼い少女のようである。

 最早、男性的な偽装など剥がれ落ちていた。


「ああ。芯を固くして、周りを柔らかい素材で覆っている。刀と同じ理屈だな。確かに手すりは劣化して壊れているが、基礎部分はまだまだ現役だよ」

「ふーん? 物の構造から、耐久度とかも分かるんだ?」

「らしいな。便利な眼だろ?」

「便利すぎるよね……一体、どんな目的で、神様は君にそんな力を与えたのかな?」

「さぁ? そいつは、俺の方が知りたいね」


 自虐的に笑いながら、ゼノアは肩をすくめる。

 行動原理が適当に、曖昧になってしまうのは、そもそも自分が何をしたいのかすら、ゼノアには分かっていないから。

 何の為に生まれてきて、何の為に今、ここに居るのか?

 記憶を失くして目覚めてから、ずっと内心問い掛け続けてきた。

 自分の存在意義、存在価値――存在理由を。


「きっとそのうち分かるよ。何かに導かれている気がするし」

「導き、ね。……そうだと良いが」


 不意に動きを止めたゼノアの背に、フィーのおでこがぶつかる。


「いたっ……! もう、どうしたの?」

「早速その何かに導かれて、お出迎えが来たみたいだぜ」

「え……?」


 裾を掴んだままゼノアの見ている方向に視線を向けていくと――歪な異変が顔を出す。

 対岸の壁際から、朧気な白布のような物が浮かび上がっていた。

 始めは錯覚に思えたそれは、天から薄く降り注ぐ細い光と、それを遮る大小様々な岩壁の凹凸で構成された暗闇の中を、少しずつではあるが確かに近づいてくる。


「なに、アレ……?」


 問いかける声音は、高く上擦り震えていた。


「霊体、だな。ここで死んだヤツの」


 何かを求め彷徨う死者の魂。

 肉体を見つければ、それが朽ち果てていようとも狂喜乱舞して入り込むのだろう。

――先ほど邂逅した、屍者たちのように。


「生者の気に釣られて来やがったんだろうさ。……さては俺の体が目当てかな? モテる男は辛いねぇ」

「よくそんなおどけていられるよね」


 軽薄な笑みで冗句を飛ばすゼノアに、フィーの冷たい視線が突き刺さる。

 下らないやり取りの間にも、徐々に大きくなる白き霞の如き浮遊する人型のモノ。

 そよ風にでさえ吹き飛ばされそうなほど希薄な存在感なのに、時折吹き流れる風に全く影響されていない。


「俺はいつも通りだろ? フィーは多分、浮き足立ってるから心も身体もフワつくんじゃないか? もっと重心を下げてみろ。ほら、こんな感じで」


 ゼノアは両掌を下に向けて押し下げるような仕草をしながら、膝と股関節周りの筋肉を緩め、下肢から全身を脱力させた。

 全身の重さが下に落ちたゼノアの足裏は満遍なく床に張り付き、まるで地中に根を張り巡らせた大樹の如く、微動だにしなくなる。


「ふざけた発言の後で、そんな真面目な顔されても……」


 と言いつつも、言われた通りにやってみるフィー。


「あ、ホントだ。凄くバランス取りやすい」

「だろ? これでほら、この石橋を渡るのは余裕だな」

「うん。でもさ、今僕が一番不安なのって、あの近づいてくる白いヤツなんだけどね」

「バランス取れたんだから、戦えばいい」

「……まぁ、うん。君に王道な反応を期待した僕がバカだったのかな。王子様みたいに『僕が守ってあげるよ』とか、無いんだね」

「生憎俺は、一般人どころか出自不明の根無し草だからな。王子様なんて柄じゃないさ」


 フィーがジト目でゼノア見ていると、突然、両手に双刀を出現させた。

 すっと双眸が細まり、戯けた雰囲気が消えている。


「……囲まれてる」

「えぇっ? 嘘でしょ!? ……うわっ、いっぱい出てきてる!」


 フィーも慌てて弓を構えつつ見回すと、前後左右上下――全方位に白布の如き揺らめく霊体が漂っていて。

 永い時の中で、自分の生前の色すら【忘】れた、【心を亡くした】霊――亡霊の群れが、淀んだ空気と共に迫りくる。


「流石にこの足場では不利だな。前方を突破するぞ!」

「わ、分かった!」


 返答を聞くや否や、疾風となり駆け出すゼノア。

 目前に迫る最初の一体は、頭部周辺の白い靄を蠢かせ、歪な顔を現した。

 歪に、嗤っている。

 目鼻口は全て黒き空洞であったが、何故か、暗い笑みを浮かべているのは分かってしまう。

 恐らくは、そう感じるのだ……霊的感性によって。


――その感性が、激しく警鐘を鳴らす。

 方向は、真後ろ。


「きゃぁぁあっ!?」

「フィー!?」


 踵ブレーキで急停止しながら【天征眼】にて背後を見れば、白い靄に絡みつかれたフィーが映る。


(クソっ……油断した!)


 霊体に、物理的な距離は関係ない。

 思った場所に飛んで行けるのだ。

 つまり……


(既に零距離で囲まれているのと、同じ――っ!?)


 踵を返しフィーの救出に向かおうとしたゼノアの足を、白い手が掴む。

 更には四体が同時に、肩、腕、腰、首に纏わりついてきて、


「ぅ、がぁ……っ!?」


 息を、止めてくる。

 触れられている部分が、氷でも当てられているかのように凍てついていく。


「ゼ、ノ……ア……!」


 同じように複数体に組み付かれたフィーも、段々と血の気が引いて顔面蒼白になり、眼が虚ろに。

 瞼が少しずつ降り始めていて。

 死せる魂の群れに、生者が乗っ取られようとしている。


「……ふ、ざけん、なぁぁぁぁあああ!!」


 刹那、何かが爆発し、ゼノアに纏わりついていた白き霊体たちが全て消え去った。

 火薬等による物理的な爆発ではない。

 不可視の力――純然たる法力の発露だ。

 何とか憑依は回避できたが、乗っ取られかけた影響でゼノアの身体は軽い麻痺状態に陥っている。

 血流が著しく滞った事による痺れが原因らしい。


「ハァ……ハァ……おい、フィー! いつまでもそんな奴らに好き放題させてんじゃねぇぞ! テメェの身体だろ!? 是が非でも渡すな! 気合を入れろ!!」

「く、う……ぐぁうぅぅ」


 身体の動きが鈍くなったゼノアはそれでも少しずつ前に進みながら、未だ囚われのフィーに声を掛ける。

 その声に、眠りかけていたフィーが反応を示す。


「オマエには、何か目的があったんじゃねぇのかよ!? こんなとこで終わって良いのか!? オマエが生きる理由を忘れんな!!」

「ぁ、ぁ……ぃ……」


 ほぼ金縛り状態に陥っているフィーは、石橋の縁に不自然な動きで近づき始めた。

 谷底に落として、死んだ後に身体を乗っ取るつもりなのだろうか。


(おいおい、肉片手に入れてどうするつもりだよ!)


 そこまで考えて、はたと気づく。


(違う……奴らの目的は、霊質か!?)


 先程遭遇した屍者は、死者の身体を用いて生者の肉を貪っていたが、それは物質的な栄養を摂るのが目的ではない。

 物質と一体化している三位の一つ――霊質を補給するために摂食を行うのだ。

 何故ならば、屍者の本体――取り憑いている魂は、霊質であるから。

 であるならば、この亡霊共も目的は同じ。

 生者の肉身から、どんな方法でも良いから霊質を引き剥がし、喰らうこと。

 それが自身を存続させる方法なのだ。


 フィーの足先が、ついに石橋の外側に出る。

 パラパラと欠けた石片が、眼下の果てしない深淵に落ちていく。


「フィー!!」



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