◆14・誰かが生きた営みの跡で

 打ち捨てられて数百年は経過したであろう光灯に法力を注いでみると、一瞬明滅はしたものの、現代の物と遜色ない明度で白く辺りを照らしてくれる。

 かざしていた自分の手を引っ込めて周りを見てみると、そこが書庫であったことにフィーは気がついた。

 数人がようやく並べる程度の細長い通路のような形状で、左右の壁際には木枠が腐った本棚がぎっしりと並べられている。

 ゼノアに付いてきたフィーは、この部屋の奥にある大きな窓から入ってきたらしい。

 光に照らされた内部はかなり朽ちていて、天井や壁はほぼ穴とシミで埋め尽くされており、本はどれも虫食いにより引き千切られたような状態で、蜘蛛の巣が幾重にも張り巡らされ、何かの死骸や塵が床を覆う絨毯になっている。


「うぐぇ……空気悪すぎだよぉ。病気になりそう」

「鼻で呼吸しとけ。口からはマズイ」


 フィーの嘆きに、先頭を行くゼノアから応答があった。

 言われるまでもなく、フィーは手を口元に当ててマスク代わりにしている。


 ゼノアというと、黒刀を具現化させ、その能力で集塵しながら進んでいた。

 右手に持つ【黒刃紅霧くろばあかぎり】の収束力を活かし、空気中の埃や蜘蛛の巣などを一塊ひとかたまりにまとめて、邪魔な大きさに膨れ上がればそこらに捨てていく。


「便利だねぇ、その刀。毎日のお掃除が楽になるよ」

「……生活用品みたいに言われると、流石に複雑な気分だよな」


 フィーの素直な感想に、ゼノアは思わず苦笑してしまう。

 刀は泣いているかも知れない。

 けれど物騒な役割以外でも用途があれば、武器としてだけではない存在価値も生じるので良い、とも言えそうである。

 もしかしたら、嬉し泣きかも知れない。


「それにしても、結構深い迷宮だねぇ……というか、そもそも迷宮? なのかい? ここは」


 フィーは疑問を口にした。

 床に転がる錆びた金属製のポットを、足先で小突きながら。

 そういう生活用品が、結構残されているのだ。

 迷宮というには、生活感が強すぎる。


「迷宮は本来の意味だと、規則性のある一本道で構成された建造物を意味するから、厳密には違うな」

「え、そうなんだ? 迷路みたいに入り組んでるイメージだけど」

「言葉の誤用が広まるのはよくある事だ、今も昔もな。現在多用されている言葉のイメージだと、地下迷宮――ダンジョンという表現で良いんじゃないか?」

「へぇ。じゃあ言葉本来の意味で言うと?」

「廃墟、もしくは遺跡ってとこだろ。ここは数百から数千年前までは、街だった場所だよ」


 ゼノアは、【天征眼】による透視で地質や建材の年代を鑑定し、現在の結論に行き着いていた。

 この遺跡は幾重もの階層で構成されており、深層なら数千年前、現在探索中の浅層だと数百年前のものである。


「ソレイユ山の噴火によって街が火山灰や溶岩で覆われる度に、懲りもせずその上に新たな街を再建してきたんだろう。んで、幾星霜を経て迷宮化した、と」

「ほうほう。数千年前からの迷宮となると……なんか物凄いお宝がありそうだね?」


 期待に瞳を輝かるフィー。

 その逸る気持ちに、ゼノアは苦笑しながら水を差す。


「死者の都から盗みを働くのか? 呪われるかも知れないぜ?」

「う……怒るかなぁ? でもさぁ、死んじゃったら、所有権放棄って事で良くない? あの世には、形ある物なんて何一つ持っていけないんだし」

「オバケに会ったら、そう説得してみればいいさ」

「うぅ……ゼノアのいじわる」


 肩をすくめてフィーの発言を流したゼノアは、廃墟と化した数百年前の民家内を進んでいく。

 木材はほぼ腐り落ちて原型を留めていないが、石材は中々に堅牢であったらしく、骨組みをしっかりと残している。

 狭い通廊を進むと、民家から民家へと繋がる洞窟に入った。


「本当に、何か居るかも知れないな? この洞窟、まるで通路みたいじゃないか?」

「ええぇ? 怖いこと言わないでよぉ……」


 すっかり怯えてしまったフィーは、いつの間にかゼノアのコートの裾を掴んでいて。

 背を丸めて縮こまった状態で、周りを警戒しながら歩いている。

 しかし特に問題無く通り抜けると、次は少し開けた空間に出た。

 洞窟の岩肌から、人工的な石壁に囲われた長方形の部屋へ。

 縦四〇m、横二〇mほどの室内には、縦横無尽に瓦礫が積み重なっている。

 砕けたシャンデリアが地面に突き刺さり、元は木製の長椅子の物だったと思しき金属の枠だけが危うげなバランスで立っていて、泥と壁材の混合物があちこちに山を形成していた。


「そういやフィーは、魔物とはどうやって戦うんだ? 魔法と、そのローブの下に隠してる武器か?」

「……覗き魔」

「いや違っ……あのさぁ、いきなり目深にローブ被った怪しげなヤツが近づいてきたら、それなりに警戒するだろ?」

「むぅ……それは一理あるかも? だからって人の裸を覗き見るのはどうかと思う」

「だから、そこまでは視てないって。ローブの内側までだよ。……んで、そん時に視えたんだが、弓を持っている割に矢の方は随分少ないようだけど、そんなもんで足りるの?」


 話を逸らそうとするゼノアに疑念の眼差しを向けるフィーだが、しばらくしてその疑念に何かしらの決着が付いたらしく、返答を紡ぐ。


「……うん。矢は十本もあれば足りるよ。なんせ、これは予備だからね」

「予備?」

「そう。実際に戦闘になったら見せてあげるよ。僕の技を」


 ふふん、と得意げな顔を見せるフィーだが、次のゼノアの言葉で、青褪めるほどの苦い現実に直面する。


「んじゃあ、早速見せてくれ」

「へ?」

「……気づいてなかったのか? この部屋に居るだろ」

「い、居るって、な、なな何が?」

「魔物」


 ゼノアがそう言うやいなや、フィーは、視界の隅で何かが動いたのが分かった。

 瓦礫がゆっくりと持ち上がり、ガラガラと転がり落ちていくその中から、何やら干し肉のような乾燥した物体が起き上がってくる。


「ひっ……」


 それは人型の何かで、視線を向けたフィーは、顔を引き攣らせて絶句した。

 破れたボロ布を纏う干からびた体は、骨の造形が浮き出るほどに細く青白い。

 灰色なのか茶色なのか、酷く汚れた髪は所々剥がれ落ちた頭皮と共に辛うじて頭蓋骨に張り付いていて、窪んだ眼窩にはもう瞳など残されておらず、開け放たれた口内には不揃いの黄色い歯が鈍く光っていた。


「死体って、動けるんだな」

「のんきに感想言ってる場合!?」

「いやだって不思議だろ? 生命活動を停止しているのに、どうやって筋肉に命令を……ああ、そうなんだ」


 疑問を口にしていたゼノアが、急に何かを理解したように頷く。

 神示鑑定が自動発動し、疑問を解消してくれたのだ。

 この魔物は、何らかの理由で死んだ人間の体を別の魂が乗っ取り、念動力によって操作しているもので、屍者ゾンビという呼称が一般的である。


「な、何か分かったの?」

「まぁな。そんな事よりほら、こっち来てるぞ。さっさと倒した方が良いんじゃないか?」

「いや、えと……手伝ってくれないの?」

「うん。さっき自分で言ってたろ? フィーの技、見せてくれよ」

「う、うぅ……」


 促されて視線を戻して見れば、爪の無い指先を此方に向けて、足を引きずるように歩いてくる魔物の姿が。


「って増えてるー!?」


……なんと、九体に増えていた。

 室内の各所から、最初の一体と同様に起き上がったのは、老若男女様々だが似たような劣化具合の死体ども。

 皆、ここで祈りを捧げている内に死んで、それぞれ乗っ取っられたのか。


「くっ……やるしかないね!」


 流石に覚悟を決めたらしいフィーは、腰に下げた短弓をローブ内から取り出し、矢も持たずに構えた。

 獲物を狙うように目を細めてゆっくりと弦を引いていくと、白色の法力光を放つ矢が、引き絞るその手元から出現していく。


(非物質の矢……俺の双刀と似たようなモノか)


「行くよ! 【鮮烈なる白き悲愴ユース・ヴィート・セリア!】」


 解放される弦と、白き法力の矢。

 音速で空気を引き裂きながら、最初の一体へと瞬時に到達。

 眩い光を放ちつつその一体を吹き飛ばし、後方で立ち上がり始めていた二体目へとぶつかって止まり、爆散した。

 白色は陽の力であり、発散力を有する。

 肉体と魂の双方を破壊したらしく、フィーの【魂戒十字ルトス】に法力エネルギーが吸収された。

 しかし……やはりそこから淡緑色の光が一瞬だけ、特定の方向――迷宮の深部に向かって飛んだのを、ゼノアは見逃さない。


「どうだい!? 僕の力は!!」


 得意げに叫ぶフィー。

 幾分、テンションが可笑しくなっているようだ。


「あ、あぁ……凄い技だな。けど、まだ来てるぞ」

「全部吹き飛ばしてやるさ! もう一度……! 【鮮烈なる白き悲愴ユース・ヴィート・セリア!】」


 二発目の白き矢が空を駆ける。

 今度は、まとめて三体撃破した。

 これで残るは四体。


「……いちいち技名を付けて叫ぶのは、必要なのか?」

「名を付けるのは、技を想像しやすくするため! 声に出すのは、言霊と音霊の力を最大限に使うためだ、よっと!」


 言いながら三発目を放つ。

 今度は技名を叫ぶ暇も無いほどに接近されていた。

 至近距離で矢を胸に受けた屍者は宙に浮き上がり、天井に刺さって爆散。

 肉片やら骨片やらが床に舞い降る……が、確かに技名を叫んだ時よりも威力が落ちているようだ。


 埃っぽさが増す中、フィーの肩を掴んで押し倒そうとした新たな屍者は、掴みかけていた肩の位置を体捌きによって外されてしまう。

 バランスを崩したところを、フィーは瞬間的に短刀で一閃。

 伸ばされていた腕を切り落とす。


「【積層雷刃ミュケット・オスカ!】」


 そのまま、数条の稲妻が屍者を乱切りにしていく。

 全身を使っての高速連続斬り。

 その全てに乗せられた雷の法力は、傷口から神経に侵入し筋繊維を焼き切って、屍者の頭部から足先に至るまでの全てを痙攣させながら、細切れにしてしまった。

 その過程で、体内を逃げ惑い蠢いていた憑依霊の魂を切り裂き、無力化に成功。


「なるほど……一連の動作に名を付ける事で、想起しやすくしているワケだ」


 今の一例で言うなら、フィーは回避しながら腰の短刀へと手を伸ばし、同時に法力を体内で練り上げていて、技名を叫びだした二撃目から雷法力を短刀に流し込んでいた。

 いちいちそれら全ての行動を頭で思い描いてから動いていたのでは、どうしても対応が遅くなるだろう。

 だからその一連の動作全てに、一つの名を付けていたらしい。

 そうすることで、何をどの順序で行うのか瞬時に想い起こせるのだ。


「くらえっ! 【鮮烈なる白き悲愴ユース・ヴィート・セリア!】」


 残った二体を纏めて矢で屠って、フィーは額の汗を拭う。


「ふぅ……ようやく終わった」

「言うだけあって、良い手際だったな」

「いや、あのさぁ……せめて、数体くらい倒すの手伝ってくれても良かったのでは? 流石に一人で相手するのは疲れたよ?」

「あはは。すまんすまん。華麗な戦いぶりに、思わず見惚れちゃって」

「お世辞だってバレバレだからね!?」


 フィーは、心を読める。

 それでもしれっと分かりやすい嘘を付くゼノアに対して、フィーは突っ込み疲れが蓄積していくのを感じていた。


「まぁ、でも勉強にはなったよ。技名付ける利点とか」

「あ、そう? ……ってそれ戦いの技能じゃなくて、理論とかの話だよね」


 返答を特に聞く様子も無いゼノアは、屍者の欠片を踏み越えて、ずんずんと先に進んでいく。


「よし、次行こうぜー」

「あー!? 流したなー!?」


 ぎゃあぎゃあ喚くフィーを窘めつつ、祭壇らしき四角い物体の裏戸を抜け、下への階段を降りていると、ゼノアは不意に違和感を覚えた。


(ん? 法力の気配か? 何かが今……俺に触った?)


 即座に【天征眼】を用いて、その微かな残滓に神示鑑定を行う。


(これは……探知法術か。誰か知らねぇけど、俺に用でもあんのかよ)

「ねぇゼノア、聞いてるの?」


 何やらまだ色々と話しかけていたらしいフィーが、ちょっと強めに聞いてきた。


「ん? 聞いてないぞ」

「……聞いてよぅぅぉうぉおおおおお!!」


 迷宮内に、悲痛な絶叫が反響した。


「泣くなよ。大丈夫か?」

「誰のせいだと思ってんだよぅ!」


 涙目になったフィーに、ゼノアは肩やら後頭部やら、ぼかすか殴られる。

 どうやら薄暗い迷宮で光灯が故障し、半狂乱になりかけているらしい。

 フィーの手元にある作動していないそれを見て察したゼノアは、黒刀に炎を纏わせ、灯りにした。


「すまんすまん、何か違和感があってさ」

「違和感……? ま、まままさか、また魔物!?」

「いや、そういうのではなさそうだけど……分からん」

「ええぇ?」

「分からんもんは仕方ないだろ? とりあえず、さっさと奥に行って終わらせようぜ。目的地は、やっぱこっちで合ってるみたいだからな」

「そう、なんだ? それに関しては、何か確証を得られたんだ?」

「んー……まぁな」


 軽い返答に、フィーの目がすっと細まる。

 その心に去来するのは、この人に付いて行って、本当に大丈夫なんだろうか?

 という懐疑の念だ。


 ゼノアの行動原理はフィーからすると、あまりに大雑把で楽観的である。

 むしろ、行動原理って何?

 と思わせるような適当さを発揮していた。


 ゼノアに付いて行けば、フィー自身の問題も解決する気がしたあの初対面時の勘は、幻覚だったのか?

 一抹の不安が、フィーを襲う。



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