◆13・神域に至れども

 全裸男性と奇妙な邂逅をした翌日――神世暦三〇五〇年、四月一九日、早朝。

 リアレ王女一行は当初の目的である【成人の儀】を果たすべく、【最果ての神域】へと向かっていた。

 貴人専用の宿泊施設に隣接する森への階段を上っていけば、目的地までは徒歩数分で辿り着く。

 しかし王都からここまでの道程を考えると、感慨もひとしおか。


 王都から空路で直接【温泉街ソレイユ】に乗り付ければ、所用時間は一時間半ほどで済む。

 だが【成人の儀】の旅程は各地の重要施設を巡礼するコースと定められており、それを辿ると、少なくとも二泊三日を要するのだ。

 更に【霊峰ソレイユ】に関しては、麓から五合目までの凡そ二八〇〇mを自らの足を使って登らねばならないため、最後にして最大の難所として聳え立っている。


 それもこれも、大昔に決められた祭事を踏襲しているためであり、その由来や意義など多くの人々から忘れ去られた現代においては、簡略化の議論、あるいは廃止論も出ている状態だ。


「ほんと、なんでわざわざ山登りなんてさせるのかしら」


 赤いヒールの踵を鳴らし、真紅のドレスに漆黒のカーディガンを羽織ったディアナが、気怠げにそう言い捨てる。

 厳粛なる儀礼を前にしての不遜な発言だが、それを注意する胆力は追随する男性騎士の内、誰一人として持ち合わせてはいない。

 一人臆せず相対できるのは、彼女と同等の職位――王女侍従騎士にして女性たるツキナだけだ。

 職位は違えど近衛騎士であることには変わりないので、周りの騎士と同じく近衛騎士の礼装――紅を基調とした外套と白い下衣を着て、黒の長靴で足元を締めた格好をしている。


「それは……自らの足を使うことが、神様に対する最敬礼であるからです」

「ふーん? じゃあ【成人の儀】と言う割に、本人はまだ成人してないのは何故?」

「……この儀礼は、成人する年に行うのが通例なので」

「だから、それが何でなのかしら? どうして誕生日過ぎてからではなくて、その前……しかも決まってこの時期に?」

「数え年ですよ。生まれた年を一歳として、以降新年を迎える毎に加齢する方式が、古来より採用されています。時期については……霊峰ソレイユの気候が関係しているのでは? 今時期が一番安定してますから」


 霊峰ソレイユのような高山を攻略する場合には、選ぶ時期によって難易度は格段に違う。

 共通点として、標高が上がるほどに気温は下がる関係上、厳冬期は最初に除外される。

 無論、各山の地理的位置によって季節・気候は異なるが、霊峰ソレイユの場合だと、夏は海から湿った温風が吹き込むことで積乱雲が形成されて雷雨になりやすく、秋は寒暖差の影響で突発的な嵐が起こりやすいので、どちらも徒歩の場合は除外対象だ。

 結果として、長雨があり得るものの、比較的風の穏やかな春が適切だ、となる。


「へぇ? まぁ随分と、即物的な理由よね……」


 ため息混じりにそう漏らすディアナからは、ここまで歩かされた疲労感が滲み出ていた。


「山登りは危険ですから、下手すると遭難してそのまま全滅です。致し方ないでしょう」

「はぁ……こんな苦労に一体何の意味があるのか、着いてからのお楽しみってところかしら? せいぜい見物みものよね」

「その言い草、御神域では控えて下さいよ? 無礼にあたります」


 嘲りを含んだ声音で苛立ちを吐き捨てたディアナに対し、ツキナが若干の嫌悪感を持って釘を刺す。


「うふふ……無礼? 居るかどうかも分からぬ神に、気を使う必要があるとでも?」

「……貴殿にとってはそうかも知れませんが、言動次第では信じている者の逆鱗に触れますよ?」


 更に挑発を重ねるディアナと、返す言葉に重厚な威圧を乗せていくツキナ。

 両者の間に横たわる空気が、重く冷たく、張り詰めていく。

 冷や汗をかき、固唾をのむ周囲の騎士たち。

 ディアナの弛められた魔力が収束し始め、ツキナの手が腰の得物へと伸びる。


「……だから、聖魔戦争なら余所でやってくれるかしら」


 冷水のような凛とした声が、両者の中間から発せられた。

 王族としての礼装――純白のドレスと緋色のカーディガンを纏い、控えめな冠を艷やかな金色の髪に止めた、王女リアレの声である。

 その声には齢一七にして既に王族としての威厳があり、聞くものに畏怖を抱かせるような冷徹さを内包していた。

 一八で成人するまでの期間、王族はその地位に相応しく在るよう各種英才教育を施される。

 その中には家臣への指導力を養成する項目も当然存在し、リアレは飴と鞭を使い分ける手法を会得、採用していた。


「はっ……失礼しました、殿下」

「なぁによぅ。ちょーっとからかっただけじゃない」


 素直に頭を垂れるツキナと、不服そうに肩をすくめるディアナ。

 聖と魔の、ここまで相反する二人ならいっそ離してしまえば良いのだが、同席させねばならない理由があった。

 リアレは、そこに思いを馳せる。


(相争う聖騎士と魔女……この二人を真の意味で協力させられなければ、【成人の儀】は失敗……するのかしら)


 この儀礼に課された条件の一つに、【聖魔、双方の代表を伴い、汝の目標に向かいて協力せしめん】とあるのだ。

 汝とは、当然対象となる王族のことで、ここではリアレ=C=ガウリイルのこと。

 聖魔双方の代表は勿論、聖騎士【久遠くおん 月奈つきな】と、魔女【ディアナ=レーヴェンタール】を指す。


 しかし目標については……【最果ての神域】に到達することなのか、果たして他の意味があるのか。

 これに関しては、先王――今は亡きリアレの父は、重く口を閉ざして何も語ってはくれなかった。

 己が努力によって見つけることが大事で、それが出来た者こそ、次代の国王としての資格を得られるという。

 逆に出来なければ失敗となり、永久に王位継承権を失う事となる。

 これまでも数多の王族が挑戦してきたが、先王の後は誰一人として成し得ていない。


(私が成功出来なければ、王家の未来が……)


 顔にはおくびにも出さぬリアレであったが、その胸中には黒く冷たい金属でも入っているかの如く、鈍い重さを感じていた。

 リアレより年下の王族で、この数年の内に成人を迎える者は居ない。

 王座を長く開ける訳にはいかないので、リアレが失敗したとなれば、他の血統に白羽の矢が立つ。

 序列的には、次は公爵家になるだろう。

 そうなると、役立たずの王家は当然――没落する。


 リアレが暗い未来へと思いを巡らしている間に最上段まで登ってしまっていて、前方には石畳の参道が真っ直ぐ伸びていた。

 その直線を二十mほど歩いていくと、生い茂った草垣で行き止まりになっている。

 道が突然途切れているその場で、リアレが純白のシルクグローブに包まれた右手をかざすと、中指に嵌められた藍玉の指輪が明滅し、草垣がスルスルと左右に引いていった。


 新たに出来た道を進むと、そこはまるで別世界であるかのように壮麗で。

 穏やかな陽が射し込む、森の円形広場。

 草花が咲き乱れ、小鳥や小動物が寛ぐその空間は、正に神域と呼ばれるに相応しい空間であった。


――が、明らかに可笑しな点が一つ。


「え? 何……あの荒れようは?」


 リアレは、我知らず口からそう漏らしていた。

 周りの花畑の壮麗さとは対照的に、中央部分だけ、地面がぽっかりと抉られている。

 聞いていた話だと、広場の中央には確か、儀式に必要な石版が埋め込まれていたはずのなのだが。


「むむ? これは一体どういうことだ!? 神域が荒らされておる!」


 続いて神域に足を踏み入れたドウマもまた灰色の目を見開き、その惨状を前に声を荒げ、長い茶髪を振り乱しながら問題の箇所に向かって駆け出す。


「あらあら。これじゃあ儀礼なんて出来ないじゃない。とんだ無駄足だったわね」


 呆れと溜息を溢しながら、リアレの背後からゆっくりとディアナが歩み寄る。

 他の同行者たる騎士達は、ドウマより矢継ぎ早に繰り出される指示によって慌てふためき右往左往しているが、命令系統の異なるディアナには関係無い。


「そう、ね。ということは、次代の王も……決まらない?」


 リアレは立ち止まり、現状を整理すべく頭を働かせる。

 このまま【成人の儀】が執り行えないのであれば、王座を埋めることもできない。

 となれば、この神域を修復するか、王を選考する方法を変えるか、などの対応が必要だ。

 前者は今から修復を指示したとして、一体どれほどの期間が掛かるのかは見当もつかない。

 こんな前例など無いから。

 後者に関しては、それこそ議会が紛糾していつまで経っても決まらない可能性がある。

 どこの国でもそうだろうが、左翼と右翼の対立があり、また、各勢力いずれも一枚岩ではないからだ。


 つまり、どちらにせよ国政は滞り、他国に付け入る隙を与えてしまう、ということに。


「まずいわね。このままだと……」


 事態の深刻さに、思わず顎に手を当てて考え込みながら、顔を顰めるリアレ。

 どう対応すべきか、最善策を今すぐに見つけ出さねばならない。

 この、何も分からぬ状況で。


「殿下……」

「うわっ! びっくりした! 幽霊みたいに出てこないでよ!」


 ディアナの背後から、のっそりと生気の無い顔をしたツキナが顔を出した。

 それに驚くディアナをよそに、リアレは平然と受け答える。


「ん? ツキナ、どうしたの?」

「その……なんと言えばいいのか」


 いつもとは違って、ツキナの歯切れが悪い。


「構わないから、思ったことを言ってみて」


 何でも良いから情報を欲しがっていたリアレは、何か言いたげなツキナにそう促した。

 するとツキナは、ぽつぽつと語りだす。


「ありがとうございます。推測の域を出ませんが、思うに昨日の男と、この神域の状況……何か関係あるのではないか、と」

「昨日の男って……入浴中に乱入してきた、あの不埒者のこと?」

「ええ、そうです、ディアナ殿」

「ツキナ、その根拠は? 何故そう思うの?」

「殿下、根拠は二つです。まず一つは、あの男――ゼノアが、『花畑で目覚めた』と言っていたこと」


 記憶を辿っていたらしきディアナとリアレは、真逆の反応を示した。


「そんなこと言っていたっけ?」

「ええ、確かに言っていたわね」


 取るに足りぬと感じた事はさっさと忘却の彼方へ押しやるディアナとは異なり、リアレはしっかりと相手の発言を記憶するタイプらしい。


 ゼノアの発言が真実だとして、花畑など、こんな標高の場所では神域くらいのものだ。

 そうなると新たな疑問も生まれる。

 この場は、王族しか入れないよう法術結界を施されていたというのに、何故入れたのか?

 そんな当然浮かびうる疑問にすら初遭遇時点で思い至らなかったのは、ゼノアの規格外過ぎる性能に驚かされ続けたせいであろう。

 リアレは、冷静さを欠いていた己が失態を悔やむ。


「そして二つ目。彼は金色こんじきの髪を有し、蒼き瞳と、全てを知悉できそうな特殊な力を持っていました」

「……それがどうしたって言うの?」


 下らないとばかりに肩をすくめるディアナに、ツキナはウェストバッグから一冊の分厚い書物を取り出した。


「それは……【至凰言典しおうげんてん】?」


 リアレは何かに勘づいたのか、ハッとしてそう呟く。


「ええ。この五六七ページ、第三四章五節を、読み上げますね」


 ツキナの透き通る凛とした声が、該当部分を朗々と読み上げる。


今世いまよよりのちの三千年

人乱れ、地乱れ、天乱れ、闇世深まりし時

神は東天より御使い降臨せしめん

其は蒼き智慧のまなこ持ちて闇を照らし

金色の龍となりて此を焼き祓ふ者なり


「……【至凰言典しおうげんてん】が書かれたのは、今から凡そ三〇〇〇年前。現在は控えめに言っても乱世です。そしてこの場は大陸の最東端であり、昨日は天候にも異変がありましたね?」

「待ってよ。それ、救世主の預言でしょ? 流石に私でも知ってるわ。じゃあ貴女は、まさかあの変態が、救世主だとでも言うの?」


 ディアナは冗談めかして発言したが、若干声が震えていた。


「その可能性が高い、という話です。これだけ符号する点があるのですから。そして、そうであるならば、彼を逃してしまったのは失策でしたね……」

「いえ、その点は大丈夫よ。導士級の使い手を、そのまま放置なんて出来ないもの。ね、ディアナ?」

「え、ええ……それは問題無いわ。あのリボンを今も持っているなら、だけど」


 リアレがゼノアに手渡した赤いリボンには、元々リアレが遭難した場合に備えて探知魔法術式が施されている。

 それを辿れば、ゼノアの現在地を即座に割り出す事が可能だ。


「失くしていても大丈夫よ。軍にも監視するよう頼んであるから」

「保険ってワケ? 抜け目ないわね。流石は天下のリアレ姫」

「茶化さないで。……とにかく、再度あの男から話を聞く必要があるわ。重要参考人として、身柄を確保して頂戴」

「分かったわ」

御意みこころのままに」


 リアレの指示を受けて、ディアナとツキナは即座に動き出す。

 ディアナは自身の魔力を付与したリボンを探知すべく魔法術を発動させ、ツキナは国王軍のソレイユ詰所に連絡し、連携を図っていく。


 ドウマ率いる護衛騎士たちによる調査も、粗方終わったらしい。

 報告を受けつつ、リアレもまた、踵を返し目的地を変更して歩き出す。


(これは……私自ら、話を聞きに行く必要がありそうね)


 ゼノアに対してどの様に接触し、どうやって協力を取り付けるか?

 昨日の邂逅を思い起こすと、憂鬱な気分に……。



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