◆7・耕して泥まみれ

 ゼノアが興味を示した人影の方に、フィーも目を向けた。


「……畑、かな? 土を耕しているのかも」

「こんな高地で良くやるなぁ」

「ホントだね。昼夜の寒暖差も天候の落差も酷いから、凄く難しいと思うよ」


 近づくにつれ鮮明になってきた人影は、老婆と少年の二人。

 一〇歳くらいの黒髪の少年は長い棒のような道具を持って身体を動かしていて、白髪混じりの黒髪を三つ編みにした六〇~七〇代ほどの老婆は腰を屈めて地面に対し両手をつけており、時折法術発生を示す黄色の光が瞬いている。

 どちらも、似たような灰色の古びたローブを纏っていた。


「あれは、何の術だ?」

「聖法術だね。土の精に、助力をお願いしているみたい」

「ふーん……あ、そういうことか。どっちも耕してんだ」


 規則的に移動する少年の手には鍬が握られ、移動が止まる度に少し振り上げられて、腰と背中を使って手前に引くように振り下ろされていく。

 少し離れた場所にいる老婆が先程とは別の場所に移動し、手を地面に付けると、その部分が淡く黄色に発光し始め、更にその場から三平方mくらいの範囲も発光したかと思えば、光る土が一斉に一〇cmほど跳ね上がり、頂点で静止して、今度は混ざり合いながら落下。

 土埃の消えた後には、柔らかく掘り返された豊穣な畑が出来上がっていた。


「うん。聖法術を使える農家は、ああやって土を耕すのが一般的だね。都会だと便利な法具が揃ってるから、ああいう法術や手作業での畑作りは少なくなってるみたいだけど」


 説明を聞きながら歩を進めていくと、いつの間にか声が届く距離にまで来ていて。


「【土の精よ、こいねがうは豊穣を運ぶ土竜の鳴動を――イェラ・ベオーク!】」


 老婆の朗々たる詠唱が、ゼノアの耳にまで到達。

 雲が天を覆う暗がりの中で、一際幻想的に光る黄色が、瞼の裏に焼き付く。


「……ふ~、腰も法力も、そろそろ限界だねぇ」

「ばあちゃんはもう家に入ってろよ! あとはオレがやっとくから!」

「そうもいかんさね。まだまだ半分も終わってないでしょうが」


 老婆がそう言って目を向けた先には、二人が作業をしている畑よりも、更に一回り大きな畑があった。

 その二つの畑の間には、一つの家屋――丸い青屋根で赤煉瓦製の円柱型の壁を持つ三階建てくらいの建物がある。

 円柱の横に四角い箱がくっついたような形状で、似たような造りの家屋が、広大な高原の中で互いに結構な距離を空けて幾つか点在していた。


 作業の方は、小さな畑は二人の進行方向から察するに、もう終盤のようである。

 しかし大きな畑の方が未だ手付かずだとするならば――


「なんとか、この嵐が来る前に終わらせんと……」


 そう呟く老婆の声は、苦渋に彩られていた。


「――なぁ婆さん。あっちの畑を全部耕せば良いのか?」


 そう聞きながら、老婆の脇を通って畑の真ん中をずんずんと突き進むゼノア。


「あわわわ、ゼノア! ちょっとずかずか入りすぎなんじゃあ? ……あ、あはは! すみません! ちょっとお邪魔しますね!」


 と、それに付き従い愛想笑いで通り過ぎるフィー。

 ぽかんと呆気に取られる老婆と少年を余所に、大きい方の畑に辿り着いたゼノアは、深く息を吸い込む。


(確か……自分の気を起爆剤みたいに使って、大地の力を励起させる感じだったな)


 瞼を閉じて、その裏で想像を膨らませたゼノアは、目を見開くと足を上げて――思い切り地面を踏みつけた。

 刹那――大きな畑全体が、黄色の眩い輝きを帯びて爆音と共に拍動する。


「え、足で!?」


 背後で驚くフィーの甲高い声。

 大地は、ゼノアの足元から波打つように奥へと激しく隆起していき、腰の高さくらいまで到達すると同じく足元側から順に沈降していく。


「はえぇッ!? ウソだろッ!?」

「おおお、これは……! 夢、かい……?」


 少年と老婆は、開いた口が塞がらない。

 鍬が、乾いた土に落ちた。


「こんなもんでどうだ? 他にもやることあんのか?」


 してやったり。

 悪童みたいな笑顔で振り返るゼノアだけが、他の三人とは異なる世界にいるようで。


「ん? あれ? どうしたよアンタら?」


 反応が無いことに、ようやく少しだけ焦りを見せるのだった。


「どうした、じゃないよ! なんで足から法術が出せるのさ!?」


 未だ混乱するフィーが、ようやく問を絞り出す。


「はぁ? え、何、出来たらなんかマズイの?」

「今まで誰もできた人が居ないんだよ!?」

「ふ~ん? そっか。今まで誰も試さなかったんだな」

「そう、試さ……え?」


 すれ違いざまに肩へぽんと手を置く悪童の微笑みを浮かべたゼノアは、困惑するフィーを置き去りに老婆と少年の方へ近寄る。


「ほら、ボケっとしてんなよ。嵐が来る前に終わらせるんだろ? 次は何をすればいい?」


 その言葉の終わり際に地面へと降ろされた足元から、再度黄色の輝きが広がっていく。

 その範囲はとても正確に、畑へと足を踏み入れたゼノアの位置から、老婆と少年の手前の、耕していない部分だけを染め上げた。

 直後、聖法術が発動。

 土塊が粉々に砕け混ざり合いながら飛び上がり、落ちる。


「す、すっげぇぇぇぇぇぇええええ!! なんだこの人!? 人間か!?」


 少年が濃茶色の瞳を輝かせて、昂ぶる熱を言葉に乗せた。


「どこのどなたかは存じませぬが、お手伝い下さり、ありがとうございます……」


 老婆は深く痛いはずの腰を折り、困った顔で礼を述べる。

 作業を手伝ってもらって助かりはしたが、見知らぬ男――しかも理解不能な力を持っていた怪しい者として、警戒しているのだろう。


「貴方様が畑を全て耕して下さったので、後は種を蒔くだけですが、そこまで手伝って頂く訳には……」

「よし、暇だから手伝うぞ。その種ってのはどれだ?」

「これだよ! でっかいあんちゃん!」


 老婆の丁重なお断りは、風の音でゼノアの耳に入らなかったらしい。

 少年が三〇cmほどの麻袋を複数持ってきた。

 中にはそれぞれ別の種子が入っている。


「おう、で、どうすりゃいいんだよ?」

「こうやって、穴開けて埋めれば良いよ。一箇所三つか四つくらいね」

「こうか?」

「そうそう! 間隔は一〇cmくらい空けて」

「はいよ」


 幾つか袋を渡され、見よう見まねですぐに実践。

 その場に屈んで、地面を掘り返した手指や長いコートの裾が土まみれになるのも構わず、ゼノアは種を植えていく。

 それも楽しそうに――物凄い速さで。


「うぉぉぉおおお!? あのあんちゃん速いなぁ! オレも負けてらんねぇぞ!」


 対抗心を燃やした少年が、俄然やる気を出して活発に働き出す。

 残された老婆とフィーは、どちらからともなく顔を見合わせる。


「あらあら、申し訳ないねぇ。種蒔きまでしてもらっちゃって……」

「あはは。此方こそ、何かムリヤリ手伝ってしまったようで申し訳ないです」

「いいえ、とても助かるわ。うっ……あいたたた……」

「え? 大丈夫!?」


 不意に腰が曲がり、さすりながら屈んでしまう老婆。

 それに驚いたフィーが駆け寄る。


「あ、ああ……少し休んでいれば良くなるから、大丈夫だよ。この通り、腰が痛くてねぇ。情けない話だけど、もう満足に畑作業もできなくなってしまって……」

「そっかぁ、それは辛いね。少しでも良くなるように、治療させてもらっても良いかい?」

「治療? 貴方は、法術士様かい?」

「うん、ちょっと待っててね」


 フィーは老婆の背後に回ると、腰の辺りに両手をかざして、詠唱をし始めた。


「【火と水と土の聖霊よ、こいねがうは三界の眞癒と新生を――ウィン・エオルフ・ラグ・ソウェル!】」


 赤と青と黄――三色の光が、フィーの身体を取り囲むようにぐるぐると回転しながら混ざり合い、溶け合い、一体化して、その両手から黄金の光となって迸る。


「おお……暖かい」

「でしょう? この感じなら、すぐに良くなりそうだね」

「何から何まで……ありがとうございます。何とお礼をして良いやら」

「ううん、気にしないで。僕も彼も、好きでやってることだから」


 顔も手足も青白く血色の悪かった老婆だが、フィーの聖法術を受け続けることで見る見る肌に赤みが差してきた。

 曲がっていた腰も自然と伸び、表情に活力が戻っていく。


「もう十分です法術士様。もう熱くて溶けそうなくらい」

「元気になった?」

「ええ、ありがとう。凄い効き目でしたよ」

「なら良かった♪」


 風が吹いて寒いはずの気温だが、老婆の額からはいつの間にか汗が滲んでいた。


「さて、せっかく元気にしてもらったのだし、私も手伝って来ようかね」

「あ、なら僕もやりたい! 種蒔き好きなんだよー」

「それはそれは、とても助かるわ。宜しくお願いね」

「うん! じゃあ、どれを蒔く?」

「そうねぇ……」


 老婆とフィーは、少年が残していった幾つかの袋を覗き込み、蒔く種を選び始める。

 ゼノアと少年の方は、いつの間にか競争の様相を呈しており、本来の目的の達成が危ぶまれたが、雑ながらも何とか種蒔きの体裁は整っているようだ。


 そうして半刻ほどの時が流れ、さすがの偉丈夫ゼノアにも汗が滲み始めた頃。

 まるで頃合いを見計らっていたかのように、ぽつりぽつりと雨が降り始めてきて。


「おお!? 降ってきたぞ、あんちゃん!」

「ああ! でもコイツで終わりだ! 間に合ったぜ!」


 雨の中、歓喜の雄叫びを上げる少年とゼノア。


「やったぁ~! 凄いね、皆でやれば、こんなに早く終わったよ♪」

「本当に、まさか間に合うなんて……思いもしなかったわ」


 老婆とフィーは感慨に浸りつつも、はしゃぐ二人をそれぞれ宥める。


「皆さん、良かったら家で雨宿りして下さい」


 老婆の好意により、畑の間に屹立する円柱状の家屋へ。

 家の中は、天井がそのまま煙突の出口になっていて、入ってすぐの土間には囲炉裏があり、背の低いテーブルにはコップが二つ置きっぱなし。

 小さな階段を上がると四つの寝台が並ぶ居住スペースになっていて、木枠の小窓には花瓶が置かれていた。

 床板も段上の手すりも薄茶の木製で、赤い絨毯や、壁に埋め込まれた本棚に並べられた青や緑の装丁が彩りを添えている。


 屋内に入るなり、走り回って汚れの酷かった少年とゼノアは風呂に放り込まれ、老婆とフィーが洗濯をすることに。

 風呂場には、入り口から中二階の階段を登り、円柱の壁に嵌め込まれた扉を通って、トイレ前の廊下を横切ると到着した。

 簡素な木の扉を引き開けて、手狭な脱衣所で衣服を脱ぎ捨て、また木戸を抜けて浴室へ。

 浴室内は石造りで、真ん中にある円形の風呂窯に、洗い場から低い階段が伸びている。


 その階段を椅子代わりにして頭と身体を洗う。

 白い固形石鹸と、一本の湯水供給口を使って。

 湯水供給口が付いた壁の上方には、嵌め込まれたガラス越しに、稲光瞬く暗い空が見えた。


「たはー! 一仕事した後の風呂は最高だなぁ!」

「そうだね! 間違いないよ!」


 二人揃って湯船に浸かれば、たっぷり溜め込まれていた湯が溢れていく。

 老婆が、畑作業の前に焚いておいてくれたものだ。


 燃料は法力で、火と水系統の聖法術が刻印された法具を用いて湯を作り出しているらしい。

 誰に説明された訳でもないのに、ゼノアはぼんやりと眺め見透かすだけで、その原理を正しく理解してしまっていた。


 洗い場に設置された湯水供給口。

 その源泉に、火と水の法具――集火水晶が繋がっている。

 湯水供給口から湯を風呂窯に溜めて、風呂窯自体にも備え付けられた火の法具により、温度調節ができるようだ。

 燃料の法力には……なるほど、【魂戒十字ルトス】内に蓄えられた貨幣情報――その法力量を用いることが可能らしい。

 使えば使うだけ、金が減るということか。


「ん? どした、あんちゃん? 風呂の法術式なんかじっと見て」


 風呂窯の縁に組んだ腕を枕代わりに、窯の外壁面に刻印された白い幾何学文様を眺めていたら、少年に詰め寄られて顔を覗き込まれていた。


「え、ああ……ちょっと仕組みが気になったんでな」

「そんなん見て分かるの? すっごいなぁ! あんちゃん、何でそんな法術に詳しいんだ? やっぱ学校とかで勉強したのか?」

「知らん。俺、記憶無いんだわ」

「……ぇぇぇぇえええええ!? え、それって、ん? どゆこと!?」

「意味分からんのにそこまで驚けるのか。……言葉通りだよ。三時間前くらいに目覚めてからの記憶しか、俺には無いんだ。まぁ言語知識とかそういうのはあるみたいだけど」

「んん? 何も覚えてないけど、覚えてることもある? んんん?」


 首を捻って考え出した少年は、眉間に皺を寄せて唇を引き結び、今にも頭頂部から湯気が出そうな勢いで。


「要は、記憶の一部分だけ抜け落ちたのかもな。あんまり難しく考えんなよ? とりあえず生きてるから大丈夫だ」

「そっか! ならいいな!」


 思考停止。

 考えることをヤメた二人は、湯船の中に溶け込むように、全身を弛緩させていく。

 目尻が下がり、頬肉も緩まり、口は半開きに。


 穏やかな時間が流れる。

 そろそろ上がろうかとゼノアが思った頃、湿度の上がってきた空間へと吐き出すように、少年は疑問を口にした。


「なぁ、あんちゃん。どうやったら、あんなに法術上手くなれるんだよ?」

「法術? ああ、何か視たら分かるんだよ。やり方というか、その理論とかが。で、自分をどう動かせば良いかも分かる感じ?」

「才能ってやつか? なんだよそれズルいなぁ! オレなんか、何回教えてもらっても出来ないのに……」

「俺で分かることなら教えてやるぜ? とりあえずほら、さっきの土いじりだったら、こう足の裏から力を流し込めば良いんだよ」


 ゼノアが縁に背を預け、足先を湯船に浮かせて実演してみせると、足は指一本動いていないのに湯が勢いよく爆散。

 反対側の縁に当たった湯が跳ね返ってうず高く舞い上がり、落下してきて湯面に落ち、大きな波を引き起こす。

 その波はゼノアと目を見開いた少年を、顔から飲み込んだ。


「ぶはっ……! 詠唱無しとか、掌でも出来ないよそんなの! 詠唱したって出来ないのに!」


 濡れた癖っ毛が額に張り付いたまま、少年は怒り混じりに抗議する。


「あ、そう? 普通は掌の方が簡単なのか?」

「うん、そうだね。というか、足で出来るなんて聞いたことないよ」


 拗ねて口先を尖らせそっぽを向く。


「ふーん、そういやさっき、フィーもそんなこと言ってたな」

「フィーって、さっきあんちゃんと一緒にいた緑のあんちゃん?」

「そうだけど、呼び方がややこしいな。俺のことはゼノアって呼んでくれ」

「ゼノアね、分かった。オレはテオってんだ!」

「テオか、よろしくな」

「うん! よろしく!」


 似たような無邪気な笑みを浮かべる二人は、拳を合わせて友となった。


「そうだ! ゼノア、オレに法術を教えてくれよ!」

「……へ?」


 予想外の状況に陥ると、人は氷像のように停止するらしい。



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