◆6・測定結果と支給品

 ゼノアが手をかざすと――ボン、と短い音と共に円盤から黒煙が上がり、球体は落下。

 纏わりついていた円環もろとも重なり落ちて甲高い音を鳴らし……沈黙してしまって。


「えーと、これは……どういうことだよ?」

「うん、どうやら君は、この高そうな技巧品を壊したみたいだね」

「げっ、マジか? え、何、まさか弁償しろとか言われる?」

「それは……」


 ラーシュ次第だろうと、フィーは腕組みをして黙り込む軍人の方へ目を向ける。

 目を見開いて固まっていたラーシュは、次の瞬間――


「フッ……フフッ……フハハハハハハハハハハハ!!」


 破顔一笑、天井を仰ぎ大声で笑い出す。


「あ、あれ? 大丈夫? まさか値段高すぎて笑うしかなくなった!?」

「ぜ、ゼノア! ここは、素直に頭を下げて謝ったほうがいいんじゃないかな!?」


 その様子に、オロオロと揃って慌てだす二人。


「ははは! いや、その必要は無いよ! 回路保護のための安全装置が、働いただけだ! ふう……失敬。よもや、これを破壊できる者が居るとは思わなかったよ」

「はぁ、そうなのか。これ、壊すの難しいの?」

「難しいどころか、理論上は、人類では不可能だ」

「不可能?」

「そう、できない。いや、今となってはできない筈だった、が正しいのか。この最大法力出力検査器は、最高で一〇〇〇〇レヒトまで検知可能だ。これに対して人類の理論最大値がいくらか、フィー殿ならご存知かな?」

「えーと……確か歴史上最高の導士で八〇〇〇くらいだったから、そのくらい?」

「そう、正確には八二八九レヒトと算出されている。故に……この眼前の光景が、どれだけ理解し難くあり得ないことかも想像できよう?」


 つまりゼノアの最大法力量は、最低でも一万超え。

 これまでの史上最高値よりも一七一一レヒト以上の力を持っていることになるが、それがどの程度凄いことなのかは、ゼノアには分からない。

 なので想像もできず、いまいち実感の沸かない平凡な顔で相槌を打つしかなかった。


「ふーん、そうなのか」

「……ゼノア、全然実感無さそうだね」

「そらそうだろ? 単位やら数値やら示されたって、その尺度が分からねぇんだから」

「仰る通り。では平均値を示しておこうか。人類の二〇歳頃なら、一〇〇レヒトくらいだ。貴殿は最低でもその百倍……単純に力比べなら、百人束になっても敵わない、と言えば、少しはご想像の足しになるかな?」

「へ、へぇ……?」


 その説明で少し事態が飲み込めたのか、ゼノアは初めて自分の能力に引いた顔を見せる。


「〇レヒトなら法力〇。これは死体とかだね。霊体があれば最低でも一はあるから。そこらの草花や石でも数値を示すよ」

「そう、か」


 フィーの説明は、ゼノアに果たして届いたのか。

 聞いてはいるようだが生返事なので、どうやら別のことを考えているらしい。


(だから、この警戒なんだな。力が強すぎるから、放って置けないのか。てことは今後、俺の行動の自由は制限される?)

「さて、本当は他にも色々と検査をお願いしようと思っていたのだが、どうもその必要はないかな」

「ラーシュさん、他の検査って?」


 目線を下げ顎に手を当てて思索にふけっているゼノアに代わり、フィーが会話を繋ぐ。


「ああ、各種身体能力の検査もしたいと思っていたのが、この法力量では自動的に身体強化が発動しているだろうからね。更にはそのローブの上からでも、ゼノア殿の肉体が非常に屈強であるのは見て取れる。ここの設備では恐らく法力同様、測定不能かな」

「うひゃぁ~凄いんだねぇ、君って」

「え? あ、あぁ、そうらしいな」


 再度話を振られてようやく目線を上に戻せば、ゼノアは対面するラーシュの微笑みの中にある、鋭い眼光に気づいた。

 この男は、自分に対して警戒を怠っていない。


「そう言えばゼノア殿。貴殿の個人情報記録が【総記殿】に無かったので登録させて頂くことになるのだが、ここで名字を付けていかないか? 今後、名字が無いと不便な場合もあるかも知れないよ? 同名の人が現れた場合、とかね」

「名字のことは分かるが、【総記殿】ってのは?」

「あぁそれは、この世のあらゆる記録を集積し、保管している装置のことだ。その構造は機密事項なので話せないけどね」

「おっっっきな図書館みたいな物だと思うよ! 好きな時に、好きな本の好きなページを閲覧できるような!」

「へぇ……そらスゲェな」


 幾分か興奮しながら前のめりに話すフィーに圧倒されながら、ゼノアは巨大図書館を想像しようとして、自分の記憶の中にその材料が無いことに気づき断念。

 直ぐに思考を切り替えて名字について考え始めた。

 ラーシュが言うように、名前だけだと今後面倒があり得るという点については理解できていたから。


「名字、名字か……うーん、どうすっかな。考えようにも俺の頭ん中に材料が無いんだが」

「あ、そうだよね。じゃあ僕も一緒に考えるよ!」

「ふむ。私も協力しよう。そうだな……名字を最初に設定した先人たちは、好きな言葉や自分が就いていた生業、あるいは生まれた土地の名から取った場合もあるそうだよ」

「ほうほう。好きな言葉……特に無いな。仕事もまだ就いて無いし、生まれた土地は……」

「不明、だもんね……」


 苦笑いになるフィーと、難しい表情を浮かべるラーシュ。

 しかしゼノアは、何か思いついたように笑みを浮かべた。


「いやそれなら、ソレイユにするかな。俺はここで目覚めた――何の記憶も、客観的な記録も無いままにな。それって、新しく生まれたのと同じだろ?」

「あぁ~! 確かにそうだね! うん、良いと思うよ♪ 綺麗な響きだし」

「分かった。ならば貴殿は今後――ゼノア=ソレイユを名乗るがいい」


 そう言うや否やラーシュは懐から青く光沢を放つペンを取り出したかと思えば、神示鑑定書の最上部――名前の横に【=ソレイユ】と書き足す。

 書き足された文字は最初黒かったのだが、ラーシュがその文字を上から一撫ですると青く発光して、青色に変化。


「後は、これを送れば完了だ」


 ゼノアとフィーが見守る中ラーシュは神示鑑定書を持って立ち上がり、窓に近い壁の方へと歩いていく。

 そこには小さな棚の上に異彩を放つ漆黒の物体が鎮座しており、その真っ平らな天板上に神示鑑定書を置くや否や、間髪を入れず空中に飛び出してきた文字列に指を這わせ、何やら操作し始める。


「……何を、やってるんだ?」

「ん? 今は送り先の設定を終えて、これから送信するところだよ――【総記殿】にね」


 ラーシュが最後の操作をした瞬間、ゼノアには見えた――漆黒の物体から、特定の方向に走る閃光が。

 淡緑色の閃光は壁を透き通り、光よりも速く空を翔けて時差なく目的地に着いたのだと、何故か直観的に分かってしまう。


「もう終わったの?」

「ああ、終わったよ。これでゼノア殿は、ガウリイル王国の民として登録された」

「へー? どうやって送ったのかな……」


 隣にいたフィーには、見えなかったらしい。


(なん、だ……? 何故俺は、こんなことが分かる? 小さな疑問すらなく、見ただけで確定的に理解してしまえるのは、何故だ?)


 ゼノアは自分自身の能力に対する疑念が深まるばかりだが、その答えは忘却の彼方――ではなかった。

 その疑念に対する答えが、己が内より示される。


――物事の道理、理論、知識、構造、構成が手に取るように解ってしまうのは、【天征眼】と【全智の泉】との接続によるものだ。

 つまり聖法術・神伺いの法を、対象を視るだけで使えてしまう、ということ。


「さて、ではそちらの用件に戻ろうか。ゼノア殿には衣食住が必要だったね?」


 ソファまで戻ってきたラーシュが、再度座りながら話を戻す。


「衣食住のうち、とりあえず直ぐに用意できるのは衣服くらいかな。部屋はここの裏にある兵舎の空き部屋を使ってもらっても構わんが、準備に少し時間が掛かる。食事はここの食堂を利用出来るようにしても良いが、流石にいつまでも無償提供というワケにはいかない。当然、何か仕事に就いてもらうことになるね。そこで提案なのだが……我々の軍隊に入る気は無いかね? 君が加わってくれたなら当然即戦力として」

「断る。服だけ貰えれば、それで良い」


 ゼノアは、ラーシュの言葉を遮り強く言い放った。

 真っ直ぐと、その蒼き眼光をぶつけながら。


「そう、か……それは残念だな。では仕事についてなどは追々考えて頂くとして、此方からは衣服をプレゼントさせて頂くよ」

「……悪い、助かる」

「悪いことなんか一つも無いとも。人道的支援は、我が国の民ならば誰にでも受ける権利があるのだからな。それを恩義と感じてくれるのであれば、何か職について国に貢献してくれると、個人的には嬉しく思うよ」


 真摯な蒼き瞳を見て緊張を緩めたラーシュは、目元から優しく微笑み、そう告げた。

 対するゼノアもそれに釣られて、表情が緩む。


「分かった。そうさせてもらうぜ」

「フッ……では、ここでしばし待たれよ。支給品の部屋に案内する者を呼んでこよう」


 ラーシュは淀み無く立ち上がり、来たときと同様、足取り軽く優雅に扉まで移動。


「私はこれで失礼するよ。機会があれば、また会おう」

「おう、世話になったな」

「またね~!」


 律儀に立って手を振るフィーと、座ったまま片手を上げて応じるゼノアを順に見て、口角を片方上げて笑みを作ったラーシュは、そのまま扉を抜けて去っていった。


「さて、また待つのか……」

「暇だね……」


 残された二人は、ソファへと埋没していく。


――その後ほどなくして栗毛の受付嬢が再度現れ、案内された先の薄暗い倉庫でゼノアが選んだ支給品は、緋色のアウターコートに漆黒のドレスシャツ、白いデニムパンツと黒い人工皮革ブーツの組み合わせだった。

 他にも当面の生活費と、灰色の布製背嚢を貰い受け、その中に着ていた橙色の簡素なローブを仕舞い込み、外へ。



◇◇◇◇◇◇



「それで、次はどこに行くの?」

「んー? 特に予定なんざねぇけど。とりあえず、散歩でもしながら考えるかな」

「そうなんだ」


 支給された衣服に着替えたゼノアと、その間別室でしっかり神示鑑定されたフィーが共に詰所を出た頃、外は風が強さを増してきており、その風が運んで来たのか空にはまた厚い雲がちらほらと見え始めていた。

 嵐が来そうな気配に、広場の商店はいそいそと店仕舞いをしている。


「……というかアンタ、いつまで付いてくるつもりだよ?」

「え? あ、その……僕が付いていくと、迷惑になる?」

「いや迷惑とかより、アンタにも旅の目的があるんだろ? 俺なんかにかまけてて、そっちの方は良いのか?」


 ゼノアは横目で隣に付いてくるフィーの顔を見ようとしたが、背丈の差で見下ろす関係上、フードに阻まれて果たせない。


「あぁ、それなら、実は君に付いて行った方が良い気がしてて」

「なんで?」

「うん。勘だよ」

「勘、かよ……」


 力強く言い切られ、ゼノアは肩を落とす。


「で、ちなみにその目的ってのは?」

「うーん、まだ内緒♪」


 フードから覗く唇の両端が持ち上がり、綺麗な半円を描く。


「あ、そう……」

「えー? 聞いてくれないのー?」

「聞いて欲しいのか!?」


 ならさっさと喋れ、と語気を強めるゼノアに臆することもなく、むしろ、あははーと気楽に笑うフィーは、どうやら会話自体を楽しんでいるようだった。


「まぁまぁ。真面目な話、僕みたいに旅慣れた道連れがいれば、色々と君も助かるんじゃないかな?」

「んーそれは、そうかも知れない」

「でしょう? じゃあ決まりね! しばらくは道連れだよ♪」


 声を弾ませて心底楽しそうで。


「ハッ……物好きなヤツだな。勝手にしろ」

「あはは! やったぁ!」


 悩むことをヤメたゼノアもまた、勝手に表情が緩む。


「ん、こっちは街外れの方向だねー」

「そうなの? ならちょっと街の外に行ってみるか」


 広場から西に向かって伸びる街道に入ると、その両脇に並ぶ建物は、二階建ての商店から三階建ての集合住宅に変わっていく。

 ほぼ青い屋根に赤煉瓦造りで統一されていて、街の景観は計画的に保たれているようだ。


 窓辺に吊るした洗濯物を取り込む妙齢の婦人、帰路を急ぐ少年たち、風に手折られてしまいそうな花。

 街の光景を眺めつつしばらく歩いて行くと、フィーがふと思い出したように声を掛けてきて。


「あ、そう言えばぁ、あんまり暗くなると魔物が出やすくなるよ?」

「魔物? へぇ、強いのか?」

「ここら辺の魔物は弱い方だね。観光地だから人が集まる分、魔物も討伐されやすくなるんだ」

「なるほど。じゃあ初心者には丁度いいな」


 魔物と聞いてむしろやる気を出したゼノアに、フィーは苦笑を漏らす。


「普通は魔物ってだけで怖がる人が多いんだけどなー」


 話しながら歩いていくと、前方斜め上にこれまで見なかったものが現れた。

 それは通りの両側の屋根を繋ぐ、意匠を凝らしたアーチ型の門。

 その下を抜けた先は街の外であるらしく、家屋がなくなり、代わりに緩い下り坂の一本道とそれを取り囲む背の低い草原がお出迎えしてくれる。


「……まぁ、君に怖いものがあるって言われても、逆に信じられない所だけど」

「はっはー。こちとら手ぶらで生きてるからな。失う物も、恐れる物も無し」

「凄いね。僕は、一杯あるな……怖いもの」


 笑顔を見せていたフィーだが、それが少しだけ翳りを見せた。


「へぇ、具体的には?」

「うーんと、例えば、そうだね……人の心の、闇とか」

「はぁ。よく分からんが、何でそれが怖い?」

「何をするか、分からないからだよ」


 未知に対する恐怖。

 月明かりの無い夜に一人で真っ暗闇の中を歩くような、そんな潜在的な恐怖がフィーを震え上がらせているらしい。


「闇に囚われたら、人が人でなくなるんだ」

「ソイツは、まぁ確かに嫌な感じだな」

「……君は、さっきその恐怖から、僕を助けてくれた」

「は? いつ?」


 目を丸くしてフィーを見つめるゼノア。

 対するフィーはにんまりと微笑んで、その時の記憶に浸っているようだ。


「内緒♪ に、しとこうかなー」

「いやいや気になるって。そこまで言ったら教えてもらわないと」

「だからぁ、あの商人!」

「え? アイツが、どうしたってんだよ?」

「彼の心は――」


 その時ついに暗雲が、雷鳴を響かせる。


「――黒く、染まっていたから」


 一瞬の雷光が、真っ直ぐにゼノアを見つめる翡翠の瞳を浮かび上がらせた。

 フィーの顔からは笑みが消えていて、とても冗談で言っているようには見えない。


「そう、か――アンタは、人の心の色が、視えるのか?」

「……凄いね。たった一つのヒントだけで、僕の力を見破るなんて」

「いいや、信じただけさ。ただ、アンタの言葉をな」


 信じた上で、考えた。

 今まで聞き及んだ情報を統合し、関連付けて紐解いただけ。


「それが、凄いことなんだよ。普通はできないから」

「よせよ。褒めたって何も出やしないぜ? なんせ、寝間着ぐらいしか持ってないし」

「うふふ……期待してないよ、そんなの」

「そうか?」


 ゼノアの下らない冗談で笑みを浮かべるフィー。

 それからまた無言になり、しばらく歩みを進める。


 緩やかな傾斜の道。

 乾いて表面が軽くなった白っぽい土を、黒と緑のブーツが踏んでいく。

 空気は逆に重厚感を増していた。

 湿度が上がり、肌着が空気に溶けない汗を吸って肌に張り付き、ただでさえ頭上を覆う暗雲によって増幅されていた不快度が、更に増す。


 ソレイユ郊外は視界を遮る物のない、見通しの良い高原になっている。

 遥か遠くの山々は薄暗さで輪郭さえぼやけているが、それでも奥行きの広さを感じさせるには十分な壮大さを有していた。


「ん、あれは?」


 そんな巨大な背景の微かな明暗に抱かれた高原の一角で、ゼノアは、何やら蠢く人影を見つける。



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