◆5・国王軍の詰所

 詰所前で見つめ合う二人。

 やがて紡ぎ出された言葉は、特にとり留めも無いもので。


「んーと、君一人だと分からないこともありそうだったから、必要そうなら案内してあげようかな、と」

「はぁ? とんだお人好しか! ……まぁでも助かるな。分からんことあったらよろしく」

「おまかせあれ♪」


 至極楽しそうな返答に釈然としない思いを抱えながらも、ゼノアはまた歩み出す。

 重く閉ざされた大きめの扉の前まで来ると、立ち止まるゼノアをよそにフードマンが先行。


「ほら、入るよ!」

「お、おう」


 どうやら勝手に入って良いものらしい。

 扉を押し開くと――壮麗なエントランスホールが待っていた。

 外側が薄青で統一されていたのに反し、内側は赤絨毯に始まりワインレッドの壁紙、濃茶色の木材など、赤系の色合いが多い。

 入り口から正面には二階に登る幅広な直線の階段があり、途中から左右に分かれて曲線に変化していて、真上には大きな白金に輝くシャンデリア。

 階段の根本には左右に同じデザインの机があり、そこに一人ずつ受付係らしき女性が。


「いらっしゃいませ。どのようなご用件でしょうか?」

「王国軍にご用なら此方へどうぞ。それ以外は彼方の窓口へ」


 軍服らしき紺色のスーツに耳を包んだ女性二人が交互にそう言った。

 王国軍に要件なら右の金髪の方、それ以外は左の栗毛の方らしい。


「俺って……それ以外、なのかな」

「え? どんな要件で来たの?」

「えーと何て言ったらいいのか……記憶喪失だから助けてくれ、ってとこか?」

「記憶喪失!? 君、記憶喪失なの!?」

「おう。そのようだ」

「そのようだって……他人事みたいに言うね」


 そこで会話を聞いていた栗毛の受付嬢が立ち上がる。


「あの……記憶喪失、でございますか? では、此方へどうぞ」

「ん、そっちか」


 案内に従い、ゼノアは左側に向かって歩きだした。


「それではまず身元の確認をしたいので、神伺いの法を使用してもよろしいですか?」

「あぁ、さっき他のヤツからもされたなソレ。いいぜ、髪の毛でも渡せば良いか?」

「いえ、ここに手を触れて下されば大丈夫ですよ」

「はいよ」


 栗毛の受付嬢に示されたのは、机上に置かれた分厚く大きな紙。

 ゼノアがそこに手を置くと、受付嬢の細く白い手がその上に乗せられる。


「では失礼します。【全なる至高の創造主よ、こいねがうはたゆなき全智の恩恵を――アンスル・ニイド!】


 重なり合わされた手から白と金色が混ざったオーラが溢れ出し、一瞬吹いた風がそれぞれの髪と服を撫でた。


「はい、それでは開示された情報を見てみましょう」

「うんうん。何て書いてあるのかな?」

「なんでそんな興味津々なんだ……?」


 当人より先に、フードマンがゼノアの情報を覗き見るべく身を乗り出していて。


「これは……」

「うわぁ……」

「んだよ。人の情報見てその感想」

「だって、これ見てみなよ?」


 ゼノアがそれを見てみると、さっきのと寸分違わぬ結果だった。


「さっき見たのと一緒だが?」

「じゃあその人も言ってなかった? こんなに情報が秘匿されてるのは――異常だって」

「へ? そうなの?」

「そう、ですね。まず名字すら出てこない時点で可怪しい……」

「他にも出身地、居住地、家族構成すら無い。記憶喪失どころかこれじゃあまるで……」

「まるで、なんだよ?」


 栗毛の受付嬢とフードマン、二人揃って難しい顔で考え込んでしまっている。

 考えてみれば、確かに記憶だけでなく他の情報まで無いのは変だと言えるだろう。

 そもそもそういう出生に関わる情報が開示されない時点で、記憶を辿ることすら難しい。

 というかほぼ不可能に近いのではないか?

 それが神伺いの結果であり、神の意志だというのならば――


「神は、この人の素性を秘匿したい、ってことになるのかな?」

「そう、ですね。情報開示が許可されないのなら、これ以上は調べても出てこない可能性が高いです」

「と、言うことは……何か特別な役目を持っている人?」

「かも知れません。この下の方の文、気になりませんか?」


 栗毛の受付嬢が指したのは――

 天を征する眼を持つ者なり

 という一文。


「天を征する眼……何のことだろう? あれ、ていうかその上……聖魔導双剣士!?」

「聖、魔導……!? あぁなんてこと! 直ぐに上に知らせます! ここで待っていて下さい!」


 それからの王国軍詰所は、蜂の巣を突付くどころか突き破るような大騒ぎになってしまった。

 そこらの扉やら階上やら無関係にわらわらと軍服を纏った者たちが次から次へと現れ、ゼノアとフードマンはいつの間にか奥の応接室へと招待されており――


「ま、まま、ままっままずはお茶でもど、どどどおうぞ……ッ!!」

「いや要らん。てかそんな震えてたら溢れるって。落ち着け。別に取って食わんから落ち着いてくれってば!」


 先程の栗毛の受付嬢がハーブティーを配膳しようとしてくれているのだが、度を超した緊張のあまり全身痙攣及び脂汗の滲みによる視覚障害が発症し今にも卒倒してお茶が飛んできそうなご様子で。

 思わずゼノアが受け取り、事なきを得る。


「あっっぶねぇなぁ。もう余計な気ぃ使わなくて良いから、座ってろよ」

「は、はぃぃ……い、いえ、失礼しますぅっ!」


 一瞬言われるまま座りかけた栗毛の受付嬢は、こんな場所に居られないとばかりに慌てて部屋から出ていった。

 六角形の応接間に、ようやく静けさが戻る。

 唯一の窓からは未だ高い太陽の光が降り注ぎ、室内の調度品に陰影を添えていた。

 壁・床・天井の全てがベージュの大理石で埋め尽くされ、その上に置かれた家具類はどれも木材の茶色や白を基調として落ち着いた色合いで統一されており、総じて内装は格調高く古風だと言えよう。


「で、なんで待たされてんだっけ?」

「分かってなかったの!? 君が超越者の称号、導士を持っていたからだよ! 今ここのお偉いさんを呼んでるって話でしょ!?」

「あぁ、それね。記憶無いから正直実感も無いんだけどなー」

「ま、まぁそれはそうなのかも知れないけど……」


 部屋の中央には四足がS字に湾曲したローテーブルが置かれ、長辺を挟む形で三人掛けのソファがあり、その片方にゼノアとフードマンが少し間を開けて並んで座っている。

 ゼノアは右手側の肘置きを使って頬杖をつき、足組みをして背もたれに倒れ込むダラけた体勢でいるが、対照的にフードマンは姿勢良く背を伸ばし足は揃えていた。


 短辺側の片方にだけふかふかクッション付きの個人用椅子が配置されており、そちら側が部屋の上座で、その背後に唯一の窓が開けられていて、反対側には暖炉が。

 その暖炉の左右には一つずつ扉がある。


「てか、アンタも他のヤツよりは落ち着いてるよな?」

「え? あ、あぁ~そうなのかも。僕は、身内に聖導士が居たからね」

「ふーん」


 自分から聞いておきながら、さして興味無さそうに室内の様子へと目を向けるゼノア。

 フードマンはむしろゼノアに興味があるらしく、その顔を覗きながら更に言葉を紡ぐ。


「君は……その、どうしてそんなに」

「ん?」


 だが、それを遮る音――扉が室外から叩かれる音が鳴った。


「お、やっと来たか」

「失礼するよ」


 廊下から響いてきたのは低音で渋みの深い男性の声。

 扉が外に向けて引かれ、見えた姿はまさに声の通り。

 紺色の軍服を鍛え上げられた長身で隙無く着こなし、紅茶のような色艶を誇る髪は全て後ろに流して、三〇代後半らしき細い顔の輪郭は豊かな髭に覆わせて威厳を増しているようであった。

 入室してから迷わずゼノアたちの方へ向かって、足取り軽く優雅に歩を進める。


「一人、か……いや」


 廊下を透視してみれば、完全武装した騎士が五人――左右の扉に一人ずつと、窓の外に三人配置されているのが見えた。

 どうやら警戒レベルは高いようだが、此方を刺激したくもないらしい。


「ゼノア、立ち上がってお迎えしよう」

「お? おお」


 隣でいつの間にか立ち上がっていたフードマンに倣い、ゼノアも居住まいを正しつつ立ち上がった。

 その眼前へ岩のように頑健そうな手が、握手を求める形で差し出される。


「貴殿が、導士ゼノアだね。私はラーシュ=エーリク=ヴァルデンストレーム。現在この地域を統括する任を負っている者だ。以後お見知りおきを」

「ああ。俺はゼノア。過去の記憶は綺麗さっぱり喪失しちまったからこの先も覚えていられるか不安だが、まぁ努力は惜しまないぜ」

「ははは。その努力が実ることに期待するとしよう。ところで、貴殿は?」


 ラーシュの疑問は、当然横にいるフードマンの素性に関してのもので。


「ん? 僕はフィー。ゼノアをここまで案内してきました♪」


 フードマンことフィーは元気に無意味な身振り手振りを交えつつ、明るい声音で語尾は軽快に跳ねさせて、そう答えた。


「それは感謝を示さねばならんな。ご協力ありがとうフィー殿。では後は此方で預かるので、お急ぎならご退室頂いても構わないよ?」

「えぇ!? 僕も気になるから居たいんだけど、ダメですか?」

「無論、それも構わないさ。ではお二方、掛けてくれたまえ」


 朗らかな笑顔と共に掌を上向きにソファを指し示して、着席を促すラーシュ。

 それに従い、一同は腰を下ろした。

 ラーシュはローテーブルに見覚えのある大紙を広げていく。

 それは、神伺いで先程ゼノアを調べた結果であった。


「早速で申し訳無いのだが、色々と聞かせてもらっても良いかな?」

「聞くだけなら自由だ。好きにやってくれ。答えるか否かは俺の自由だけど」

「フッ……その通りだな。じゃあお言葉に甘えて。この神示鑑定書に拠れば、貴殿は聖魔――両導士の位を有しているようだが、こんな事例は記録に無いから詳細を聞きたい。まずは、現在記憶喪失とのことだが……記憶無しでご自身の強大な力を、制御できるのかね?」


 ゼノアはその質問に足組み腕組みをして、尊大に鼻を鳴らし宣う。


「ふん……愚問だな。記憶喪失なのに、力の制御なんざ出来るワケがねぇだろ」

「そうか。ここには助けを求めて来たとのことだが、我々は記憶を取り戻す手伝いをすれば良いのかな?」

「記憶はどうでもいい。ただ夜の寒さを乗り越えるための衣服を貰えればそれで。親切なおっちゃんに、ここに行けって言われたんでな」

「ほう? どうでもいい、と。相わかった。衣服を支給するのは構わないが、その前にまだ気になる点があるので、少し付き合ってもらいたい」

「まぁ少しくらいならイイぜ。何をして欲しいんだ?」


 ラーシュは人好きのする笑みを浮かべて、手元の大紙を指差す。


「ここには、貴殿の記録はほぼ無いに等しい。書いてあるのは身長、体重など、外部から容易に測定できるものばかり。なので、少し貴殿の情報を追加したいのだよ」

「回りくどいな。やって欲しいことを言え」

「失礼。ではこの法具に、貴殿の法力を全力で流し込んでくれ」


 そう言ってラーシュが懐から取り出し卓上に置いたのは、底に円盤があり、その上に浮遊する球形宝玉が複数の円環に囲われている物体。


「……法力? どうやって?」

「法力とは、霊力や魔力などとも言われるが、要するに聖法術、あるいは魔法術を行使するための力だ。やり方は……こうすればいい」


 ラーシュは片手を宝玉にかざし、何やら全身に力を込めた。

 その手と宝玉の間には何も存在しなかったが、宝玉は即座に光輝き、揺さぶられるように激しく振動し始める。


「こうして自分の中の法力を発力点たる掌から流し込めば、この球体が反応し、計測値を表示してくれる」


 ラーシュの説明通り、宝玉から一三七七という数値が示された。

 不思議なことに、誰がどの方向から見ても、その計測値は自分に向けて表示されているように見える。

 ゼノアは首を捻りながらその中身、構造を注視していた。


(これは……観測者の意識に直接投影しているのか?)

「最大法力出力――瞬間的にどれだけの法力量を扱えるのか、というのを試す装置だね」


 それまで黙って見ていたフィーの発言。

 フードの奥の瞳は、好奇心からか爛々と輝いている。


「その通りだ。フィー殿も試しにやってみるかね?」

「良いの!? やるやる! やってみたいです!」

「フフ……ではどうぞ」

「はーい! じゃあ、いっくよー!」


 フィーはローブの袖から左手を出す。

 細く綺麗な白い手の先――その中指には、銀の円環に翡翠が嵌った指輪をしていた。


「そぉーれっ!」


 フィーが力を流し込み始めた瞬間から空中に踊りだした数値は見る見る上昇し、ついには――三五四五にまで到達。


「なんと……! 導士クラスに匹敵する数値だな。フィー殿……貴殿は一体何者だね?」

「え? そ、そうなの? あ、あははは……僕はただの旅人、なんですけど……」

「言いたくない、か。申し訳無いが安全管理上見過ごせない数値なので、貴殿の素性も調べさせて頂けるかな?」

「え、えーと……それは」


 柔和な態度と笑顔を一切崩さないラーシュだが、そのこめかみには一筋の脂汗が流れ落ちている。

 一方のフィーは、悪戯の見つかった子供みたいに萎らしくなっていて。


「そっちの問題は後にしてくれ。今度は俺の番だろ?」

「……ふむ、分かった。では後ほど」


 一時的にでも自分に向けられていた矛先が逸らされたことで、ほっと胸を撫で下ろすフィー。

 ゼノアは若干前のめりになって球体を睨みつける。


「とりあえず今アンタらがやったみたいに、コイツに掌から白い力を流せばいいんだな?」

「白い、力だと? どういう意味だ? 私には何も見えなかったが」


 訝しむラーシュは顎に手を当てて、その言葉の意味を思案するも答えは出ない。

 しかしフィーには思い当たる節があったようだ。


「ゼノアは、力の流れを見ることが出来るんだね」

「ん? アンタらには見えないのか?」

「うん、普通は見えないよ。僕は薄っすらとなら」

「力の流れ……思考にて像を結ぶ前の純然たる法力が、見えるだと?」


 ラーシュが驚愕し、目を見開いて硬直。

 思考停止に陥ったらしい。


「はぁ……まぁいい。やるぞ」


 そんなことには無関心なゼノアは、事を先に進めようとする。

 背もたれに体重を預けっぱなしで崩しきっていた居住まいを正し、他の者が固唾をのんで見守る中、前のめりになって球体に手をかざした。



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