◆8・教えて、教えられて
法術を教えて欲しいと言われ、ゼノアは逡巡する。
教えてあげたいのはやまやまだが、記憶の無い自分が教えて大丈夫だろうか?
感覚だけで、間違った知識を植え付けてしまうのでは?
いや、待てよ……その感覚を、自分が教えられる事を教えれば良い。
知識はまぁ、後から補完してくれって事で。
「……分かった。んじゃあまずはテオ、ちょっと手を合わせてみな」
「うん? こう?」
ゼノアが片手をテオに向けて、それにテオが合わせる。
最初はただ首を傾げて訝しんでいただけのテオだったが、徐々に目が見開かれ、口は半開きのまま固まり、驚きを表す形へと変わっていく。
「わ、なにこれ!? なんか変な感じ!」
「法力ってヤツを流してるんだが、何か感じ取れたか?」
「うん! なんかビリビリする!」
今度は目を細めて楽しそうな顔に変わり、口元も笑みを象っていた。
その表情を見れば、ゼノアも釣られて微笑を浮かべてしまう。
「……じゃあ今度は、そっちから俺に送ってみろよ」
「え!? どうやってさ!?」
急に楽しんでいた力の流れを止められ、あまつさえ出来もしないことをやれと言われたのだから、声を荒げてしまうのも無理はない。
けれど、混乱しながらもゼノアの言葉にしっかりと耳を傾けようとしていた。
「ただ想像すればいい。自分の中から、なんか光みたいなもんが掌を通して俺に流れていくって感じでさ」
「わ、わかったよ……」
テオは目を閉じて、己が空想の中に思考を埋没させていく。
ゼノアはその思念が実体化されていく様を、視覚的に捉えていた。
額の奥にある一点――主魂から光の源流が溢れ出し、全身を駆け巡る。
臍の下にある一点――副霊からも同時に光が生成され、うねるように絡み合いながら掌へと収束されていき、やがて――
「で、でき……た!?」
「ああ、上出来だ。なんだよ、やれば出来るじゃねぇか?」
先程とは逆方向に流れる何かを、その存在を、テオは掌から伝わる感覚からしっかりと認識できていた。
ビリビリと電流が走るようなその感覚は、掌だけではなく徐々に前腕部にまで浸透し始めている。
「今度は、お湯でも吹っ飛ばしてみるか?」
「……どうやって?」
「だから言ったろ? 想像するんだよ。想ったことってのは、どうやら現実になるみたいだからな」
「そんなの、ゼノアの力が強いからじゃないか」
「いいや、それは違う。俺に言わせれば、こんなもん本当は誰だってできることだ。そのやり方を、皆忘れちまってるだけでな」
両腕を広げて風呂の縁に背を預け、妙に確信めいた言動を取るゼノア。
その様子に、テオは疑問を抱く。
「なんで、そんなことが分かるんだよ?」
「視えるからな。その理由が」
「見える?」
「まぁ、それについては今度教えてやるよ。今は、テオが法術使えるようになる方が大事だろ? 俺の言葉を信じてやってみな。きっとすぐ出来るようになるぜ?」
自身満々に笑顔すら見せて。
そんなゼノアに心を掴まれたのか、テオはぐっと出しかけた言葉を飲み込み、疑問と不安で曇った表情を眩しい笑みで掻き消した。
「わかったよ。オレ、やってみる!」
言葉通りに早速、掌を突き出して意識を集中させるテオ。
静まり返る空間。
何も起こらない。
ただ時間だけが過ぎて行く。
「あれ? 難しいなぁ。やっぱオレには出来ないよ……法力の才能、無いし」
「出来ない理由探す暇あんなら、どうすれば出来るかを考えろ」
「どうすれば、出来るかを……?」
「ああ。まぁヒントを出すとだな……テオは根本を忘れてんぞ? ちゃんと精霊に願え」
「精霊に、願う……?」
「そう。自分一人で出来ないことは、誰かにお願いして手伝ってもらえよ。この世界は、一人で動かすにはデカすぎるからな」
ゼノアはテオの小さな頭を片手で鷲掴みにして、わしゃわしゃと洗うように撫で回した。
テオはそれを迷惑そうに振り払う。
「わわ、ヤメロよ!」
「ははは! カッコイイ髪型になったぜ?」
「このー! ふざけんなよ!」
撫でくり回されてぐしゃぐしゃに立ち上がった黒髪と、腹も立ったテオは仕返しとばかりに湯を両手で勢いよく掻き飛ばし、ゼノアに顔から掛けた。
片手でそれを防ごうとするが、合間からすり抜け、頭から下全てを濡らしていく。
けれどそれを嫌がっていると言うよりは、心の底から楽しんでいる顔をしていて。
少年に負けないくらい少年地味た笑顔を浮かべて、彼は反撃するのだった。
「さて、そろそろ出るか」
「なっ!? まだ勝負はついてないぞー!」
「んなもん最後まで戦場に残ったテオの勝ちに決まってんだろ? ほら、風呂の順番待ちしてるのが居るんだから、さっさと出ようぜ?」
「ぬぬぬ……なんか納得いかないけど、分かった」
風呂から上がり、脱衣所にて用意されていたタオルで全身を拭いて、テオは春草色のシャツとズボンを、ゼノアは最初に貰った橙色の簡素なローブを着て、居間へと向かう。
「風呂空いたぞー」
「婆ちゃん、喉乾いた! 豆乳ちょうだい!」
「はいはい。それじゃフィーさん、お風呂どうぞ」
「え、いや僕は最後で良いよ!」
フィーは幾分か焦った声を出し、両手を胸の前で振って遠慮していた。
「いいのよ。私はまだ洗濯のこともあるし、先に入ってて」
「あ、う、うん」
しかしやんわりと老婆に退路を塞がれ、二の句が継げなくなり、そのまま一人とぼとぼと風呂場へ向かい歩き出す。
老婆は一階にある青白い一.五mくらいの箱を左右に開けて、瓶を一つ取り出した。
箱の中からは薄く冷気が漏れ出ており、それは冷やすための法具で――氷冷機というらしい。
「はい、どうぞ」
「ありがとー!」
テオは所望した品を受け取るや否や、ぐいぐいと飲み干した。
続いて老婆は一mくらいの衣服を洗う白い壺状の法具――洗浄壺の腹部分にある丸い蓋を横に開け、中から洗われた衣服を竹籠に取り出し、別の場所へと持ち去る。
その向かう先には衣掛けが直立しており、これから干すつもりのようだ。
「手伝うぞ」
「あら、ありがとう」
「あ、オレもー!」
ゼノアが濡れた髪もそのままに老婆の元へと行くと、後から口の周りが白くなったテオも続く。
「で、どうやってやんの?」
「これも忘れちゃったのか!? 仕方ないなぁ、まずこうやって、皺を伸ばすんだ!」
ぱんぱんと二度ほど強く振って実演。
「ふむふむ、こうか?」
「そうそう! 思い出してきた?」
「……ねぇテオ、忘れちゃった、っていうのは?」
ゼノアとテオのやり取りに疑問を感じた老婆が、二人の会話に割って入る。
「え? 言葉通りだよ!」
「それだけじゃ伝わらんだろ。えーと、俺さ、実は記憶喪失なんだ。今日の昼以前の記憶が、まるで無くてね」
「まぁ……! そうだったの」
老婆はとても哀感に満ちた顔で、自分の胸が痛いかのように押さえた。
「そんな顔しないでくれ。俺は別に気にしちゃいない。むしろ、周りのもの全てが目新しく見えるんだから、楽しんでるくらいさ」
「あら、そうなの? お強いのね」
ゼノアの強がりとも取れる発言だったが、それ以上の詮索はせずに老婆は少しその表情を緩める。
「ほら、二人とも手が止まってるよ!」
「はは! わりぃ」
「あら、ホントね」
テオの元気さに引っ張られ、和気藹々とまた干していく。
三人でやればすぐに終わる量だった。
その後、老婆は食事の下拵のため一階に降り、調理場にて氷冷機から取り出した幾つかの食材を切り始め、テオとゼノアはまた法術の特訓を開始。
円柱から台形状に突き出た中二階の寝室にて、その少し開けた中央の空間にテオが立ち、法力を扱う術理について、壁際のベッドの一つに腰掛けたゼノアが身振り手振りを交えて教えている。
ほどなく、風呂場からホカホカと湯気を立ち上らせてフィーが出てきた。
借りた春草色の部屋着に線の細い身を包み、頭からタオルを被り、濡れ糸の如く重力に従う素直な黄緑色の髪をわしわしと拭きながら。
「いやぁ、良いお湯だったなぁ♪ お婆さーん! お次どうぞー!」
「はーい。それじゃあ入ってくるわね」
フィーと入れ替わりで老婆が出ていく。
「あれ? 二人とも何してるの?」
階段を登り寝室に来たフィーは自分の手荷物である麻の背嚢を探りながら、先に居た二人に声を掛けた。
「ん? テオが法術を使いたいって言うからさ」
ベッドに腰掛けたままのゼノアが、首だけ振り向いて答える。
「まずは、法力の扱い方でも教えとこうと思ってな」
「そうなんだ。で、君はテオって言うんだ? そう言えばお互い名乗ってなかったね」
「あんちゃんはフィーってんだろ? ゼノアから聞いたよ!」
部屋の中央で棒立ちのテオが、此方も首だけ動かしてフィーを見た。
「うん、よろしくね。僕も法術は得意な方だから、何かアドバイスできるかもね」
「ホントか!? なら頼むよ!」
「うんうん、いいよー♪ 練習見てて、何か思いついたことがあったら言うね」
「おう! ありがとー!」
練習に戻るテオと、そちらに向き直るゼノア。
そして、背嚢から目的の物を見つけたらしいフィーが、タオルを被ったままの頭にそれ――緑色のバンダナを被せてから、タオルを引っ張り抜いた。
そして耳から頭の半分以上までを隠すようにして巻き、結ぶ。
「髪、乾かさないのか?」
「えっ!? あの、うん、僕……癖っ毛だから、こうしていつも押さえてるんだ」
此方を見ていないゼノアからそんな問いかけをされて、フィーは驚いた声を漏らした。
「へぇ~? 濡れたまま押さえつける方が、癖付きそうだけどな」
「ぼ、僕の場合はいつもこの方法で何とかなってるからさ!」
急に落ち着かなくなったフィーは、明後日の方向を見ながらゼノアに反論する。
自分たちの方へ近づいてきていたフィーに、ゼノアは緑色の法力線を投げて繋げ――
<で、本当の理由は? その耳の形と関係あるのか?>
「なっ!?」
フィーは今度こそ驚愕に思考停止し、身体の動きも停止した。
知らぬ間に構築された思念通話回路と、自分が必死に隠そうとしていた秘密を見破られたという無視できない事態が同時に起きたせいだろう。
「ん? どしたの?」
漏れ出た呻き声の大きさにビックリしたテオが、訝しげにフィーを見つめる。
それに対して、フィーは両手を顔の前でぶんぶんと振って、慌てて取り繕う。
「い、いやいや、なんでもないよ! ははは! ごめん、練習続けて!」
「う、うん。よし、じゃあもう一回!」
笑顔で誤魔化すフィーに戸惑いながらも、気を取り直して練習を再開するテオ。
未だ気が気じゃないフィーは、自分に背を向けるゼノアを睨み、思念を飛ばす。
<どうして……僕の耳の事、知っているの?>
<ああ、やっぱりか。いや、街で見た他の人間と比べて特殊な形状してるのが視えたから、それを隠したいのかなぁって思ってさ>
<そうだけど……でも見えたって……いつ? どうやって? 僕は絶対に見られないように、常に気を配っていたんだけどな>
ゼノアの顔を射抜くような鋭い視線――フィーの纏う雰囲気が、ガラリと変わった。
今までの友好的な態度から、一気に疑心暗鬼で警戒する者のそれに。
<俺は、何でも見通せてしまえるらしい。そういう特殊な眼を持っているんだ。どういうワケかは知らねぇけどな。だから、フィーと最初に会った時から視えてた>
それを聞いて、フィーはハッと息を飲む。
(何でも、見通せる……? 特殊な眼?)
それはどこか聞き覚えのあるフレーズで。
フィーの思考を苛み、とどめる。
<まぁ隠しておきたいようだし、言いふらすつもりも無いから。でも何で秘密にしたいのかって事に関しては、もし気が向いたら教えてくれ>
<あ、う、うん……それは、またそのうちにでも>
<分かった。じゃ、思念接続を解くぞ>
<うん>
ゼノアにより緑の法力線が外された。
フィーの表情からは警戒色が薄れていたが、代わりに疑念色が深まっている。
まず、特殊な瞳とは何だ?
ゼノアとは一体何者で、何故自分は出会ってしまったのだろう?
この旅路の先に、自分の求める答えがあるのか?
(直観ではこの人に付いていくべきだと、確かに思ったのだけど……)
自分の目的、彼の能力と、その素性……そして、出会った事の意味。
この世に偶然は無い。
全ての事象は必然だと教わってきて、自分もそれを信じている。
だから全ての事に意味があるはずで、だからこそ考える事が多すぎて、頭が沸騰しそうになって。
「おい、余計なことは頭ん中から捨てろよ?」
その言葉が自分に向けられたのかと思いハッとして声の主を見ると、赤いリボンで一纏めにした長い金髪をなびかせる青年は、法力を雑念で上手く扱えない少年の方を向いていた。
けれどフィーには、その言葉が少年にだけ発せられたものだとは到底思えない。
例え青年が、本当に少年の事だけ意識していたとしても。
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