第8話 泉

 案の定、大蛇は松明たいまつの後を追いかけてきました。

 崖の下に隠れるジャックには気づかないまま通り過ぎ、フルートの後を追ってきます。


 フルートは必死で走り続けました。

 重なり合った木々の幹や枝の後ろに回り、太い木と木の間をすり抜けて、なんとか蛇をまこうとします。

 けれども、蛇は障害物をなぎ倒しながら突き進んできました。

 ベキベキベキ……バキバキ……

 蛇が木をへし折る音が、どんどん後ろに迫ってきます。


「このままじゃ追いつかれる」

 フルートは歯を食いしばって走りながら考えました。

 もう武器は何もありません。ナイフも、剣も。

 あるのは火のついた松明一本だけです。


 バキキッ!!!

 ひときわ大きな音を立てて、蛇の頭が背後に現れました。

 ナイフはどこかでふるい落としてきたようです。

 鼻面から血を流しながらフルートをにらみつけます。


 フルートは、とっさに松明を横に放り投げました。

 その火めがけて蛇がかみつき、松明は一瞬で粉々になりました。

 あまり速くてフルートにはその瞬間がわかりませんでした。蛇の攻撃は人間に見極められないほど素早いのです。


「だめだ、かわせない……」

 フルートは観念しました。

 蛇が向き直りました。

 まわりより温度が高いフルートを獲物と狙い定めます。

 蛇に見据えられて、フルートは堅く目をつぶります──。

 

 すると、突然フルートの体がすごい力で後ろに引っ張られました。

 誰かに大きな手でつかまれて、ぐいっと引き寄せられたのです。

 目の前で蛇の歯がかみ合う音がしました。

 シャァァァ……

 怒った蛇の声が遠ざかります。

 そして――


 あたりは静かになりました。

 

 

 

 小鳥のさえずりが聞こえます。

 木の葉のざわめきと、水が浅瀬を流れていくせせらぎの音も聞こえてきます。

 フルートの体が暖かい空気に包まれます……。

 

 フルートは、そっと目を開けてみました。

 そこは今までいた暗い森の中ではありませんでした。

 フルートのまわりには木が一本もなく、代わりに、足下に丈の短い柔らかな草が一面に生い茂っていました。

 青と白の星のような花がいたるところで咲き乱れています。

 たった今まで向き合っていた大蛇は、どこにも見あたりません……。


 フルートは、びっくりしてあたりを見回しました。


 そこは森の中にできた丸い空き地でした。

 森は黒い壁のようにまわりを取り囲んでいますが、空き地には木がないので、頭上に青空が広がり、太陽の光が降り注いでいます。

 もう夕方に近い日差しでしたが、ずっと暗い森の中にいたフルートの目にはまぶしくしみました。

 そして、空き地の真ん中には美しい泉がありました。周囲を金色の石に囲まれています。


 フルートは、ぽかんと口を開けました。ここが目ざす場所なのだと気がついたのです。

 いつの間に、どうやってこんな場所に来ていたのでしょう?

 いくら思い出そうとしても、何が起こったのかわかりません。


 フルートは、おそるおそる泉に近づいてみました。

 泉の底は美しい金の砂でおおわれていました。

 その中心から澄んだ水がこんこんと湧き出して、泉の一方から小川になって森の中に流れ出ていきます。

 小川のほとりでは草が揺れ、トンボや蝶が飛びまわっていました。すきとおった青や銀の羽根が、宝石のように日の光に輝きます。


 泉のまわりには無数の金色の石が積み重なっていました。自然が作り上げた縁飾りです。

 大きな石、小さな石、いろいろな形の金の石が、太陽の光にきらきらと輝きながら無造作に転がっています。

 大きなものはフルートの頭ほどの大きさがあります。これが本物の金ならば、ひとつ持ち帰っただけで大金持ちになって、一生楽に暮らせそうです。


 ところがフルートは困った顔になっていました。

 フルートが探しているのはどんな怪我も病気も治すという魔法の金の石です。

 どれがその石なのか、フルートには見分けがつかなかったのです。

 魔法の石には何か特徴があるのでしょうか?

 それとも、ここにある金の石はすべて魔法の力を持っているのでしょうか?

 金の石は大きさや形は違っていても、どれも同じように輝いていて、何も違いはないように見えました。


「うぅん……?」

 フルートは首をひねりながら、足下からひとつ石を拾い上げてみました。直径三センチほどのちっぽけな石でした。

 

 すると、いきなり声が響き渡りました。

「何故、その石を選んだ!?」

 フルートはぎょっとしてあたりを見回しました。

 誰もいません。

 けれども、その声に聞き覚えがありました。森で出会った白い顔──森の主の声です。


 泉の真ん中が急にごぼごぼと大きく泡立ち始めました。

 まるで大きな水の塊が吹き出してくるように、泉の上に水の柱がそそりたち、それが人の姿に変わります。

 輝くように白い髪とひげの老人です。

 髪もひげも背丈より長く伸びていて、泉の水の中に見えなくなっています。

 光の加減で金にも銀にも青にも見える不思議な色合いの長い衣を着て、深い青い目で、じっとフルートを見つめます。


 老人を見たとたん、フルートは深々と頭を下げました。

「何故、わしに頭を下げる?」

 と老人が話しかけてきました。やはり森の主の声でした。


 フルートは顔を上げました。老人はとても年をとっていますが、穏やかで厳かな顔をしていて、怖い感じはしませんでした。

 フルートは精一杯ていねいに答えました。

「だって、あなたはこの泉と森の王様だからです。勝手に入り込んですみませんでした」


「ふむ、泉と森の王様か。なかなかうまいことを言う」

 老人は白いひげをなでて笑うと、水の上を地面のように歩いて近づいてきました。

「いかにも、わしはこの泉のあるじじゃ。泉の長老と呼ばれておる。もう二千年以上もこの泉と森を守ってきたが、人間がここまでたどり着いたのは実に百年ぶりのことじゃ。しかも子どもとはのう。思わずここの扉を開けてしもうたぞ……」


 それを聞いて、フルートは、はっとしました。

「じゃ、さっきぼくを蛇から助けてくださったのは、あなただったんですね!?」

「いかにも。勇気ある子どもが蛇に食われるのは忍びなかったのでな」

 と泉の長老が答えます。

 フルートはもう一度、長老に深く頭を下げて感謝しました。

 

 泉の長老は水の上をゆっくり歩いて、フルートのすぐ目の前まで来ました。

 骨張った指でフルートが持つ小石をさして尋ねます。

「その石じゃ。おまえは何故、それを選んだのじゃ?」

「え?」

 フルートはとまどいました。ただ足下に落ちていたので、何気なく手に取っただけなのですが……。


 正直にそう話すと、泉の長老は、面白そうに声を上げて笑い出しました。

「これはこれは。本当に何も知らずに選んでおったのか。いや、石がおまえを選んだのじゃな」

「石が選ぶ?」

 フルートが意味を理解できずにいると、長老は話し続けました。

「フルートよ。この泉に金は数え切れないほどあるが、魔法の力を持つ金の石は、たったひとつしかない。それが今おまえが手にしている石じゃ。魔法の石は自分で持ち主を選ぶ。おまえは金の石に主人に選ばれたのじゃよ」


 フルートはびっくりして目をぱちくりさせました。

「あ、あの、長老……ぼくはお父さんの怪我を治す間だけ、この石をお借りできれば、それでいいんですけど……」

 言いながら、フルートは長老が自分の名前を知っていたことに気がつきました。フルートはまだ名乗っていなかったはずなのに……。

 でも、魔の森の泉の精ならば、それくらい知っていて当然のような気もしました。


「その石はもう、おまえのものじゃ」

 と泉の長老は静かに言いました。

「石がおまえを選んだのじゃからな。その石を持つ者は、金の石の勇者と呼ばれる。それがおまえの役目なのじゃ、フルートよ」


 フルートは、ますますびっくりしました。

 勇者……役目? いったいなんの?


 すると、長老が言いました。

「それはいずれ明らかになってくる。凶兆の鳥は予言通り空を渡っていった。世界のあちこちで邪悪なものがうごめきだしておる。じきに敵が姿を現してくることじゃろう」


 長老のことばは謎めいていましたが、フルートはどきりとしました。

 世界に邪悪なものが現れる、と聞いたとたん、一刻も早く何とかしなくてはいけないような、じっとしていられない気持ちになったのです。


「あせるでない、フルートよ」

 と長老が言いました。

「時期が来れば、必ずおまえは呼ばれる。それまでは、おまえができることをするのじゃ。そのためにはまず──」

 

 そのとき、空き地を囲む森の一角でベキベキッと激しい音がしました。太い木が何本も音をたてて倒れていきます。

 木々をへし折りながら空き地に現れたのは、あの黒い大蛇でした──。

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