第7話 蛇

 森の中を三十分近く歩き続けた頃、フルートはふと足を止めました。

 右手の森の奥から何かの気配が伝わってきます。

 こちらに向かって近づいてくるようです。


「ジャック」

 とフルートは先を行く少年を呼び止めました。

 ジャックもすぐに立ち止まって耳を澄まします。

 ズズッ、ズズッと重いものを引きずるような音が、森の奥から聞こえていました。何か大きなものがそちらにいるのです。

 フルートはナイフを構えました。

 ジャックも剣を抜いて構えます。

 音がどんどん迫ってきます。


 ところが、音は途中で向きを変えると、子どもたちがいる場所から遠ざかりはじめました。

 ズズズッ……と引きずるような音が小さくなっていきます。彼らに気がつかなかったのです。


 フルートがほっとすると、ジャックが急に声を張り上げました。

「どこに行く、怪物! 俺たちはここだぞ!」

「ジャック!?」

 フルートはびっくりしてジャックに飛びつきました。

 黙らせようとしたのですが、ジャックはそれを跳ね飛ばしてどなり続けました。

「邪魔するな、腰抜け! 俺を誰だと思ってやがる! 先のロムド国王に仕えた英雄の孫だぞ! 森の怪物くらい、俺が叩き切って――」

 

 突然、森の中から巨大な蛇が現れました。

 頭だけでもさっきの蜘蛛と同じくらいの大きさがあります。

 真っ黒な鱗におおわれた体は森の中に長々と伸びていて、どこまで続いているのか見えません。

 頭の大きさから見て、ゆうに二、三十メートルは超えているでしょう。


「で、でけえ……」

 ジャックは震えながらつぶやきましたが、その声に我に返ると、蛇をにらみつけました。

「ちきしょう、大蛇がなんだ! その首を切り落としてやる!」

 と剣を手に走り出します。


「危ない!」

 フルートはあわてて足下から小石を拾うと、力いっぱい蛇へ投げつけました。

 石が目元に当たって、一瞬蛇がひるみます。

 その隙にジャックは蛇に切りかかっていきました。

 鱗におおわれた皮膚が裂け、血しぶきが飛びます。

 首を切り落とすとまではいきませんでしたが、傷を負わせることができたのです。


「へっ、見たか、名刀の切れ味! 俺がいつも手入れしているんだからな!」

 ジャックは得意そうに言いましたが、蛇が地響きを立てて身をくねらせたので、あわてて飛びのきました。


「ジャック、一度下がって!」

 とフルートは言いました。

 自分は逆に前に飛び出します。蛇の注意を自分に惹きつけようとしたのです。

 ところが蛇はシャーッと怒った声を上げると、フルートではなくジャックを追いかけていきました。

 前に出たのに無視されたので、フルートは目を見張りました。今までの敵と攻撃パターンが違います。


 ジャックは大あわててで木陰に飛び込み、蛇の攻撃をかわそうとしました。

 ところが、蛇は頭で激突して木を押し倒しました。ベキベキッと木がへし折れます。

「う、うわぁぁ!」

 ジャックは倒れる木の陰から飛び出し、目の前に蛇の頭が迫ってきたので無我夢中で剣を振り回しました。

 闇雲に振った剣が太い枝に当たります。


 パキン!


 堅い音と共に剣の刃は中ほどから真っ二つになりました。折れてしまったのです。

 ジャックは立ちすくみ、たちまち真っ青になりました。

「け、剣が……じいさんの剣が……」

 折れた剣を握りしめたまま、へなへなとその場に座りこんでしまいます。


 そこへ蛇が襲いかかってきました。

「ジャック!!」

 フルートはジャックの前に飛び出すと、ナイフを思い切り前に突き出しました。

 ぐさりと刺さる手応えがして、フルートとジャックは後ろに跳ね飛ばされます。

 ナイフは蛇の鼻先に突き刺さっていました。蛇がナイフを抜こうと猛烈に暴れ出したので、巨大な体が木々をへし折り岩を飛ばします。


 フルートは跳ね起きました。

「今だ、逃げよう!」

 けれども、ジャックはへたり込んだままでした。折れた剣を抱いて呆然としています。

 フルートはジャックの手を引いて無理やり立たせました。

「早く、ジャック! 戻るんだよ! 早く!」

 

 フルートとジャックは、今来た道を走って戻りはじめました。

 今までの敵なら、これで追いかけてこなくなるはずでしたが、この蛇はやはり違いました。

 ひとしきり大暴れすると、ズルズルと音を立てながらフルートたちを追いかけてきます。


「く、来る! 蛇が来る……!」

 ジャックはいきなりフルートの手をふりほどくと、まっしぐらに走り出しました。目をいっぱいに見開き髪を振り乱して、完全に錯乱状態です。

 祖父の形見の剣が折れた時、ジャックの中の何かも一緒に壊れてしまったようでした。


 と、ジャックが悲鳴と共に姿を消しました。

 薄暗がりの中に崖があったのです。張り出した崖の上の土をジャックは踏み抜いたのでした。

「ジャック!」

 フルートは崖に駆け寄りました。

 のぞき込むと、そこは深さ五メートルほどの小さな谷間でした。

 谷底に沢があって両岸には深緑色のこけが一面に生えています。

 ジャックは苔の上に倒れていました。


「大丈夫!?」

 とフルートが声をかけると、ジャックが身動きをして、たちまち大きな悲鳴を上げました。

「足が痛くて動かねえ! 骨が折れてる……!」

 それを聞いて、フルートは青くなりました。

 足が折れたのでは、ジャックはもう崖を上がってくることも逃げることもできません。

 蛇はまもなく追いついてきます。このままでは、ジャックが捕まってしまいます──。


 あたりを見回すと、崖の上にジャックの剣が落ちていました。

 刀身は中ほどで折れていますが、短い剣と思えば使いようもあります。

 フルートは剣を拾い上げました。

「ジャック、そのまま見つからないように隠れていて。蛇はぼくのほうにおびき寄せるから」


 ところがジャックが振り絞るような悲鳴を上げ始めたので、フルートは驚きました。

「静かに! 蛇に聞かれたら見つかっちゃうよ!」

 けれども、ジャックの悲鳴は止まりませんでした。

 ひとりここに残されると思ったとたん、完全にパニックに陥ってしまったのです。自分が叫んでいることさえ気がついていないようでした。


 フルートはあせり、迷ってから、折れた剣をジャックへ投げました。

「ほら、君のおじいちゃんの剣だよ! これを持って隠れていて!」

 すると、ジャックの叫び声がぴたりと止まりました。

 見ると、ジャックはすがるように剣を抱きしめていました。

 すすり泣きの声は聞こえますが、正気に返ったようです。

 やがて、ジャックは体を引きずるようにしながら、近くの岩の陰へ動き始めました。


 フルートは急いで崖から離れました。

 蛇が追いついてきて、崖の下のジャックに気づいては大変だからです。

 小走りに森の中を移動しながら、フルートは蛇を自分のほうに引きつけるにはどうしたらいいだろう、と考えました。

 上着のポケットをまさぐると、家から持ち出してきた火打ち箱と油の小瓶が手に触れます。


「そうだ」

 フルートは思いついて、地面から手頃な枝を拾いました。

 そこにナイフをくるんできた布をぐるぐると巻き付けると、小瓶の中のランプ油を布にたっぷりふりかけ、火打ち石で火をつけます。松明たいまつを作ったのです。


「蛇は目が悪いんだ、って父さんが言ってた」

 とフルートはつぶやきました。

「その代わり温度にとても敏感で、熱いものを狙って攻撃してくるんだって。きっとこの火を狙ってくるはずだ……」


 森の奥から木々がへし折れる音が聞こえてきました。

 引きずるような蛇の音も近づいてきます。

 子どもたちに傷を負わされて怒り狂っているのでしょう。すごい速さで移動しています。

 フルートは松明を握りしめたまま、崖とは反対の方向へ走り出しました――。

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