第7話 誰がために金は要る(下)

 バブル期のころ,日本に出稼ぎに来るフィリピーナを「ジャパゆきさん」と読んでいました。昔の「から行ききさん」をもじった言葉でしょう。ジャパゆきさんたちは,誰も貧困家庭で育っています。両親が揃っていないことも少なくありません。両親は離婚したのではなく,最初から結婚なんかしていないのです。単なる事実婚の解消ですから,フィリピーナたちはこれをセパレイト(separate)と呼び,離婚を意味するディボース(divorce)という単語を使いません。フィリピンでは,婚姻届を提出するのも有料であるため,事実婚が蔓延していますし,離婚制度もありません。

 10代後半で子供を生みますが,男は女が妊娠するとランナウェイ(run away)します。フィリピーナはよくセパレートしたと言いますが,それは離婚divorceしたのではないからです。結婚しなければ離婚はありえませんね。そんな場合には子供は1人だけです。もし結婚していれば5人くらいは子供がいます。

 どちらにしても20代のジャパゆきさんは,子供をゴッドマザーに預けて日本に出稼ぎに来るのです。ゴッドマザーも,その昔ジャパゆきさんだったということも珍しくありません。

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 フィリピンスタイルという言葉があるのをご存じでしょうか。知るはずもありませんね。わかりやすく言うと,ファミリー,ラブ,ヘルプ,ゴッドです。フィリピーナにとって一番大切なのはファミリーです。それは日本も同じだと思われるかもしれませんが,そうではないのです。フィリピーナにとってのファミリーとはゴッドマザーを中心とした本国のファミリーであって,少なくとも,結婚した日本人の両親はファミリーではありません。日本人の男と結婚するのは本国のファミリーのためなのです。そうであろうとなかろうと,ジャパゆきさんは本国のファミリーのため金を稼ぎに来るのです。ゴッドマザーに背中を押されて。

 ジャパゆきさんは,本音としては日本人と結婚したいとも思っています。でもそれはその日本人を愛しているからではありません。配偶者ビザがとれるし,子供を産めば親族訪問ビザで本国からファミリーを呼ぶことができるし,何よりも日本で働き続けて送金することができるからです。

 バブル期のころ,日本のオヤジと結婚したジャパゆきさんは,その姉妹を親族訪問ビザで来日させていっしょにピンパブで働くことが多くありました。姉妹そろって本国のファミリーに送金するためです。それは不法就労ですが,入管もそこまでは取り締まる余力がありません。親族訪問ビザで呼び寄せた姉妹は,ピンパブで働きながら日本のオヤジとの結婚を目指すのです。

 ジェシカの妹は,私がジェシカと結婚すると19歳で来日し,昼はホテルのベッドメイキング,夜はフィリピンパブで働き,ゴッドマザーに送金していました。彼女はそれを嫌々しているのではないのです。それがファミリーに対するラブだと思っているのです。本国の両親は2人とも50歳で健康であるにもからかわらずです。ジェシカの両親はムスメ2人からいったいいくら送金してもらっていたのでしょうか。

 最近は,日本のオヤジと結婚した元ジャパゆきさんが,本国のゴッドマザーに預けていた娘を親族訪問ビザで来日させ,ピンパブで働かせるようになりました。こうして,ジャパゆきさんのファミリーは,深く密かに日本社会に増殖し根を張るのです。まるでコロナウィルスのようです。

 ゴッドマザーも若い頃は,その両親またはゴッドマザーのために同じことをしたのです。だから娘たちに同じことを要求するのは当然だと思っているし,娘たちも苦労して育ててくれたマザーに対する感謝の気持ちからジャパゆきさんとなって親孝行をするのです。ましてや自分の子供をマザーに預けて来日する場合はなおさらです。子供がいなければマザーが一番で,子供を託していればマザーがファミリーの君臨者としてゴッドマザーとなるのです。日本の男なんてただの送金マシーンか人間ATMとしか思っていません。私の友人は,フィリピーナをヘルピーナ(helpina)と呼んでいます。

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 フィリピーナたちは女優で,エンターテイナーを気取ります。今となっては大根役者にしか見えませんが,無知だった若い頃は,自分は好かれていると誤解をしてしまいました。確かに好かれていたのかもしれません。結婚したのですから。でも,それは都合のいい男として好かれていただけなのです。

 バブル期のジャパゆきさんには今のフィリピーナほどのノウハウはなく、客として来店するオヤジたちの金遣いの荒さだけにほれこんで結婚した者もいました。そのオヤジたちはサラ金で借金してピンパブに来ていたにもかかわらずです。

 いざ結婚すると当初はゴッドマザーに送金させますが,旦那の借金が膨らみ送金が途絶えたり,定期的に発生するマザーの病気やシスターやブラザーの事故に対するヘルプという名の送金ができなくなると途端に夫婦関係は破綻します。

 それをクリアできても最終関門はファミリーのためのハウスです。毎月の送金,定期的な病気と事故に加え,本国のファミリーが望むのは村一番のブロックハウスを建てることです。ジャパゆきさん御殿とでも言いましょうか。

 フィリピーナには貯金をするという考えはありません。したくてもできないのかもしれませんが,そうとは思えません。宵越しの金は持たない,という意味では江戸っ子と同じです。貧しいから食べるのがやっとという生活をしていたからかもしれませんが,日本からの送金があれば十分なはずです。今でもフィリピンの大卒の初任給は5万円もあればいい方だからです。

 毎月15万円も送金すれば本国のファミリーはどうなりますか?それまでは働いていた親兄弟は誰も働かなくなります。ファーザーがいるならまず仕事を辞めます。次にブラザーが仕事を辞めます。ブラザーも1人ではないでしょう。送金額が増えるとみんな仕事を辞めます。それで終わりではありません。シスターたちの旦那も仕事を辞めます。そうして送金額は無限に増えていくのです。底無し沼と言いますか,英語で言えばbottomless,unlimitedです。本国のファミリーは,コミックのカイジに出てくるパチンコ台の「沼」です。

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 そもそもフィリピンパブにハマるような日本人はモテない男です。私が典型でした。口下手で金もない男を日本人の女が相手にしません。ところがフィリピーナはちゃんと相手してくれますよね。こちらが口下手でも相手の日本語も同じレベルですから劣等感はありません。むしろ優越感さえ感じます。

 日本人にとってはアンビリーバボーなフィリピーナの本質を解明しようとして勉強しました。フィリピンの歴史と文化を。今ではフィリピン文化についてはどんな文化人類学者も私には及ばないと自負しております。賀茂課長がこの研究結果を筆記していただけるなら、研究論文として博士号がとれるでしょう。

 そもそもフィリピンという国名の由来は・・・

 いや,今日はもう話というか愚痴ばかりをお聞かせしまってもう閉店になってしまいましたので,このくらいで終わらせてください。

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 賀茂は根木の波乱万丈の人生を興味深く聞きながら,それはアンタがアホだっただけだろうと小バカにしつつも、なぜか,フィリピンとフィリピーナという人種に興味をそそられるのであった。

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