第8話 日はまた沈む(上)

  「日はまた昇る」(原題:The Sun Also Rises)は,アーネスト・ヘミングウェイが,変わらぬ生活に対するやるせなさを描いた長編小説。「日もまた昇る」と訳せばいいところを,「日はまた昇る」と訳したため,復活をかける男でも描いた小説ではないかと誤解する者が多い。本編は,その誤解に応えるべく,ヘミングウェイの後継者を自称するカミングウェイが,キャバクラ界で敗れ,ピンパブ界での復活をかける男を描いた不朽の名作(となるはず)である。

     *****

 賀茂と根木がガード下の赤提灯に座っている。最近はほぼ毎週のように会うようになった。

 根木が賀茂に話しかける。

 国際結婚の難しさは,なんといっても文化の違いを克服しがたいことでしょう。特にフィリピンはアジアで唯一のカトリック教国です。スペインの植民地として300年以上も愚民化政策を施され,国民は貧しい生活を強いられてきました。ヨーロッパの植民地となった国は世界中にありますが,どこも同じだったでしょう。

 ヨーロッパの旧植民地国では,食事のときにスプーンとフォークを使います。もともとは手で食べていました。欧米や日本ならナイフとフォークが基本で,スプーンは補助的です。なぜ旧植民地国ではスプーンとフォークなのかを解説した文献を見たことはありませんが,文化人類学者を自称する私の研究によると,植民地政策として刃物の使用が禁止されいたからです。大きいものは刀として反乱の道具となるため,豊臣秀吉の刀狩令と同じく使用も所持も禁止されていました。小さいものが食事用のナイフということになりますが,それも同じ刃物として禁止されていたからでしょう。

 スプーンというのは便利なもので,横に立てれば切ることができます。ナイフの代わりとしても使えるのです。フィリピンの貧困層出身のフィリピーナは,スプーンを逆手に持ち,両手の小指を立てます。その方が使いやすいと感じるのでしょう。中間層以上になるとスプーンを順手で待ちます。欧米のテーブルマナーを知るからでしょうか。スプーンまたはフォークのどちらかあれば十分という時でも両方を待ちます。日本人が箸をセットするのと同じで,二つないと役に立たないと思っているのでしょう。昔,小学校の給食で使った先割れスプーンがあれば,フィリピンの食事文化も変わるのではないでしょうか。

 フィリピーナがフォークとスプーンで食事をする様子を観察すると,器用なもんです。フォークとスプーンでライスとおかずをたぐりよせ,逆手のままスプーンを回転させてスムーズに口に運びます。両手の小指は立てたままです。フォークとスプーンを器用に操り,一粒残さず早口で食べる姿は,まるで宮本武蔵の二刀流さながらです。

 私はフィリピーナと食事をするのが嫌いです。欧米や日本にはディナーという文化がありすが,貧困層に生まれたフィリピーナにはそのような習慣がありません。ひたすら無言でライスと揚げ物を食べまくります。それは植民地時代あるいはそれ以前から,生きるためにはライスを食べなければならないという生存反応がなせる技でしょう。

 人間が生きるための三大栄養素は炭水化物,タンパク質,脂質です。そのうち炭水化物を摂取するために穀物を育てます。米,小麦,芋の穀類が主食となります。アジアでは日本を含め米を食べますし,フィリピンでもそうです。主食となる穀物はどこの国でも安いものです。フィリピンは,三毛作が基本で,所によっては,四毛作さえ行われています。そのため米粒は小さくなります。それでもフィリピーナのライスに対する欲望を満たすことはできず,フィリピンは米の輸入国です。

 フィリピーナはフライドチキンが大好きです。それによってタンパク質と脂質が同時に摂取できるからです。出し巻き卵など日本料理は味が薄いので好みません。最近はハンバーガーやピザなどのジャンクフードが人気ですが,値段は高く,貧困層には憧れの的です。ジョリビーに行けなくても,フィリピーナは,大量のライスとフライドチキンさえあれば満足するのです。

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