第9話 日はまた沈む(下)

 フィリピンスタイル,すなわち,ファミリー(Family),ラブ(Love),ヘルプ(Help),ゴッド(God)は,植民地政策が生んだ負の遺産です。

 過酷な愚民化政策の下では,ファミリーでヘルプし合わなければ生きることができなかったのです。5人,10人と子供をつくるのは,貧困だからとか,避妊・中絶が禁止される原始的カトリック教徒であるという理由もあるでしょうが,基本的には種を保存するための生存本能がなせる技です。魚や海亀などの海棲動物と同じで,多くを産めば誰かが生き残るという,生物本来の生存戦略です。生き残った子供がファミリーの糧を調達してくれます。ルックスのいい娘が生まれれば水商売に送り出すことによってファミリーは生き残ることができるのです。

 そうしたヘルプによってファミリーに対するラブが生まれます。ファミリーはヘルプを介してラブに到達するのです。マゼランがマゼラン海峡を通ってフィリピンに到達したのと似てますね。ヘルプなくしてファミリーもラブも成り立ちません。マゼラン海峡なくしてフィリピンもラブも存在しないのです。

 ヘルプは時にサポートと呼ばれます。フィリピーナが日本のオッサンに金を要求するとき,普通はヘルプという単語を使いますが,サポートという単語を使うこともあります。一番婉曲な単語はフェイバー(favor)「好意,親切,お願い」です。いずれにせよ,しょせんはマネー(Money)のことです。ヘルプやサポートと名付けたマネーを介して,それを与える日本のオッサンと本国のファミリーを結びつけるのが,ファリピーナの使命なのです。エバンゲリオン風に言えばファミリーないしゴッドマザーからの「使徒」であり,タイガーマスク風に言えば,虎の穴からの「刺客」です。

 フィリピーナは自称プライドが高いです。ファミリーに対するラブがあるからオッサンにヘルプとかサポートという名のマネーを要求するのであって,自分のためにマネーを要求しているわけではないと自らに思い込ませています。私を愛してるなら私が愛するファミリーを愛するべきであって,ファミリーを愛せないなら私を愛してないのと同じだと言います。しかも,オッサンの愛はヘルプするマネーの額によって測定されます。

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 ゴッドは愚民化政策のための手段でした。植民地政府が原住民をヘルプしたりサポートすることはありません。しかし,原住民の不満を放置すると暴動が起きます。そこで教会を建ててゴッドを信仰させ,たまに炊き出しなどをしてやれば,政府に対する不満は起きません。ゴッドに祈っておけば救済されると教え込むのです。

 フィリピン人の84%が古典的なカトリック教徒だと自称しています。多くが日曜礼拝を欠かしません。おかしなものです。もしスペインではなく,中国の属国だったらフィリピン人は仏教徒になっていたはずです。そうだったら露骨にヘルプを要求することはなかったでしょう。仏教ではどんな言葉でごまかそうが,無償で他人にカネを要求するのは物乞いと見なされるからです。

 しかし,ラテン語の新訳聖書には,「完全たらんと欲する者は,持てる物をすべて売り,これを貧者に施せ」という一節があります。フィリピーナは,本人が気づかないまま,日本のオヤジに対して,「持っている財産をすべて売り払って,貧しいファミリーに施せ。」とゴッドの言葉を発しているのです。まるでムハンマドのような預言者です。フィリピーナにとって,日本のオヤジからのヘルプは,ゴッドからの恵みなのです。何と自己中でしょうか。日本人は仏教徒なのであってキリスト教徒ではありません。自らの宗教の教えを他宗教徒に押しつけるのでは,まるでイスラム原理主義です。フィリピーナはジハードを戦う戦士なのでしょうか。私には,ウルトラマンシリーズの怪獣カネゴンとしか思えません。

 長く水商売を続けるとフィリピーナはゴッドを信仰しなくなります。ゴッドよりマネーを信仰するようになるのです。ゴッドはiPhoneやハウスを買ってくれませんが,オッサンのマネーがあれば,iPhoneはもとより,バンブーハウスをブロックハウスに建て替えることさえできます。ファミリーのためカラオケセットを買って,毎日楽しく歌うことができます。植民地時代の楽しみは歌を歌うことだけだったでしょう。フィリピン人は老若男女皆,歌を歌うのが大好きです。昼間から庭先でカラオケ大会をしています。カラオケ好きのオッサンなら,そのファミリーといっしょに歌えば楽しいかもしれません。

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 フィリピン人には時間という概念が希薄です。待ち合わせの時間に来ることはまずありません。言い訳はお決まりのように,渋滞(traffic)していたから,雨が降っていた(rainy)からというものです。約束を守るという発想がないのです。社会の多数が約束を守らないなら,少数派は約束を守っても損をするだけです。どんな社会でも少数派は損をするようになっているんです。子供の時から時間の概念がないので,プライベートで日本人と何かを約束してもそれは変わりません。その習慣はフィリピーナの血肉と化し,もはや遺伝子の一部となっているのです。

 ですから,待ち合わせの時間は出発するか起きる時間だと思わなければなりません。ジャパゆきさんが同伴の時間を守るのは,それが仕事だからであり,ひいてはファミリーのためだからです。決してオッサンのためではありません。仕事だからオッサンとの時間を守る,プライベートであれば,オッサンとの約束など守らない,ということは,オッサンがプライベートでフィリピーナとつきあおうとすれば,時間の概念を変えなければなりません。

 最新の物理学によれば,時間は存在しないのですから,フィリピーナの方が真理に基づいているともいえます。

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 賀茂課長に対して,モンテン・ ルパのジェシカに熱を上げているような言い方をしましたが,それは嘘でした。私の研究活動の一環として,別れた妻と同じニックネームを使っているジェシカの素性を調査するために,お誘いしただけです。犯罪捜査を担当する刑事風に言うと,ジェシカを事情聴取して,その身上,犯行に至る経緯と犯行態様を聞き出したところ,やはり日本人のオッサンと結婚した姉に誘われ,親族訪問ビザで来日しているということでした。

 賀茂課長がいつかフィリピーナとの結婚を考えている者から相談を受けたときは,どうか私の言葉を伝えてやってください。少なくとも,旧型ピーナウィルスに対するワクチンとなるはずです。

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 私も還暦を迎えました。サララーマンではありませんが,ここで人生の区切りをつけようと思います。私には幸いというか日本にファミリーのしがらみはありません。両親は既に他界し,ジェシカとの間の二番目の子供とは音信不通です。ある程度の蓄えもできましたし,65歳になれば年金も受給できます。

 私が言ってきたことがフィリピーナたちの悪口だと誤解しないでください。フィリピーナたちのまるで原始社会を本能に基づいて生きる素直さに接したことが,人生の区切りをつけるきっかけになりました。私は,余生を南の島で過ごそうと思います。フィリピーナの生き方が私を南の島に誘うのです。

 今度フィリピーナと出会うなら,日本のピンパブやマニラのKTVなどではなく,全員自立しているファミリーの一員としてのフィリピーナと出会いたいと思っています。それが永遠に見つからない青い鳥であるとは思っていません。少なくとも,決して「追っかけ」などはしませんし,「追っかけ」するフィリピーナもいません。

 今まで長くお取引いただいて感謝の念にたえません。どうか末長くご健勝であられますように。

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