第43話 老人とピンパブ
老人の名は,
若い頃,ツルハシ一本で一人親方の小さな土建会社を始め,高度経済成長期の波に乗り,バブル期にはソープランドの泡にも踊り,事業を拡大したが,景気低迷と甲斐性のなさにより,あっけなく会社は倒産した。
妻には当時はやりの熟年離婚を突きつけられ、今では一人暮らしである。わずかばかりの年金を頼りにその支給日にモンテン・ルパに行くのが唯一の楽しみだ。助平老人は,同業の社長のように,年をとろうが倒産しようが引退せず,「死ぬまで現役」などというヤボな考えなど微塵もない。
モンテン・ルパでは景気のいい土建会社のオヤジを演じている。
人は,「どかたのスケベ」などと呼ぶが,言い得て妙だ。
*****
助平老人はヘミングウェイの後継者を自称するカミングウェイの愛読者だ。「日はまた沈む」「
「黒鯨」のビーハブ船長は嫌いだ。大物を仕留めるべく老人が荒海に立ち向かうという意味では同じパターンではある。一人の大物タレントを仕留めるべく老人が夜の繁華街に繰り出すというのも男のロマンだ。しかし,ビーハブが狙うのは若い頃自分を裏切って心に傷を負わせた元大物タレント,今では旦那と別居し,巨大な肉塊となってピンパブに舞い戻ってオバさんフィリピーナだ。ピーハブはそのフィリピーナを憎んでいるが,スンチャゴはフィリピーナを愛しているという点が大きな違いだ。
助平老人には,スンチャゴと同じ野望があった。それは,繁華街のピンパブ「モンテン・ルパ」で,先々月初めて会ったナンバーワンタレントであるローズを口説き落とすことだ。
助兵老人は内心でローズをマカジキと呼んでいる。
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真夏の太陽が西に傾きかけた頃だった。助平老人が,大物タレントのローズを目指して颯爽と街に出る姿は,スンチャゴが大物のマカジキを仕留めるべく荒海に立ち向かおうとする姿を彷彿とさせる。
今日はマカジキとの初めてのドーハンだった。
助兵老人は幼い頃,父からよく聞かされた祖父の言葉を思い出した。祖父は帝国陸軍の軍人で,出征前には,「持てる武器で戦うしかない」と父に語ったそうだ。老人が持つ薄く破れかけた財布では,重装備のピーナ軍に対抗できるだけの十分な武器弾薬とはならないが,帝国陸軍の軍人であった祖父と同じく必勝の精神だけはみなぎらせていた。
助平老人にも同年代の遊び仲間がおり,年金の支給日にはいつもモンテンルパに行っていた。その老人の名は
ピーハブ老人は,ピンパブではピーナたちに嫌われるにもからかわらず,助兵老人がどのピーナも口説き落とせないことを馬鹿にするので,今ではもう付き合いはなくなった。
マカジキが北海道のカニを食べたいというので,「カモ道楽」を予約しておいた。マカジキは,まるで肉食動物のように焼肉を好むが,他のライバル客と同伴するうち,この街の全ての高級和牛を食べ尽くしたようだ。
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商店街の裏の古ぼけたコーポの下にタクシーを停車させた。タレントのピーナたちは,店の近くの会社が借り上げているアパートで共同生活をしている。(作者注/フィリピーナが借り上げのアパートに住むのは,客と無断で交際していないか,逃亡しないか等を相互監視させるためである。)
エアコンを使えなくしている所もあるため、そんな環境であれば冬には電気毛布や湯たんぽをプレゼントしてあげると喜んでくれる。
しばらく待つと,マカジキがフレンドを一人連れて降りてきた。一人で来るのでなかったのかといぶかる助平老人に対し,マカジキの横にいるピーナが「オハヨウゴザイマス」と挨拶をした。マカジキのヘルプとして,たまに席に着くトビウオだった。
二人だけの同伴だと思い込んでいた助兵衛老人は,フレンドを連れてくるなら予めそう言ってくれればよいものを,無断でフレンドを連れてこられては愛の告白もできないではないかとがっかりした。
助平老人は,倒産前の会社で働いていた
頓土は,まるで好好爺のように助平老人を慕い,たびたびラインでメッセージを送るなどして助平老人を気づかっていた。イケメンの頓土は,女の子によくもてるらしく,助平老人はうらやましくもあったが,その若さに勝てるはずもない。
頓土とはカモ道楽で落ち合うことにした。
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初めて会ったときから「スンチャゴ」と呼ばれるようになったが,それが当たり前に思えるようになった。助兵老人が夢中になったマカジキは、22歳で,背が高く(165㎝くらい),栗色に染めた髪は肩よりも長く伸ばしており,とにかくスレンダーだ。体重は48㎏くらいしかないだろう。。目が大きくクリクリしていて愛らしい。
助平老人は,どちらかと言えば、ふっくらした女性に魅力を感じていたので,初めて会ったとき,「細い女の子だなぁ…」という印象をもった。メカジキは,モンテン・ルパの姉妹店である「スガモプリズン」で働いていたときに知り合った。いったん帰国し,再び戻ってきたら,モンテン・ルパで働き始めた。
そんなメカジキと初めて会った日の翌日から毎日ラインメッセージが送信される。孫と同じくらいの愛らしいフィリピーナから,「Imiss you」だとか,「Hello!」「Hi!」「How are you?」などのメッセージが送られてくると,悪い気はしない。それどころか,嬉しくてたまらない。
妻には離婚を突きつけられ、息子でさえ「どかたのスケベ」とバカにする助兵老人の生きがいは,もはやマカジキを仕留めること以外には何もなかった。
出漁の準備は万端整えた。インターネットで調べたところ、フィリピーナはカップヌードルのシーフード味が好物らしいので、コンビニで一つ買っておいた。マカジキがフレンドを連れてきたので,カモ道楽に着く前にもう一つ買い足した。
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これ以後3度にわたるドーハン,オープンラスト,アフターを舞台にしたマカジキとの死闘が始まる。ヘミングウェイの「老人と海」では物語のクライマックスだ。
が,助兵老人と大物フィリピーナ「マカジキ」との死闘に語るべきものは何もない。
*****
毎日,「ぴろーん」「ぴこーん」と,幸せを呼ぶ天使の歌声の如く鳴っていたスマホの着信音は,やがて助兵老人を嘲笑うかの如く,乾いた心に虚しく響くようになった。
老人は,ピーノというベテラン遊び人から聞かされた。夕方から夜にかけて送信される「I miss you.」「Hello」「How are you?」「Ohayo」「Konbanwa」などのメールは,指名を稼ぐための営業メールであることを。
やがてそれさえも途絶えた。
I shall return.
助兵老人は辞世の句を詠んだ。
「身はたとえ ピーナのメールで 朽ちぬとも 留めおかまし 大和魂」
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