第29話 南の島から(下)(夢の還る場所〜The way we are)

 こんなはずではなかった。

 大学を卒業すればサラリーマンとなり,就職した会社で昇進を目指すのが当然の生き方だと思っていた。

 あの頃の自分は,どこかの評論家が揶揄したとおり社畜だった。ノルマを達成するため,家族を守るためと自らを納得させ,我慢を重ねた。

 自由とは到底呼べないことを知りながら,不自由でないと言い聞かせ,安定のために自由を放棄したことに気づいた後も,家族のためだと言い聞かせた。そうではないと気づいていたが認めたくなかった。

 自分に対する言い訳が何であれ,多数派に従っていただけだ。多数派に従うことをなぜ当然だと思っていたのか,その理由は今でははっきりとわかる。多数派という原色,言い換えれば平均的な色でいる方が楽だったからというだけだ。

 が,今は違う。大手企業の管理職の地位を捨てたことは望むところでもあった。後悔はないし,むしろもっと早く捨てるべきだったとさえ思う。

 当時は,自由よりも安定を求めるのが日本の多数派だった。他人に迷惑をかけない限り,人の生き方に善悪はない。家族のためだといえば聞こえはいいが,家族をもつ以前から自由を放棄して安定を求めていたのだから,それは理由にならない。

 安定を求めることが悪いことではない。自由と安定のどちらかを選べと抽象的に問われれば,どちらか一方を選んだとしても,そこに善悪はないし、幸不幸もない。

 自分らしさだとか,自己実現だとか,それは言葉それ自体として矛盾している。そんなものを追求しても無意味だし,そもそも原理的に不可能だ。その瞬間の自分が自分らしい自分であり,自己を実現した自分だ。今の自分とは違う別の自分など過去にも未来にも存在しない。そんなものが存在すると言うなら,あるいは,そんなものは存在しようとしまいと,現在の自分こそ自分らしい自分であるし,自己を実現した自分だ。

 当時は,自分らしさといえばひたすら安定を求める生き方をするというだけだった。

 「今だけを生きる」と2000年前の哲学者は言った。人生は一瞬の積み重ねであって,人生は単独では存在しない。時間さえも存在しないと感じる。この島に住み始め,この島のグラデーションに出会って初めてそのことを実感した。

 自由と権利の関係なら,法学部の学生だった頃,講義で聞いたことがある。権利は自由のためにあると。しかし,自由と安定の関係など聞いたことがない。人生の大半は安定のために生きた。そのため金の苦労はさほどでもなかった。家族はその安定を享受した。

 定年退職を迎えることなく,安定を捨て,自由のために生きた。家族は去り,金にも苦労した。その代償として新たな一瞬の繰り返しを手に入れた。

 どちらがよかったのか。善悪はない,とは言い切れない。

     *****

 自由と安定。2つの言葉を同時に言えば4つの意味に分かれる。 

 安定した自由

 安定した不自由

 不安定な自由

 不安定な不自由

 安定した自由があれば最高だ。それは金持ちのことか。いや違う。金を稼ぐために働く者に自由はない。それは金のために働く必要がないレベルの人たちなのかもしれない。イメージが湧かない。

 安定した不自由。それは日本を去る前の自分だ。

 不安定な自由。それは日本を去った後の自分だ。

 不安定な不自由。日本のフリーターのことか。いや違う。フリーターにはサラリーマンよりも自由がある。それは1日1ドルで暮らすこの国の貧困層かもしれない。

 そもそも自由とは何か,安定とは何か。どちらも人にとって一義的ではない。

 自由にも安定にもブルーのグラデーションのように人それぞれの色があるのだろうか。

 いつの頃だっただろうか。課長職に就いた頃だったかもしれない。多数派に従うことに嫌気がさしてきた。なぜだったか。その頃には,定年まで勤め上げる限り,部長にはなれないとしても安定した生活が保障されていた。不自由さの感覚も麻痺していたし,人生の転換となる出来事があったわけでもない。「知らないちに」とか「流されるままに」というのも違う。

 「是非に及ばず」か?

 つべこべ言っても仕方ないか。

 「人間万事塞翁が馬」「あるがまま」か?

 色がなく,透明感しか覚えない。

 人は行動して失敗したことに対して後悔をするが,それは一時的なものだ。やがて忘れる。しかし,行動しなかったことによる後悔は,人生の最後で重くのしかかり,死ぬまで忘れることはない。

 人生の終わりになって,あのときああすればよかったと,やらなかったこと,できなかったことを後悔することの恐怖が安定を放棄させた。人は感情をもつから,理性だけでは動けず,ただ好き嫌いのみによって行動することがあるのかもしれない。しかし,いったい何をきっかけにしてそうしたのかは今でもぼんやりとしかわからない。思い当たる節がないではないが,それを言ってしまえば,後出しジャンケンで卑怯というものだ。

 日本で手に入れたと思った安定も,この国で手に入れようと思った自由も,手に入れた歓びを知ると逝ってしまう。

      *****

 西向きの大きな窓から陽の光が部屋いっぱいに差し込んできた。

 どれほどの時間が経ったのだろう。いつの間にか部屋のベッドでうたた寝をしていた。

 コーヒーを入れてハウスを出ると,燃えるような深紅の夕陽が水平線をオレンジ色に染めている。

 行き交う波の音が静かに一日の終わりを告げる。

 老人は椅子に座った。

 ゆっくりと時間をかけてコーヒーを飲んだ。ムサシはまだ帰ってこない。

 庭の隅にムサシのために作った今では古ぼけた小屋の中を覗いたが,そこにムサシはいなかった。「まだ帰っていないのか。」とつぶやいた瞬間,老人に悪寒が走った。

 老人は足早に裏山の畑に向かった。

 わずかな距離を小走りしているにもかかわらず,ムサシがよちよち歩きをしていた頃のような長い時間を感じた。

 ムサシは夕陽を浴びながらいつものヤシの木の下で眠っていた。近寄りその寝顔を見つめると,呆然とその場に立ち尽くした。

 しばらく経ち,現実を受け入れざるを得なくなった。ムサシは,子犬の頃から母と兄弟が待つ場所を知っており,そこに還っただけだと。

 先に逝く者と後に逝く者との違いはある。先に逝く者の哀しみは,後に逝く者を残す哀しみ。後に逝く者の哀しみは,先に逝く者の哀しみを想う哀しみだ。後に逝く者は,先に逝く者を許さなければならない。それを不幸と感じるのは,先に逝く者への冒涜だ。

 そう言い聞かせながらも,一人残される悲しみの辛さが波涛はとうのように濡れた心に押し寄せてきた。

 濃くなった夕闇がムサシを覆い隠すと,老人は,ヤシの木の下に置いてあったスコップを手にとり,穴を掘り始めた。

 夕陽が沈むのを待とうともせず,灰色の雲が空を覆い始めた。裏山から見下ろす海は燃え尽きたかような灰色に変わり,波がざわめき始めた。

 灰色の空は瞬く間に黒くなった。風がヤシの木を強く揺らし,空から滴が落ち始めた。

 老人の目から滴がこぼれ落ちた。

 やがて滝が流れ落ちるように雨が降り始めた。

 老人の嗚咽は激しいスコールの音に消された。

 重い足取りでハウスに戻り、倒れるように椅子に座った。

 その日だけはゆっくり眠ることができた。

     *****

 夢の中で懐かしい面影を探す。

 畑までの道を一人歩く。

 野辺に咲く花はない。

 腕の中に温もりを抱いて歩く。

 白い花が咲いた。

 よちよち歩きにあわせて歩く。

 薄紅色の花が咲いている。

 同じ足取りで歩く。

 南国の真紅の花が咲いている。

 老いた足取りでゆっくりと歩く。

 花は色あせた。

     *****

 朝陽を浴びた海が透き通るようなアクアマリンを取り戻した。  

 たった今この世に誕生したかのようだ。

 

 幼子おさなごを背負って砂浜を歩く。

 背中に小さな温もりを感じる。

 ヤシの木陰に吊るしたゆりかごが幼子を眠らせる。

 太陽が東の中空に昇り,空が淡い青になる。

 幼子がよちよち歩きをする。

 群青の空に登りつめた太陽が灼熱の光を海に浴びせる。

 幼子が砂を踏みしめ力強く歩く。 

 その瞳には海と空のグラデーションが映る。

 水平線の西に落ちようとする深紅の巨大な太陽が砂浜をオレンジ色に染める。

 そこにはもう誰もいない。

 

 こぼれ落ちそうな笑みに巡り会いの歓びが溢れる。

 こぼれ落ちる涙に別れの哀しみが溢れる。 

 強く美しいもの

 脆く儚げなもの

 手を伸ばし強く抱きしめたくなる。

    *****

 海にも山にも空(太陽)にも色がある。

 人が青、緑、赤と名付けた。

 人は,ただ生き,ただ死ぬだけならば,生も死も純白・透明のままで,色はない。

 しかし,生と死との間にはわずかな時間があるから,人はそこに色をつけられる。

 純白・透明の生はどんな色にも変わる。

 そうすれば、生きとし生けるものには色がある。

 それぞれの色は近くの色と交わることにより,全ての色はグラデーションとなる。

 生きとし生けるものはいつしか朽ち果てる。

 その生は、やがて海となり山となり空となり、もといた場所に還る。

 生まれた場所を故郷と名付けるなら、生が終わる場所にも言葉があるはずだ。

 それは死でも黒でもない。

 生は終焉を迎えた後も言葉となり思い出となることによって語り継がれる。

 人が言葉を持つならば。

      *****

 翌朝,コーヒーを片手に椅子に座った。

 目の前に広がる早朝の海と空を見つめる。

 ゆっくりと時間をかけてコーヒーを飲み終わった。

 ムサシはもう来ない。

 老いた足取りで想いを巡らせ,ビーチを彷徨さまよう。

 ふと足を止め,海に向かって一人佇む。

 私より先に逝く不幸は許せる。

 一人残って抱く悲しみはどうすればいい。

 夢に見た面影の瞳に映るわたしは何色なのか。

 アクアマリンを望むならこの海となろう。

 ブルーを望むならこの空となろう。

 真紅を望むならこの朝陽となろう。 

 愛を望むならこの想いを与えよう。

 すべてを望むならこのすべてを与えよう。 

 

 哀しみが溢れ,まぶたを閉じた。

 涙が心に沁み入る。

 砂に腹這いになって海の声を聞く。

 待っていておくれ。

 もうすぐ還るよ。

 



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