第28話 南の島から(上)(水平線の向こう側)Beyond the horizon)

 前略 賀茂課長お元気でしょうか。

 今日のマニラは気温32度とフィリピンにしてはすごしやすい天気です。いつかフィリピンにお越しの際は,日本の冬の季節がよいと思います。2月ころが最適です。

 フィリピンは,全国民の平均年齢が25歳程度ですが,日本は高齢化社会に向かって突き進んでいます。私も還暦を超え,身辺整理はほぼできましたが,終活をどうするか一人悩んでいます。

 今日は,日本人の老後をテーマにした小説を書いてみました。気が向いたらお読みください。

     *****

 太古より島人しまびとの瞳に映っていたのは,ブルーのグラデーションだった。

 アクアマリンは海水という意味だが,色としては青と緑の中間で,青緑の範疇に入り、藍緑色らんりょくしょくと呼ばれることがある。

 人は,言葉を持ち始めてしばらく経った頃,緑(green)を含めて青(blue)と呼んだ。

 フィリピン共和国には7000を超える島がある。人が住む島さえ2000を超える。

 フィリピン中央部の海に浮かぶ小さな島。湾曲した入り江のパウダーサンドのビーチ沿いに,竹造りの小さな平屋のハウスが建っている。バンブーハウスとかネイティブハウスと呼ばれる小さなハウスに不釣り合いな大きな窓が,東向きと西向きにある。南向きの窓は小さい。どの窓にもカーテンがない。

 明け方のスコールは日の出とともに去り,朝陽を浴びた海は,アクアマリンの透明感溢れる輝きを放っている。

 南向きの窓の外に置かれた古ぼけた木製の椅子に座り,老人はいつものようにコーヒーカップを片手に持った。毎日,朝陽と夕陽を眺めながらコーヒーを飲むのが老人の日課だ。

 他の島のビーチであればスコールの後の海にアクアマリンの透明感はない。陸に降った雨が泥水となって海に流れ込むからだ。しかし,この海は湾曲した入り江の木立とビーチが雨水をろ過してくれるため,短時間の暴風雨であればすぐに透明感を取り戻してくれる。

 その海は日常の風景であるにもかかわらず,今朝はなぜかいつもより透明感に包まれているように見えた。

 行き渡る波が弱く交える。

 潮騒がざわめき,ヤシの葉を揺らす。

 純白の海鳥が舞っている。

 海は波打ち際から水平線に向かい,徐々に青みを増す。

 空は時間が経つにつれ,沖合の海と一体をなす。

海と空が織りなすブルーのグラデーションの中にある色を聞かれても,そのすべてを表現する言葉を人は持たない。

     *****

 この島に辿り着いたのは,還暦を迎えたころだった。灼熱の太陽には辟易したが,それを和らげてくれる木陰と潮風があった。

 それから数えてもいつの頃だっただろうか。常夏の太陽が沈むとすぐに眠気が襲って来るようになった。南の島の夜は短いからだろうか。いや,そうではない。歳のせいかもしれないが,そうでもないような気がする。ベッドに横たわるもののいっこうに寝つけない。ようやく眠ることができたらすぐ目が覚める。短い睡眠を繰り返しているうちに,東向きの窓が白み始めると起き上がる。毎晩がその繰り返しだ。

 東向きの窓から差し込む朝陽で,今朝は5時ころ目が覚めた。朝の光を感じながら,体を起こす準備を始め,今起き上がったたところだ。

 ここに住み始めてもう何年たっただろう。

 大手証券会社の管理職で上がりを迎え,老後は日本でのんびりと趣味の釣りをして余生を送る予定だった。迎えが来たなら家族に看取られたいと思っていた。

 この歳になって南の島に暮らすことなど想像だにできなかった。

     *****

 老いた足取りで首を垂らしながら,一匹の犬が老人に近寄って来る。薄汚れたブラウンの荒れた毛並みをしている。

 道端で拾った雑種の雌犬が産んだ4匹の子犬のうち唯一生き残った雄犬をムサシと名付けた。ムサシの母親はこの世に4つの生を授けるとすぐに死を迎えた。3匹の子犬も,生まれて間もなく次々と母親の後を追った。

 母親と3匹の子犬は,ハウスからほど近い裏山に自生しているヤシの木の下に葬った。

 唯一生き残った子犬をムサシと名付けたのは,日本らしい名前をつけたかったからだ。そのころにはもう再び日本に帰ることはないと決めていた。還る場所などありはしないと思っていたからだ。ヤマトという名前も浮かんだが,この島のある海に眠る戦艦武蔵に因んでそう名付けた。

 今では痩せ細り,その姿とは似つかわしくない名前となってしまったが,以前は屈強で毛並みも美しく揃っていた。

 もう15歳だから人間なら老人と同じくらいの年齢だ。3年ほど前から吠えることもせず,番犬の役目は終えたようだ。ただ,毎朝,老人が椅子に座ってコーヒーを飲み終わる頃には必ず横にやって来る。その日課は昔と変わらず,まるで数十年来の友のようだ。

 ムサシは,椅子の横まで来ると,老人を見上げ,すぐに引き返し庭から外に出ようとする。老人が椅子に座ったままでいると,立ち止まって怪訝そうに後ろを振り返る。

 老人にはムサシの行動の意味がよくわかった。ムサシは,ハウスからほど近い裏山に老人が借りている畑に行こうとしている。ムサシは老人を迎えに来たのだ。

 毎朝コーヒーを飲み終わると,老人はムサシを連れ,太陽が高くなるまで,裏山で畑仕事をするのが日課だった。くわすきは,いつもヤシの木の下に置いている。ムサシはそのヤシの木陰で老人が畑仕事を終えるまで毎日じっと待つ。

 ムサシは何を考えているのだろう。言葉は通じないはずなのに,話しかけるといつもそれが通じているとしか思えないような行動をする。

 南国の小さな島に生まれ,ここしか知らないムサシはこの島で一生を終えようとしている。

      *****

 この島に住む人にとっては当然だろうが,この島に住んで初めて色のグラデーションを知った。

 人はマリンブルーとかスカイブルーと聞いてどんな色を思い浮かべるのだろう。

 マリンブルーもスカイブルーもブルーのグラデーションの中の一つの色でしかない。

 ホワイトブルー,ライトブルー,バイオレットブルー,ウルトラバイオレットブルー・・・。それらの色のイメージは思い浮かぶ。チャイナブルー,フェルメールブルー・・・。なんとなくわかる。マリッジブルー,レイニーブルー・・・。瞳に映る色を表現した言葉ではない。

 視界に広がる海と空を見つめながら,人は色を表すための言葉をどれほど持っているのだろうと考える。ブルーのグラデーションをすべて言葉にすることは不可能だ。グラデーションの中にある色には境目などないから,ある程度まとめてネーミングするしかない。

 ブルーは,人類にとって神秘の色だった。それは人の生活の中に当然のごとく存在するにもかかわらず,鉱物や人工物の絵の具で再現することが難しい色だったからだ。ましてやブルーのグラデーションを再現することは至難の技だ。

 海を知らない山国の人であっても空を知らないということはない。ある人が,その瞳に映る空の色をブルーと呼んだだけでは,他の人にはそのブルーがどんなブルーなのかは伝わらない。

 ムサシは,ブルーのグラデーションを知っている。

     ***** 

 午前中の畑仕事を終えようとしたとき,ムサシはいつものヤシの木の下で待っていた。裏山の近くに住んでいる子供たちがワイワイと叫びながら通りかかったので,ヤシの実をとってくれと頼んだら,そのうちの一人がムサシの傍らからあっという間にヤシの木を上り,一つ落としてくれた。

 ハウスに戻り,一息ついた後,薄緑色のヤシの実の皮をなたで削り,穴を開けた。

 南向きの小さな窓から強く短い光が差し込んでいる。

 ヤシの実の穴にストローを差してハウスを出た。

 深いブルーの空に昇りつめた常夏の太陽が海を群青に染めている。

 海鳥もヤシの木も,まるで誰かに指揮されてかのようにリズミカルにダンスを踊っている。

 椅子に座り,その光景を眺めた。

     *****

 この島に住もうと決めたとき,アパートを借り,スクーターを買った。スクーターで島巡りを繰り返すうちこのビーチと出会い,ここを終の住処としてハウスを建てようと決めた。地主らしき者と交渉したところ,「金は要らない。勝手に建てろ。」と言われた。とはいえ毎年幾ばくかの謝礼はしてきた。

 セメントやブロックを買った。整地してコンクリートを敷いた。大工を雇い,平屋建ての小さなハウスを建てた。東向きと西向きに大きな窓を入れ,南向きの窓は小さくした。

 何もすることがないのは退屈なので畑仕事をすることにした。ハウスからほど近い裏山に,小さな土地を借りた。開墾したとまでいえば大げさだが,その土地を畑にしてわずかばかりの野菜を育てた。

 裏山への道すがら,みすぼらしい捨て犬を見つけて10年ほどいっしょに暮らした。どこかで孕み,ムサシだけを託してこの世を去った。

 それからというもの,朝のコーヒーを飲んだ後は,まだ歩けないムサシを抱いて畑仕事に行くのが日課となった。

 ムサシがよちよち歩きをするようになると,それに合わせて歩いた。

 畑まで行くのに,もどかしいほど時間がかかった。

 ムサシが成長するにつれ,次第に同じ足取りで歩くようになった。

 今ではお互いよちよち歩きに戻ったように無理をせずゆっくりと歩いている。

 畑仕事から帰ると,ムサシはよくどこかに出かけた。今日もどこかに出かけているようだ。どこに行っているのかは未だに知らないが,夕方になると必ず帰って来るので気にしない。

 一度だけムサシに聞いたことがある。おまえはいったいどこに出かけているのかと。ムサシは水平線を見つめていた。

     *****

 翌朝,老人がコーヒーカップを片手に椅子に座っているといつものとおりムサシがやって来た。

 「ムサシ,今日はもう少し待っておいてくれ。」と老人が手招きする。ムサシは素直に老人が座っている椅子の横までとぼとぼと歩いてきた。ムサシは海を見つめる老人を見上げると椅子の横に座り,抱えた両脚の上に顎を乗せ,水平線を見つめた。

 いつしか全身の力が抜け,ムサシが老人を水平感の彼方にいざなった。

 老人は立ち上がり,ムサシの後を追うかのように,ブルーのグラデーションの中に溶けていくような感覚になった。

 老人にはそれが錯覚なのか現実なのかの区別ができなかった。現実と錯覚との間にも明確な区別などありはしないのか。

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