第32話 ピンパブGメン(訴訟編)

 原洋はらひろしは,老人Aの国選弁護人に選任された。老人Aとは,厚生労働省別館の地下3階にある留置場で,1度だけ接見した。罪状はすべて認めるとのことだったので,そのまま放置し,今日,初回公判期日を迎えた。

裁判官が入廷した。

(書記官)ご起立願います。

(一同)起立して,礼をする。

(裁判官)それでは開廷します。

     被告人は前へ。

 老人Aが証言台の前に立った。

(裁判官)本籍と住所を言って下さい。

(老人A)東京都江戸川区・・・

(裁判官)生年月日は?

(老人A)昭和25年5月8日です。

(裁判官)これから,あなたに対するピンパブ依存症対策法違反及び地方住民法違反の審理を始めます。予め告知しますと,あなたには黙秘権があり,言いたくないことは言わなくてもかまいません。ただし,あなたの法廷での発言は,自分に対して有利な証拠にも不利な証拠にもなりますので注意してください。わかりましたか。

(老人A)はい。

(裁判官)それでは,検察官,起訴状を朗読してください。

(検察官)公訴事実 老人A(当年70歳)は,令和元年10月1日,知人に誘われ,千葉県市川市・・・所在フィリピン パブ「モンテンルパ」を訪れたところ,・・・


 罪名及び罰条 ピンパブ依存症老人対策法違反,同法4条,地方住民法違反,同法69条

 以上の事実につき審理願います。

(裁判官)被告人は,起訴状記載の事実を認めますか。

(老人A)はい。認めます。

(裁判官)弁護人はどうですか。

(弁護人)認めます。

(裁判官)検察官,冒頭陳述をどうぞ。

(検察官)検察官が,証拠によって証明しようとする事実事実は,次のとおりです。

 老人A(当年70歳)は,老人Aは,妻に先立たれ,2人の子供はいずれも結婚して犯行時は一人暮らしであった。その資産は,サラリーマンを定年退職した時の退職金が2000万円,隔月に年金が30万円ほどあり,自宅は持ち家である。

 老人Aは,令和元年10月1日,知人に誘われ,千葉県市川市・・・所在フィリピン パブ「モンテンルパ」を訪れたところ,たまたま席についたマネゴンことマニー・キャッシュ・ゴンザレス(当年28歳)が,その両手で膝を撫でるなどの誘惑に屈し,真実は,5年前からインポであるにもかかわらず,同女と性行為に及びたいとの妄想を抱いた。他方,マネゴンにとっては,膝を接触させ,手を客の膝に置くのは,店のマニュアルとしてたたき込まれていたからにすぎなかった。

 それを知らない老人Aは,マネゴンから,以後電話やメールで「Imiss you.」「I love you.」「Aitaiyo」などと送信されるたび,亡妻の菩提を弔うことも忘れ,それらがマネゴンらピンパブ嬢にとって単なる営業行為の一環であるとの常識を知らないため,これを真に受け,同女が自分に好意を抱いているのではないかと誤信し,連日のようにモンテンルパを訪れるようになり,受給した年金を浪費するようになった。 

 老人Aは,やがて,マネゴンを誘って,同伴出勤をするようになり,そのたびに,マネゴンから,「オトーサン/シャッキン,オカーサン/ビョーキ,ワタシ/カワイソー,プリーズ/ヘルプミー」であるとか,「ブラザー/コーツージコ」「シスター/コーツツージコ」などの虚言を申し向けられ,これらを真実であると誤信し,現金を交付するようになり,時には,自宅最寄りのウィスタンユニオンを介してフィリピンへ送金するなどした。

 都合のよい爺さんだと確信したマネゴンは,本国のファミリーに楽な暮らしをさせるため,老人Aと結婚したいと思うようになり、シングルマザーであることを秘し,老人Aをして求婚させるや,フィリピンのファミリーのためにブロックハウスを建てて欲しいと懇願し,老人Aは,その頭金として300万円をフィリピン共和国トンド地区在住のマネゴンのゴッドマザーに送金した。

 以上を立証するため,証拠等関係カード記載の証拠を提出します。

(裁判官)弁護人,検察官提出の書証等に対するご意見は?

(弁護人)すべて同意し,異議ありません。

(裁判官)それでは検察官,各書証の概要を述べてください。

(検察官)検1号証は,被告人の身上・経歴を述べた供述調書・・・

(裁判官)それでは各書証を提出してください。

(裁判官)弁護人,主張・立証方針はどうなりますか。

(弁護人)被告人の情状を立証するため,被告人の長女の証人尋問及び被告人質問を申請します。

(裁判官)検察官,弁護人の証拠申請に対するご意見は?

(検察官)しかるべく。

(裁判官)それでは採用します。証人は前へ。


(裁判官)住所,氏名は,出頭カード記載のとおりと伺ってよろしいですか?

(証人)はい。

(裁判官)弁護人,それでは尋問を始めてください。

(弁護人)証人は,このたびお父上がなされた行為についてどう思いますか。

(証人)父は昔からすけべの浮気者で,母は数十年来我慢を重ねていましたが,父が定年退職をすると,待ってましたとばかり離婚しました。私も父の性癖は死ぬまで治らないと思っていますので,矯正施設に収容して再教育してください。

(弁護人)(えー!打ち合わせと違うじゃん。参ったなあ。)はー,そうですか。

(検察官)(笑いをこらえている)

(弁護人)以上です。


(裁判官)弁護人,それでは被告人質問をしてください。

(弁護人)あなたは,フィリピーナが手を客の膝に載せたり,「I miss you.」などとメールを送信してくるのが,ピンパブ嬢の営業マニュアルだと知っていましたか?

(被告人)いいえ。知りませんでした。

(弁護人)拘留中に私が差し入れた名著「フィリピーナを愛したオヤジたち」及び「虎の穴」は読みましたか?

(被告人)はい。読みました。

(弁護人)それらを読んでどう思いましたか?

(被告人)いい歳して,ピンパブの何たるかを何も知らない無知老人だと思いました。それらの本は,勾留中に100回写経して,今では血肉となっています。

(弁護人)ピンパブに行くこと自体は合法ですから,行くなとは言いませんが,今後,結婚することを決めたというマネゴンとはどうなりますか?

(被告人)名著「フィリピーナを愛したオヤジたち」の「南の島からの迷惑メール」の最後に書かれているとおり,マネゴン実家に行って,そのファミリーとやらを観察してみようと思います。

(弁護人)それはいい考えです。ぜひそうしてください。

(弁護人)以上です。


(裁判官)主張立証は以上でよろしいですか。

(検察官)それでは,論告と弁論を行ってください。まず,検察官,論告を。

(検察官)(弁護人)(いずれもうなずく。)

              論告


老人Aは,・・・(冒頭陳述とほぼ同じ)


 以上を総合考慮し,老人Aに対しては,思想教育のため強制収容3か月が相当であると思料する。

(裁判官)それでは,弁護人,弁論をしてください。


              弁論要旨


 生き物にとって食料をどう手に入れるかは死活問題であり,周りに生えている植物を食べるか,他の生き物を捕まえて食べるかのどちらかであった。フィリピーナたちにとっても,食料を手に入れるため,あるいは健康で文化的な生活をするため,日本のスケベなオッサン及び老人を捕食するしか方法がないのである。

 他方,戦後生まれの老人は,子供の頃の貧しい生活を忘れているわけではなく,被告人もまた同様である。そのため,戦後の貧しい日本社会と同様の生活を強いられたであろうフィリピーナに対し,子供の頃の自己を重ね合わせ共感の念を抱くのである。それは,あたかも,戦中戦後を生き抜いた日本人が,古くは,「あゝ野麦峠」ないし「女工哀史」,近くは,NHK連続ドラマの「おしん」に共感するのと同様であって,30歳や40歳の日本の若者がフィリピーナに溺れるのとは事情が全く異なる。そのような若者ばかもの者は日本国から追放処分として,フィリピン流しにすべきである。

 被告人は,ピンパブの基本的営業マニュアルに基づくマネゴンの所作に対する免役がなく,同女の意図さえ超えるほど,ピンパブの営業マニュアルの餌食とされたのであって,真に憎むべきは,そのマニュアルの作成者にあり,被告人はその犠牲者である。「罪を憎んで人を憎まず」とうのであれば,マニュアルを憎んで老人を憎まずというのが公正な司法というべきである。

 被告人は,勾留期間中,名著「フィリピーナを愛したオヤジたち」及び「虎の穴」を100回にわたり写経することによって,自らの無知を実感するとともに,今では,両著をそらんじるほどにまで悟りを開いた。よって,被告人が今後年金を浪費する恐れはない。

 以上を考慮し,被告人については,強制収容刑の執行を猶予するのが相当である。


(裁判官)それでは判決を言い渡しますので,被告人は前へ。


                判決

   

                主文


被告人を強制収容3か月に処す。

この裁判が確定した日から1年間この刑の執行を猶予する。


                 理由


第1 有罪と認定した事実は,起訴状記載の公訴事実のとおりであるから,これを引用する。

第2 法令適用の過程)

 「有罪と認定した事実」に記載の被告人の行為は,ピンパブ依存症老人対策法6条,地方住民法9条に該当する。そこで,当裁判所は,その法定刑の範囲内で,後記「量刑の理由」により,被告人を主文の刑に処するとともに,刑法25条1項を適用して,この裁判が確定した日から主文の期間この刑の執行を猶予することとした。

第3 量刑の理由

1 本件事案の概要

(略)

2 量刑上特に考慮した事情

(略)

3 そこで,以上の諸事情を総合して考えると,確かに,本件の犯情は甚だ芳しく

なく,被告人の刑事責任は重いといわざるを得ないところである。しかしながら,被告人は一人暮らしであって,生活費を入れないなど家族に迷惑をかけているわけではないこと,被告人の将来を期待する人達の存在や被告人を取り巻く更生環境,特に名著「フィリピーナを愛したオヤジたち」及び「虎の穴」をそらんじるほど写経するという真摯な反省の態度も考え併せると,被告人を今直ちに強制収容所に送り込むことにいかほどの社会的意義を見出し得るのかが問われることになる。

 そこで,当裁判所は,以上のような判断から,被告人を主文の刑に処した上,

今回ばかりはその刑の執行を猶予して,被告人に対し社会の中で更生する機会を

与えることとした次第である(検察官求刑-懲役3月 。)


                 前記判決宣告日同日

                 東京地方裁判所第7刑事部

                 裁判官 融通幾何図



(裁判官)「フィリピーナを愛したオヤジたち」は大変な名著です。それらをお読みになったのであれば,今後,ピンパブに溺れることはないでしょう。今後はその教えを忘れずに暮らしてください。

 マネゴンと結婚するのもけっこうですが,まずはその実家に行って,マネゴンのファミリーをじっくりと観察してください。

 なお,この判決は有罪判決ですから,不服であれば控訴することができます。その場合,明日から数えて14日以内に控訴状を当裁判所宛に提出してください。

 以上です。

(書記官)起立。

(一同)礼

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