第36話

「ひゃっほう!」ナミコは奇声を上げながら暴れ馬のようにバイクの前輪が高く持ち上げる。車体を左右に揺らすと再びドスンと地に着き、弾丸の如く突き進んだ。

 バイクのエンジンが唸りを上げながらどんどん加速していく。現実なら凄まじい風圧でゴーグルなしでは目を開けるどころか息もできないが、体に当たる風の勢いは程よく抑えられていた。

「いたぞ! あれだ! もっとスピードを上げてくれ」あっという間にエイジたちの視界がバグの姿を捉える。

「ちょっと聞くけどさ、コズエは一体どこに行こうとしてるわけ?」

「俺たちから逃げてるのさ。こっちには攻撃が通用しないから排除するのは難しいからな。とにかくこの夢の空間からひたすら逃げて目を覚まそうとしているんだろう」

「攻撃って、あんたコズエになんかしたの? っていうか別に目を覚ますぐらい別に問題ないでしょ」

「今の状況では危険なんだよ。このまま何も解決しないまま目が覚めたら……、いや、目が覚めないかもしれない」

「ええっ! それってつまり、死んじゃうってこと? シャレになんないじゃん! なんか止める方法とかないの?」

「とにかく追いついて声をかけ続けるんだ! そのためにお前を呼んだんだからな」

「よっしゃあ! 任せとけ! しっかり掴まってなさいよ」ナミコはさらにアクセルをひねり加速させた。バグとエイジたちの差がジリジリと縮まっていく。

「何あれ! 本当にあれがコズエなの?」

「ちょっと訳あってああいう格好してるけど正真正銘本物のコズエさ」

 エイジたちはとうとうバグと並走するまで接近することができた。

「ちょっとコズエ! あんた何やってんのよ! 久しぶりに会えたと思ったらまるで反抗期のクソガキみたいじゃん! あんたにそんな格好似合ってないよーっ!」

 バグはナミコを一瞥するとさらにバイクを加速させた。「あっ、ちょっと!」ナミコも振り切られまいとスピードを上げる。だが突然目の前にコンクリートの壁が地面から飛び出した。ナミコはハンドルを右に切ることも左に切ることもブレーキをかけることもできなかった。

 激突する寸前でエイジが人差し指を前に突き出す。コンクリートの壁は一瞬にして砂の壁に変わり、バイクがぶつかると四方八方に砂つぶが飛び散った。

 ナミコは固まったままハンドルを握っている。

「大丈夫か、多田?」エイジがナミコの顔を覗き込む。

「ちっくしょう、コズエのやつ! ちょっと今のは頭にきた!」ナミコが思いっきりアクセルをひねる。エンジンが爆音をあげると再び前輪が持ち上がった。

 次々と地面から飛び出す壁。「何度も同じ手を……、食うかっ!」それを見事なハンドルさばきで右に左にかわす。

「やるじゃんか、多田!」エイジがナミコの背中をパンと叩いた。

「あったりまえでしょ! これでも一時は本気でプロのバイクレーサー目指してたこともあるんだから!」

「本当かよ! そりゃあ初耳だな」

「このことはコズエにしか話してないんだ。ほらっ、またなんか変なのが来るよっ! ……ちょっと、何あれ!」

 視線を上に向けると、巨大なクマのぬいぐるみがエイジたち目掛けてゆっくりと落ちて来る。腕や首のつなぎ目にほころびが目立つその薄茶色のぬいぐるみはハイウェイを囲むようにして建っているビル群までも飲み込むほど大きく、エイジたちのバイクでさえも振り切ることはできそうもない。

「このままじゃ逃げられない! もっとスピードが出せるように改造するしか……」

「ちょっと待って! あのでっかいぬいぐるみ、見たことある」

「なんだよ、コズエの思い出のおもちゃか何かか?」

「あのクマちゃん、小さい頃私がコズエから無理取りあげようとしたぬいぐるみだ。ほら、腕と首のところがちょっぴり破れてるでしょ? あれはコズエと引っ張り合いした時にできたの……。あの時コズエと初めてケンカしちゃったんだ……」それはエイジの知らない情報だった。コズエの意識と同調したと言っても何もかも分かるわけではないらしい。

「よし決めた! エイジ、このまま行くよ!」

「なんだって! このままってどういうつもりだよ! 今のスピードじゃ抜けきれないぞ!」

「これはコズエの私に対しての本音なの! あの子がずっと溜め込んでいたものの一つなんだ! 真っ向から受け止めてやんなきゃダメなんだよ!」ナミコは振り返りエイジの顔を見つめる。その目は覚悟を決めた、いつものこちらが何を言っても聞かないという顔だった。

「だからって、これでやられちまったら俺もコズエも終わりなんだぞ?」

「これを逃げちゃったら、もしコズエが助かったとしても合わせる顔なんてないじゃない! あんたも男なんだから好きな女のためにドンとぶつかってやんな」

「いや、お前は俺が創り出した……、ああっ、くそっ! わかったよ! こうならとことんやってやる!」エイジはナミコの腹をぎゅっと抱きしめ衝撃に備えた。

 巨大なぬいぐるみが頭からゆっくりと地面に落ちた。そして胴体、手、足と地面に降りてくる。エイジたちは下を潜るように走るが、胴体部分に挟み込まれてしまった。

 その重量は凄まじく、エイジたちの体をギュウギュウに締め付け押しつぶす。

 ぬいぐるみの中からはこもったエンジン音だけが聞こえ、その音は次第に大きくなる。

 そしてぬいぐるみの体がブルブルと震えたかと思うと胴体部分を突き破りエイジたちが飛び出し宙を舞った。

「おらぁーっ! どうだ、見たかぁーっ!」ハンドルを握りしめるナミコが空に向かって腹の底から吼える。

 ドシンと激しい衝撃と共にバイクが地面に着地したと同時に後方に横たわるぬいぐるみが風船のように膨れていく。

「おいおい後ろ! また何かくるぞ!」エイジがナミコの耳元で叫んだ。

 大きく膨れ上がったぬいぐるみが破裂すると中から無数の小さなぬいぐるみが辺りに飛び散った。ぬいぐるみの群れたちは四つん這いで走り、エイジたちを猛追する。

「うわあ、キモっ! なんかいっぱい追ってきてる! エイジ、あんたなんとかしなさいよ!」バイクのミラーを見ながらナミコが顔をしかめた。

「なんだよ、ドンとぶつかってやるんじゃないのかよ?」エイジが意地悪そうに言う。

「もう、いいから! 早くなんとかして!」

 とうとうエイジたちに追いつき、狂犬のように牙を剥きながら飛びかかる。エイジの首筋まであと数十センチの所でぬいぐるみをすっぽりと囲むように突然小さな鉄カゴが現れた。ぬいぐるみは鉄カゴの中に閉じ込められると、そのまま地面にドシンと落ちた。

「やるじゃん、エイジ! ほらっ、まだいっぱいくるよ!」

「わかってるよ!」エイジは体を半分後ろに向け、左手をぬいぐるみの群れに突き出した。次々と鉄のカゴが現れぬいぐるみたちを飲み込んでいく。高速道路には夥しい数の鉄カゴが山のように積み重なっていく。

 しかし、それはエイジの脳への負担も大きいらしく突き出した腕から白い靄が流れ出した。エイジはハッとして自分の腕を見た。

「ちょっと! 上、上!」一体のぬいぐるみが一瞬の隙をついて飛びかかってきた。

 ナミコは腰を浮かせるとブレーキをかけながらバイクの前輪を地面にグンと押し付けた。前輪は強く地面に張り付きながら走行を続け、反対に後輪は高く持ち上がる。飛びかかってきたぬいぐるみを持ち上げた後輪で弾き飛ばした。

 バイクの後輪を地面に下ろすと前方を走るバグに向かってナミコが腹の底から叫んだ。

「コズエーっ! 文句があるなら直接私に言えーっ! 溜め込んであるもの全部私にぶつけろ! 私ら友達だろーっ!」

 バグの仮面や体にミシミシと亀裂が入り、わずかばかりの欠片が剥がれた。バイクのスピードが落ち、フラフラと蛇行を始めた。

「なになに? どうしたの?」

「よくわかんねえけど、多分元のコズエに戻ろうとしてるんじゃないかな? きっと戦ってんだよ、自分自身と」

 バグは再びスピードを上げると前のトンネルに向かった。

「トンネルか。よし、ちょうどいい。俺らもスピードアップだ!」

 トンネルに入るとエイジはぬいぐるみたちが追ってこれないよう地面や壁、天井から分厚いコンクリートの壁をいくつも出現させ入り口をガッチリと塞いだ。

 トンネルを抜け視界が開ける。それと同時にアブラゼミの合唱が鳴り響く。

 頭上には目が覚めるような青空に大きな入道雲、高層ビル群の合間を縫うように伸びていたハイウェイは跡形もなく消え去り、鮮やかな緑色の稲が風に揺られている田んぼ道に変わっていた。バグとエイジたちが乗るバイクもいつの間にか自転車に変わっていた。

 舗装されていない地面が自転車を小刻みに揺らす。自転車の荷台がエイジの尻をゴツゴツとつついた。

「ここ! ここってコズエの田舎のおばあちゃん家のすぐそばの道じゃん! 夏休みに遊びに行ったなあ!」ナミコがあたりを見渡した。服装もジーパンとTシャツ姿に戻っている。

「コズエの古い記憶を引っ張り出して作った。ここにはずっときてなかったんだ。きっとコズエも懐かしがってるはずだよ」

「そっか。コズエのおばあちゃん、高校の時に亡くなったんだっけ。それにしてもまさかあんたと自転車二人乗りすることになるとはね」ナミコはサドルから腰を浮かせて強くペダルを漕いだ。

「そりゃこっちの台詞だ! 俺だってなあ……」

「コズエと二人乗りしたかった?」ナミコが振り返りニンマリと笑った。

「う、うるせえなあ! ほら、しっかり漕いでくれよ!」

「いいじゃんいいじゃん。ここは夢の中なんでしょ? だったら何も気にせず思ってること言っちゃいなよ」

「だから別に……。いや、お前の言う通りだな。何に遠慮してんだろ、俺」

 エイジはため息をつくと肺いっぱいに空気を吸い込み叫んだ。

「コズエーーーーっ! 本当はお前と自転車二人乗りしたかったぞーーーーっ!」

「ぎゃはははっ! よっ! いいぞいいぞ!」

 平坦な田んぼ道が徐々に下り坂になっていく。バグとナミコの漕ぐペダルは軽くなり、勢いよく坂をくだりだした。

 現実さながらに照りつける日差しで火照った体に当たる風が心地いい。ナミコも思わず顔を上に向けて目を閉じた。

「コズエーっ! なんかすっごい懐かしくない? 中学校くらいの時、あんたのおばあちゃん家の自転車借りてこうやって二人で自転車漕いだっけ? 私はまた一緒にこうやって思いっきり自転車乗りたいよ!」

 ナミコが大きく笑った。バグの体に先ほどよりも大きく亀裂が入り欠片が飛び散る。黒い欠片は夏の日差しをキラキラと反射しながら霧散した。

「ん? あっ、ちょっと! エイジ! 前、道がない!」ナミコが目を剥いて叫んだ。前方の田舎道が切り取られたケーキのようになくなっており、底は暗闇が広がっている。だがバグはスピードを一切落とすことなく進んでいく。

「止まるな! そのまま行くんだ!」ブレーキをかけそうになっているナミコに向かってエイジが言った。

「はあ? どういうつもりよ? だって、このままいったら……」

「いいんだ。このままでいい。今回は助かったよ、多田。後は俺がなんとかする」

「へえ。あんたもちょっとはイイ男になったんじゃない? エイジ、コズエを頼んだよ! 絶対に助け出せよな。絶対だぞっ!」ナミコが力一杯ペダルを漕ぎ、深い崖の底めがけて飛び込んだ。その瞬間自転車とナミコが煙のようにふっと消えた。

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