第35話
バグが奇声をあげて右手のナイフを勢いよくエイジの腹に突き刺した。しかし、エイジは倒れるどころか顔色一つ変えなかった。
バグはナイフから伝わってくる異様な感触に驚き、とっさに目線を手元に移す。先ほどまで凶悪な笑みを浮かべていたナイフはいつの間にか淡く優しいオレンジやピンクの花束に変わっていた。
「そっちの方がコズエには似合うよ。お返しにこれから俺が本当の夢っていうのを教えてやる。楽しむ覚悟はいいかい?」
バグは後ろに飛び退く。予想だにしないエイジの行動に警戒しているようだった。
エイジはゆっくりとした動作で床に落ちたスリープガンを拾いホルスターに収めると真っ直ぐバグを見つめた。
「学校も懐かしくていいけどさ、世界はもっと広いんだ。せめて夢の中ぐらいはのびのびやろうぜ」
エイジがバグに向かって指でバンとピストルで撃つポーズをすると壁や床、天井のつなぎ目に光が走ると、ダンボール箱のようにパタパタと展開した。周囲には真っ白でだだっ広い空間が果てしなく広がっている。
『一体何が起きてるんだ? こんな数値、見たことないぞ……!』モニターを見つめるアキオが息を飲む。画面に表示されている様々な数値を表すグラフが踊るように上がったり下がったりしている。
バグは一層強烈な叫び声をあげると両手からドス黒い煙が吹き出した。それが徐々に掌に集まり始め、あっという間に二挺のマシンガンを作り出すとエイジに向かってデタラメに連射する。
人間を崩れた豆腐のようにズタボロにするはずの無数の弾丸はエイジの体に傷一つつけることなく、当たった瞬間ポップコーンのように軽い音を立てながら次々に弾け飛んだ。
エイジは目を閉じて深呼吸をすると両手をいっぱいに広げた。すると周囲の何もない空間からまるで風船が膨らむように建物が次から次へと出現した。しかもそれは民家やビルといったものではなく、観覧車やメリーゴーランド、ジェットコースターというアトラクションばかり。先ほどまで学校だったダイ場はエイジによってテーマパークに早変わりした。
どこからともなく楽しげな音楽が流れ、赤やオレンジなどの灯りがチカチカと瞬いている。人影こそ見えないが賑やかな声が辺りには溢れている。
バグは腰を低めに落とし警戒した様子を見せた。一瞬の間の後クルリと踵を返し、深くしゃがみこんだかと思うとバッタのように跳躍した。高く遠く、バグはどんどん小さくなっていく。
エイジは慌てる様子もなく、腕を上にあげた。それに呼応するように地面からジェットコースターとレールが顔を出したかと思うと、驚異的なスピードでぐんぐん天に向かって伸び続ける。あっという間にバグにぶつかるとジェットコースターの座席に乗るような形になった。
逃げ出す隙もなく安全バーが下り、がっちりとバグを捕まえる。無理やり外そうと暴れるがビクともしない。コースターはバグを乗せたまま走り出した。
まずは天高くから地面に向かって真っ逆さま。ダイ場の中なので空気抵抗よる減速などといった物理法則は一切なく、そのスピードは凄まじかった。音速を超える戦闘機のような速さで地面まで降りたかと思うとレールにそって地上すれすれを疾走する。レールは子供のイタズラ描きのようにめちゃくちゃに曲りくねり、建物の合間を縫うように走り抜け、そして再び上空に向かって駆け上る。バグは洗濯機に放り込まれたように上も下もわからずコースターに振り回された。
エイジはもう一基、ジェットコースターとレールを地面から引っ張り出して乗り込むと猛スピードでバグを追いかけた。
遠くの巨大の観覧車からは様々なキャラクターの着ぐるみたちが手を振り、回るメリーゴーランドからは煌びやかな装飾の施された木馬が飛び出しバグとエイジの周りを上下に揺れながら並走し、そしてすぐに真横には色とりどりの打ち上げ花火が次々と弾け飛ぶ。
「どうだ、コズエ! 遊園地なんて久しぶりなんじゃないか? 今日は特別に俺たちの貸切だ!」エイジの乗るコースターがバグに追いつく。
バグはキッと睨むようにエイジの方に顔を向けた。安全バーを掴んでいたバグの両腕がメキメキと音を立てて異様に膨れ上がる。丸太のようになった腕で無理やり安全バーを引きちぎると、腕から黒い煙が吹き出し先ほどよりも大きい塊を造った。煙が散り、その姿が露わになる。バグが両腕に抱えているもの、それはロケットランチャーのようだった。
おそらく映画やテレビでちらりと見ただけらしく、細かい部分はは随分と曖昧なものではっきり言って見た目はただの大きな黒い筒だった。
バグは立ち上がりロケットランチャーを担ぐと、コースターの縁に片足をかけてエイジに照準を合わせ引き金に指をかける。
その瞬間バグに巨大な水塊がぶつかり弾けた。その衝撃で危うく投げ出されそうになる。バグが驚いたように周囲を見渡す。
遠くの方で大きなブランコ型のアトラクション、バイキングに乗ったいかにも海賊といった風貌のブリキの人形が見えた。
右に左にと大きく揺れるバイキングに乗りながら、木でできた海賊の人形がキリキリとぎこちなく腕を振り上げバグに向けて指をさした。すると海賊船を模したバイキングから大砲がいくつも顔を出すと赤や青や黄色などのカラフルな水塊を次々と撃ち出した。
バグは避けることも防ぐこともできず、巨大な水の弾丸は見事に命中していく。五発目の水塊が当たるとバグはコースターもろとも弾き飛び、空中に投げ出された。
弄ばれるようにぐるぐるときりもみ状態で吹き飛ぶバグ。なんとか身をよじり態勢を整えると両足から綺麗に着地した。
バグが顔を上げるとアトラクションの群れは綺麗さっぱり消えて無くなっていた。辺りには高層ビルが立ち並び、その間には閑散としたハイウェイまっすぐ伸びていた。
「なかなか楽しかったろ? 遊園地は」バグが振り向くとエイジが腕を組みながら立っていた。
「次は何を出す? 機関銃? 爆弾? それとも戦車、戦闘機か?」
バグが地面に掌をかざすと地面からモコモコと盛り上がり、一台のスポーツタイプのバイクを出現させた。バグはそのバイクに飛び乗ると一気にアクセルを全開にしエイジに背を向けて走り出した。バグは黒い靄の帯を引きながらあっという間に見えなくなった。
「ハイウェイだったらそうするよな。でも逃がすかよ。ここはお前だけのダイ場じゃないんだ」エイジは地面に手をつけた。手を押し込むと泥沼のようにエイジの腕が沈んでいく。腕を力一杯引き上げると大型バイクが地中から顔を出した。
「ん、そうだ。せっかくだから助っ人を呼ぶか!」
エイジがパチンと指を鳴らすと目の前の地面が盛り上がり人型に変形していく。そしてあっという間にジーパンにTシャツ姿のナミコに姿を変えた。ナミコはエイジが最もよく知っている人間の一人。それに加えてナミコと親友であるコズエとの記憶の同調のおかげでその再現度は非常に高い。まさに助っ人としてはうってつけだ。
「えっ。ちょっと何ここ? あ、エイジじゃん! これどういうことよ? ていうか、ここってどこだっけ?」が頭をワシワシ掻きながらあたりを見渡した。
「あのな多田、時間があまりないから手短に話すぞ。ここは夢の中なんだ。実はお前に協力してもらいたいことがあって呼び出したんだけどさ……」
「はあ? 嘘でしょ! あんた、夢の中で私に変なことをするつもりじゃないでしょうね? やだ~もう」ナミコがわざとらしく体をくねらす。
「あーもう! 今はそんな冗談言ってる場合じゃねえんだよ! コズエの命がかかってるんだよ」
「何、コズエの? ちょっとそれどういうことよ?」ナミコの表情が急に険しくなりエイジに顔を寄せる。
「どういうことって言われても、話せば長いんだけど……。コズエは今ストレスが尋常じゃないくらい溜まっててだな。えーっと……、とにかくすごく危険なんだ。だから頼む! コズエを救うのに力を貸してくれ」エイジは手を合わせると深く頭を下げた。
「あんたねえ、それ早く言いなさいよ! で、何? どうすればいいの?」
「このバイクでコズエを追いかけるんだ! 早く乗ってくれ」
「ちょっと待った!」ナミコは急いでバイクに跨ろうとしているエイジの腕を掴んだ。
「な、なんだよ、どうした? ここは夢の中だから事故ったりすることはないから大丈夫だよ」
「そうじゃなくて。ここ夢の中なんでしょ? だったらこの格好なんとかしてくれない? せっかくバイクに乗るんだからそれらしいのにしてよ」ナミコが着ているTシャツの胸元をつまんでクイクイと引っ張った。
「お前なあ、こんな時に……。もう、わかったよ!」エイジがナミコに掌を向け、サッと横に振った。すると服装がスライドするように入れ替わり、ナミコの服装はピッタリとした黒いライダースーツに変わった。ナミコは満足そうに自分の格好を眺め回した。
「おおーっ! これこれ、こういうの! かっこいいじゃん! やっぱ私は何着ても様になるなー。さっ、コズエを追うよ。早く後ろに乗って」
「何? ちょっと待て、多田が運転すんのかよ!」エイジは目を丸くした。
「当たり前じゃん! 私、大型二輪の免許持ってるし。それに一度でいいからこういうところで思いっきりかっ飛ばしてみたかったんだよね」
「いやいや、俺が運転するって! お前は知らないだろうけど、夢の中だったらバイクに乗るくらい俺にだって……」
「もお~、うるっさいなあ! いいからあんたは後ろに乗るのっ!」
もはや説得することは不可能だと悟るとエイジは渋々後ろに乗りナミコの腰回りに手を回した。ここまで本物のナミコを忠実に再現するんじゃなかったとため息を漏らした。
「おっぱい触ったら振り落とすからね。じゃあ行くよ!」ナミコはアクセルを二回三回とひねりエンジンを空ぶかして回転数を上げる。それに伴ってナミコの目が爛々とする。そしてクラッチを一気に繋いで猛スピードで発進した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます