第30話
「はあ? エレベーターっすか? アキオさん、何言ってんですか。今は封鎖されてるじゃないすか。そんなこと二人が一番よくわかってるでしょ?」
いつものように『関係者以外立ち入り禁止』のプレートが貼られている鉄扉の前に鎮座している峰川が気だるそうに口を開いた。
「だからさ、緊急事態なんだよ! コウタ君ならあのエレベーター動かせるだろ? なんたって君はDSAの守り神なんだからさ。ね? 頼むよ~」
「そんなん無理っすよ。あのエレベーターは特別で、どっか別のところで制御してあるみたいなんですわ。だからここからじゃあ動かせませんよ。勝手に弄ったらオレがチカコさんに怒られるんすから」
「くっそー。どうしようもないかあー!」アキオが頭を抱えて体をそらした。
「コウタ君、他に地下に行くエレベーターはないんですか?」
「他に? ないっすね、エレベーターはあの一本だけ……あ、ちょい待ち」峰川が視線を上に泳がせた。
「……あんまり期待しないでくださいよ。そういえば使われてないエレベーターがあるにはあるんですよ。でもそれが本当にそのDSAってところに繋がってるかわかんないっすよ?」
「そ、それ! どこにあるんですか?」エイジが峰川に顔を近づけた。あまりの気迫に押されて峰川が顔をそらした。
「ちょっ、落ち着いてくださいよ、案内しますから! でも動くかどうかすらわかんねえっすよ?」
峰川は立ち上がるとクイっと親指でエレベーターの方を指し二人を案内した。
案内された先はボロボロに錆びた鉄扉の前だった。扉には塗料で何か書かれていたようだが、ほとんど剥げ落ちてしまっている。
「俺もずっと前から気になってたんすよね」
「これ……、大丈夫なの?」アキオはそのあまりにくたびれた佇まいに思わず不安になった。
「だから言ったじゃねえっすか。俺だってこの先がどうなってるか知らねえって」峰川が口を尖らせてアキオを睨んだ。
「とにかく入りましょう! 開けてみなきゃわかりませんよ」エイジが二人をなだめると鉄のドアノブに手をかけた。
ドアノブも錆びついており、力を入れて回すとゴリゴリと錆が擦れる感触がした。扉自体もすっかり錆びつき建て付けも随分悪くなっていたため、扉を開けるのは一苦労だった。半分ほど扉が開くと三人は隙間から中を覗き込んだ。
「うわっ、カビくさっ! 真っ暗で何にも見えないよ」
「え~っと、スイッチスイッチ……。っていうか電気きてんのか、コレ? おっ、あった! これだ」峰川がスイッチを入れるとパチパチと瞬いたのち蛍光灯が辺りを照らした。
壁はどす黒いカビがそこかしこを覆っている。床には埃が雪のように降り積もっており三人の靴の跡がクッキリとついている。そして正面には赤褐色に染まった二枚の鉄の扉がぴったりとくっついていた。
「ひどく汚れてるけど僕らがいつも使ってるエレベーターの部屋と同じみたいだね」アキオはカビまみれの空気を吸いまいと腕で口をカバーしている。
「お! あった、分電盤。中はどうなってんだ?」峰川が塗装がすっかり剥げ落ちた分電盤の扉を開けて中をのぞいた。
「どうですか? 峰川さん。動きそうですか?」エイジが不安げな顔をしながら峰川の肩越しに分電盤の中を覗き込んだ。
「ちょっと待ってください。えっと、配線は切れてねえようだな……。エレベーターの主電源はこれか?」
峰川がガチンとスイッチを入れた。するとしばらくして獣の唸り声のような作動音が部屋中に轟くと錆びついたエレベータードアの上部にあるランプが点灯した。
「やった、動いた! すごいですよコウタ君!」エイジは喜びのあまり峰川の手を握りブンブンと揺らした。
「まあ、これでも工業高校出てますから……」峰川は照れ臭そうに頭を掻きながら言った。
「ちょっと待ってよエイジ君、まさかこれに乗る気? 絶対まずいでしょ!」アキオが目を見開きながらエレベーターを指差した。
「そっすよ。電気は来てるけど、多分ワイヤーとか相当傷んでると思いますよ? これじゃあ棺桶に乗り込むようなもんですよ」峰川は左右に首を振った。
「でもDSAに繋がっているのはもうこれだけなんですよ? せっかく見つけたのに引き返すわけにはじゃないですか」
「DSAに繋がってるとは限らないだろ? どっか別の、全然関係ないエレベーターかもしれないじゃないか」
「立体駐車場の地下に一体何があるっていうんですか! こんな怪しいエレベーター、DSA以外考えられないでしょ!」
いつにないエイジの必死な形相を見て峰川は尋ねた。
「そんなムキになって……。一体何があったっていうんですか?」
「今、俺の大事な人がピンチなんです。それも後少しで……死ねかもしれないっていう非常事態なんです。だから、何が何でも下に降りなきゃいけないんです」
拳を握りしめ、うつむくエイジの背中を峰川が強烈な張り手でバシンと叩いた。
「なんでそいつを早く言わないんすか! 大事なダチを救うってんなら俺も応援しますよ! ……いや、ダチじゃなくてオンナかな?」
「多分オンナだよ。絶対オンナ」アキオが峰川の耳元でボソリと囁いた。
「アキオさん!」エイジが耳を赤くしながらアキオを睨む。
「よし、それならしょうがないっすよ。アキオさんも腹くくってください」峰川はアキオの腕を拳でドンっと叩いた。
「ええーっ、もう~。結局こうなるもんなあ。自分は乗らないからって……わかったよ! 乗る! 乗るよ!」アキオはやけくそと言わんばかりに叫んだ。
エイジがエレベーターのボタンを押す。ドアはサビだらけだが問題なく開いた。二人はゆっくりとできるだけ衝撃を与えないようにして乗り込んだ。
「俺はこれ以上何にもできねえけど……。二人とも、頑張ってください!」峰川はゴテゴテしたシルバーリングをたっぷりつけた右の拳を二人の方にまっすぐ突き出した。
「いや、十分です。ありがとう」
エイジが「閉」のボタンを押すとエレベーターの扉がぎこちなくしまった。ほんの少し間を開けてエレベーターは下がりだした。
時々照明が明滅したり、ガクンと大きく揺れながら下に下にと降りていく。その度に二人は「ひゃあっ」とか「ひぇっ!」と情けない声をあげる。
とうとうエレベーターが降りていく感覚が消え、ドアが再びぎこちなく開く。
「着いた!」二人はなだれ込むようにエレベーターから降りるとそこは見覚えのある場所。地下とは思えぬほど天井が高く開放的でだだっ広い白い空間、レンダイ支所の所長室だった。
「おいおい、なんだよ。所長室じゃないか! こんなところに繋がってたのか……。長いことここで働いてきたけど全然気がつかなかったな」アキオが辺りを見渡した。
いつも見慣れた部屋だが、閉鎖されているため灯りは消えており、非常用照明が間隔をあけてぼんやりと部屋を照らしている。当然空調もストップしているが地下のためかヒンヤリと涼しく体にくっついた汗がスッと引いていく。
「時間がない! アキオさん、早速やりましょう!」
「よし、そうだね! おっ、あれを使おう」アキオが部屋の隅に置かれた高価そうな黒い革張りのソファを指差した。
二人は急いでソファを抱えあげると部屋の中央付近に「よっこいしょ」と置いた。
「エイジ君、影踏みでのダイブのコツを教えてあげようか?」アキオがソファに横になるエイジの顔を覗き込んだ。
「コツなんてあるんですか? やっぱり意識を集中させるとか、そんな感じで?」
「いやいや、そうじゃないんだ。むしろ真逆さ。答えは何も考えないようにすること。自分のアンテナを開けっぴろげにして向こうが発信する電波を受信するイメージかな。これは僕がまだ新人だった頃、ベテランのダイバーに教わったんだよ」
「何も考えないか……。なんだか難しそうですね」
「エイジ君、前に僕が言ったこと覚えてる? 君と最初に会ったのはダイバーとしてだって」
「えっ? ああ、覚えてます。俺が対象者になって、そこにアキオさんがダイバーとしてやってきたってやつですか? 何ですか急に?」
「その時のこと、話しておこうと思って」
「えっ……? でもそれ本人に言っちゃダメなんじゃ……」
エイジは思わず上体を起こそうとした。それをアキオが手で制止する。
「まあ、いいから聞いてよ。今から五年前、その頃はマスターと組んでバリバリ仕事をこなしてたんだ。そんな時、君が対象者として選定されてね。危険度数も高いし未成年だったもんだから、これは急がないとマズイって慌ててダイブしたんだよ」
「そんな危険な状態だったのか……」
「それでダイブしてみて驚いちゃったよ。だってもの凄く精巧なダイ場だったんだもん。街路樹の葉っぱ一枚一枚が本物みたいに再現されてるんだよ? おまけに範囲も嫌になるくらい広いし。本当は現実世界なんじゃないかって疑っちゃったよ」
「そのおかげで潜熱病で苦しみましたけどね」エイジが苦笑いをこぼした。
「あんだけリアルにダイ場作ったらそりゃ潜熱病にもなるよ」
「……それで出てきたのは何だったんですか? アキオさんは【なに】を撃ったんですか?」
「……撃たなかった」アキオが一呼吸置いたのちポツリと言った。
「えっ?」
「撃たなかったんだよ。なんにも」
「そんな事ないでしょう? だって、そうじゃなきゃ……」
「君のノンレム睡眠期、どんなだったと思う? そこでは君は周りを崖に囲まれていたんだ。そりゃあもうてっぺんが霞んでいるような崖でさ。エイジ君はただひたすらその崖を登ろうってしてるんだ」
「………………」エイジは黙ったままアキオを見つめた。
「それがさ、必死に登ろうってしてるんだけど、君登るの下手でさあ。ほとんど進んでないの。もう見てるこっちがもどかしくなっちゃったよぉ。……それでも君は登るのをやめないんだ。必死になって、歯食いしばって、ただ上だけを見て登っていくんだ。僕ね、今までそんなダイ場見た事ないよ」
アキオは微かに微笑むと目線を天井に向けた。
「だから撃たなかった。撃つ必要ないって思った。きっと自分の力で障害を乗り越える事ができるって思ったんだ」
「なんか意外だな……。俺のことだから、きっととんでもない怪物が出てきてたと思ってたのに」
「自信を持ってよ。大丈夫、君なら絶対上手くいく! なんたって僕がスカウトした男なんだから。さあ、ほらリラックスして」
アキオは明るく言うとエイジの肩にポンと手を置いた。
「アキオさん」
「んっ? なに?」
「すいませんでした。せっかくDSAにスカウトしてもらったのに、俺がわがまま言ったせいでアキオさんをこんな事に巻き込んじゃって……」
「気にしないでよ。何が何でも対象者を守るのがダイバーだろ? それに初めてのダイブで分かってたよ。あぁ、きっとこいつは言い出したら聞かないタイプだって」アキオがいたずらっぽく笑う。
「ここまで来たなら僕もとことん付き合うよ。さっ、行ってきな!」
アキオに見守られる中、エイジは静かに瞼を閉じるとゆっくり息を吐いた。できるだけ余計なことは考えないように、自分がただただ暗闇の中に浮かんでいる姿をイメージする。やがてエイジの意識はいつものように深く深く潜るように夢の底へと落ちていった。
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