第29話

「すいませんでした、所長。対象者が同級生ってこと黙ってて……。そのせいでレンダイ支所をあいつらに……」

「いいのよ。本当のこと言うとね、実はそんなことだろうって分かってたの。それにね、荻野君のことだからどの道難癖つけて停止処分に持っていってたでしょうね。そんな事より問題は私よ。いい歳して頭に血が上って……。あんな事したばっかりにどうにも覆らなくなっちゃったわ。本当にごめんなさい」

「まあ、二人とも。終わったことはいいじゃないですか。それよりこれからどうするかですよ。なーんかいい方法はないかなあ」

 エイジ、アキオ、チカコの三人は〈カフェ・REN〉のテーブル席にいた。外は夕暮れの街にポツポツと明かりが灯だしている。

 チカコが荻野にお見舞いした鉄拳のせいでレンダイ支所は稼働自体を無期限の停止処分。ベッドルームの使用どころか立ち入ること自体禁止されてしまった。

「キリュウジ支所には気をつけろ、か。夏野さんの言ってた通りだな……」エイジは夏野が別れ際に言ったセリフを思い出すとテーブルに突っ伏した。まさかこんなにも早く夏野の忠告通りの事態になるとは思ってもみなかった。

「あなた達、夏野君探すためにダイブしたんですって? よくそんなこと思いつくわね。それどころか本当に見つけ出しちゃうなんて……。それでいいアドバイスは聞けた?」

「どうですかね……。それらしいことは言ってましたけど」

「でもどの道ダイバー執行権を抑えられてるからダイブはできないね。さすがに今度ばかりはお手上げだよ」アキオが頬杖をしたまま口を尖らせて言った。

「そのダイバー執行権ってやつがないとダイブができないんですか?」エイジはテーブルに乗せていた顔をアキオの方に向けた。

「ダイバー執行権は言ってみればそのダイバー固有の脳波及び電気信号のことです。それは一人一人パターンが違ってるんですよ、まるで指紋のように。それが一種のアイデンティティの役割を持ってるわけですね。だから実はダイバー執行権があればどの支所からもダイブは可能なんです。そこの所長が使用を許可すればの話ですけど。今回エイジ君の執行権が停止処分になったということはレンダイ支所はもちろん他の支所からのダイブに制限がかけられてしまったということですね」

 マスターが三人の前に飲み物を置きながら説明した。チカコの前だけウイスキーのショットグラスが置かれ、チカコはそれを一気に飲み干すとすぐさまマスターにおかわりを要求した。

「そういうこと。エイジ君がダイブできないように全支所のピロウにダイブ制限をかけてるんだよ」

「全ての支所にですか……。ダイブ制限ねえ……」エイジは俯きながら小さくなんども呟いた。

「よしっ、こうなったら最後の手段だ! 僕が代わりにダイブしよう! 僕のダイバー執行権はまだ生きてるはずだから、ご近所さんのテンマ支所のベッドルームを借りれば……」

「高野君はダメよ! ただでさえ前に大怪我させられたんだから。あなたは大人しくしていなさい」チカコに一喝されたアキオは「はぁい」と弱々しく返事をするとしぼむように小さくなった。

「……全ての支所にってことは本部はどうですか? 本部にも制限はかけられてますか?」エイジがパッと顔を上げるとアキオの顔を見ながら尋ねた。

「えっ。何、本部? それは……本部にはどの支所からも干渉はできないようになってるから制限はかけられてないと思うけど……」アキオはエイジの思いもしない急な問いかけにしどろもどろになりながら答える。

「それじゃあベッドルームは? 本部にベッドルームってあるんですか?」

「まさか本部に行こうって思ってないかい? あいかわず無茶なことを……」アキオは腕を組むと呆れ気味にため息をついた。

「残念だけどそのアイディアは使えないよ。だって本部がどこにあるのか分からないんだもん」

「分からないってそんなわけないでしょう? だって本部ですよ?」エイジは体を起こしながらるアキオを怪訝そうな顔で見た。

「いや、誤解しないでよ? 僕だけが知らないわけじゃないよ? それだと僕がマヌケみたいじゃない。DSAの職員には本部に関する情報が知らされていないんだよ。場所はもちろん誰が本部にいるのか、規模はどのくらいか、何もかも全てがね。定期的に連絡は来るみたいだから存在自体はしているようだけど」

「意味わかんねえ……。なんで知らされないんですか? 別に秘密にする必要なんてないんじゃないですか?」

「そんなの僕に言わないでよ。とにかくそういうことになってるんだから。まあDSA七不思議の一つだね」

「なんだよもう。それじゃあ結局、どうしようもねえじゃんか」

 ここまでか……。エイジは再び額をテーブルにくっつけると目を閉じた。暗闇にぼんやりとコズエの顔を思い浮かべると目の端がじんわりと潤んだ。

「私、知ってるわ」唐突にチカコが口を開いた。

「それ本当ですか!」

「うっそ! なんで所長知ってるんですか?」アキオが思わず飲んでいるコーヒーを吹き出しそうになる。

「私ね、実は元々本部勤務だったのよ」チカコは再びウイスキーをグイッと呷った。いつのまにかテーブルには空になったショットグラスが無数に並んでいる。

「所長が本部勤務! それは初耳ですね……。それっていつ頃の話なんですか?」

「私がDSAに入って間もない、まだダイバーをやってた頃は本部は秘密でもなんでもなく普通に存在してたわ。みんな本部のこと知っていたし出入りするのも当たり前の事だった。でもある日、本部を別の場所に移すことになってね。それからは本部に誰も足を運ぶことは不可能になったのよ。……一体どこに移されたと思う?」

「どこなんですか? 今の本部の場所は?」エイジはもどかしげに腰を浮かして顔を近づけた。

「夢の中よ。本部は今、DSA日本本部総司令官はダイ場の空間に存在しているの。どう? 非常識な話でしょ?」

 エイジはチカコの話を聞いて気を失いそうになった。非常識というレベルではない。まともな人間の行動とは思えない。

「……それじゃ本部の人たちは全員ダイバー、ってわけですか?」エイジは力なく椅子に腰を下ろした。

「というよりも漂流者ね。確か三人だったと思うわ、本部の人間は。私も聞いた話だけどその三人が漂流者になって全くゼロから夢の空間を作り出してそこに本部を構えたって話よ。対象者の夢に依存してるわけじゃないから、あなたたちがさっきやったみたいにピロウから検索してダイブしようとしても出てこないの。本部はどの支所からも干渉されないというのはそういうことなの」

「ひゃ~っ。とんでもない話ですねえ。でも分っかんないなあ。なんでまた本部を夢の中に移そうなんて考えたんですかね? 漂流者になってまで。まさか現実世界に見切りをつけたとか思春期の子供みたいな理由じゃないですよね?」

「全ての支所の動きをより正確・迅速に把握するためと肉体を放棄することで処理能力の限界を越えるためにね。……実は本部からの連絡はピロウを通してやりとりされてるの。それを見越してピロウを設計してあるってことは本部を夢の中に移すことは初めから計画されていたんでしょうね」

「ということは本部のお偉いさん方は初めから肉体を捨てるつもりだったのか……」前々から普通の組織じゃないとは思っていたが、トップがまともではないのだ。普通じゃないのも頷ける。エイジは得体の知れない恐怖に襲われた。

「ちなみに元々本部はどこにあったんですか?」アキオはチカコに尋ねた。

「レンダイ支所よ。レンダイ支所の更に地下に存在していたの。もちろん今では完全に封鎖されてるからそこに行くのは不可能だけどね。本部が移された後レンダイ支所が設置されたわけ。私はそのまま残る形になったのよ」

「それじゃあどうしようもないですねえ。エイジ君、残念だけどここはキリュウジ支所に任せようよ」

「それで所長。本部にはベッドルームはあったんですか?」エイジはアキオの言葉に耳を貸す様子は微塵も見せずまっすぐチカコに視線を向けた。

「ベッドルーム? そりゃあ昔はあったわよ。私もそこでダイバーやってたんだから」

「ちょっと待って! 君またとんでもないこと考えてるだろ!」アキオが勢いよく立ち上がる。

「……影踏みはどうですか? それだったら本部に行けるんじゃないですか?」

「ほらやっぱり!」アキオは嫌な予感が当たったとばかりにエイジを指差した。

「ダメよ! 絶対にダメ! そんなこと許さないわ! やめてちょうだい!」チカコがエイジをキッと睨む。

「そうだよ! これ以上君に無茶なことはさせられないよ! 第一本部の人はこの世にいない。上手くいきっこないよ」

「エイジ君、さすがにリスクが大きすぎます。あまりに無謀ですよ」

 みんなが次々とエイジを諌める。

「でもそれ以外に方法はないですよ! 重大な違反行為ってことは分かっています、例えクビになっても構いません!」

「影踏みするってことはピロウを使わずにダイブするってことなのよ? どれだけ脳に負担がかかると思ってるの!」チカコがキッとエイジを睨む。影踏みでのダイブは負担が大きい上にダイ場も不安定。おまけにオペレーターのサポートもない。

「でも昔のダイバーはピロウを使わずにダイブしてたわけですよね? だったら不可能じゃないじゃないですか」

「だから昔はそのせいで廃人になったダイバーが何人もいるの。ましてやあなたはダイバーになってまだ一ヶ月もたってない。あまりに危険だわ」

「でもこのままじゃ……」

「今度ばかりは認められないわ! 対象者の命ももちろん大事だけど、それと同じくらいエイジ君の命も大事なのよ?」今度ばかりはチカコも首を縦には降らなかった。今まではピロウのおかげで外部からのサポートも可能だったが、影踏みでのダイブとなるとそうはいかない。新人ダイバーを未知のダイ場に放り込むのはあまりにも危険すぎる。

「お願いします! 一度だけでも試させてもらえませんか? それでダメなら大人しくキリュウジ支所に任せます。何にもしないで最初っから無理だって諦めることはしたくないんです」

「……所長、一回試すぐらいなら……」アキオが上目遣いでチカコの顔を覗く。

「高野君まで何言ってるの! 絶対にダメよ! 私が何とかキリュウジ支所に掛け合ってみるから、それまで大人しく待ってなさい。いいわね?」

「でも所長! もう時間がありませんよ! こうしてる間も対象者はバグに苦しめられてるんですよ?」

「それでもここは大人しくしていなさい! これは所長命令です!」

チカコは最後にもう一杯ウイスキーを豪快に呷り叩きつけるようにグラスを置くと店を出て行った。

「しっかしまあ、どんだけ呑むんだよ。あのばあさんは……。それでどうする、エイジ君? 所長の言う通りここは待機しとくかい?」

「アキオさん……。申し訳ないですけど、このままじっとしておくわけにはいかないですよ。クビになろうが何だろうが。俺、影踏みやります」

「まあ、そうするだろうね君は。エイジ君を説得するということがどれだけ無駄なことなのかよくわかったよ。ねえ、所長が言ったこと覚えてる? 本部は元々レンダイ支所の地下部分にあったって」

「言ってましたね。それがなんだっていうんですか?」

「影踏みってのはね、対象者の側でやるのが何より重要なんだ。対象者の脳波をキャッチする必要があるからね」アキオは人差し指で自分のこめかみをトントンと叩いた。

「だから元本部に近いレンダイ支所なら影踏みが成功する可能性がある、かもしれない」

「脳波をキャッチするって言っても今は本部の人間は誰もいないんでしょ?」

「残留思念というものがある。SF映画とかで聞いたことあるだろ? 本部の連中がずっと前からダイ場に本部を移そうと考えていたのならそこに思考や思念、脳波の残り香みたいなのが残ってるかもしれないんだ」

「そうか! あ、でも今はレンダイ支所閉鎖されてるんでしょ? だとしたらあのエレベーターもストップしてるんじゃないですか? もし動かせるなら所長だけだろうけど、それは無理だしな……」エイジは難しそうな顔で腕を組むと「う~ん」と唸った。

「そうだ! コウタ君はどうかな? 彼だったらどうにかしてエレベーター動かせるんじゃないかな?」アキオはポンと手を叩いた。

「そうか……。エレベーターを管理してるのはコウタ君ですからね」

 エイジは峰川の顔を思い出した。いつもは猛禽類のように鋭い目つきのあの顔が今ではとても頼もしく思える。

「でも待てよ……。コウタ君、所長のファンだからなあ。もし所長が手を回してたら僕らがいくら頼んだって聞き入れてくれないだろうな……」

「だったら急ぎましょう! マスター、ご馳走様でした!」二人は大慌てで代金をテーブルに置くと店を出た。

 静かになった店に一人残ったマスターは窓から外をのぞいた。真夏の青空にぽっかりと浮かんだ入道雲が夕日の光を受けてオレンジ色に輝いている。

「今夜は随分と暑くなりそうだな……」

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