第28話

「アキオさん。マスター……」エイジが目を開けると自分を覗き込むアキオとマスターの顔が飛び込んできた。

「おっ、目が覚めた! エイジ君、どうだった? 全然連絡が取れないから心配したよ! 夏野さんには会えたかい?」ダイ場から離脱して目を覚ましたエイジの顔をアキオが食い入るように覗き込んだ。

「会えました、会えましたよ! 夏野さんに。アレでしょ、闘犬みたいに怖い顔したおじさんですよね? あ、連絡が取れなくなったのは夏野さんが周波数を変えたからみたいです」エイジは上体を起こしアルミ製のベッドに腰掛けた。

「うっそ! マジで! ちょっとこれは凄すぎないかい? っていうか通信が途絶えたのは夏野さんの仕業か! 本当にもう、ひねくれてるよなあ」

「しかしこれはDSAの歴史が変わりましたね。漂流者と接触するなんて前代未聞ですよ! それで夏野さんは何と言ってましたか? いいアドバイスはもらえましたか?」

 アキオとマスターは興奮気味にエイジに詰め寄った。

「ええっと……、夏野さんが言うには大事なことは観察することらしいです。とにかく言えることはそれだけだと」

「なに、観察? それだけ? 他に弱点とかなんか言ってなかったの?」アキオは拍子抜けしたように肩を下げて後ずさった。

「それだけです。弱点とか、そういうのはやっぱりないみたいで……」

「何だよぉ、せっかく苦労して見つけたのに。観察が大事って言われてもなあ。もっと具体的に言って欲しいよ」アキオがガクリとうな垂れる。

「でも夏野さんのことですから適当に言ってるわけじゃないでしょう。本当に観察するっていうことがとても重要なのかもしれませんよ?」マスターは顎に手を当てて思案を巡らせた。

「それ聞くのにもすごい苦労したんですから。どうしてもバグのこと話したくないみたいで。それからアキオさんが予想してた通り夏野さん自分から漂流したみたいです」

「やっぱりそうだったの?」アキオは弾かれるように顔を上げるとエイジを見遣った。

「はい。その詳しい理由は話してはくれませんでしたけど。あ、それから夏野さんこんなことも言ってました。どんな結果になっても悲惨なことに……」エイジがそう言いかけた時、ベッドルームのドアが開き、キリュウジ支所の荻野が何の断りもなく入ってきた。

 荻野の後ろには綺麗なスーツを着た無愛想な男が三人と怖い顔をして荻野を睨むチカコがいる。

「やあ、高野君に不二沢君。それと……どうして辞めた人間がここにいるのかな?」荻野が腕を後ろに組んだままマスターの顔をジロリと睨んだ。

「ああ、マスター……じゃなかった、杉山君にはオペレーターとしてのアドバイスを受けてたんですよ。ね?」

「はい。高野さんからオペレーターの精度の向上とダイバーとの連携をスムーズにできるようにシミュレーションでレクチャーしていたんです」マスターはアキオの突然の噓に顔色を変えることなくサラリと返した。さすが長いことアキオとコンビを組んでいただけはあるなとエイジは感心した。

「なるほど。でもそういうことなら今後はシミュレーションルームを使ってください。ベッドルームはあくまでダイブを行うためだけの部屋です。そんな簡単なことも忘れてしまったんですか?」荻野がメガネの真ん中を人差し指でチョンとつつく。なんて嫌味ったらしいのだろう。エイジにとって荻野の言動の一つ一つが癪に触る。

「そうですね、失礼しました。さ、杉山君。今日はもういいよ。ありがとう」アキオがマスターの腕をポンポンと叩くとマスターは「それでは」と会釈してベッドルームを出ていった。

「さて、それでは早速本題に入りましょう。例のバグの一件ですが、たった今から我々キリュウジ支所が引き継ぎます。あなた方に拒否権はありません。これは決定事項ですから。本部からの承認もすでにとってあります」

「はあ? 何だよそれ! おかしいだろ!」エイジは思わず荻野に詰め寄る。それと同時に荻野の後ろにいたスーツの頑丈そうな三人が庇うように前に出た。おそらくこうなることを見越して、ボディガード役を連れてきたのだろう。

「ちょっと待ってください! 対象者はキリュウジ町にいるんですよ? キリュウジ支所が引き継ぐのはおかしいでしょう?」アキオのいう通り、対象者の住む地区と支所が同じ場合は担当から外される決まりになっている。それが唯一キリュウジ支所に抗議できる武器だ。

「今回は特例ということで本部も認めてくださっています。まあ、ウチじゃなければバグに対抗する力はありませんからね。ああ、それから不二沢君のダイバー執行権及びレンダイ支所のベッドルームの使用は当分の間停止処分となりました」

「いい加減にしなさい! そんな横暴認められるわけないでしょ! 私は絶対に受渡書にサインはしませんからね! 受渡書に所長のサインがない場合は引き継ぎは成立しないわ!」そばにいたチカコが叫んだ。今まで見たこともない恐ろしい形相をしている。

「ご心配なく。先ほども申し上げた通り今回は特例ですので、サインも不要です。……調べさせてもらいましたよ。ダイバーである不二沢君は対象者と知り合いなんですよね? 正確には高校時代の同級生だ。これは同調現象が起こる可能性がある危険な違反行為です。それを容認したオペレーターにも同じく責任があります。それでこの処分は随分優しい方だとは思いますが?」荻野は誰を見ることもせず肩についた誇りをさっさと払いながら言った。

「大体ね、君はまだダイバーになって日が浅いでしょ? そんな半人前がバグに対抗できると本気で思ってるんですか? こんな小さな支所にいるとそんな勘違いも起きるものなんですかねえ。そうだ、いっその事こんな小さな支部は潰してどこか他の支所と合併させるっていうのはどうです? なんなら私が本部に掛け合ってみましょうか?」荻野はフフッと口元を歪めてレンダイ支所の面々をじっとりと見渡した。

「こんの野郎!」我慢の限界をとうに超え、怒りがエイジの全身を一気に駆け巡る。スーツの男たちを掻き分け、荻野に掴みかかろうとした時、目の前でゴツンという鈍い音がした。

 エイジよりも先に怒りの沸点に達したチカコが荻野の顔面に拳を叩き込んでいた。

 荻野はあまりのキレの良い右ストレートに伸びきっている。エイジもアキオもスーツのボディガードの三人も口を開けたままチカコに顔を向けたまま凍りついていた。

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