第26話

 正午を少しだけ回った頃、アキオとエイジ、そしてマスターの三人はレンダイ支所のベッドルームにいた。今回はオペレーターとしての経験が豊富なマスターにもサポートに回る。

 すでにエイジはシンクベッドに横になってダイブに備えていた。

「いいですか、アキオさん。まずは脳波に特殊なブレが見られる対象者を検索します。前回目撃された漂流者が入り込んでいた対象者の脳波の特徴は私が記憶しています。何せ独特な数値でしたから。それと近いものを絞り込みましょう」

「よっし、任せて……。えーっと、ここの数値は……」マスターがモニターを指差しながら指示を出し、アキオが左手で器用にカタカタとキーボートを叩く。

 マスターの言う数値を次々と入力して検索をかけるとモニターにアクセス中を知らせるインジケーターがくるくると回り、検索結果が表示された。

「おっ! ヒットしたな……、うわぁっ! 検索結果は二万件だって。こんなに多いの?」アキオは驚きの声を上げた。エイジも思わず飛び起き、モニターに駆け寄った。

「そんなに似たような対象者がいるんですか? さすがにこれ全部にダイブできませんよ……」そう言いながらエイジはモニターを睨んだ。

「元々無茶な話なんだ、しょうがないよ。だって日本人の人口は一億三千万以上だよ? それにマスターも言ってたじゃない。検索かけても相当時間がかかるって」

「そりゃそうですけど……。マスター、なんとかなりませんか?」エイジはすがるような目でマスターの顔を見る。

「う~ん、そうですね……。それでは数値をより前回の例に近づけて検索をかける範囲をさらに絞り込みましょう」

「でも取りこぼす可能性はないかい?」

「確かにその可能性はあります。ですがこのままでは先に進みませんから」

「わかった。それじゃ検索結果からさらに絞りこむよ。それじゃあどの数値から手をつけようか?」

 マスターが検索する数値を吟味しアキオに伝え、再度検索をかける。その作業は繰り返し行われた。そうして徐々に表示される検索数は減り、最終的には候補となる対象者は二百件にまで絞り込むことができた。

「どうやらこれが限界のようですね。これ以上の検索は意味がないでしょう」マスターは腕を組むとふうっと息を吐いた。

「マスター、ありがとうございます! なんだかいけそうな気がしてきました。それでどの対象者にしましょうか?」

「そうだねえ……」アキオが顎に手を当て、しばし考え込み、モニターの右上の隅っこに表示されている数値を指差した。

「この周波数、子供の……幼児くらいのものに絞ってみようか」

「対象者を子供に? そりゃまたどういうわけですか?」エイジとマスターが怪訝そうな顔でアキオを見た。

「まあ、はっきり言って勘だけどね、僕も長いことダイバーやってきたからわかるんだよ。どうせ自由に他人の夢を選べるなら大人のダイ場だけは御免だね。たとえそれがとびっきりの美女の夢の中だとしても。小さな子供の無邪気で純粋な夢の中でぼんやり過ごしたいって多分夏野さんも思うんじゃないかな」

「ああ~なるほど……。そういわれると確かにそうかも」エイジは思わず頷いた。どんな人間でも悩みやストレスを抱えて生きている。ダイ場ではその負の感情がダイレクトに反映されてしまう。そんな他人の夢の中に任務以外で入るなんて御免だ。

「それを勘定に入れてもう一回検索をかけると……、はい出た! 検索結果は五件! おっ、そして今お昼寝中なのかな? 入眠中でもうすぐダイブできそうな対象者が一人いるよ!」

 エイジは急いでシンクベッドに横になり、目を閉じた。そしてゆっくりと深呼吸して呼吸を整える。それに応えるかのように心臓も落ち着いた一定のリズムを刻み出す。

「後でログを操作してダイブした痕跡を消しておきましょう。バレると色々と面倒ですから」

「よおーし、行くよ! エイジ君!」


 目を開けるといつのまにか民家のリビングルームにエイジは立っていた。室内はまだ新しく、今時ばやりのモダンな造りで一面フローリングに窓には大きなガラスがはめ込まれている。

「ん? あ、あれ? もうダイ場の中か……。今回は何にも感じなかったな」いつものダイブの衝撃がまるでなかったことにエイジは驚いた。

 改めて周囲の様子を確かめるように辺りを見渡す。どうやらダイ場は一軒家のようで壁は青や赤、黄色などカラフルなパステル調で構成されている。花瓶には怪獣のぬいぐるみが突っ込まれ、テレビやテーブルは安っぽいアニメのように歪んだ四角形をしている。足元はフローリングのはずなのにボヨボヨとゴムまりのように弾力がある。奇妙な空間だが、どういうわけか狂気や恐怖は一切感じられない。ただただ愉快な気持ちになる。

「アキオさん、マスター。無事にダイブできました。ダイ場は一軒家タイプの住宅のようです。今はリビングルームにいますけど誰も見当たらないですね」

「よし、とりあえず成功だね。それじゃあ早速夏野さんがいるか探してみよう。くれぐれも慎重にね。相手が相手だから」

 エイジはまるで泥棒のようにそろりそろりと家の中を探索を始めた。リビンクルームから玄関、和室へと移動した時、上の方から声が聞こえた。小さな男の子の弾むような笑い声のようだった。

「この家、二階建てなのか」和室を出るとすぐ隣は階段になっており二階に続いていた。対象者の子供はどうやら二階にいるようだ。

 エイジはスリープガンを腰のホルスターから外そうと手をかけたが、すぐにやめた。危険度のない子供のダイ場でスリープガンを出すのは気が引ける。それにもし夏野がいたら、誤解を招く恐れがある。

 高さがバラバラの階段をゆっくりと登っていくと、正面の部屋のドアが開いているのが見えた。子供の笑い声はそこから聞こえてくる。

 そうっと部屋の中を覗いたエイジの心拍数が急に上がった。

「どうした、エイジ君? 何かあったのか?」

 アキオの呼びかけにエイジは応えることができなかった。エイジの目の前にはたくさんのオモチャに囲まれて楽しそうに遊ぶ小さな男の子とそれをじっと見つめる男の後ろ姿。頭頂部は薄くなり、ヨレヨレになった白いTシャツにカーゴパンツを履いている。その男が夢の一部ではなく自分と同じ異物だと直感でわかった。彼が夏野に間違いない。

「あのう……」

「ん? あぁ! 誰だてめぇ、どうやって入ってきた!」男は声を掛けられ慌てて振り返りエイジと距離をとる。眉間にしわを寄せながらエイジの頭のてっぺんからつま先まで視線を何往復もさせた。アキオたちが言っていた通り、今にも掴みかかってきそうな荒々しい闘犬のような表情をしている。

「お前、ダイバーだな? 一体どこの支所だ? 何しにきやがった? まさかこんな小さな子供が対象者だなんて言うなよ」

「やっぱりあなたが夏野さんなんですね! アキオさん! 夏野さんを見つけました! ……あれ? アキオさん?」エイジがいくら呼びかけてもアキオからの返事はなかった。目の前の男はその様子を見ながら鼻でフンと笑った。

「無駄だ。面倒臭そうだから外部との連絡は切っちまったから。アキオ……ってことはお前レンダイ支所かよ?」

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