第25話

「う~ん……。バグの撃退、ですか。それは超難問ですね」

 〈カフェ・REN〉のマスターは二人からこれまでの事を聞くと、腕を組んで唸った。

「しかし、ついこの前DSAのダイバーになったエイジ君からバグの相談を受けるとは思っても見ませんでしたよ。しかも、普通のバグじゃないんですよね?」

「そうなんだよお。今まで確認された例の中でも飛び抜けて強力なの! まさに最凶最悪のバグだね」

 アキオはそう言うとコーヒーを啜った。

「ダイ場をコントロールできるバグですか……。確かに聞いたことありませんね。奇襲を仕掛けられればとも思いましたが、そうなると難しい、か……」

「奇襲作戦、やっぱり無理ですかね? バグに気づかれずに攻撃さえできればいけると思うんだけどなあ」エイジはアキオとマスターの顔を交互に見た。

「いやあ、厳しいでしょ。今日のダイブでは完全に待ち伏せされてたんだよ? 今回のバグはかなり敏感な奴だね。万が一バレなかったとしても、エイジ君の射撃の腕じゃ相当近づかないと当たらないし」

「やっぱり問題はそこだよなあ~……。ああ、もう! なんで俺にはこんなにも才能がねえんだっ!」カウンターに突っ伏すと頭をグシャグシャとかきむしりながらエイジが叫ぶ。まさか自分が射撃のことでこんなにも頭を悩ませることになるとは夢にも思わなかった。

「はあ~、夏野さんがいてくれたらなあ。何かアドバイスでももらえるのに……」アキオは頬杖をつくと天井を仰いだ。

「今となってはどうすることもできませんね」アキオのぼやきにマスターがコーヒーカップを磨きながら返した。

「夏野さんって、バグを撃退したっていう伝説のダイバーですよね?」

「そう。もしも生きていたなら今回の件は間違いなく夏野さんに回ってただろうね。あ、厳密にいうとまだ完全に死んだわけじゃないんだっけ」アキオは頭の後ろで手を組み視線をマスターに向けた。

「漂流者における生死の定義については意見が分かれるところですからね」

「その夏野さんですけど、どうして漂流者になっちゃったんですか? そう簡単には漂流することってないんですよね? ましてや超一流のダイバーだったわけでしょ? 夏野さんって」

「これは僕の予想なんだけど……」アキオはそういうと眉をひそめて続けた。

「夏野さん、意図的に漂流者になったんじゃないかって思うんだ」

「自分からわざと漂流したってわけですか? でも、なんだってそんなことをするんです? 漂流者になったらもう二度とは戻れないんでしょ? そんなもん、自殺したようなもんじゃないですか」

「動機までは僕にも分かんないよ。でも、そう考えるのが一番自然な気がするんだよね。夏野さんほどのダイバーがダイブに失敗して漂流したっていうのはどう考えてもありえない……。ま、今となっては真相は闇、いや夢の中さ。本人に聞かない限りは……」

「それですよそれ! 夏野さんに直接聞いてみませんか?」エイジが勢いよく立ち上がる。

「あのねえ、エイジ君。話聞いてた? 夏野さんは漂流者になったんだよ? もうこの世界には存在しないのっ」

「アキオさん、さっき言ったじゃないですか。厳密には死んではいないって」

「それは意識のみが彷徨い続けてるって意味で言ったんだよ。なんて言うかな、完全には成仏できてない幽霊みたいな存在って言えばわかりやすいかな。あ、それだと完全に死んでるか。とにかく物理的に存在してるわけじゃないの。いくらピロウでも探知することはできないんだよ?」

「でも誰かの夢、ダイ場には今でも確実に存在しているわけですよね?」

「……おいおい。君とんでもないこと考えてないかい?」アキオはエイジの考えを見透かすと呆れ果てるように目を細くした。

「もしも、夏野さんのいるダイ場が特定することができれば、会えるんじゃないですか?」

「ほらやっぱり! 全く、そんなデタラメなことよく思いつくねえ君は。この地球上に何十億って人間がいるんだよ? そんなもんプールに落ちたコンタクトレンズを見つけるよりもはるかに難しい。それに今までに一度だって夏野さんをダイ場で目撃したダイバーはいないんだ。それこそ奇跡でも起きない限り見つかりっこないよ」

「だってダイブの絶対原則で対象者とダイバーと漂流者一名のみが滞在可能ってあるじゃないですか。それってつまりダイバーが漂流者と遭遇したことがあるってことでしょ?」

「そりゃ確かに漂流者自体の目撃例はいくつかあるけどさあ……。でもそれだって意図して目撃されたわけじゃない。本当に偶然のことなんだよ」

「理論的には可能ってことですよね? だったらそれに賭けてみましょうよ! どのみちこのままじゃ手詰まりでしょ?」もはやエイジは聞く耳持たぬの状態だった。

「そりゃそうだけど……。マスター、どう思う? 元オペレーターとしての意見は?」

「そうですね……。ピロウで検索機能をうまく使えば、それらしいダイ場は見つかるかもしれませんね」

「マスター、それ詳しく聞かせてください!」エイジが思わずカウンターに身を乗り出した。

「いいですか? 漂流者が他人のダイ場に侵入しているってことは、異物が入っている状態ですよね? これはダイバーにも言えることなんですが、その異物が入っている状態では脳波に特殊なブレが検出されるんです。おそらくダイバーの時よりもブレ幅は少ないでしょうが、そういった脳波の対象者をピロウで検索すれば、ひょっとしたら見つかるかもしれませんね」

「なるほどねえ……。ピロウにそんな使い方があったなんて。いやあ、さすがはマスターだ!」

 アキオは先ほどの否定的な態度とは打って変わって子供のように無邪気にはしゃぎながらマスターに拍手を送った。

「ただ……」そう言うとマスターは言い淀む。

「問題なのは検索機能を使っても相当な時間がかかるでしょうし、何より問題なのはピロウが国内の人間しかカバーしていないという点ですね。もしも夏野さんが日本以外に住む人のダイ場に現れるんだったらもうお手上げですよ」

「国内限定か……。でも探す範囲が絞れて逆にいいのかも……」

「こうなったら夏野さんが日本大好きであることを祈るばかりだね。でももし夏野さんに会えたとしても気をつけたほうがいいよ」

「気をつけるって、一体何をですか?」エイジが眉間に皺を寄せる。

「夏野さん、かなりの変わり者っていうかひねくれ者だったからさ。親切にアドバイスしてくれるってのはあまり考えないほうがいいかも」

「でも、幾ら何でもいきなり飛びかかってくることはないですよね?」

「う~ん、ありえなくはないかなあ……」

「そうですね、夏野さんならあるいは……」

 アキオとマスターは目を閉じてウンウンと頷いた。

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