第3章
第18話
「お疲れ様、任務成功だよ。二回目にしてなかなかの落ち着きっぷりじゃない。さすがは僕が見込んだ男」アキオがエイジに向かって親指を立てた。
「いやいや……。めちゃくちゃ焦りましたよ。結果的にはなんとかなったから良かったけど……」
エイジは上体を起こしながら答えるとふうっと息を吐いた。先ほどの悪夢を思い出すと背筋が冷たくなった。エイジにとってはただの夢ではない。内容がどんなに常軌を逸するものでも現実と大して変わらないのだ。
「ねえねえ、どうエイジ君。今からもう一件ダイブ行っとかないかい?」
「はあっ? 今からですかあ?」思わず眉間にシワが寄る。
「うん。まだ時間はあるし、ちょうどダイ場が安定している対象者がいてさ。今からやるなら明日は休みにしたっていいよ。どうかな?」
「本当ですか? う~ん……。わかりました、やります」
今しがた心臓が止まるような思いをしたエイジは正直行って今日は終わりにしたかっただが、次の日の休みは魅力的だった。
「よしっ、決まりだね! それじゃあ準備するから」
エイジは体を再び倒し、仰向けになる。
「よし、準備オーケー。それじゃあいくよ。はい、リラックスして」パソコンのキーボートをカチャカチャと叩きながらアキオが明るく言った。
エイジをベッドに縛り付けている重力が消える。体がふわりと浮くような感覚が訪れ、次の瞬間突き上げるような衝撃がやってきた。火山の大噴火に巻き込まれて、天高く吹き飛ばされてるような強烈な感覚。その衝撃が一瞬にして消え、無音の状態になる。
エイジが硬く閉ざしていた両瞼をゆっくりと開けると、そこはすでに対象者のダイ場だった。
目の前の三階建ての白い建物の入り口は広く開け放たれており、その前方には円形の花壇が堂々と構えている。
エイジの周りにはたくさんの学生がおり、みんな白い建物の入り口に吸い込まれて行く。男子は学ラン、女子はブレザーを着用している。あれだけ静かだったダイ場もいつの間にか学生たちの楽しげで明るい声や靴の音、自転車のかすれたブレーキ音であふれている。
「あれ、ここは……」エイジはあることに気づき、ダイ場をキョロキョロと見渡した。
『エイジ君、どうかした? ダイ場の様子はどう?』
「このダイ場、俺の知ってる場所です」
『えっ! うそ!』アキオは思わず眠っているエイジの顔を覗き込んだ。
「間違いないです。俺の通ってた高校です。しかも知ってる顔も何人かいます。これってどういう……」
『こりゃマズいな。いいかい、エイジ君……』エイジの言葉を遮るようにアキオが叫んだ。
ちょうどその時、エイジの脇をすり抜けて行く男子高校生は、友人の及川と三谷と月島だった。エイジの高校時代の友人で、登校するのも下校するのもコンビニでたむろするのもこの三人と一緒だった。
懐かしいなと思った瞬間、視界の端が徐々に白くぼんやりとしだした。それと同時に溶け出すかのように手足の感覚が徐々に希薄になっていく。
「あれ……? なんだこれ……」意識までもが曖昧になっていく。まるで自分自身の輪郭がぼやけて滲んでいくようだった。
『エイジ君! 〈同調〉が起きてるぞ! しっかりしろ! これは君の夢じゃない!』
アキオの叫び声にも似た呼びかけでエイジは思わずハッとした。すると途端に視界が鮮明になり、手足の感覚が蘇ってくる。
『はあ~危なかった……。エイジ君、一度自分の手のひらを確認してみて」
エイジは言われた通り、自分の右の掌や甲を見つめ、力を入れて開いたり閉じたりしてみる。
「もう大丈夫みたいです。……今のなんだったんですか?」
『さっきのは〈同調現象〉と言って、今いるダイ場が対象者のものじゃなくって自分の夢の中だと錯覚することさ。さっきなんだか景色がぼやけたろ?』
「なりました! 目の前がぼやっとして、少しだけ意識が遠くなっていくような感じっていうか……」
『そうそう、そういうの。同調現象は対象者が自分と同じような体験をした人間の場合によく起こりやすいんだ。友達や家族とかね。だからダイバーは原則的に身近な人へのダイブは禁止されてるの。まあ今回のは突発事故みたいなもんだね。対象者に知り合いを引き当てるなんてことはそうそうないから』
「ということは、ここのダイ場は俺の知り合いってことか。……やっぱりその同調現象も危険なんですか? ほら、漂流者みたいに肉体が死んじゃうとか」
『まあ、危険は危険だけどね。別に死んじゃうってわけじゃないけど、かなり深くまで対象者と同調しちゃうと、お互いの意識とか記憶がごちゃ混ぜになるっていうか、ミックスされちゃうの。ダイバーと対象者の意識を完全に分離させることができなくなる。そうなると日常生活で支障が出ちゃったり、自我崩壊が起きたりするから厄介なことには変わりないかな』
「……充分マズいですね。それでどうしましょう? やっぱりダイ場から離脱、ですか?」エイジは校門があるはずの方角に顔を向けると灰色の濃い霧がかかっていた。どうやらダイ場の範囲は校舎を中心に半径五・六十メートルほどらしい。
『う~ん、そうだなあ。このダイ場は他のDSA支所に回すことになるんだけど……。とりあえず対象者の確認だけしようか。引き継ぎもスムーズになると思うし』
「わかりました。じゃあ対象者探します。対象者は学校の中みたいです」エイジは校舎の方に顔を向け直す。周りと比べて校舎の彩度が高くなっている。
『お願いね。くれぐれも油断しないように。またいつ同調が起きるか分からないからね』
アキオから離脱するようにと言われなくてエイジは少しだけよかったと思った。このダイ場の持ち主、つまり対象者が誰なのか強い興味を抱いたからだ。先ほど校舎の入り口で友人三人組を見かけたということは、エイジが高校に通っていた時に在学している人物に違いない。クラスメイトや、ひょっとしたら教師ということだって十分に考えられる。
エイジは対象者を探すため、見慣れた校舎の中を進んでいく。できる限り同調が起きる危険性をなくすため、生徒の顔を見ないようにした。
ところどころ歪でチグハグな部分はあるが普通の人間の夢の中にしてはなかなかの再現率だ。
ようやく対象者がいると思われる場所を突き止めると、小さく「まさか」と思わず呟いた。
校舎の中で一際鮮明な場所。対象者がいるのは二年三組の教室で、それは高校時代のエイジのクラスでもあった。しかも廊下にいる人間の顔をちらりと覗くと、どれもこれも同学年の人間ばかり。
「おいおい待ってくれよ、嘘だろ。対象者ってクラスメイトかよ」
エイジが教室の中をのぞいた。
教室内は十数名ほどの生徒がいたが、エイジの視線は一人の生徒に釘付けになった。机に座り、取り巻きのクラスメイトと楽しくおしゃべりをしている女子生徒。彼女だけが他の生徒たちよりもずっと鮮明で輪郭もくっきりとしている。
「お、小畑か……。よりにもよって……」
対象者はかつてのクラスメイトの小畑コズエだった。
エイジは久しぶりに見るコズエの姿に釘付けになる。肩甲骨まで伸びる髪は流れるように美しく、目は大きくキラキラと輝いており、薄い唇をキュッとあげながら微笑む顔はとても愛くるしい。誰に対しても分け隔てなく接する性格で、真面目なやつ、明るいやつ、暗いやつ、不良、オタクなど、いろんなタイプのクラスメイトがよく彼女の周りに群がっていた。学校中の男子生徒の憧れの存在で、女子生徒の中にも彼女のファンがいる。無論、エイジも例外ではなかった。高校をサボらずに通うことができたのも彼女に会えるからというものだった。
だが、エイジは他のクラスメイトのように彼女に話しかける勇気はなく、いつも彼女が話しかけてくれるのを待っているだけだった。たまに話しかけられるとうまく返すことはできないのだが、それでもその日一日はそれだけで幸せだった。
『エイジ君、どお? 知ってる人?』アキオの声で我に帰る。
「えっ? あ、はい。やっぱり高校時代のクラスメイトでした」
『へえ~、すごい偶然だね! 対象者の様子はどんな具合?』
「そうですね、特におかしなところは見当たらないです。楽しそうに……ん、あれ? ちょっと待ってください! なんだアイツ?」
エイジがコズエを見つめている時、ふとあることに気づいた。コズエを取り巻いている同じクラスの女子たち。その中に混じって、奇妙な人影が紛れているのに気づいた。
その人影は真っ黒なツナギのような服を着込み、黒くてツルンとしたお面のようなものを顔に貼り付けている。体格は大きいわけでも小さいわけでもなく、男か女なのかもよく分からない。何者なのかは分からないが、学生時代のダイ場にしては明らかに場違いな存在だった。
『え? なに? どうかした?』
「なんかクラスメイトに混じって、変なやつがいるんですよ。黒いツナギ着て、仮面つけた……」
『そいつの足元見て。どうなってる?」アキオの声のトーンが明らかに変わり、捲したてるように早口でエイジに尋ねた。
エイジは視線を黒いツナギの足元に目線を動かす。よく見てみると、ひざ下から踵にかけて、うっすらと黒い靄のようなものが煙のように揺らめいている。
「なんだ、どうなってんだ? 足元から黒いモヤモヤみたいなのが出て……」
『〈バグ〉だっ! エイジ君撃って!』エイジが話し終わるのを待たずアキオが突然怒鳴るように叫んだ。
エイジは事態が全く把握できなかったが、アキオの鬼気迫る声に圧倒されて、なぜと問うことができない。
エイジが事態を把握できずまごついていると突如、黒いツナギが周りにいるコズエの取り巻きたちを凄まじい勢いで両腕でなぎ払うように突き飛ばした。突き飛ばされ床に転げるクラスメイトたちは体が折れ、腕や脚、首が不自然な方に曲がっている。
「こいつ、やりやがった!」
黒いツナギの突然の凶行を目の当たりにしてエイジは慌ててスリープガンを掴んだ。ホルスターのストラップを外し、目線を体の正面に向けると、黒いツナギはいつの間にか自分の目の前に立っていた。
エイジは目を見開き、得体の知れない相手を前にし、体はいうことを聞かなかった。全神経を強張った足元に集中させ少しばかり後ずさろうとした瞬間、腹のあたりに衝撃を受けた。
黒いツナギの強烈な蹴り。エイジの体は後方に吹き飛び、廊下の窓ガラスを突き破った。耳をつんざく音。目の前をチカチカと光を反射しながら舞う砕けたガラス片。
スローモーションのように時の流れがゆっくりになり、エイジの視界にバチバチとノイズが混じりだす。
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